アンデウソン・シウバ
Anderson Silva
1975/4/14
ブラジルの総合格闘家。パラナ州クリチーバ出身。ブラック・ハウス所属。現UFC世界ミドル級王者、元Cage Rage世界ミドル級王者。ブラジリアン柔術黒帯。リーチ197cm。
細長い手足から、「ザ・スパイダー」(蜘蛛)の異名を持つ。長い手足とバックボーンのムエタイで培った強烈な打撃を武器に長期に渡ってUFC世界ミドル級王者として君臨しており、総合格闘技におけるパウンド・フォー・パウンドの1人と目されている。
UFCにおいて、全階級を通じて王座の在位期間が史上最長であり、全階級を通じた王座の最多連続防衛記録及び同イベントにおける最多連勝記録をも有する。
来歴
サンパウロに生まれ、経済的な理由から4歳の時にクリチーバの叔母の下へ預けられた。クリチーバではカン・アカデミーでテコンドーを8年間学んだ。その後ムエタイを3年間学んだ後、当時シュートボクセ・アカデミーに所属していたファビオ・ノグシの下で7年間トレーニングを積んだ。
その後、才能がシュートボクセ会長のフジマール・フェデリコの目に留まり、シュートボクセの本部へ移籍した。
2000/5/27、Meca World Vale Tudo 1のルイス・アゼレード戦でプロ総合格闘家デビュー。
2001/3/2、プロ修斗で初来日し、加藤鉄史に判定勝ちを収めた。
2001/8/26、無敗のプロ修斗世界ミドル級王者桜井"マッハ"速人に判定勝ちし、タイトル奪取に成功して一気に脚光を浴びた。しかしPRIDEに参戦するようになり、1度も防衛戦を行うことなく2002/11/26付けでタイトルを返上した。
PRIDE・Cage Rage
2002年にPRIDEと契約すると共に、階級を76kg級から84kg級に上げた。
2003/3/16、PRIDE.25でカーロス・ニュートンにKO勝ちを収めてPRIDEで3連勝を挙げたが、6月8日、PRIDE.26で高瀬大樹に三角絞めで1Rタップアウト負け。
2003年11月にアスエリオ・シウバらとシュートボクセ・アカデミーを離れ、ムエタイ・ドリームチーム(MTDT)を結成するもすぐに離脱(後にMTDTは実質機能していなかったと語っている)。
2004/9/11、Cage Rage 8ではリー・マーレイを判定で下し、Cage Rage世界ミドル級王座を獲得した。
2004/12/31、PRIDE 男祭り 2004で長南亮と対戦。打撃で優勢に試合を進めていたが、3Rに蟹挟みからのヒールホールドでタップアウト負け。その後はシュートボクセ・アカデミーのフジマール・フェデリコ会長の政治的圧力によってPRIDE離脱を余儀なくされ、主戦場をCage
Rageに移す。
この頃から親交の深いアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラらと共に練習をするようになり、総合格闘技で高いグラップリング技術を持つノゲイラの手ほどきで、グラップリングのスキルを磨くことで現在の活躍への基盤を作った(もともと柔術は茶帯で寝技のスキルは低くなかったが、2005年に2人から黒帯を授与されている)。
2005/8/5、柔術の師匠でもあるミノタウロことアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが地元で主催した大会「ミノタウロ・ファイト」でボクシング戦を行い、KO勝ちを収めている。
2006/1/20、ハワイで行われたRumble on the Rock 8では、岡見勇信相手に優勢に試合を進めておきながら、両膝をキャンバスについたグラウンド状態の岡見に対して、ルールで認められていないペダラーダ(グラウンドでの下からの顔面蹴り上げ)を放ってしまい反則負けとなった。
UFC
2006/6/28、UFC初参戦となったUltimate Fight Night 5でクリス・リーベンと対戦し、開始49秒で膝蹴りによるKO勝ちを収めた。続く10/14、UFC
64のミドル級タイトルマッチではリッチ・フランクリンを1Rに首相撲からの膝蹴り連打でKO勝ち、UFC2戦目にして第5代UFC世界ミドル級王者となった。
2006年11月にはカーロス・バヘットをリーダーにアスエリオ・シウバ、ビクトー・ベウフォート、リョート・マチダ、ニーノ・シェンブリらと共にブラック・ハウスに移籍した。
2007/2/3、UFC 67でトラヴィス・ルターと対戦、三角絞めを極めながらの肘打ち連打で一本勝ち。なお、この試合はUFC世界ミドル級タイトルマッチとなるはずだったが、ルターが計量をパスできなかったため、ノンタイトルマッチとして行われた。
2007/7/7、UFC 73のUFC世界ミドル級タイトルマッチでネイサン・マーコートをグラウンドパンチによるTKOで破り、初防衛に成功する。10/20、UFC
77の王座防衛戦ではリッチ・フランクリンと再戦。膝蹴りでダウンを奪いTKO勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2008/3/1、UFC 82の防衛戦ではPRIDEウェルター級王者ダン・ヘンダーソンをチョークスリーパーで破り、ミドル級王座の3度目の防衛を果たし、ファイト・オブ・ザ・ナイトおよびサブミッション・オブ・ザ・ナイトを同時に獲得した。なお、この試合によってPRIDEウェルター級王座はUFC世界ミドル級王座に併合された。
2008/7/19、UFC: Silva vs. Irvinのメインイベントにてライトヘビー級デビュー戦でジェームス・アーヴィンと対戦。アーヴィンのミドルキックを捕らえた状態から右ストレートでダウンを奪い、開始1分でパウンドによるKO勝ちを収めた。10/25、UFC
90: Silva vs. Cote<ではUFC世界ミドル級王座防衛戦でパトリック・コーテと対戦。優位に試合を進める中3ラウンドに突如コーテが右膝を脱臼し続行不能となり、4度目の防衛に成功した。
2009/4/18、UFC 97の防衛戦でターレス・レイチに判定勝ちし、UFC全階級を通じて最多タイ記録となる5度目の王座防衛に成功するとともに、UFC9連勝によりそれまでホイス・グレイシーの持っていたUFCの連勝記録を更新した。
2009/8/8、UFC 101にて、1階級上の元UFC世界ライトヘビー級王者フォレスト・グリフィンとライトヘビー級契約で対戦。ノーガードで挑発しながらスウェーとダッキングでグリフィンの攻撃を避けつつパンチで2度のダウンを奪い、最後は後退しながらのカウンターの右ストレートでグリフィンをKOし、自身の持つUFC連勝記録を10連勝に更新した。この試合でファイト・オブ・ザ・ナイトおよびノックアウト・オブ・ザ・ナイトを同時に獲得した。
2010/4/10、UFC 112のデミアン・マイアとの防衛戦では、5Rを戦い抜き3-0の判定勝ちを収めた。この勝利でUFC最多防衛記録となる6連続防衛を果たすとともにUFC11連勝を達成し、UFCの最多連勝記録を更新したが、試合中のマイアに対する度重なる挑発行為と、後半の消極的な試合運びに対して試合終了後までブーイングが沸き起こった。
2010/8/7、UFC 117では7度目の防衛戦としてチェール・ソネンと対戦。試合では多くの場面で有利なポジションを許し、また途中ダウンを喫するなど苦戦したが、5Rに腕ひしぎ三角固めによる逆転勝ちを収め、史上最多の7度目の王座防衛を果たすとともに、UFC最多連勝記録を12に伸ばした。また、この試合でファイト・オブ・ザ・ナイトとサブミッション・オブ・ザ・ナイトを同時に獲得した。
2011/2/5、UFC 126でビクトー・ベウフォートと対戦。1R中盤に左前蹴りでダウンを奪い、追撃のパウンドでTKO勝ちを収めた。この勝利でUFC史上最多となる8度目の防衛を果たすとともに、UFCでの連勝記録を13に伸ばした。また同大会のノックアウト・オブ・ザ・ナイトを獲得した。
獲得タイトル
- 第5代UFC世界ミドル級王座(2006年)
- 第2代Cage Rage世界ミドル級王座(2004年)
- 第5代修斗世界ミドル級王座
人物
- 入場時にダンスを披露したり、K-1がヘビー級しかない(発言当時)ことを知らないまま参戦を熱望していた。
- ボクシング世界王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアと、ボクシングルールで対戦することを熱望している。ロイ・ジョーンズもこの対戦に関して意欲的だが、UFCは選手に対して独占契約を結んでいるため、他団体や他競技で試合をすることが許されておらず、いまだにこの対戦は実現していない。また、ロイ・ジョーンズが「MMAルールでも構わないからアンデウソンと対戦したい」と言ったが、UFC社長のダナ・ホワイトはこの対戦には否定的である。また、アンデウソンはボクシングルールの実績が皆無なため、10回戦マッチ出場のためのボクシング・ライセンスを持っていないこともあり、ロイ・ジョーンズ戦の実現は困難な状況にある。
- 元同門のヴァンダレイ・シウバのミドル級転向に対しては否定的である。
- 柔術黒帯を授かったノゲイラ兄弟を尊敬している。ノゲイラ兄弟について、「俺は彼らに自分の人生を捧げている。彼らに恩を着せようとかそういうことじゃないんだ。ホドリゴは俺の師匠で、ホジェリオは俺の兄弟であり先生なんだ。彼らの存在無くして今の自分はあり得ない。」と語っている。
|