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”重要なお知らせ”


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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
4/1


 
 


 
 

ユリオカ超特Q 
1968/4/1

日本のお笑いタレント、漫談家。兵庫県城崎郡日高町(現在の豊岡市)出身。血液型はB型。豊岡市立日高東中学校、兵庫県立豊岡高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。2007年9月末までASH&Dコーポレーション、2009年3月末までオイコーポレーションに在籍。現在はトップ・カラー所属。スクールJCA2期生。(JCA時代はコンビで活動していた。)
  • 芸能界屈指のプロレスファンであることからプロレスネタも豊富で、よくネタ中に藤波辰爾の物真似(へへ、へへ、へへと発音するプロレスラー独特の呼吸法)を披露する。他に天龍源一郎や金本浩二などのものまねもできる。その縁もあってみちのくプロレス中継にゲスト出演した際にものまねが好評で、その後実況を任されるまでに至る。

 
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トラヴィス・トムコ/タイソン・トムコ
Travis Tomko/Tyson Tomko
1976/4/1

アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州ジャクソンビル出身。身長196cm、体重129kg。

来歴

アメリカのバンドのボディガードなどを行った後、2002年にプロレスデビューを果たす。OVWでキャリアを積んだ後、WWEのRawに2004年4月から所属。「問題解決人」として、クリスチャンの助っ人というギミックでの登場であった。自らも試合をしつつ、クリスチャンの試合では彼の勝利をサポートする役割であった。トリッシュ・ストラタスも含めたチームを組むが、後にトリッシュ・ストラタスは離脱。クリスチャンとのチームは、クリスチャンがSmackdown!に移籍した2005/6/30まで続いた。

日本でプロレスを行う希望があり、2006年4月にWWEを自主退団。以後新日本プロレスに度々参戦している。同じくかつてWWEで活躍し容貌も似ているジャイアント・バーナードとタッグを組むことが多く、ベルトにも絡んでいる。そしてついにバーナードをパートナーに2007/3/11、愛知県体育館において中西学&大森隆男組を下し、第50代IWGPタッグ王座を獲得。

新日本プロレスに定期参戦するのと同時に、アメリカではTNAにもトムコというリングネームで定期参戦しており、テレビショーなどではメインマッチに絡む活躍を見せている。

2008/2/16、翌日にIWGPタッグ選手権を控えておきながら、IGFに突如参戦を果たし、アレクサンダー大塚に快勝すると、持参したIWGPベルトを放り投げた。

2008/2/17、両国でIWGPタッグの防衛戦を行うも敗北。この試合を最後に新日本から離脱。

獲得タイトル

IWGP
  • IWGPタッグ王座
OVW
  • 南部タッグ王座(w / セブン/1977/1/17)





ランディ・オートン
Randy Orton
1980/4/1

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はランドール "ランディ" キース・オートンRandal "Randy" Keith Orton)。テネシー州ナッシュビル生まれ、ミズーリ州セントルイス出身。WWEのRAW所属。業界のトップベビーフェイスの1人である。ニックネームは「バイパー」(毒ヘビ)、「レジェンドキラー」。

祖父のボブ・オートンSr、父のボブ・オートンJrの2人ともプロレスラーであり、ランディ・オートンは3代目プロレスラーにあたる。父のボブ・オートンJrは、2005年にWWE殿堂入りを果たしており、授賞式ではランディがプレゼンターを務めた。業界ではWWEの未来を担う男だと評価されている。

2000-2004年

2000年にMMWA-SICWにてプロレスデビュー。その後すぐにWWEの下部組織であるOVWに移籍する。2002年の4月にWWEのSmackDown!に昇格。程なくして肩を負傷し長期欠場を余儀なくされるが、その間も自身の怪我の回復具合の申告とファンからの応援メールを募集する「RNN」のプロモで出演を続け、「番組中の良いところで必ず割って入るどうでも良いコーナー」という趣旨でファンの顰蹙を買うキャラクターとなる。9月にRAWに移籍した。

2003/1/20、トリプルH、リック・フレアー、バティスタがスコット・スタイナーを倒す事を手伝ったのをきっかけに、トリプルH率いるチーム、エボリューションにトリプルHの後継者として入団。しかし直後に負傷し長期欠場することとなった。

復帰後は2003年末に獲得したIC王座を7か月間に渡り防衛、これは過去10年間で最長の記録となった。王者の期間にはミック・フォーリーとも抗争、バックラッシュでは王座の懸かったノー・ホールズ・バードマッチで対戦し、画鋲の上に落とされる、有刺鉄線で殴られるなど大苦戦の末、有刺鉄線の上にRKOを決めタイトルを防衛、この試合で一気に名を上げた。バッド・ブラッドではシェルトン・ベンジャミンとの王座戦で防衛成功。その後王座陥落後、バトルロイヤルを制し世界ヘビー級王座への第一挑戦権を獲得し8月のサマースラムにて世界ヘビー級王座に挑戦。クロスフェイスをカウンターしてのRKOを決めて王者クリス・ベノワに勝利し、WWE史上最年少24歳で世界ヘビー級王者になる。

こうした経緯もありシングルプレーヤーとして十分に売り出せるようになったと判断され、世界ヘビー級王座獲得の翌日にエボリューションから離脱する。アングル上では、リーダーのトリプルHを差し置いて世界ヘビー級王座を獲得したことが裏切りと見なされ追放された。その後はオートン対エボリューションの抗争になるも、9月のアンフォーギヴェンでトリプルHに世界ヘビー級王座を奪取された。

2005年

年始からニュー・イヤーズ・レボリューション・ロイラルランブルにて王座に連続で挑戦するが、連敗。

4月のWrestleMania 21では、当時レッスルマニア12連勝中のジ・アンダーテイカーに挑戦。また父のボブ・オートンと組み再びヒールターンした。試合ではチョークスラムをRKOで返すなど善戦するも敗れた。

5月のドラフトでRAWからSmackDown!に移籍。しばらく肩の負傷で休養していたが、サマースラム前に復帰し、アンダーテイカーとの抗争を再開。テイカーを撹乱させようとボブ・オートン共々心理戦を挑んだがテイカーの方が一枚上手であった。しかしノー・マーシーにてWWEでは初のハンディキャップ形式の棺桶戦でテイカーに勝利、棺桶ごと燃やしてしまう。

その後サバイバー・シリーズのRAW対SmackDown!対抗戦でSmackDown!代表メンバーに加わるとショーン・マイケルズにRKOを決めてSmackDownに勝利をもたらした。すると試合後テイカーが復活し抗争が再燃、12月のアルマゲドンにてヘル・イン・ア・セル・マッチで闘ったが、死闘の末親子共々ツームストーンを受けて敗北を喫した。

2006年

ロイヤルランブルでは30番手で参加するも、レイ・ミステリオの優勝を許してしまう。その後前年末に死去したエディ・ゲレロに対する暴言でミステリオを挑発、3月のノー・ウェイ・アウトでミステリオの持つ王座挑戦権を賭け試合を行い、勝利して挑戦権を奪取した。WrestleMania 22では、結局トリプルスレット形式となった世界ヘビー級王座戦でミステリオ、王者カート・アングルと対決したが敗退。

WrestleMania 22終了後、WWEより「最低60日の謹慎処分」との発表がなされた。7月に謹慎処分を解かれ復帰した。

7/15、テキサス州ダラスで行われたサタデー・ナイト・メイン・イベントで、ハルク・ホーガンの娘であるブルック・ホーガンに接近、それがハルク・ホーガンの逆鱗に触れ、ランディの挑戦をホーガンが受ける形で試合がサマースラムで実現。しかし敗れてレジェンド狩りには失敗した。

その後エッジとのタッグ、レイテッドRKOを結成してD-Xとの抗争に入った(詳しくはレイテッドRKOを参照)。

2007年

ニュー・イヤーズ・レボリューションで行われた世界タッグ王座戦にて対戦相手のトリプルHが大腿四頭筋を断裂し、以降長期欠場に入ったためD-Xとの抗争は不完全燃焼に終わる。その後エッジとの不仲を仄めかしながらWrestleMania 23のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチにエッジと共に参戦。ラダー上からのRKOを決めるなど健闘したものの敗退する。バックラッシュでは、ジョン・シナ、ショーン・マイケルズ、エッジ とのフェイタル4ウェイ形式でのWWE王座戦に挑んだが王座獲得は失敗。

レイテッドRKO解消後は、冷血キャラが前面に出され、「相手の顔面を蹴り飛ばし負傷させるパフォーマンス」を行うようになり、このムーブがそのまま「パントキック」としてフィニッシャーに昇華された。マイケルズやロブ・ヴァン・ダムに長期出場の怪我をさせるというアングルも演出した。ヴェンジェンスでは、シナ、ミック・フォーリー、ボビー・ラシュリー、キング・ブッカーとのWWE王座戦に出場。グレート・アメリカン・バッシュではダスティ・ローデスとテキサス・ロープ・ルールで対戦し勝利(その結果、ダスティの息子コーディ・ローデスと対立するようになった)。

夏以降は王座戦線に復帰しサマースラムでシナの持つWWE王座に挑戦するも敗戦。アンフォーギヴェンでシナに反則勝ちを収めた後、シナの負傷に伴い王座は空位となり、ノー・マーシー冒頭でビンス・マクマホンからWWE王座が授与された。しかし、ビンスを挑発し無理やり王座戦を組ませたトリプルHに1試合目で敗れ、早々に王座を奪われる。トリプルHは王者としてウマガと対戦し防衛。最終試合、オートンのその日2試合目、トリプルHには3試合目となるラストマン・スタンディング・マッチ形式で戦い勝利し、この日だけで2回WWE王座を獲得した。その後翌日のRAWで電撃復活したマイケルズと抗争を開始。サイバー・サンデーでは反則負けで王座を死守。その前後にわたり6週連続でスウィート・チン・ミュージックを食らっていたオートンは、サバイバー・シリーズでのマイケルズとの再戦でマイケルズのスウィート・チン・ミュージックを反則とするルールを利用し、一瞬の隙をついてRKOを決めて王座を防衛する。アルマゲドンでは、こちらも電撃復帰したクリス・ジェリコと対戦するもJBLの乱入により反則負けで王座は防衛した。

2008年

ロイヤルランブルではジェフ・ハーディーと対戦し王座を防衛。ノー・ウェイ・アウトでは、ロイヤルランブルで電撃復帰し優勝したジョン・シナと対戦したが、オートン自ら反則負けし王座を防衛。WrestleMania XXIVでは、トリプルHとシナを相手に三つ巴戦で防衛に成功した。その後、バックラッシュでのシナ、トリプルH、JBLとのエリミネーション形式4ウェイ戦でトリプルHに王座を奪われる。ジャッジメント・デイでは金網戦、ワン・ナイト・スタンドではラストマン・スタンディング戦で王座に挑んだが、連敗した。またワン・ナイト・スタンドの試合の終盤にトップロープから落とされて左鎖骨を骨折したため数ヶ月欠場した。

9月のRAWにて復帰すると、ダスティ・ローデスの息子コーディ・ローデス、ミリオンダラー・マンの息子テッド・デビアス、アファ・アノアイの息子マヌ、ジミー・スヌーカの息子シム・スヌーカといったいわゆる二世、三世のレスラーを従え"レガシー"を結成する。途中でスヌーカ、マヌを追放し最終的にはコーディ・ローデス、テッド・デビアスと三人で行動を開始した。

2009年

年明けからステファニー・マクマホンによる平手打ちをきっかけにマクマホンファミリーとの抗争がスタート、ビンス・マクマホンにパントキックを食らわせ病院送りにしてしまう。ロイヤルランブルではレガシーの協力もあり最後はトリプルHを落とし初優勝を果たす。その後オートンはビンスへの行為をIED(間欠性爆発性障害)と呼ばれる精神疾患が原因であると釈明するもそれでは済まず、シェイン・マクマホンとの抗争に入る。ノー・ウェイ・アウトの反則裁定無しの一戦でシェインに勝利、更に翌日のRAWでは再戦したシェインにパントキック、ステファニーにRKOを決める。するとそこに数年前にストーリー上ステファニーと離婚しているトリプルHが駆けつけ、同週のスマックダウンで自身がステファニーの夫と明かし、オートンへの怒りを露にし抗争がスタート。そしてWrestleMania XXVにてWWE王座戦で戦うも敗れた。翌日のRAWではビンスとの試合中にシェイン、トリプルH、更にオートンのパントキックで負傷中だったバティスタの乱入に遭う。この結果バックラッシュではレガシーの3人対トリプルH・バティスタ・シェインの6人タッグ形式変則WWE王座戦で戦い、勝利してWWE王座を獲得した。

5月のエクストリーム・ルールズではバティスタに金網戦で敗れ王座を失うが、後にレガシー全員で襲撃し休場に追い込む。結果王座が空位になるとトリプルH、ジョン・シナ、ビッグ・ショーとの4ウェイ戦で勝利し王者に返り咲いた。その後はレガシーを使うなどあの手この手で王座を防衛していたが9月のブレーキング・ポイントでの"アイ・クイット"マッチでシナに敗れ王座を失う。10月のヘル・イン・ア・セルではシナに勝利しWWE王者に返り咲くも、ブラッギング・ライツでのアイアンマン・マッチでシナに再び王座を奪還され、シナが勝利した場合には王座移動するまではシナに挑むことができないという取り決めにより王座戦線から離れる。その後は王座戦の最中に援軍を撃退したコフィ・キングストンに標的を定めて抗争を開始。サバイバー・シリーズの生き残り戦ではコフィに敗退させられるも、TLCのシングル戦でリベンジを果たした。

2010年

TLCでシナが王座墜落したことにより再び王座戦線に戻り、コフィ、シナを退けて王座挑戦権を獲得する。ロイヤルランブルのWWE王座戦ではシェイマスを追いつめるもコーディが介入してしまい、反則敗けを喫する。裁定後にはレガシーの二人に激しく暴行した。この出来事が、ローデスとデビアスから怒りを買い、エリミネーション・チェンバーのエリミネーション・チェンバー・マッチでのWWE王座戦では、共に出場していたデビアスに鉄パイプで殴られ、敗退させられるという屈辱を味わう。これを機に、オートンはレガシーから追放され、デビアスとローデスとの抗争が始まる。WrestleMania XXVIではレガシーを相手に三つ巴戦で対決。2対1の場面もあったが、コーディにパント、テッドにRKOを決め勝利。それと同時にベビーターンも果たす。 翌日のRAWでも、シナとタッグを組み試合をするなど、ベビーとしての存在感を示した。

エクストリーム・ルールズでは世界ヘビー級王座、フェイタル・4ウェイではWWE王座に挑戦するがいづれも王座獲得ならず。オーバー・ザ・リミットでもエッジと対決したが引き分けに終わる。 マネー・イン・ザ・バンクではMITBへ出場したが優勝を見逃した。サマースラムでは抗争中にあったシェイマスと王座戦を戦ったが王座奪回に失敗。続く ナイト・オブ・チャンピオンズでの6パックWWE王座戦ではシェイマスを葬り王者に返り咲く。 ヘル・イン・ア・セルではセル戦にてシェイマスの挑戦を退けた。ブラッギング・ライツ、サバイバー・シリーズでは共にネクサスのウェイド・バレットと王座戦と戦い、いづれも防衛した。翌日のRAWではまたもバレットと王座戦を戦ったが、シナの乱入に助けられ勝利を収める。だが直後にザ・ミズにマネーの権利を行使され、王座から墜落した。TLCでは王座が懸かったテーブル戦でミズと再戦するが敗れる。

2011年

TLCで不本意な敗北を喫したことにより、以前から対立状態にあったミズと抗争を繰り広げ、ロイヤルランブルでの王座挑戦権を獲得する。王座戦ではネクサスの妨害により王座獲得を見逃し、続くランブル戦では39番手で登場するがアルベルト・デル・リオにイリミネートされた。

ザ・レジェンドキラー

前述のニックネームレジェンドキラー(Legend Killer)は、エボリューション入団後に与えられたギミックで、以降名だたるレスラーを次々と倒していくことになる。以下にそれを記す。

  • エリック・ビショフ
  • クリス・ベノワ
  • サージェント・スローター
  • ジェイク・ロバーツ
  • ジェリー・ローラー
  • ショーン・マイケルズ
  • トリプルH
  • ハーリー・レイス
  • ファビュラス・ムーラ
  • ブッカー・T
  • ミック・フォーリー
  • メイ・ヤング
  • リック・フレアー
  • ロブ・ヴァン・ダム
  • ジ・アンダーテイカー
  • ダスティ・ローデス

以下はプロレスラーではないが、倒したことがある。

  • マーク・キューバン (ダラス・マーベリックスオーナー)

タイトル履歴

WWE
  • WWE王座 : 6回
  • 世界ヘビー級王座: 1回 (史上最年少、24歳)
  • 世界タッグチーム王座 : 1回
  • インターコンチネンタル王座 : 1回
  • ロイヤルランブル 2009 優勝
OVW
  • OVW ハードコア王座 : 2回

その他

  • サバイバー・シリーズ伝統の4vs4(あるいは5vs5)エリミネーションマッチで、2003年(チーム・ビショフ)、2004年(チーム・オートン)、2005年(チーム・スマックダウン!)と3年連続でソール・サバイバー(一人生き残り)となった。2006年(チーム・レイテッドRKO)では一転ストレート負けを喫したが、2008年(チーム・オートン)で再び勝ち残り、この試合形式における絶対的な強さを見せ付けた。
  • オートンの肩は二重関節である。
  • プロレスラーになる前はアメリカ海兵隊に志願入隊していた。しかし1年後、2度の無断外出と上官に対しての命令不服従により、不名誉除隊処分を受けており、非常に鼻っ柱が強いことで知られる。
  • 2005年11月、サマンサ・スペノとの婚約を発表した。
  • アンドレ・ザ・ジャイアントに子供の頃、よく遊んでもらったと語っている。
  • 以前は若さもあって素行不良などが多く、バックステージでの評判は良くなかった(罰として、2年間ほどトップのタイトル戦線からはずされた)が、最近は改善されてきている。
  • オートンはベビーターンについて強く否定しておりベビー自体も好きではないと語っていたが、2009年後半から自然と観客から大きな声援が上がるようになり、結果ベビーターンした。

入場曲

  • Voices (Rev Theory) - 現在使用中
  • This Fire Burns (Killswitch Engage)
一度だけ使用したがパフォーマンスが合わず再びBurn In My Lightに戻した。後にCMパンクが使用。
  • Burn In My Light (Mercy Drive)
  • Line in the Sand (Motörhead)
エボリューション在籍時に使用。
  • Evolution (Instrumental)
  • Blasting





カノンスック・ウィラサクレック
Kanongsuk Weerasakreck
1987/4/1

タイのムエタイ選手。ウボンラーチャターニー県出身。WSRフェアテックスジム所属。現M-1フェザー級およびライト級王者・WPMF世界ライト級王者。

来歴

元ルンピニー・スタジアム・スーパーバンタム級ランカー。

2005/10/16、日本デビューとなった全日本キックボクシング連盟で前田尚紀と対戦し、KO勝ちを収めた。この時のリングネームはカノンスック・フェアテックスであった。

2006/3/19、全日本キックボクシング連盟で山本元気と対戦し、左ボディブローでKO負けを喫した。

2007/6/3、M-1フェザー級王座決定戦でチームドラゴンのAKIRAと対戦し、右ストレートによる失神KO勝ちを収め王座を獲得した。この試合からリングネームをカノンスック・ウィラサクレックとした。

2007/11/23、初参戦となったニュージャパンキックボクシング連盟で大和哲也と対戦し、左ストレートでKO勝ちを収めた。

2008/7/5、赤坂サカス・Sacas広場で開催されたイベント「K-1 WORLD MAX & DREAM Presents AKASAKA FIGHT FESTIVAL」で、同門であるワンロップ・ウィラサクレックとムエタイマッチで対戦し、KO負けを喫した。

2010/6/6、WPMF世界ライト級タイトルマッチで増田博正と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。

2010/9/12、遠藤智史の持つM-1ライト級王座と自身の持つWPMF世界ライト級王座を賭けたダブルタイトルマッチが行なわれ、左肘打ちによるTKO勝ちでM-1ライト級王座を獲得した。

2010年12月30日、戦極 Soul of Fightで山本元気と戦極ムエタイルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2011/1/23、ニュージャパンキックボクシング連盟のメインイベントで羅紗陀と対戦し、3度のダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた。


  



くるみ
2000/4/1

日本の女子プロレスラー。アイスリボン所属。

経歴・戦歴

  • 2009年12月、アイスリボンの冬季合宿につくしと共に参加。合宿最終日の2010/1/4、新木場1stRING大会で、都宮ちい相手にエキシビションマッチを行う。以降エキジビションを重ね、2010年5/3の後楽園ホール大会にてデビュー。
  • 現在全国で2人のみの小学生女子プロレスラーのひとり。
  • 2010年9月、テレビ東京系列「毎日かあさん」の「うちの子スーパーキッズ」のコーナーに出演。ゴルゴ松本を驚愕させた。 
  • 2010/12/13、読売新聞夕刊ズームアップ「放課後は女子プロレス」に紙面約半分の大きさの写真が掲載。尚、読売新聞ホームページにも掲載されている。
  • 2011/1/15蕨大会、TBS「はなまるマーケット」の密着取材を受け、1/21放送の同番組内の「クチコミ☆ラボ」のコーナーでスーパー小学生(小学生プロレスラー)として紹介される。得意技のジャーマン・スープレックス・ホールドを繰り出し、司会の薬丸裕英、岡江久美子やコーナー担当の本上まなみを驚愕させた(試合はみなみ飛香に敗れている)。
  • 2011/2/6、アイスリボン選手会興行名古屋大会にて、つくし選手のハルカゼを切り返し押さえ込み、シングルでの初勝利を飾った。
















 
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