オースチン・スター/オースチン・エイリース
The Austin Starr/Austin Aries
1978/4/15
アメリカ合衆国の男性プロレスラーである。ウィスコンシン州ミルウォーキー出身、本名はダニエル・ハーリー・ダン・ソルウォルド・ジュニア(Daniel
Healy "Dan" Solwold, Jr.)。175cm、98kg。現在、アメリカの団体であるROHで活動している。
来歴
トレーニング〜デビュー
エリーズはエディ・シャーキーとテリー・フォックスの下で2000年にプロレスのトレーニングを開始し、11月に“シェリフ”ジョニー・エメラルドとの試合でデビュー。数年間、中西部でキャリアを積んだ後、2004年に「ECWA
Super 8トーナメント」に出場。現在WWEやTNAで活躍するレスラーが若手の頃に多数参加し、若手の登竜門として知られているこのトーナメントで決勝に進出する。優勝こそできなかったもののその能力の高さから米インディー界の注目の的になる。
Generation Next結成~ROH世界王座・タッグ王座戴冠
トーナメント直後、エリーズはROHに参戦することを決意する。彼は「ROH: Reborn Stage 2」にて、4コーナーサバイバルというROH独自の形式でジミー・レイヴ、ロッキー・ロメロ、ナイジェル・マッギネスを相手にROHデビューを果たす。その年の夏にかけて同じく若手のジャック・エヴァンスやロドリック・ストロング、アレックス・シェリーと共に「Generation
Next」というユニットを結成。一気にROHの主役へ駆け上がる。
彼にとってECWA Super8トーナメント以上のキャリアアップとなったのは「Final Battle 2004」でのROH世界王座戦である。当時ROH世界王者で、2年以上もベルトを巻き続けていたサモア・ジョーとのROH世界王座戦に見事勝利し、参戦開始から1年足らずで団体の頂点へと上り詰める。
その後、2005/6/18にCMパンクとの対決で破れ王座陥落となるも、その評価が下がることはなく、ROHのレスリングスクールのトレーナーに就任する。
また年末の「Final Battle 2005」においてロデリック・ストロングと組んで、サル・リナウロ&トニー・ママルークが保持するROHタッグ王座に挑戦。見事奪取する。
2006年にはROHと日本のプロレスリング・ノアとの交流が始まり、エリーズも日本のレスラーとの対決することになる。特に注目されたのは6月24日にシカゴで行われたKENTAとのシングルマッチだったが、KENTAのGo2Sleepの前に敗れる。同年9/16にクリス・ヒーロー&クラウディオ・カスタニョーリによるタッグチーム「キング・オブ・レスリング」に破れ、数十回防衛してきたROHタッグ王座を失う。
年が明けて2007年、既にジェネレーション・ネクストは解散していたものの、その時の繋がりで長い間タッグを組んでいたロデリック・ストロングと再びROHタッグ王座に挑戦するも敗北。仲違いしてしまい、エリーズが新ユニット「レジリエンス」を、ロデリックは「ノー・リモーズ・コープス」を結成し対立状態になる。しかしTNAに関係したゴタゴタ(以下参照)の影響で一時的に離脱することになり、レジリエンスも自然消滅してしまう。
Total Nonstop Action Wrestling(TNA)参戦
2005年7月、TNAは「サクリファイス2005」におけるXディヴィジョン王座戦を“インターネット・ドリームマッチ”として、挑戦者をインターネット投票で決定することを発表。所属ではないエリーズ、ロデリック・ストロング、ジェイ・リーサル、マット・サイダルの名前があがり、最終的にエリーズが選ばれる。結局、所属ではないことから王者クリストファー・ダニエルズとのノンタイトル戦に変更になった。試合そのものには敗北するも、素晴らしい試合だったことからTNAの上層部から再び試合の契約を持ちかけられ、「アンブレイカブル2005」(2005年9月11日)にてロデリック・ストロングとのシングルマッチという形で再登場。この試合も上々の内容でTNAの上層部の評価はさらに高まる。
その直後の9/22、エリーズは自身のサイトでTNAとレギュラー契約を結んだことを発表する。さらにロデリック・ストロングとアレックス・シェリーも契約を結ぶ。
年が明けて2006年2月、エリーズとロデリックはROHに出場した後、飛行機で移動してTNAの「アゲインスト・オール・オッズ2006」に出場するというスケジュールを立てていたが、吹雪により飛行機が止まり、出場取り消しの憂き目に会う。この事件によりTNA上層部は徐々にROHとの掛け持ち禁止・トップ選手の独占出場契約を結ぶ方向性にシフトしていく。
しばらくTNAには出場できなかったエリーズだったが、9月の「バウンド・フォー・グローリー2006」(2006年10月22日)にて「オースチン・スター」のリングネームで再デビューする。その後Xディヴィジョンの選手との試合が組まれ続けるも、2007年4月に“問題行動”が原因で90日の謹慎処分が下される。ただしROHと対立していくような路線を取るTNA上層部に対して、早くから反発とも取れるような言動をしており、謹慎もそれが根底にあるという見方が根強い。
2007年6月に自ら解雇要求を求め、TNAを解雇される。その後、再度ROHと契約を結んだ。
ROH復帰~2度目のROH世界王座戴冠
ROHに復帰後、2007年末の「Rising Above」で行われたナイジェル・マッギネスとの世界王座戦が名勝負になったのを皮切りに、再びROH世界王座戦線で活躍するようになる。王者であるナイジェル・マッギネスは勿論のこと、ブライアン・ダニエルソン、タイラー・ブラック、ジミー・ジェイコブスとも激しい抗争を繰り広げた末、2009年6月に行われた「MANHATTAN
MAYHEM III」にてジェリー・リンを破り、2度目のROH世界王座戴冠となった。
主要タイトル履歴
Ring of Honor(ROH)
- ROH世界王座 : 1回(第4代)
- ROH世界タッグ王座 : 1回
- パートナーはロドリック・ストロング。
その他、各所米インディ団体にてクルーザー階級のタイトルを中心に多数獲得。
その他
- ベジタリアンらしく、動物の肉はまったく食べない。
- 別名「羊」、右肩に漢字でタトゥーを入れている(ちなみにエリーズは日本語でおひつじ座)。
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