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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
4/17


 
 


 
 

"ラウディ" ロディ・パイパー
"Rowdy" Roddy Piper
1954/4/17

カナダ・サスカチュワン州サスカトゥーン出身、オレゴン州ヒルズボロ在住のプロレスラー、俳優。本名はロドリック・ジョージ・トゥームスRoderick George Toombs)。またの名をホット・ロッドHot Rod)、日本での異名は「狂乱のスコッチ」。

ギミック上はスコットランド・グラスゴー出身とされる。実際にはスコットランド系カナダ人で入場曲はバグパイプで演奏され、試合以外の場面では常にキルトスカートを纏っている。体格的には決して恵まれてはいないが、卓越した試合センスとマイクパフォーマンスの上手さで1980年代のアメリカンプロレスを代表するトップスターとなった。

来歴

少年時代スコットランドに移住した経験があり、バグパイプの演奏法もその際に学んだという。その後カナダに戻り、中学時代にボクシングの全カナダ王者に就いたが、拳を負傷しボクシングを断念。本人によれば15歳でプロレスラーとしてのキャリアをスタート、デビュー戦の相手だったラリー・ヘニングには秒殺されたという。その後NWAロサンゼルス地区に渡り、ラフファイトを主体とする現在のスコッチ・ギミックを確立。アメリカス・ヘビー級王座を巡るチャボ・ゲレロとの抗争で注目を浴びる。

1977年8月に新日本プロレスに初来日。エース格のスタン・ハンセンやブラックジャック・マリガンのパートナーに起用されてメインイベントにも出場し、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦している。また、バグパイプを吹きながらの入場シーンも話題を呼んだ。1978年3月には覆面を被りマスクド・カナディアンThe Masked Canadian)として再来日。藤波辰巳の凱旋帰国試合の相手を務めた。

その後オレゴン地区のPNWに進出、リック・マーテルとのコンビでザ・シープハーダーズとNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を争い、シングルではバディ・ローズやスタン・ステイジャックと抗争した。1980年からはジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナのミッドアトランティック地区へと転戦し、リック・フレアーやグレッグ・バレンタインとNWA・US王座(後のWCW・US王座、現在のWWE・US王座)を争うライバルとして活躍。特にフレアーとは生涯の宿敵・親友となった。以降も同地区を主戦場に、リッキー・スティムボート、ジャック・ブリスコ、ワフー・マクダニエルらトップスターと抗争。1983年5月には全日本プロレスに来日し、ディック・スレーターとのコンビでジャイアント馬場とジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座にも挑戦している。

1980年代初頭にはジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにてカラー・コメンテーターやインタビュアーも兼任。そのトークの才能が評価され、1984年にポール・オーンドーフとデビッド・シュルツのマネージャーとしてWWFにスカウトされるが、間もなくレスラーとして試合にも出場するようになる。パイパーズ・ピットPiper's Pit)なるインタビューコーナーを開始し、ジミー・スヌーカとの抗争で一気にブレイク。ポール・オーンドーフ&カウボーイ・ボブ・オートンと悪のユニットを結成し、ハルク・ホーガンらスーパースターを敵に回してトップ・ヒールとしての地位を築き上げた。全盛期のホーガンを相手にただの一度としてフォール負けを許さなかった唯一の選手でもある。

1986年のレッスルマニア2では、映画『ロッキー3』に出演したアクション俳優のミスター・Tとボクシングマッチを行なう。やがて悪党人気が観客の支持へと変わり、1987年にベビーフェイスに転向。旧敵のホーガンともタッグを組み、アドリアン・アドニスとの抗争も開始する。前後して映画俳優としての活動も行なうようになり1988年公開の『ゼイリブ』では主演を果たす。その後、しばらく現役を離れ実況席でカラー・コメンテーターとして活躍していたが、1991年にNWA時代のライバルだったリック・フレアーがWWFに移籍してくるとリングに復帰。フレアーとの抗争を各地で展開した。1992/1/19にはザ・マウンティーを破ってインターコンチネンタル王座を獲得。同年のレッスルマニアVIIIでは王座をブレット・ハートに奪われたものの名勝負を繰り広げた。

その後も単発的にWWFに出場していたが、1996年にWCWに移籍。1999年2月にはNWAミッドアトランティック時代から数えて16年ぶりにWCW・USヘビー級王座(現在のWWE・US王座)を奪取するが、2000年に離脱。その後、WCWは消滅し、パイパーは元WCW勢が主催していたXWFに参加。この頃からレスラーとしてはセミリタイア状態にある。

2003年にWWEでホーガンとビンス・マクマホンが抗争を開始すると、双方に遺恨を持つ人物としてインタビューに登場、レッスルマニア19のホーガンvsマクマホン戦に乱入しWWEに復帰。パイパーズピットを再開しショーン・オヘアのマネージャーを務めたが間もなく薬物使用で解雇される。

その後TNA参戦を経て、2005年にWWE殿堂入り(プレゼンターはリック・フレアー)してからはレジェンドとしてWWEに度々ゲスト参戦し、パイパーズ・ピットを開催している。2006/11/5、WWEの大会サイバー・サンデーにおいて、インターネット投票によりフレアーのパートナーに選出され世界タッグ王座を獲得。意外にもこれが生涯初の「世界」王座の獲得となった。

その直後に行われた選手活動のための健康診断でホジキンリンパ腫が発見され、11/27のWWE.com上でファンにも報告されたが、順調に体調を回復。翌2007/2/12のRAWにて久々にファンの前に登場し、ウマガの急襲を受けるというアングルも見られた。

以降もWWEへのスポット出場を続け、2008/10/26のサイバー・サンデーでは、サンティーノ・マレラのIC王座に挑戦したホンキー・トンク・マンをゴールダストと共に援護射撃。2009年にはクリス・ジェリコとの遺恨が勃発、旧友リッキー・スティムボート&ジミー・スヌーカとレジェンド軍を結成し、4/5のレッスルマニア25にてジェリコとの1対3のハンディキャップ・イリミネーション・マッチが行われた。

2010/3/27には、レッスルマニア第1回大会の成功に共に貢献したウェンディ・リヒターのWWE殿堂入りのプレゼンターを務めた。

パイパーズ・ピット

パイパーがホストを務めるインタビューコーナー。1984年に開始。絨毯の敷かれたリング上またはスコットランド風の装飾が施されたバックステージのセット内で行われる。大抵が対象となるレスラーに何かと因縁を吹っ掛け、乱闘になった挙句、抗争に発展するパターンである。特に第1回レッスルマニアへのプロローグとなった、ジミー・スヌーカの頭でココナッツを叩き割ったシーンは有名。このコーナーがパイパーのヒールとしての人気を決定付け、レスラーとしては体格に恵まれなかったパイパーを一躍スーパースターの仲間入りさせた(パイパーはNWAミッドアトランティック時代から、本やラジオなどをチェックしてインタビューに使えそうなフレーズを書き留めていたという)。

以降、パイパーと同じくマイクパフォーマンスに優れたレスラーがスターダムに上がるようになり、その後のアメリカンプロレスに与えた影響は非常に大きい。ザ・ロックも「ハルク・ホーガンよりもそれに唾を吐くロディ・パイパーになりたかった」と、尊敬するレスラーの一人として名前を挙げている。パイパーズ・ピット以降、WWEではジェリー・ローラー(キングス・コート)、ショーン・マイケルズ(ハートブレイク・ホテル)、クリス・ジェリコ(ハイライト・リール)、カリート(カリートス・カバナ)、レネ・デュプリー(カフェ・ド・レネ)、エッジ(カッティング・エッジ)、MVP(VIPラウンジ)などが同様のインタビューコーナーを行なっている。

日本での評価

パイパーと同世代の選手では、たとえばラリー・ズビスコやドン・ムラコなど、マイクアピールによる観客との駆け引きを得意とするレスラーは英語の通じない日本では真価を発揮することが難しかった。しかしパイパーはマイクを通さずとも、彼のもう一つの持ち味である「向こうっ気の強さ」を全面に出したイキのいいラフファイトと抜群のレスリングセンスで、日本でも若手時代から高い評価を獲得している。アメリカマットで超売れっ子だったため、来日回数は1977年から1983年まで通算3回と少なく日本では大きな実績を残せなかったものの、当時のファンや関係者の間では来日を望む声が多く聞かれた。

なお、日本には1977年に新日本プロレスへ初来日しているが、前年にモハメド・アリとの異種格闘技戦のプロモーションでロサンゼルスを訪れたアントニオ猪木がテレビのインタビューに応えた際、同地区を主戦場としていたパイパーが乱入して猪木に喧嘩を売るというアングルが組まれたこともある。

獲得タイトル

ロサンゼルス地区
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:4回
  • NWAアメリカス・タッグ王座:7回(w / ブル・べドウ×2、キース・フランクス、チャボ・ゲレロ、パク・チュー、ロン・バス、ザ・ハングマン)
サンフランシスコ地区
  • NWA USヘビー級王座:1回
  • NWA世界タッグ王座:1回(w / エド・ウィスコスキー)
PNW
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:2回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:5回(w / キラー・ブルックス、リック・マーテル×3、マイク・ポポビッチ)
  • NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / リック・マーテル)
ミッドアトランティック地区
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:3回
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ビッグ・ジョン・スタッド)
  • NWA TV王座:2回
  • NWA USヘビー級王座:2回
WCCW
  • NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / ブルドッグ・ブラワー)
WWF / WWE
  • WWFインターコンチネンタル王座:1回
  • WWE世界タッグ王座:1回(w / リック・フレアー)
  • WWE Hall of Fame:2005年度(プレゼンターはリック・フレアー)
WCW
  • WCW USヘビー級王座:1回

入場曲

  • For Everybody
  • Scotland The Brave

 
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ネイルズ
Nailz
1958/4/17

ケビン・ワコーズKevin Patrick Wacholz )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州ブルーミントン出身。

来歴

1982年、地元ミネソタ州ミネアポリスのAWAにてケビン・ケリーKevin Kelly)のリングネームでデビュー。以降、テキサス州ダラスのWCCWやビル・ワットのMSWAなどを転戦する。もともとはベビーフェイスだったが、1986年よりAWAで金髪の伊達男系マッチョマンのヒールに転向。マネージャーは、当初はシェリー・マーテル、後にメデューサ・ミセリーが担当した。

日本には1986年8月に新日本プロレスに初来日。1990年6月にはケリー・ワコーズ名義でFMWに「プロボクサー」として参戦し、ディック・マードックとプロレスラー同士の異種格闘技戦を行っている。

AWA崩壊後の1992年にWWFと契約。ウエイトが増え、トレードマークだった金髪のロングヘアもすっかり薄くなったことから、それまでの伊達男キャラクターを完全に払拭。囚人服姿の暴力的な悪相ヒール、ネイルズNailz)に変身し、看守ギミックのビッグ・ボスマンと抗争を展開する。ネイルズはかつてボスマンが看守を務めていた刑務所に服役しており、自分を虐待したボスマンに復讐するために出所後WWFに乗り込んできた…というアングルのもと、各地で熾烈な遺恨試合を繰り広げた。

「脱獄」をイメージしてか、リングへの上り下りはサードロープの下から潜り込むようにして行い、ファイトスタイルも殴る・蹴る・絞めるのラフファイト一辺倒であるなど、凶悪囚人のキャラクター設定を徹底。死刑をテーマにジ・アンダーテイカーとの抗争アングルもスタートしたが、ギャランティをめぐるトラブルからビンス・マクマホンへの暴行事件を起こし、契約から1年にも満たない1992年末にWWFを解雇された。

その後、1993年にWCWに登場。WWF時代と同じ囚人ギミックのザ・プリズナーThe Prisoner)を名乗り、同年5月のPPV "スランボリー" ではスティングと対戦した。しかし、ここでも長続きすることなく短期間で離脱。翌1994年8月、ネイルズ名義で新日本プロレスのG1クライマックスに来日。10月のSGタッグリーグ戦にもロン・シモンズと組んで出場した。

以降もネイルズのリングネームを使い続け、1996年にはシカゴのインディー団体AWFでティト・サンタナと対戦している。WWFを解雇されて以来、一連のステロイド裁判ではマクマホンに対する私怨から、WWFに不利な証言を率先して行っていた。2000年に引退し、現在もホームタウンのミネソタに在住。

獲得タイトル

  • WWWAヘビー級王座:1回





ファング鈴木
1968/4/17

日本の元女子プロレスラー。本名は鈴木 知子(すずき ともこ)。静岡県浜松市出身。

経歴・戦歴

ミキハウス柔道部を経て、藪下めぐみ・坂井澄江を追う形で吉本女子プロレスJd'に入門。Jd'入門テスト時は29歳だったにもかかわらず年齢を1歳下にごまかして受験し、合格後、罪悪感を覚えて訂正(「女子プロレス新世代総登場」に記載)

1997年
  • 10/22、東京・後楽園ホールにおける対小杉夕子、KAZUKI戦でデビュー(パートナーは龍羅(のちのドレイク森松))。

その後、ザ・ブラディーとのコンビ「ザ・シェイド・ブレイカーズ」でTWFタッグ王座を獲得するなど、Jd'の主力として活躍した。

2004年
  • 4月にJDスターのオーナーの方針に反発し、ブラディーらと共に退団、「チームOK」を結成した。
  • 8/29に開催された総合格闘技大会「Love Impact」にて、サンボ世界王者・武田美智子と対戦し引き分け。
2005年
  • 6/12、ザ・ブラディー、武藤裕代と組んで、カルロス天野、永島千佳世、植松寿絵組と対戦。武藤が天野に敗れる。
  • 6/26、AtoZ DOJO CUPトーナメント3位決定戦において、武藤裕代と組んで、堀田祐美子、華名組と対戦。堀田のタイガードライバーで敗れる。
  • 8/23、T-1グランプリにおいて、シェイド・ブレイカーズ対T-1マスク、T-2マスク組の試合で、イス攻撃がブラディーに誤爆しブラディーがT-1のタイガー・スープレックスに敗れる。
  • 12/17、「格闘美 〜Dreamer〜」において、阿部幸江の要求に答える形でTWF世界タッグ王座決定戦をGAMI、ファング鈴木組(最後っぺ)対ザ・ブラディー、阿部幸江組で戦う。
  • 12/25、NEO女子プロレス・板橋グリーンホール大会において、アイアンマンバトルロイヤルに参加。
  • 12/27、桜花由美の要求に答え最後っぺ対ザ・ブラディー、桜花由美組でTWF世界王座を賭けて戦う。
  • 12/28、東京・新木場1stRING「Tommy20周年記念イベント」において、ザ・ブラディーと組んで、阿部幸江、KAZUKI組と対戦。ファング組が敗れる。
  • 12/31、ザ・ブラディーと共に引退。引退試合はザ・ブラディー、ファング鈴木組対尾崎魔弓、ダイナマイト・関西組のLSDルール。
2006年
  • 7/30、愛知県名古屋市・久屋大通公園「第36回CBC NAGOYA夏祭りダイコク電機「ストリートファイト2006」OzアカデミーSUMMER WAR(7/29・7/30開催)」の豊田真奈美対闘牛・空の試合中、空にザ・ブラディーと共に強引に連れ出され豊田への攻撃に参加させられる。

タイトル歴

  • 第25代TWF世界タッグ王座(パートナーはGAMI)
  • QOR&AWF世界シングル王座
  • 第215代アイアンマンヘビーメタル級王座

入場テーマ曲

  • 「ハートブレイカー」(パット・ベネター)<ザ・シェイド・ブレイカーズ>
  • 「Space Eater」(ガンマ・レイ)





上山 龍紀
1976/4/17

日本の総合格闘家。東京都町田市出身。U-FILE CAMP所属。元DEEPミドル級王者。

上山知暁は実兄。

来歴

1998/9/21、リングスに初参戦し、滑川康仁に判定負け。

2002/6/9、DEEP2001ミドル級トーナメントに参戦。1回戦で梁正基に判定勝ち、準決勝で村浜天晴にチョークスリーパーで一本勝ち、決勝では石川英司にアンクルホールドで一本勝ちし、初代DEEPミドル級チャンピオンとなった。

2003/9/15、須田匡昇とDEEPミドル級タイトルマッチで対戦し、引き分け。タイトルを防衛した。

2004/2/15、PRIDE 武士道 -其の弐-でショーン・シャークと対戦し、0-3の判定負け。続く10月14日、PRIDE 武士道 -其の伍-で美濃輪育久と対戦し、1-2の判定負け。

2004/12/18、DEEP 17で桜井隆多とDEEPミドル級タイトルマッチで対戦し、TKO負け。DEEPミドル級王座から陥落。

2005年末に永田克彦らと「TEAM KINGS」を結成。

2006/2/4、K-1初挑戦。K-1 WORLD MAX 2006〜日本代表決定トーナメント〜に出場し、1回戦で大東旭を判定勝ちするものの、準決勝で佐藤嘉洋と対戦、佐藤のローキックを受け続け、右膝靭帯損傷によるドクターストップでTKO負け。

2006/5/3、HERO'Sミドル級世界最強王者決定トーナメントに参戦。1回戦でハニ・ヤヒーラと対戦し、0-2で判定負け。

2007/3/12、HERO'S 2007 開幕戦でビトー・シャオリン・ヒベイロと対戦、1R腕ひしぎ三角固め(腕ひしぎ裏三角固め、発表は腕ひしぎ十字固め)で一本負け。

2009/4/16、5年7か月ぶりのDEEP参戦となったDEEP 41で窪田幸生と対戦し、判定勝ち。過去のシングルマッチでは2戦2分けであったが、初めて決着がついた。

2010/7/3、DEEP 48 IMPACTでパーキーと対戦。1R、テイクダウンから踏みつけ&サッカーボールキックを連打されるも、反則となる膝蹴りでダメージを受けインターバルが取られたが回復せず試合終了となり、映像で確認するために裁定は主催者預かりとなった。7/7、膝蹴りは流れの中での偶発的なものだったとして裁定はノーコンテストとなった。


  



シアー・バハドゥルザダ
Siyar Bahadurzada
1984/4/17

アフガニスタン国籍、オランダ在住の総合格闘家。ゴールデン・グローリー/タツジン・ドージョー所属。現修斗世界ライトヘビー級王者。

来歴

戦火のアフガニスタンに生まれ、15歳の時にオランダへ移住。

2005年3月、アブダビコンバット欧州予選に出場。88kg未満級の決勝でデビッド・ベルクヘーデンに敗退し、準優勝となった。

2007/7/15、修斗後楽園大会で山下志功を大差の判定で下し、第5代ライトヘビー級王者となった。

2008/3/5、戦極旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜で三崎和雄と対戦し、フロントチョークで一本負け。

2008年9月28日、戦極 〜第五陣〜のミドル級グランプリ1回戦でエヴァンゲリスタ・サイボーグと対戦。テイクダウンを仕掛けた際にサイボーグが左肘を脱臼したため、レフェリーストップ勝ちとなった。

2009/8/27、修斗ブラジル大会で行われた世界ライトヘビー級チャンピオンシップでレアンドロ・"バタタ"・シウバと対戦、パウンドによるTKO勝ちで初防衛に成功した。

2010/8/6、修斗ブラジル大会で行われた世界ライトヘビー級チャンピオンシップでカーロス"インディオ"アレッシャンドリ・ペレイラと対戦し、KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

2010/10/16、United GloryのMMA World Series1回戦でデリック・ノーブルと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。

獲得タイトル

  • 第5代修斗世界ライトヘビー級王座(防衛2度)
















 
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