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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
4/20


 
 


 
 

永友 香奈子
1964/4/20

日本の元女子プロレスラー。北海道函館市出身。本名・坂口 香奈子(旧姓永友)。

経歴

函館女子商業高校ではソフトボール部で活躍。

卒業後はジャッキー佐藤に憧れ、全日本女子プロレスに昭和58年組として入門。同期にブル中野、小倉由美、小松美加、後にレフェリーに転じる柳下まさみ。

1983/6/24、函館市民体育館での小倉由美戦でデビュー。

小松美加とのタッグ「オペロン同盟」で活躍した。

1987/6/28、後楽園ホールにて小松と引退試合を行う。

引退後、吉本女子プロレスJd'のマネージャーを務めていた。

現在は地元に戻り高校時代の恩師と結婚している。


 
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高橋 洋子
1973/4/20

日本の総合格闘家。北海道小樽市出身。

来歴

全日本女子プロレスの「平成6年組」だったがヘルニアのため退団。その後吉本女子プロレスJd'にレフェリーとして入団。

1996/7/14、全日本女子プロレス・後楽園ホール大会で「U★TOPトーナメント」出場権をかけて藤原組のサンダー・クラックと対戦し勝利。これが「日本初の女子総合格闘家」高橋洋子のスタートとなる。その後、石本文子・石原美和子・三井綾そして熊谷直子と、日本を代表する女子格闘家と次々と対戦。1999/4/29には、風智美(現:WINDY智美)のデビュー戦の相手を務めた。

その後しばらくレフェリーと格闘家の二足のわらじを履く生活が続いていたが、2001/9/30に格闘技に専念するためJd'を退団。三晴塾を経て、2003年に元Jd'の藪下めぐみとともにSOD女子格闘技道場を設立。しかし、2006年5月にSOD女子格闘技道場が、親会社ソフト・オン・デマンドの事情により閉鎖された。所属選手はファングジムの協力もあり6月に新たに「巴組」を結成。高橋自身も6/30のスマックガール・後楽園ホール大会で巴組所属として総合格闘家デビュー10周年記念試合を行い、武田美智子を一本勝ちで下し健在ぶりをアピールした。

2007/5/19、空位となっていたスマックガール認定無差別級王座を獲得、11年目での初戴冠となったが、同年9/6の初防衛戦で愛弟子のHIROKOに敗れ王座から転落した。

所属の巴組は2007/11/30付で活動を休止(発表では「全員卒業」)し、12月からはフリーとして活動。

2008年8月までの戦績は、54勝12敗。


高橋洋子





ジョニー・スタンボリー/ジョニー・ザ・ブル
Johnny Stamboli/Johnny The Bull
1977/4/20

ジョン・ハガー(John Hugger)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州アトランタ出身。体重180kgあるリキシをリフトアップするほどの怪力の持ち主。

来歴

WCWのプロレスラー養成所であるWCWパワープラント出身で、ポール・オーンドーフによってレスラーとしての基礎トレーニングを受けた。

1999年、WCWのリングにてデビュー。WCWではビッグ・ヴィトーと共にイタリア系アメリカ人のタッグチーム「ママルークス」を結成、ジョニー・ザ・ブルのリングネームで活動した。その後2000年には、チャック・パルンボやショーン・オヘアらと共にNBT(ナチュラル・ボーン・スリラーズ)を結成して活躍。

WCW崩壊後の2001年にWWE(当時WWF)と契約。しかし、アライアンスのメンバーには選ばれず、同じくWCWから契約を交わした数人の若手選手(カズ・ハヤシ、ジェイミー・ノーブルなど)と共に、WWEのファーム団体HWAで再修行することになった。

2002年より1軍登録され、6/30にジョニー・スタンボリーのリングネームでTVマッチにデビュー。以降はスマックダウン所属となり、ナンジオ、チャック・パルンボら同じイタリア系選手と共に、ヒール・ユニットのF.B.I.(フル・ブラッデッド・イタリアンズ、Full Blooded Italians)を結成。ジ・アンダーテイカーらと抗争する。この当時、自分の体格をはるかに上回るリキシをリフトアップするなどして観客の度肝を抜いた。

2004/11/4にWWEを解雇され、その後は全日本プロレスにマスクマン「GREAT MUTA」として登場。ラブマシンズの一員として全日本プロレス本体と抗争する。本家グレート・ムタ対GREAT MUTAという異色対決が行われるも敗退。その後ラブマシンズから戦力外通告を受けたことにより、WWE時代のリングネームジョニー "ザ・ブル" スタンボリーとして全日本参戦。TARUと結託し、ヒール・ユニットのVOODOO-MURDERSを結成、初期メンバーとして活動。旧友チャック・パルンボとタッグを組むことも多かった。

全日本を離れてからは、メキシコのCMLLを中心に数々の団体で活動。その後IZWでレッドラムという怪奇派レスラーに変身した。

2007年7月31日収録のWWEスマックダウンにて、リングネーム不詳としてダーク・マッチに出場し、チャボ・ゲレロを破っている。なお、試合はレッドラムの姿で戦った。その後WWEから再雇用を持ちかけられたが、本人が断っている。

その後はレリックとしてTNAに所属していたが、2008年6月末にTNAとの契約を解消した。

リングネーム

ハガーが用いたことがあるリングネーム

  • レリック(Rellik
  • レッドラム(Redrum
  • ジョニー・ザ・ブル(Johnny The Bull
  • ジョニー・スタンボリー(Johnny Stamboli
  • ジョニー "ザ・ブル" スタンボリー(Johnny "The Bull" Stamboli
  • GREAT MUTA(全日本プロレス版)※2004年の世界最強タッグ決定リーグ戦からグレート・ムタ戦までの間マスクマンとして

獲得タイトル

WWE
  • WWEハードコア王座 : 3回
WCW
  • WCW世界タッグ王座 : 2回(w / ビッグ・ヴィトー)
  • WCWハードコア王座 : 1回
HWA
  • HWAヘビー級王座 : 2回





モイス・リンボン
Moise Rimbon
1977/4/20

フランスの総合格闘家。パリ出身。ヨーロッパ・トップチーム所属。

来歴

ストリートファイトに明け暮れていた頃、友人の勧めでキックボクシングを始め、その後レスリングを学ぶ。

2002/10/13、2 Hot 2 Handleでアリスター・オーフレイムと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。

2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜でピーター・グラハムと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。

2008年11月1日、戦極 〜第六陣〜でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと対戦し、判定負け。

2009/11/27、International Absolute Fighting Councilでリコ・ロドリゲスと対戦し、判定負け。


  



澤 宗紀
1979/4/20

日本の男性プロレスラー。東京都杉並区出身。格闘探偵団バトラーツ所属。

経歴

高校はレスリング部。

1998年、高校卒業後にアマチュアバトラーツ(B-CLUB)に入門。出張クラスで練習していた。ちなみに大学時代は演劇部だった。

当時珍しかったプロレス団体によるアマチュアマッチ『第1回アマチュアバトラーツ グラップリングB』においてベストファイター賞に選出される。その時に石川雄規から『何か、おまえとは数年後にタッグを組んでいる気がする』と言われ、それから8年後のビックマウスラウド後楽園大会においてその言葉が現実のものとなっている。

その後はバトラーツでの練習を主に担当していた岡本魂が怪我でフェードアウトしたため、つられるようにフェードアウト。

2000年にU.W.F.スネークピットジャパンに入門。

大学卒業後はCM会社に就職するも、わずか2週間で退社。

2002/9/14、東京・Z-Zone NAGAYAMAにてキングダム・エルガイツにおける高津十樹戦で総合格闘技プロデビュー。

2003/8/31、プロレス団体TAMAにおける長瀬館長戦で素顔でのプロレスデビュー(これ以前に「スラッシュ・サード」というマスクマンとしてペドロ高石と対戦している)。

その後、素顔でプロレスリングrに移籍し、週末は新狭山にあるショーパブで薄いマットを敷いての1試合2,000円という非公式な試合や、国際プロレス、アジアン・スポーツ・プロモーションで経験を積むが行き詰まり、2005年、原点である石川雄規のバトラーツに出戻る。

2005/6/5、バトラーツにおける関本大介戦で再デビュー。

2005/11/27、全日本コンバットレスリングオープン選手権80kg級優勝(出場選手は澤を含め3人だった)。

2006/3/22、ビッグマウス・ラウドのリングにおいて、念願の石川雄規とのタッグが実現。

2006/12/31、インディーサミットにおける飯伏幸太とのやりあいの中、わき腹をアバラ軟骨亀裂骨折し、2007年1月頭の出場する大会をキャンセルするが、1/27ZERO1-MAXの大会で復帰。

2007/6/29、IGF旗揚げ戦「闘今BOM-BA-YE」に出場し、石川雄規にTKO勝ち。師匠越えを果たした。

2009年3月、オーストラリア・アデレードで行われた芸術祭 「アデレード・フリンジ・フェスティバル」において、日本からのサムライアートとして富豪2夢路、澤宗紀、小笠原和彦、ヌンチャク・アーティストの宏樹が招待され試合を行なった。試合は『地下プロレスEXIT』として行われ、会場はレストランに薄いマットを敷き、3日間試合を行なった。また、ストリートパフォーマンスとしてアデレード市街で澤宗紀vs富豪2夢路の路上マッチ、宏樹によるヌンチャクパフォーマンス、小笠原和彦による空手の演舞が行なわれた。

2009/6/28、DDT後楽園大会のメインで組まれていた無差別級挑戦者決定トーナメント決勝戦を、飯伏幸太が急性咽頭炎のため欠場。そのピンチヒッターとして高木三四郎が即決でオファーしたのが澤だった。2日前の緊急決定、さらにはその日の2試合目にもかかわらず、後楽園を揺るがす大熱戦を展開。そんな男気に打たれた高木三四郎がその場で両国大会出場を打診し、参戦が決定した(2009/8/23の「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」パンフレットから引用)。

2009年9月、頸堆ヘルニアのため欠場。

2009/10/24、復帰戦で佐藤耕平、KAMIKAZE組が持つNWAインターコンチネンタルタッグ、そして自身が持つNWAインターナショナルライトタッグのベルトをかけ、ダブルタイトル戦に挑戦。相棒・日高郁人がKAMIKAZEを下し、ヘビー、タッグの2冠王となる。

2009/11/29、東京ビッグサイトで行われた「国際ロボット展」において澤がROBO-ONE 優勝者のロボット「真グレートキングカイザー」に対戦表明。人類初の『ロボットvsプロレスラー』を実現させた。試合中、澤は司会者からロボットの製作費が数百万円というアナウンスに怯えるもドロップキックを炸裂させダウン奪取。しかしその後のシャイニング・ウィザードをよけられ、パンチ3連発を浴びてTKO負けを喫した。

2010/1/10、DDT名古屋大会、今池ガスホール大会にてインフルエンザで欠場した高木三四郎のピンチヒッターとして登場。DDT vs CEO率いるベルトハンターハンター全面対抗5vs5勝ち抜き戦でヨシヒコとマサ高梨に対戦し勝利した澤は同時に第828代アイアンマンヘビー級メタル王者となる(数秒後にタノムサク鳥羽に奪われる)。

2010/1/17、アメリカで旗揚げされた新団体『EVOLVE』に参戦。シングルマッチでTJPと闘いお卍固めで勝利。

2010/2/11、DDT後楽園ホール大会において高木三四郎とのコンビでKUDO&ヤス・ウラノ組のKO-Dタッグ王座に挑戦。お卍固めでウラノからギブアップを奪い、第31代王者となる。

2010年3月、ドイツのプロレス団体wXwが毎年行うトーナメント「16 CARAT GOLD 2010」に出場。1回戦ポール・トレイシーにお卍固めで勝利したものの続いて2回戦目のビッグ・ヴァン・ウォルターにはパワーボムで敗れ2回戦で敗退。急遽組まれたタイトル戦「wXwジュニア・チャンピオンシップ」でザック・セイバーJr.に挑戦したが 足とり腕十字固めで敗れている。

ランジェリー武藤

ランジェリー武藤( - むとう)は、澤宗紀が扮するコミックレスラーで「珍日本プロレス」という団体の所属を名乗る。

スキンヘッドのかつらを装着し、更にその名の通り下着(女性もの)をつけた姿で武藤敬司ムーブを行う。ご丁寧にも、武藤と同様に膝に爆弾を抱えており、どこを攻められても必ずその痛みが膝に来るというギミックが持ち味。主戦場は澤名義でも出場しているZERO1-MAXだが、他のインディー団体にも登場している。2006年5月5日ZERO1-MAXにおける大森隆男戦では敗れたものの大森を「ランジェリー大森」にしてしまうという離れ業をやってのけた。

新宿カス野郎プロレスVol.2にビッグサプライズゲストとして現れた本物の武藤から「神奈月より似てるな」と本人お墨付きの認定を受け、同時に「シャイニング・ウィザード使用料1回2000円だぞ」と返答に困るジョークを仕掛けられている。逆に全日本プロレス主催の武藤祭りで行われた武藤ランブルでは試合中、武藤にランジェリーを渡し、武藤本人を困らせた。

入場曲

  • リボルバー・ジャンキーズ/thee michelle gun elephant

映画

  • 平成トンパチ野郎〜男はツラだよ〜(2009年)(マジカル/グラッソ)





タイソン・グリフィン
Tyson Griffin
1984/4/20

アメリカ合衆国の総合格闘家。カリフォルニア州サクラメント出身。エクストリーム・クートゥア所属。

来歴

黒人と白人のハーフとして生まれる。高校時代よりレスリングを始める。カレッジ卒業後、体を鍛えるためデビッド・テレルの元でブラジリアン柔術を始めた。その後ノーカル・ファイティング・アライアンスで総合格闘技の練習を始めている。

2005/9/10、Gladiator Challenge 42でユライア・フェイバーにTKO勝ち。

2006/6/9、ドゥエイン・ラドウィックにTKOで勝利する。その後UFCと契約を果たし、9/23のUFC 63でデビュー。デイヴィッド・リーに勝利する。

2007/2/3、UFC 67でフランク・エドガーと対戦、判定で敗れプロ初黒星を喫した。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。その後はUFC 72のクレイ・グイダ戦、UFC 76のチアゴ・タバレス戦に連勝する(2試合ともファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した)。

2008/2/2、UFC 81でグレイゾン・チバウに判定勝ち。7/5のUFC 86でもマーカス・アウレリオに勝利し連勝を4に伸ばした。10/25に行われたUFC 90では元ライト級王者ショーン・シャークに判定で敗れ、トップ争いから一歩後退するも、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。

2009/4/1、UFC Fight Night: Condit vs. Kampmannでハファエウ・ドス・アンジョスに判定勝ちを収め、5度目のファイト・オブ・ザ・ナイトを獲得した。

2009/9/19、UFC 103でエルメス・フランカと対戦し、右ストレートからのパウンドでTKO勝ち。

2010/6/12、UFC 115でエヴァン・ダナムと対戦し、1-2の判定負け。8/1、UFC on Versus: Jones vs. Matyushenkoでは欠場したジョー・スティーブンソンの代役で出場するも、五味隆典を相手に自身初のKO負けを喫した。

2010/11/20、UFC 123でニック・レンツと対戦し、1-2の判定負け。この裁定に会場からは大きなブーイングが飛んだ。














 
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