横田 一則
1978/4/3
日本の総合格闘家。千葉県船橋市出身。GRABAKA所属。松戸国際高等学校、順天堂大学卒業。
スピードに自信を持ち、柔道で鍛えられた重い腰と、パワーのある打撃と寝技を駆使する。DEEPでは格上といわれる相手にも真っ向から勝負を挑みデビュー以来負けなしでDEEPライト級王者となった。
来歴
順天堂大学柔道部では主将を務めた。実業団で柔道を経験した後、GRABAKAに一般ジム生として入会。
2004/9/19、『DEMOLITION』にて格闘家デビュー。デビュー戦で「裸十段」中村K太郎と対戦することになるが、5分2Rを戦い抜き引き分けに持ち込む。
2005/7/10、『パンクラス』にて石島大悟から腕ひしぎ十字固めで一本を奪い、総合初勝利を挙げる。
2005/9/3、『DEEP 20』で行われた「全面対抗戦 DEEP戦士VSGRABAKA」という3対3の対抗戦において中堅に大抜擢され、長岡弘樹を3-0の判定で破る。
2005/10/30、『club DEEP 富山』のメインにてBarbaro44と対戦、判定0-1の引き分け。
2006/2/5、『DEEP 23』にて梅田恒介にバックマウントからの打撃の連打でTKO勝利。
2006/4/11、『DEEP 24』にてミルトン・ヴィエイラと対戦、判定1-1の引き分け。
2006/10/10、『DEEP 26』にて吉田道場の小見川道大と対戦。接戦を制し2-0の判定で勝利する。
2006/12/20、『DEEP 27』にてBarbaro44とのDEEPライト級王者帯谷信弘への挑戦権をかけた再戦が行われ、2-0の判定勝利。因縁の再戦に決着をつけると共にタイトルマッチへの挑戦権を手に入れた。
2007/2/16、『DEEP 28』で行われたDEEPライト級タイトルマッチで、王者帯谷信弘に判定勝ちし、第3代DEEPライト級王者となった。
2007/6/16、『club DEEP 東京』でキックボクシングルールの試合に挑戦、イ・デヨンに判定勝ち。
2007/8/5、『DEEP 31』にてアンソニー・マグデビットとの対戦が予定されていたが、試合当日にアンソニーが試合放棄し、急遽フューチャーファイトに出場予定だったミノル・タバレス・ツチダが代役として出場することになった。試合は腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2007/10/28、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007でファディル・シャバリと対戦し、判定勝ち。この試合で脚を疲労骨折し、手術を行った。
2008/5/19、『DEEP 35』でハン・スーファンとDEEPライト級タイトルマッチで対戦し、右フックでKO負け。王座から陥落するとともに、自身初の敗戦となった。
2008/8/24、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリ1回戦でボーヤン・コセドナーと対戦し、判定勝ち。試合後のリング上では「ケガをしてぜんぜん練習できなくて、今回は言い訳させてください」と発言し、同門の郷野聡寛に「言い訳ハゲ」と言われた。
2008/11/1、戦極 〜第六陣〜ライト級グランプリ準決勝で廣田瑞人に判定勝ちするも、決勝では北岡悟に判定負けし、準優勝となった。
2009/5/2、戦極 〜第八陣〜に出場しレオ・サントスと対戦。ジャッジの評価が分かれるもスプリットによる判定勝ちを収めた。
2009/7/24、Krushで廣野祐とキックボクシングルールで対戦。2Rに2回のダウンを奪われるなどして、大差の判定負け。
2009/9/23、戦極 〜第十陣〜でライアン・シュルツと対戦し、右フックで失神KO勝ち。失神しているシュルツを気遣うことなくマイクパフォーマンスを行ったことに対し、シュルツのセコンドを務めていた長南亮にブログで苦言を呈された
2009/11/7、戦極 〜第十一陣〜で光岡映二と対戦し、判定勝ち。「ライト級王座挑戦者査定試合」とも言われた試合に勝利を収め、大会後には國保尊弘戦極広報が「(大晦日興行での廣田瑞人の王座挑戦者は)横田選手になると思います」と語ったが、その後、大晦日興行は中止となった。
2009/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で川尻達也と対戦し、0-3の判定負けを喫した。のちに1か月前の11/25に交通事故に遭い、腰痛椎弓骨折していたことを明かした。
2010年/10/30、10か月ぶりの復帰戦となったSRC15でブライアン・コッブと対戦し、1-2の判定負けを喫した。コッブは前日計量で規程体重をクリアできず減点1が与えられた状態で試合が開始された。
2010/12/30、戦極 Soul of Fightでジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、左フックによる失神KO負け。3連敗となった。
獲得タイトル
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