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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
4/19


 
 


 
 

オックス・ベーカー
Ox Baker
1934/4/19

アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミズーリ州セダリア出身。本名はダグラス・ベーカーDouglas A. Baker)。

来歴

学生時代から軍隊時代を通してアメリカンフットボールで頑強な肉体をつくり、1962年に地元のミズーリ州でデビュー。当初はベビーフェイスのポジションで活動し、1967年にはジ・オックスThe Ox)のリングネームでニューヨークのWWWF(現・WWE)に登場、ゴリラ・モンスーン、プロフェッサー・タナカ、バロン・マイケル・シクルナ、ルーク・グラハムらのジョバーを務めた。

その後オックス・ベーカーと改名し、1970年代に入るとスキンヘッドに極太の眉毛と髭をトレードマークとしたビジュアル・イメージを確立。ドスの効いた大声でまくしたてるマイクパフォーマンスも注目を集め、一躍ヒールのトップスターとなった。

キワモノ的なイメージが強い上にレスリングの技術が稚拙だったため、NWA、AWA、WWFなどメジャータイトルのトップコンテンダーに名を連ねることはなかったが、その強烈なキャラクターが悪役人気を呼び、世界中をサーキットして各地のローカルタイトルを奪取している。1974/8/10にはインディアナポリスでカウボーイ・ボブ・エリスを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得、以降1年以上に渡って同王座を保持し続けた。

全米のトップスターとも各地で対戦し、WWAではディック・ザ・ブルーザー、デトロイトではザ・シーク、ダラスではフリッツ・フォン・エリック、フロリダではダスティ・ローデス、テネシーではジェリー・ローラーと流血戦を展開。アンドレ・ザ・ジャイアント、ブラックジャック・マリガン、アーニー・ラッド、ブルーザー・ブロディらとのスーパーヘビー級対決も行っている。1970年代末のフロリダでは若手時代のハルク・ホーガンとも対戦した。

1988年の引退後は新人レスラーの育成も手掛け、ブライアン・クラークなどがベーカーの指導のもとデビューした。1970年代を代表するヒールとして悪名を轟かせたベーカーだが、そのキャラクターは現在でも多くのファンに愛されており、近年もレスラー時代と変わらない風貌のまま、数々のイベントに招かれている。

日本での活躍

初来日は1969年7月の国際プロレスで、その後も1970年11月、1971年9月と3年連続で参戦。2度目の来日となる1970年の「ビッグ・ウィンター・シリーズ」ではラッシャー木村と金網デスマッチを行い、木村の左足を骨折させている。また、巨大な生の肉塊にかぶりつくデモンストレーションも話題を呼んだ。

1975年9月にはアブドーラ・ザ・ブッチャーとの2大エースとして全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ」に来日。ジャイアント馬場のPWFヘビー級王座に挑戦するがストレート負けを喫した。このシリーズには若手時代のスタン・ハンセンも初来日しており、ハンセンは自身のキャラクターづくりに関してベーカーから親身なアドバイスを受けたと自著で記述している。

1978年9月、再び国際プロレスを襲撃。8年前の骨折事件を再現しようと、足を折られて泣いている木村のイラストが描かれたプラカードを持って挑発行為を繰り広げた。1979年6月の来日ではアレックス・スミルノフとの仲間割れアングルが組まれ、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座への挑戦権をかけた外国人同士のロシアン・チェーン・マッチが行われた(この試合形式を得意とするスミルノフのKO勝ち)。

1980年11月、同時期にロサンゼルス地区を主戦場としていた関係から、同地区と提携関係にあった新日本プロレスに初登場。来日が予定されていたマスクド・スーパースターの代打として、ジョニー・パワーズと組んで「第1回MSGタッグリーグ戦」に参加した。しかし、前年までの国際プロレスでの活躍が嘘のような無気力ぶりで、リーグ戦を消化することなく全敗のままパワーズと共に途中帰国。アントニオ猪木とのシングルマッチもメインイベントで組まれたが、わずか数分で惨敗した。ギャランティを巡って新日本首脳部と軋轢が生じ、モチベーションを完全に無くしていたことが原因とされており、これが最後の来日となった。

エピソード

  • ベーカーを語る上で避けられないのが、2度にわたるリング禍である。1度目は1971/6/13、ネブラスカ州オマハでアルバート・トーレスが、2度目は1972/8/1、ジョージア州アトランタでレイ・ガンケルが、それぞれベーカーが放った心臓部へのパンチ攻撃(ハート・パンチ)を受けた試合後に死亡している。いずれも偶発的なアクシデントだった(ガンケルの場合、もともと心臓病を患っていたという)が、この事故は結果としてベーカーのヒールとしての凶悪なイメージを醸成させることとなった。なお、ジョージア地区のブッカーでもあったガンケルの死は、同地区の内紛問題に発展し、テッド・ターナーが本格的にプロレス放映に取り組むきっかけともなった。
  • その人間離れしたインパクト満点の強面と巨体を買われ、アクション映画の悪役俳優としても活躍。『バトルクリーク・ブロー』(1980年 / ジャッキー・チェン主演)、『ニューヨーク1997』(1981年 / ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演)などの作品で敵役を演じている。アメリカではテレビCMにも出演しており、コミカルな一面も見せた。

獲得タイトル

シングルタイトル
  • NWF北米ヘビー級王座:1回(1974年にアーニー・ラッドから奪取)
  • WWA世界ヘビー級王座:1回(1974年にカウボーイ・ボブ・エリスから奪取)
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回(1977年にジミー・スヌーカから奪取)
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:2回(1977年にキャプテンUSA、1980年にブルーザー・ブロディから奪取)
  • NWA USヘビー級王座:1回(1977年にザ・シークから奪取)
  • WWC世界ヘビー級王座:1回(1983年にカルロス・コロンから奪取)
タッグタイトル
  • WWA世界タッグ王座:1回(w / チャック・オコーナー。1976年にディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーから奪取)
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / スーパースター・ビリー・グラハム。1977年にジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコから奪取)
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / スカンドル・アクバ)
  • NWAオーストラジアン・タッグ王座:1回(w / キング・カマタ)
  • NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / エンフォーサー・ルシアーノ)

etc.


 
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エル・サムライ
1966/4/19

日本のプロレスラー。本名は松田 納(まつだ おさむ)。岩手県花巻市出身。元新日本プロレス所属、現フリーランス。侍(兜)をモチーフにした覆面レスラーである。

来歴

専修大学北上高等学校でレスリングに打ち込み、卒業後1985年に新日本プロレスに入門。同期に飯塚孝之がいる。1986/7/24に船木優治戦でデビュー。1991年3月にメキシコUWAエリアを中心に海外遠征。この時を境にマスクマン「エル・サムライ」となった。

1992年3月、凱旋帰国。同年6/29に獣神サンダー・ライガーを下しIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。同年11/21にウルティモ・ドラゴンに敗れ王座陥落。

1993年5月、UWA世界ミドル級王座獲得。

1995年12月、UWA世界ライトヘビー級王座獲得。

1996年6月、WWF世界ライトヘビー級王座獲得。

1997年6月、日本武道館において金本浩二を下しベスト・オブ・ザ・スーパージュニアIVに初優勝。同年7月、獣神サンダー・ライガーを下し第4代ジュニア7冠王座を獲得。この時対戦した金本にマスクを剥がされる。

2001年3月、獣神サンダー・ライガーをパートナーにIWGPジュニアタッグ王座獲得。同年11月、獣神サンダー・ライガーをパートナーにG1ジュニアタッグリーグ戦に優勝。

2004年4月、マスクを脱ぎ「松田納復帰戦」として西村修とシングル戦を行うも、すぐさまエル・サムライに戻る。

2005年2月、田口隆祐をパートナーにIWGPジュニアタッグ王座獲得。

2008年2月、新日本プロレスを退団。同月に全日本プロレスにフリー参戦。

2010/5/8、金本浩二をパートナーにスーパーJタッグトーナメントで優勝、IWGPジュニアタッグ王座獲得。

人物
  • 受身の達人であり、グラウンドでの技術もあり、ジュニアならではのすばやい攻防もでき、投げも得意としており、さらにメキシコで習得したラフまである万能タイプのレスラーである。
  • 柔軟な体で現在まで怪我による欠場が殆どなく、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには第1回から退団前年の2007年まで全て出場した。
  • 1日に3試合を行ったこともある。
  • 新日本プロレスで活動していたジュニア選手の中では長身のため「ジュニアの巨人」と表現されたり、飯塚高史・野上彰の3人で「新世代闘魂トリオ」と売り出された時期もあった。
  • タバコ・ギャンブル好きでも有名である。プロレス雑誌の企画では誕生日に蝋燭ではなくタバコが刺されたケーキを貰ったことがある(そのタバコを美味しそうに吸っている写真が掲載されていた)。
  • 競馬ファンで、専門誌『ケイバブック』を愛読している。
  • 新日本の単発興行シリーズ「WRESTLE LAND」第1回では「江戸侍」というリングネームで試合を行った。
  • アメトーーク「俺達のゴールデンプロレスオールスター戦」(2010/1/7放送)において、ザ・コブラ、スーパー・ストロング・マシンに続く悲劇のマスクマン第3弾として紹介され、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア決勝における二度に渡るマスク剥ぎによる素顔公開、大谷晋二郎からIWGP Jr.タッグベルトを強奪するも現場監督の長州に怒られてあっさり返してしまうエピソードなどが紹介された、以降ワールドプロレスリングでは「哀愁のマスクマン」と呼ばれるようになる。

入場テーマ曲

  • THE UNFORGIVEN(Robert Tepper)
  • TERRIBLE GIFT

タイトル歴

  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 2回(第19・30代)
  • IWGPジュニアタッグ王座 : 2回(第3・16・25代)
パートナーは獣神サンダー・ライガー→田口隆祐→金本浩二。
  • UWA世界ミドル級王座
  • UWA世界ライトヘビー級王座
  • WWF世界ライトヘビー級
  • 第4代ジュニア7冠王者
  • ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝 : 1回(1997年)
  • スーパーJタッグ1st STAGE優勝(2010年)パートナーは金本浩二





菊地淳
1967/4/19

WAR





佐藤伸太郎
1975/4/19

ターザン後藤一派

 
  



ジェシー・ホワイト
Jesse White
1986/4/19
アメリカ合衆国のプロレスラー。父親は元IWGP、三冠ヘビー級、WCW世界ヘビー級王者のビッグバン・ベイダー。

コロラド州出身。高校時代はレスリングの同州王者。アメリカンフットボールでは高校オールアメリカンに選出。オクラホマ大学でもフットボールを続けるが、怪我のため、父と同様、プロレスラーを目指す。

2009年11月、オクラホマ州でプロレスデビュー。デビュー戦を父親譲りのベイダーボムで勝利を飾る。2010/4/29、新宿FACEにて開催されたベイダータイム5にて父ベイダー、父の盟友スコーピオとのタッグで 藤波、本田、橋組を破り、日本デビュー戦を白星で飾った。

同年8/20、スーパーFMWに参戦。後藤達俊からフットボールタックルで勝利。

ZERO1の練習にも参加し、父ベイダーの往年のライバルの1人、橋本真也ジュニアの橋本大地とも対面を行ったことがマスコミ各社で報じられた。






福田 雅一
1972/5/17 - 2000/4/19

栃木県大田原市(旧那須郡黒羽町)出身の日本の男子プロレスラーである。最終所属は新日本プロレス。

来歴

少年時代は野球や相撲の選手として活躍。中学3年生で関東中学生大会に出場し、後に横綱となる貴乃花(花田光司)と対戦している。足利工業大学附属高等学校進学後レスリングを本格的にスタートさせ、1994年に国民体育大会(日本大学4年生時)で準優勝の実績を持っている。

1995年、レッスル夢ファクトリーに入門。1998年には「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」という新日本プロレスの大会に参加しレスリング仕込みの高角度ジャーマン・スープレックスが注目され、1999年に新日本プロレスに移籍。次世代のエース格として注目を集める。

2000/4/7の東京ドームメインイベント・橋本真也VS小川直也戦では橋本のセコンドとして試合を見つめたが、橋本の敗戦後は涙を流す福田の姿がアップで映された。その当日、橋本と福田は2人で遅い夕食を共にし福田は「橋本さん、悔しいすね」と大泣きしたという。

そのわずか1週間後の2000/4/14/、宮城県気仙沼市での試合中に柴田勝頼のエルボーを受け意識不明の重体に陥り直ちに同市内の病院に運ばれたが、4/19に急性硬膜下血腫のため死亡した。日本のプロレスラーが試合中の事故で亡くなったケースは女子レスラーで2名(プラム麻里子、門恵美子)あったが、男子レスラーでは史上初となった。福田は1999年10月シリーズにて、硬膜下血腫のため約4か月間の欠場をしていた。それの後遺症が原因だと言われている。

この事故は当時のプロレス界に大きな衝撃を与え、特に小川戦後の去就が注目されていた橋本にも相当なショックを与えた。また2000年7月に大仁田厚戦で現役復帰した長州力は入場の際に福田の遺影を脇に抱えており、福田の死が長州の心を動かしたことが伺える。






ワフー・マクダニエル
Wahoo McDaniel
1938/6/19 - 2002/4/19

アメリカ合衆国オクラホマ州バーニス出身のプロレスラー、アメリカンフットボール選手。本名はエドワード・ヒュー・マクダニエルEdward Hugh McDaniel)。

プロレスラーとしての現役選手時代は、羽飾りのコスチュームや得意技のトマホークチョップなど、自身の出自であるインディアン・スタイルで活躍。ラフファイトにも強いベビーフェイスとして絶大な人気を誇った。日本では「狼酋長」の異名を持つ。

来歴

チョクトー・チカソー族インディアン。学生時代からレスリングとアメリカンフットボールを両立させながら活躍。大学卒業後にAFLのヒューストン・オイラーズ(現・テネシー・タイタンズ)に入団。アメフトと並行してドリー・ファンク・シニアからレスリングのトレーニングを受け、1961年にプロレスラーとしてデビュー。以降1968年までAFLのオフシーズンにプロレスの試合を行うという二足のわらじで活動する。

1969年からはプロレスに専念し、AWAでスーパースター・ビリー・グラハムらと抗争を繰り広げる。1973年11月に国際プロレスに初来日、ストロング小林を破りIWA世界ヘビー級王座を奪取。グレート草津を相手に得意のインディアン・ストラップ・マッチも行った。1974年よりジム・クロケット・ジュニアの主宰するノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に転戦し、ジョニー・バレンタイン、ブラックジャック・マリガン、リック・フレアーと抗争。1975年7月にはフレアーを破りNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得した。

1976年に全日本プロレスに来日し、ジャイアント馬場の持つPWFヘビー級王座に挑戦。1979年の世界最強タッグ決定リーグ戦ではフランク・ヒルとのインディアン・コンビで参戦、ヒルが狙い打ちにされ戦績は振るわなかったものの、アブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争は話題を呼んだ。1980年からはテキサスのサンアントニオ地区に定着し、テリー・ファンクとも抗争を展開している。

1982年1月、新日本プロレスに来日。前年に新日本へ移籍してきたブッチャーとはここでも抗争を続けた。アントニオ猪木とのシングルマッチも行われたが全日本参戦時ほど本領を発揮できなかった。

以降もミッドアトランティックやジョージア、フロリダなど南部マットを主戦場に活躍。ダスティ・ローデスやリッキー・スティムボートとタッグチームを結成し、ロディ・パイパー、イワン・コロフ、サージェント・スローターらとタイトルを争った。1985年にはマーク・ヤングブラッドとのコンビでNWA世界タッグ王座を獲得。1980年代後半は末期のAWAやプエルトリコのWWCで活動した。

最晩年の1992年5月にはW★INGプロモーションの興行に参戦。ザ・グラップラーとインディアン・ストラップ・デスマッチで戦い、KO勝ちしたのが最後の来日となった。

1995年、NWAの後継団体であるWCWで殿堂入りを果たす。現役晩年は持病の糖尿病との戦いになり1996年に引退。2002年4月19日、糖尿病の合併症で死去。63歳没。

タイトル

CWF(フロリダ)
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回(1967年にLouie Tilletから獲得)
  • NWA南部ヘビー級王座:2回(1978年にザ・スポイラー、1985年にリック・ルードから獲得)
  • NWA TV王座:1回(1981年にエディ・マンスフィールドから獲得)
  • USタッグ王座:1回(w / ビリー・ジャック・ヘインズ)
  • NWA世界タッグ王座:2回(w / ホセ・ロザリオ)
WCCW(ダラス)
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:2回(1969年にジョニー・バレンタインから2度獲得)
  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / トニー・パリッシ)
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:2回(1971年にトール・タナカ、1979年にザ・スポイラーから獲得)
  • NWAアメリカン・タッグ王座:3回(w / ジョニー・バレンタイン×2、サンダーボルト・パターソン)
IWA(国際プロレス)
  • IWA世界ヘビー級王座:1回(1973年にストロング小林から獲得)
NWAミッドアトランティック地区
  • ミッドアトランティック・ヘビー級王座:5回(1975年から1977年にかけてリック・フレアーとグレッグ・バレンタインから獲得)
  • USヘビー級王座:5回(1981年から1984年にかけてロディ・パイパー、サージェント・スローター、リッキー・スティムボートから獲得)
  • NWA世界タッグ王座:4回(w / マーク・ヤングブラッド×2、ルーファス・ジョーンズ、ポール・ジョーンズ)
GCW(ジョージア)
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:2回(1979年にマスクド・スーパースターから2度獲得)
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / トミー・リッチ)
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回(1986年にタリー・ブランチャードから獲得)
SCW(サンアントニオ)
  • SCW南部ヘビー級王座:2回(1980年にタリー・ブランチャード、1981年にテリー・ファンクから獲得)
  • SCW南部タッグ王座:1回(w / テリー・ファンク)
  • SCW世界タッグ王座:1回(w / イワン・プトスキー)
CCW
  • NWA南東部タッグ王座:1回(w / リッキー・マクダニエル)

etc.











 
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