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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
4/3


 
 


 
 

タイガー・ジェット・シン
Tiger Jeet Singh
1948/4/3

本名ジャグジート・スィン・ハンスJagjit singh hans)は、インド・パンジャーブ州のルディヤーナー出身のプロレスラー、実業家。なお、日本以外での正式なリングネームはタイガー・ジート・スィンである。シク教徒。

ニックネームは「インドの猛虎(狂虎)」、「狂える虎」。息子のタイガー・アリ・シンもWWEのリングで活躍したプロレスラーである。

概略

彼はフェンシングのサーベルを振りかざす姿で一世を風靡した悪役レスラーである。しかし、ここぞという場面では正統派レスリングを見せ、アントニオ猪木らトップクラスのレスラーにも勝利している。言動には独自の哲学を徹底して貫いており、多くの関係者から一目置かれる存在となっている。

日本国外や地元トロントではベビーフェイスとして活躍を続ける一方、プロレス以外の様々な事業を経営している。プロレス業界のみならず、財界、政界とも繋がりがあり、北米インド人社会では最も著名な人物の一人である。

タイトル履歴

  • NWF認定世界ヘビー級王座
  • UWA認定世界ヘビー級王座
  • モントリオール版AWA認定世界ヘビー級王座
  • NWA認定インターナショナルタッグ
  • アジアヘビー級王座
  • アジアタッグ王座
  • NWA認定北米ヘビー級王座
  • NWA認定北米タッグ王座

 
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大黒坊弁慶
1957/4/3

日本の男性プロレスラーである。本名は、小谷一美(こたに かずみ)。和歌山県日高郡出身、身長190cm、体重150kg。

以前は、(初代)のリングネームを名乗っていた。

かつて花籠部屋所属の元大相撲力士であった。大相撲時代の四股名は花嵐、最高位は東十両9枚目(1984年9月場所)、得意手は左四つ・寄り。当時の体格は身長187cm、体重168kg。

来歴

中学時代には柔道をやっていたが、南部高等学校進学後に相撲を始める。大会での活躍が目立ったことで相撲部屋から誘われるが、日本大学出身の教師に薦められ同大に進学した。名門と言われる日大相撲部で活躍し、大学4年時に全国学生相撲選手権大会で優勝したことをきっかけに大相撲に進むことを決意する。

1980年に花籠部屋に入門し、学生横綱の実績により1980年3月場所に幕下付出で初土俵を踏む。上背があり、まわしを取って引く相撲ではなかなかの強さを見せた。鳴り物入りではあったが幕下時代が長く、1984年3月場所に十両に昇進するも今ひとつ勝てず十両在位は3場所に終わった。1985年末に師匠の花籠親方が金銭トラブルのため廃業することが決まったため、本人も1985年11月場所限りに28歳で廃業した。

廃業後は、プロレス団体WARに登場したチームである相撲軍団に覆面レスラー「嵐」(初代)として参加。1994年、WARの所属選手であった石川敬士(日大相撲部、花籠部屋の先輩でもある)がWARからの離脱と新団体東京プロレスの立ち上げを表明すると、同団体に参加。この際にリングネームを嵐から「ダンク・タニ」と改名する。

東京プロレスでは主要選手の一人として活躍する。1995年にザ・グレート・カブキの東京プロレス参戦と(ダンク・タニとの)タッグ結成が決定すると、リングネームを「大黒坊弁慶」に改名、これ以降はこのリングネームで活動している。このカブキと弁慶によるタッグチームは「幻僧戦士団」を名乗り、同団体において屈指の強さを誇った。これは、名レスラーカブキによって弁慶の潜在能力が引き出された事が大きい。

東京プロレス崩壊後は、新東京プロレス、IWA・JAPANに参戦。現在、大日本プロレスで活動中。同団体のヘビー級ベルトを長期保持した重鎮であり、一つの軸になる存在である。またその巨大な体躯と強面でありながら、ユーモラスな試合で観客を沸かせる一面もある。

大相撲時代

主な成績

  • 初土俵:1980年3月場所(幕下付出)
  • 新十両:1984年3月場所
  • 最終場所:1985年11月場所
  • 通算成績:138勝125敗6休(35場所)
  • 十両成績:19勝26敗(3場所)

改名歴

  • 小谷 一美1980年3月場所 - 1980年11月場所
  • 羅紗王1981年1月場所 - 1981年5月場所
  • 和歌ノ洋1981年7月場所 - 1982年3月場所
  • 花嵐1982年5月場所 - 1985年11月場所

リングネーム

  • ダンク・タニ
  • 大黒坊弁慶 - 現行

テーマ曲

  • R★O★C★K★S / HOUND DOG

タイトル歴

  • WEWハードコアタッグ王座
  • BJW認定タッグ王座
  • BJW認定大日本ヘビー級王座

役者としての活動

  • 超人機メタルダー(1987年 ヨロイ軍団中闘士フーフーチュウ役)
  • お嬢さん探偵・ときめき連発!(1987年)





横田 一則
1978/4/3

日本の総合格闘家。千葉県船橋市出身。GRABAKA所属。松戸国際高等学校、順天堂大学卒業。

スピードに自信を持ち、柔道で鍛えられた重い腰と、パワーのある打撃と寝技を駆使する。DEEPでは格上といわれる相手にも真っ向から勝負を挑みデビュー以来負けなしでDEEPライト級王者となった。

来歴

順天堂大学柔道部では主将を務めた。実業団で柔道を経験した後、GRABAKAに一般ジム生として入会。

2004/9/19、『DEMOLITION』にて格闘家デビュー。デビュー戦で「裸十段」中村K太郎と対戦することになるが、5分2Rを戦い抜き引き分けに持ち込む。

2005/7/10、『パンクラス』にて石島大悟から腕ひしぎ十字固めで一本を奪い、総合初勝利を挙げる。

2005/9/3、『DEEP 20』で行われた「全面対抗戦 DEEP戦士VSGRABAKA」という3対3の対抗戦において中堅に大抜擢され、長岡弘樹を3-0の判定で破る。

2005/10/30、『club DEEP 富山』のメインにてBarbaro44と対戦、判定0-1の引き分け。

2006/2/5、『DEEP 23』にて梅田恒介にバックマウントからの打撃の連打でTKO勝利。

2006/4/11、『DEEP 24』にてミルトン・ヴィエイラと対戦、判定1-1の引き分け。

2006/10/10、『DEEP 26』にて吉田道場の小見川道大と対戦。接戦を制し2-0の判定で勝利する。

2006/12/20、『DEEP 27』にてBarbaro44とのDEEPライト級王者帯谷信弘への挑戦権をかけた再戦が行われ、2-0の判定勝利。因縁の再戦に決着をつけると共にタイトルマッチへの挑戦権を手に入れた。

2007/2/16、『DEEP 28』で行われたDEEPライト級タイトルマッチで、王者帯谷信弘に判定勝ちし、第3代DEEPライト級王者となった。

2007/6/16、『club DEEP 東京』でキックボクシングルールの試合に挑戦、イ・デヨンに判定勝ち。

2007/8/5、『DEEP 31』にてアンソニー・マグデビットとの対戦が予定されていたが、試合当日にアンソニーが試合放棄し、急遽フューチャーファイトに出場予定だったミノル・タバレス・ツチダが代役として出場することになった。試合は腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2007/10/28、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007でファディル・シャバリと対戦し、判定勝ち。この試合で脚を疲労骨折し、手術を行った。

2008/5/19、『DEEP 35』でハン・スーファンとDEEPライト級タイトルマッチで対戦し、右フックでKO負け。王座から陥落するとともに、自身初の敗戦となった。

2008/8/24、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリ1回戦でボーヤン・コセドナーと対戦し、判定勝ち。試合後のリング上では「ケガをしてぜんぜん練習できなくて、今回は言い訳させてください」と発言し、同門の郷野聡寛に「言い訳ハゲ」と言われた。

2008/11/1、戦極 〜第六陣〜ライト級グランプリ準決勝で廣田瑞人に判定勝ちするも、決勝では北岡悟に判定負けし、準優勝となった。

2009/5/2、戦極 〜第八陣〜に出場しレオ・サントスと対戦。ジャッジの評価が分かれるもスプリットによる判定勝ちを収めた。

2009/7/24、Krushで廣野祐とキックボクシングルールで対戦。2Rに2回のダウンを奪われるなどして、大差の判定負け。

2009/9/23、戦極 〜第十陣〜でライアン・シュルツと対戦し、右フックで失神KO勝ち。失神しているシュルツを気遣うことなくマイクパフォーマンスを行ったことに対し、シュルツのセコンドを務めていた長南亮にブログで苦言を呈された

2009/11/7、戦極 〜第十一陣〜で光岡映二と対戦し、判定勝ち。「ライト級王座挑戦者査定試合」とも言われた試合に勝利を収め、大会後には國保尊弘戦極広報が「(大晦日興行での廣田瑞人の王座挑戦者は)横田選手になると思います」と語ったが、その後、大晦日興行は中止となった。

2009/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で川尻達也と対戦し、0-3の判定負けを喫した。のちに1か月前の11/25に交通事故に遭い、腰痛椎弓骨折していたことを明かした。

2010年/10/30、10か月ぶりの復帰戦となったSRC15でブライアン・コッブと対戦し、1-2の判定負けを喫した。コッブは前日計量で規程体重をクリアできず減点1が与えられた状態で試合が開始された。

2010/12/30、戦極 Soul of Fightでジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、左フックによる失神KO負け。3連敗となった。

獲得タイトル

  • 第3代DEEPライト級王座





堀 啓
1982/4/3

日本のキックボクサー。宮城県仙台市出身。東北学院高等学校卒業。小比類巻道場所属。

バックボーンは空手。約2メートルの長身から繰り出すキックが主な武器。

来歴

2001/4/15、フリーとしてK-1デビュー。デビューを白星を飾る。セコンドには伊藤隆がついた。

2003年よりチームドラゴン所属となった。

2003/6/29、『K-1 BEAST II 2003』で中村和裕と対戦し、左ハイキックでKO勝ち。

2006年8月の「24時間テレビ29」では、潜水に挑戦し、58mを記録した。

2007/10/13、『K-1 Fighting Network Latvia 2007』でのマキシム・ネレドバ戦を最後に現役引退。

2008年夏にチームドラゴンを辞め、HIDE'S KICKに移籍した。

2009/3/28、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAで極真会館の佐藤匠と対戦し、3Rに2度のダウンを奪われた後、セコンドからのタオル投入によるTKO負けを喫した。

2009/12/23、小比類巻道場所属で現役復帰宣言をした。

2010/4/29、Krush初参戦となったKrush.6で長谷川康也と対戦し、KO勝ち。

2010/8/14、Krush.9で福田雄平と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた。


  

















 
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