本文へスキップ
 


 
 
”重要なお知らせ”


2011/9/1よりパワーアップでページ独立!

 
 


 
 
プロレス/格闘技
誕生日/忌日
4/5


 
 


 
 

ファイティング原田
1973/4/5

日本の元プロボクサー。本名は原田 政彦。ファイティング原田ジム会長。第10代日本プロボクシング協会の会長で現在は同顧問。プロボクシング・世界チャンピオン会最高顧問。
 
広告


シカ・アノアイ
Leati "Sika" Anoa'i
1945/4/5

アメリカ合衆国の元プロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。

アノアイ・ファミリーの総帥である兄のアファ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズThe Wild Samoans)での活動で知られる。息子のマット・アノアイとジョー・アノアイもプロレスラーである。

来歴

兄アファ・アノアイに続いて1970年代前半にデビューし、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにてザ・サモアンズを結成。以降アファと共に1973年から1984年にかけて、ジ・アイランダーズおよびワイルド・サモアンズの名義でデトロイト、アラバマ、テネシー、ルイジアナ、ジョージア、ニューヨークなど全米の主要テリトリーを転戦、各地のタッグ王座を再三獲得した。日本には、国際プロレスに3回、新日本プロレスに2回来日している。

1984年の下期にアファとのチームを解散し、1986年から1988年までヒールのシングル・プレイヤーとして古巣のWWFで活動。初期はキング・イヤウケア、後にミスター・フジをマネージャーに、カマラとも野獣コンビを結成した。1988年3月27日のレッスルマニアIVでは、オープニング・アクトのバトルロイヤルに出場している。1980年代末にはアラバマのCWFにて、ヨコズナこと甥のグレート・コキーナともタッグを組んだ。

引退後はフロリダ州ペンサコーラのインディー団体 "XW2000" の運営に携わっている。2007年にはアファと共にWWE殿堂に迎えられた。

獲得タイトル

スタンピード・レスリング
  • インターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):2回(w / アファ・アノアイ)
NWA
  • NWA世界タッグ王座(デトロイト版):2回(w / アファ・アノアイ)
  • NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / アファ・アノアイ)
  • NWAガルフ・コースト・タッグ王座:2回(w / アファ・アノアイ)
  • NWAナショナル・タッグ王座:1回(w / アファ・アノアイ)
CWA
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / アファ・アノアイ)
IWE
  • IWA世界タッグ王座:1回(w / アファ・アノアイ)
MSWA
  • ミッドサウス・タッグ王座:3回(w / アファ・アノアイ)
WWE
  • WWFタッグ王座:3回(w / アファ・アノアイ)
  • WWE Hall of Fame:2007年度(w / アファ・アノアイ)





ダイヤモンド・ダラス・ペイジ
Diamond Dallas Page、略称DDP
1956/4/5

来歴

1979年にカナダでデビューしたが、すぐに業界を離れフロリダ州マイアミでナイトクラブを経営していた。1988年、AWAでマネージャーとして再デビューし、バッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ=後のオリエント・エクスプレス)やカート・ヘニングらを担当。またこの頃すでに女性マネージャーのダイヤモンド・ドール(正体に関しては、後に妻となるキンバリー・ペイジが最も有名だが、彼女は何代目かのダイヤモンド・ドールで、もともとは複数のAVモデルが交代で務めていた)とコンビを組んでいた。

その後FCW(Championship Wrestling from Florida、WWE関連団体のFlorida Championship Wrestlingとは別物)でのカラーコメンテーターを経て、1990年には短期間ながらWWF(現・WWE)にアナウンサーとして在籍した。なお、同年行われたレッスルマニアVIでリズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)がピンクのキャデラックに乗って入場した際、その車のオーナーであったことから運転手役を担当している。

1991年、WCWで35歳にして選手として正式にデビュー。タッグ戦線やUS王座戦線など中堅で活躍していたが、WCW副社長エリック・ビショフと親密であった(家が近所だった)こともありトップグループのポジションを得た。1999/4/11、リック・フレアーを破りWCW世界ヘビー級王座を初獲得。同王座は通算3度獲得、また、バンバン・ビガロらとのコンビでWCW世界タッグ王座も4度獲得し、WCWでは主役級の一人であった。

2001年のWCW崩壊後はWWFと契約。スライド移籍した中堅・若手ばかりの選手たちの中では数少ない元世界王者であり、アライアンス・アングルにおいてはブッカー・Tと共に中心選手として迎えられた。アライアンス解散後はWWFヨーロピアン王座を獲得。2002年3月には横浜アリーナで行われたWWF日本興行にて初来日を果たし、キング・ハクと対戦した。勝利後には客席に飛び込み、大勢の客とセルフ・ハイ・ファイブを決める定番シーンを見せた。

程なくして首を故障し、2002年にWWFを退団して現役を引退。引退後はヨガの教室を開いていたが、2004年 - 2005年にはTNAのリングにも上がり、またその広い人脈を活かしてイベントを企画するなど再び存在感を見せた。ヨガ教室のビジネスはかなり好調らしく、現在は再び表舞台から退いている。

多くの同業者に慕われる人格者として知られ、特にストーン・コールド・スティーブ・オースチンとは親交が深く、近年でもルームシェアをするほどであった。

決め台詞

  • Feel the BANG!
  • YO It's me It's me It's D・D・P
  • That's not bad thing,That's a good thing! (それは悪いことじゃない。むしろ良いことだ!)

獲得タイトル

WCW
  • WCW世界ヘビー級王座 : 3回
  • WCW世界タッグ王座 : 4回(w / ケビン・ナッシュ×2、クリス・キャニオン、バンバン・ビガロ)
  • WCW US王座 : 2回
  • WCW TV王座 : 1回
WWF
  • WWFタッグ王座 : 1回(w / クリス・キャニオン)
  • WWFヨーロピアン王座 : 1回

入場曲

  • Self High-Five
ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」そっくりに作られており(音符の一部を入れ替えただけ)、権利の都合でWWF移籍後は使用されなかった。





ビジャノ4号
Villano IV
1965/4/5

メキシコシティ出身のプロレスラー。ビジャノとは日本語で『極悪』の意味を持つ。本名:トーマス・ディアス・メンドーサ。父はレイ・メンドーサ、兄弟は兄に1号、2号、3号、5号、義理の姉妹はラ・インフェルナル(3号の妻)。

「メキシコの鉄人」と言われた父のレイ・メンドーサの五男。父やビジャノ1号にルチャの英才教育を受け、1979年12月にルチャデビュー。1983年からビジャノ4号と改名。団体はUWA、AAA、CMLLやローカル・プロモーション転戦。1996年からはWCWのバトルロイヤルにレイ・メンドーサ・ジュニアの名で登場。ルードとして活躍。2000年に帰国。現在はCMLLに兄弟3号、5号と共に参戦中。

タイトル履歴

  • ユカタンウエルター級王座
  • ユカタンミドル級王座
  • ナウカルパンウエルター級王座
  • ナウカルパンミドル級王座
  • WWA世界ジュニア級王座
  • WWAアメリカストリオ王座(パートナー:3号、5号)
  • WWA世界トリオ王座(パートナー:3号、5号)
  • UWFスーパーミドル級王座
  • UWA世界トリオ王座 : 4回(パートナー:1号、5号)
  • ナシオナルアトミコス王座(パートナー:ピエロス・ジュニア、3号、5号)
  • AAAアメリカストリオ王座(パートナー:3号、5号)
  • UWA世界タッグチーム王座(パートナー:5号)
  • IWRGトリオ王座(パートナー:3号、5号)
  • アレナ・アステカンタッグチーム王座(パートナー:5号)

  



BUSHI
1983/4/5

本名は清水 哲也(しみず てつや)、東京都足立区出身。身長172cm、体重83kg。リングネームの由来は、武士。憧れの選手はカズ・ハヤシ。

経歴

アニマル浜口ジムでトレーニングを積んだ後、『武藤塾』の新人オーディションに合格し入門。デビュー前からリング上でブレイクダンスを披露するなど注目されていた。入門後は武藤敬司の付き人をしていた。

新人時代

2007/3/12伊勢崎大会にて平井伸和戦で、T28(テツヤ)のリングネームでデビュー。当時は、入場時に得意のブレイクダンスを披露した。試合衣装は、新人らしからぬシルバーのハーフパンツに、キャップを被った独特のスタイルであった。

同年5月シリーズでは、同期生の真田聖也とのシングルマッチでファイヤーバードスプラッシュを初披露し、シングル初勝利を飾った。

6/10、「武藤祭」にて佐々木健介とのシングル対決が実現。

2008年2月、夏目ナナプロデュース興行「PLAYBOY CHANNEL NIGHT」で、KUSHIDAとのコンビで優勝。

その後、ジュニア・タッグリーグ戦に同タッグで出場が決定した。この際、コスチュームを白と緑の新しい物に変更した(風水的に良い色らしい)。リーグ戦ではカズ・ハヤシ&エル・サムライ組、同期生である大和ヒロシ&KAI組から勝利を奪い、デビュー時からの成長を見せた。

4月20日の後楽園ホール大会では、同門のKAIとのシングルマッチが実現した。結果は、KAIのスプラッシュプランチャでピンフォール負けを喫している。

6月22日、師匠カズ・ハヤシと組んで、留学生のアントニオ・トーマス、KAIとタッグで対戦。KAIは世界ジュニアヘビー級王者の土方から特殊な試合形式とはいえピンフォールを奪っており、やや先を越されていた感もあったが、この試合でファイヤーバードスプラッシュで勝利。ライバル心を剥き出しにした。

6月28日、シリーズ最終戦ではKAIにリベンジを許してしまうが、KAIと共に次期シリーズのジュニア・ヘビー級リーグ戦に向けてアピールした。

世代交代宣言〜海外修行

ジュニアリーグでは初戦で憧れであるカズ・ハヤシと対戦し敗れる。しかしその後、フィル・アトラスと引き分け、先輩レスラーであるTAKEMURAを撃破するなど、優勝には手が届かなかったが、若手としてはなかなかの好成績を残した。

9/13対土方隆司戦にて腰を負傷。このシリーズは休養している。

11月4日、復帰の見込みが立っていた頃に、無期限のメキシコ武者修行が発表された。これは、本人のたっての希望であり、「いま復帰しても上の上へ行くことはできない」というもの。

11/24には、メキシコへ出発し、マスクマン「BUSHI」として活動。

メキシコマットではIWRGインターコンチネンタルライト級王座を2度獲得、最優秀外国人選手に選ばれるなど活躍。メインターコンチネンタルライト級王座を2回、最優秀外国人選手賞も受賞している。しかしマスカラ・コントラ・マスカラで破れて素顔を晒してしまい、帰国が決定した。

凱旋帰国

2010/2/7の後楽園大会での凱旋試合が決定。1年2ヶ月もの間マスクを被ってきたこだわりがあるため、全日本プロレスマットでもマスクマン「BUSHI」としての活動を継続していく事を発表した。

4/11、チャンピオンカーニバル2010最終戦にてカズの持つ世界ジュニアのベルト挑戦が決定した。惜しくもタイトルマッチは破れてしまったが、次シリーズのジュニア・タッグリーグ戦ではスペル・クレイジーとのタッグで優勝。

タイトル・受賞歴

  • 2010ジュニア・タッグリーグ戦優勝(パートナーはスペル・クレイジー)
  • IWRGインターコンチネンタルライト級王座 …第2代、第6代
  • GLADIADOR DE ORO(IWRGの最優秀外国人賞)
  • PLAYBOY CHANNEL NIGHTタッグトーナメント優勝(パートナーはKUSHIDA)

入場曲

スコーピオン(オリエンタル・スペース)

人物

  • マスクマンになる以前は、派手な空中殺法やパフォーマンス、そしてそのルックスで非常に女性ファンが多かった。バレンタインの時は他の仲間が羨む程だったらしい。
  • メキシコに出発する以前は全日本プロレス道場の寮長を勤めていた。
  • T28時代のブログは2008年8月26日に、更新回数1000回を記念して終了したが、9月11日には、名称を少し変更(以前のものに「!」をひとつ増やした)して復活した。そのブログもメキシコ修行を区切りに更新をストップしていたが、メキシコから帰って来てから「道〜BUSHI-DO〜」とのタイトルのブログを立ち上げている。
  • 試合中に頭の一部を怪我して以来、その部分に髪の毛が生えなくなったためその部分にラインを入れてごまかしている。
  • 漫画20世紀少年の大ファン。
  • 一度なぜか桜塚やっくんと食事をしたことがあり、彼のブログにもそのことが取り上げられていた。
  • T28を名乗っていた時代、入場時はキャップを被って意気揚々と入場していた。試合中もキャップを外さず続けているが、相手の攻撃などによりはずされ、結局試合終了後には大概キャップは被っていない。
  • 海外遠征の際に必要になるスペイン語は、既に海外修行を済ましている同期の大和ヒロシから教えてもらっている。
  • 学生時代は髪を茶色に染めた長髪だった。


Bushiブログ





\(^o^)/チエ
1983/4/5

日本の女子プロレスラー。長野県出身。本名は石井 千恵

来歴

学生時代よりレスリングを行い、長野県北佐久農業高等学校在学中にJOC杯ジュニアオリンピック3位に入賞。後中京女子大学に進み、2006年の卒業とともにドリームステージエンターテインメントに入社。全日本社会人選手権63kg級にて優勝した後、8/19日のレッスルエキスポ2006(総合格闘技)出場を経て、同年10月のハッスルにてプロレスデビュー。選手として試合に出場する一方、海川ひとみの練習パートナーも務めた。ハッスル以外の団体にも出場しており、2007年4月プロレスリングSUNにKUSHIDAと組んで参戦。また大鷲透(プロレスリング・エルドラド所属)の主催興行である大鷲プロレスでは大鷲、アブドーラ小林(大日本プロレス)、征矢学(全日本プロレス)という長野県出身者らとタッグを結成したり、大阪プロレスに参戦するなどしたが、2009/4/29、結婚を理由にハッスル名古屋大会で引退した。













 
   ↑ トップへヤフーオークション  


 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system