デバリ
Daivari
1984/4/30
ショーン・デバリ(Shawn Daivari)は、アメリカ合衆国のプロレスラー、プロレス・マネージャー。WWEのRAWに所属していた。近年はアル・ダバリ(Al
Daivari)を名乗り全日本プロレスに参戦。
来歴
生まれはイランのテヘラン。後に一家でアメリカのミネソタ州ミネアポリスに移住した。プロレスデビュー時は、イラン出身のレスラーであるアイアン・シークの本名コシロ・バジリに由来したコシロ・デバリ(Khosrow
Daivari)を名乗っていた。
TNA、ROHをはじめインディ団体を転戦後、2004年にWWEと契約。アラブ系ギミックのヒール、モハメド・ハッサンのマネージャーとしてRAWに登場した。
2005年のバックラッシュではハッサンと組んでハルク・ホーガン、ショーン・マイケルズ組と対戦している。同年6/23からはハッサンと共にスマックダウンへ移籍し、ジ・アンダーテイカーとの抗争を開始した。しかしスマックダウンを放送するTV局からのクレームで番組には登場できなくなり、グレート・アメリカン・バッシュでの試合を最後にスマックダウンを離脱。
その後ハッサンとのコンビを解消し、デバリは単独キャラクターとしてOVW、DSWに参戦するようになった。11/7、再度RAWに登場してカート・アングルと新コンビを結成。このときもマネージャー役が中心で、アングルとジョン・シナの抗争の最中にはレフェリーも行っている。2006年1月、アングルと共にスマックダウンに復帰するも、短期間でアングルとのコンビを解消。以降は“ワールド・ストロンゲスト・マン”マーク・ヘンリーやグレート・カリのマネージャーを担当した。その後ECWに行ったがまたスマックダウンに逆戻り。さらにすぐさまRAWへ移籍するも、2007年10月にWWEを退団した。
2008年4月、全日本プロレスにアル・ダバリのリングネームで来日。VOODOO-MURDERSの一員として活動している。
移籍記録
デバリは、WWEの在籍(活動)期間年数に最も移籍をしたレスラーとしてWWEのAluminiに記録(最高移籍記録として)されている。活動期間3年の中で実に6回も移籍をしている(1年に2回は移籍している)。以下がその移籍記録である。
- モハメド・ハッサンと共にRAWでデビュー(2004年末)
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- ハッサンと共にドラフトトレードでスマックダウンに移籍(2005年)。
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- ハッサン退団のため自身もフェードアウト、カート・アングルのマネージャーとして再びRAWに登場(2005年末)。
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- カート・アングルのスマックダウン移籍に伴い、自身もスマックダウンに移籍する(2005年末)。
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- 新たにグレート・カリのマネージャーとなり、カリと共にECWに移籍(2006年)。
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- カリが一人立ちしRAWに行ってしまったため自身はスマックダウンに移籍(2006年)。
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- スマックダウンのクルーザー級戦線に殴り込みをかけるかと思われたが、すぐにRAWへ移籍(2007年)。
マネージャー
下記のレスラーはデバリがマネージメントしたレスラーたちである。そのすべてがヒールレスラーであった。
- モハメド・ハッサン(2004年 - 2005年)
- カート・アングル(2005年 - 2006年)
- マーク・ヘンリー(2006年 - 2007年)
- グレート・カリ(2007年)
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