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プロレス/格闘技
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永野 一男
1952/8/1 - 1985/6/18

ながの かずおは、日本の会社経営者(実業家)。金のペーパー商法を行った豊田商事の創業者(会長)。
第1次UWFスポンサー

 
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ビーフ・ウエリントン
1960/8/1 - 2007/6/24

新日本に何度か来日したことのあるビーフ・ウエリントンさんが6月24日(現地時間)、カナダ・カルガリーの自宅で亡くなっていた。享年42歳。死因不明。
 新日本へは1988年10月の「闘魂シリーズ」に初来日。ミスター・ヒトと馳浩を師と仰ぎ、クリス・ベンワーともほぼ同期だ。
 ご冥福をお祈りします。
 なお、UWFやみちのくプロレスのヨネ原人との抗争でお馴染みのウエリントン・ウイルスキン・ジュニアとは別人。





ディーボン・ダッドリー/ブラザー・ディーボン
D-Von Dudley/Brother Devon
1972/8/1

ディーボン・ヒューズDevon Hughes)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州出身。

来歴

1991年、ジョニー・ロッズの指導のもとプロレスデビュー。デビュー時のリングネームはAトレインであった。

1996年にECWへ加入。ジョニー・ロッズのジムの兄弟子でもあるババ・レイ・ダッドリーが主宰するレスリングスクールでトレーニングを受け、同年4月13日にギミック上の異母兄弟チーム、ダッドリー・ボーイズの8男、ディーボン・ダッドリーとして登場した。『兄』であり師でもある5男のババ・レイと共に行動するようになり、チーム3Dを結成した。ハードコアマッチ、特にテーブルマッチを得意とし、ババ・レイ共々テーブル破壊が代名詞となっていった。

1999年に『兄』のババ・レイと共にWWF(現WWE)へ移籍。当初はヒールであったが、人気の高まりと共にベビーフェイスとなっていった。2001年のWCW/ECW連合軍(アライアンス)結成時は、元ECWということもありアライアンスに参加した。

2002年のWWFのテレビ番組分割時は、ババレイはRAW、ディーボンはスマックダウンへと別れることとなった。兄弟が別れると共に、ディーボンはハードコアマッチを得意とするキャラから宣教師へとギミックチェンジを実施し、用心棒役のバティスタと共に行動した。しかしながらこのギミックは長期間続かずに終了し(バティスタを強力に売り出すためにストーリーが終了したとされる)、またディーボンもギミックを戻してRAWに移籍してタッグは再結成されている。WWE時代に兄弟が別れていたのはこの期間のみである。

2005/7/5にWWEから解雇された。この際、ダッドリー関連の名称は登録商標の関係で一切使えなくなり、以降現在のリングネームであるブラザー・ディーボン、またはディーボンとして活動することとなった。

WWE解雇後はTNAに所属。また全日本プロレスにも参戦して世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝している。2006年にはハッスルへ参戦するなど、日本での登場機会が増えている。

2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームでブラザー・レイとともに真壁&矢野組からIWGPタッグ王座奪取した。

2/15、New Japan ISM両国国技館大会で真壁&矢野組の挑戦を受けハードコアマッチを制し初防衛に成功した。

3月、TNAオーランド大会でビアマネーからTNA世界タッグ王座を奪取した。

獲得タイトル

ECW
  • ECW世界タッグ王座 : 8回(w / ババ・レイ・ダッドリー)
WWF/WWE
  • WCWタッグ王座 : 1回(w / ババ・レイ・ダッドリー)
  • WWE世界タッグ王座 : 8回(w / ババ・レイ・ダッドリー)
  • WWEタッグ王座 : 1回(w / ババ・レイ・ダッドリー)
TNA
  • NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ブラザー・レイ)
  • TNA世界タッグ王座 : 2回(w / ブラザー・レイ)
ハッスル
  • ハッスル・スーパータッグ王座 : 1回(w / ブラザー・レイ)
全日本プロレス
  • 世界最強タッグ決定リーグ戦 2005年大会優勝(w / ブラザー・レイ)
新日本プロレス
  • IWGPタッグ王座 : 1回(w / ブラザー・レイ)

エピソード

  • ECWに登場してから暫くの間はババが自閉症という設定であったためよく喋っていたが、何時の間にかババがトークの殆どを行うようになり現在はリング上ではほとんど喋らない(稀に喋る場合もあるが、そのときもババが一通り喋り終えた後に一言発する程度)。





山本 尚史/ヨシ・タツ
YOSHI TATSU
1977/8/1

やまもと なおふみは、日本のプロレスラー。岐阜県岐阜市出身。WWEでは東京出身という設定になっている。

来歴

新日本プロレス時代

国士舘大学時代はレスリング部に1年間所属し、ボクシング・フリースタイル柔術なども経験。2002年3月に新日本プロレスへ入門。同期に中邑真輔、田口隆祐、長尾浩志、後藤洋央紀がいる。

アメリカ合衆国に渡り、新日本プロレス・ロサンゼルス道場で修行した後、同年10/12に後楽園ホールの井上亘戦でデビュー。2004年と2005年には第9回、第10回ヤングライオン杯に連続参加。優勝は逃すが、積極的な試合内容で注目される。当時の必殺技は後藤達俊直伝のバックドロップ。2005年にはボクシングプロテストを受けることが発表されたが、結果の発表はされていない。

2006年の選手大量離脱に伴い、IWGPタッグ王座への挑戦、ZERO1-MAXの崔リョウジとの抗争など、主に永田裕志のパートナーとして第一線の試合での起用が増えるようになる。

2007年11月より無期限の海外遠征に出発。フロリダ州タンパを拠点に、FCW等で活動。

WWE所属後

2008年2月に新日本プロレスとの契約を更新せずフリーとなり、4月にWWEのトライアウトに合格してWWE所属選手となっていたことを9月に発表し、以後下部団体であるFCWを中心に活動する。12月ごろからは父親の名前にちなんだヨシタツ(YOSHITATSU)というリングネームとなった。

2009/6/30、リングネームをヨシ・タツ(YOSHI TATSU)へと変更しECWでデビュー、ヨシ・タツを相手にせず挑発ばかりしていたシェルトン・ベンジャミンにハイキック一撃で勝利を収めた。その翌週のECWにて再戦するも今度は敗戦に終わっている。その後はポール・バーチルやウィリアム・リーガルなどを相手に勝利を収めている。

9/15のECWでは三沢光晴へのリスペクトとしてエメラルドグリーンのタイツを着用、対戦相手のザック・ライダーに三沢の得意技ローリング・エルボーを見舞い、実況のマット・ストライカーも名前は出さなかったもののヨシ・タツが「憧れたヒーロー」のオマージュを披露したと解説した。

試合の間に挟まれるスキットではゴールダストから英語や西洋文化を学んだり、逆にゴールダストに日本語などを教えたりしている。実況からはECW版おかしな二人などと言われたりしている。また試合でもゴールダストとタッグを組むことが多い。

10/20のECWにてクリスチャンが保持するECW王座への挑戦権を懸けてザック・ライダーと対戦。これを退け、正式にECW王座挑戦権を獲得した。10月27日収録のECWにてクリスチャンが保持するECW王座に初挑戦したが王座奪取とはならなかった。なお、この試合は年末にWWEが実施した、WWE Universeが選ぶ2009年ベストマッチ25で22位にランクインした(ECWの中では第2位だった)。

12/14、RAWに初登場。ジョン・モリソン、マーク・ヘンリーと組み、ザ・ミズ、ドリュー・マッキンタイア、ザック・ライダーのチームと6人タッグマッチで対戦。ザック・ライダーから右ハイキックでピンフォールを奪い、RAW初登場を自らの勝利で飾った。

2010/1/12のECWではECW王座への挑戦権を賭けたECWホームカミング・フィナーレに出場するも勝利を逃す。

1/19のECW放送終了後に公式サイトにおいて、1/31に行われるロイヤルランブル戦へのエントリーが正式に発表され、デビュー後初のPPV出場が決定した。ロイヤルランブル戦への日本人レスラーの出場は史上7人目である。PPV当日のロイヤルランブル戦では21番目に登場、30秒足らずでジョン・シナにエリミネートされる。

2/16のECWの番組最終回において、ザ・ミズとビッグ・ショーが保持する統一タッグチーム王座に挑戦するも、王座奪取とはならなかった。

ECWの番組終了にともない、2/22よりRAWに移籍した。

3月28日に行われたレッスルマニア第26回大会では、PPV中継開始前に行われたダーク・マッチの26人バトルロイヤルに出場し、優勝した。WWEのバトルロイヤルで日本人が優勝したのは、1984年7月のマディソン・スクエア・ガーデン大会において行われた試合で優勝したアントニオ猪木以来、約25年9か月ぶり。また、日本人レスラーのレッスルマニアでの勝利は曙以来5年ぶり史上6人目である。

同年8/20・8/21に両国国技館で行われたRAWサマースラムツアー日本公演に出場。20日にクリス・ジェリコとのシングル戦、21日にジョン・シナと組んでのジェリコ&シェイマス組とのタッグマッチで凱旋を果たした。

2011年の追加ドラフトでSmackDown!に移籍した。

入場テーマ曲

新日本時代

  • SANCTUARY

FCW

  • Tuff Stuff

WWE

  • J-Pop Drop - 現在使用中

備考

  • 中日ファンで、棚橋弘至と一緒に、2004年中日優勝の瞬間に試合観戦をしていた。
  • FCW加入からしばらくの間、本人が新日本入門前にファンだったという平成維震軍のコスチュームを着用していた。着用に当たっては当時のメンバーだった先輩の小林邦昭、後藤達俊らから許可をもらい、さらに実際の当時コスチュームをオーダーした業者を紹介してもらったという。
  • 現在のリングネーム「YOSHI TATSU」を命名したのはFCWでエージェント兼実況コメンテーターを務めているダスティ・ローデスである。
  • これまでにも何人もの日本人選手が契約選手としてWWE(1軍)のリングに上がっているが、ディベロップメント(育成選手)契約からの昇格は初のケースとなった。
  • 本人いわく特異な出世をしており。WWEの選手の多くはWWEに来るまでにシングル王座を獲得しているかFCWで王座に絡んでいるがいずれも満たしていない。(WWE加入後初めて王座に挑戦した王座がECW王座である)
  • 総合格闘家の所英男とは同郷ということもあり、学生時代からの友人。
  • ランシドのラーズ・フレデリクセンとは、新日本プロレス時代からお互いのバックステージを訪問し観戦・観賞し合うなど交流がある(フレデリクセン自身、日本のプロレスを見るためだけに来日するほど大変なプロレスファンで、日米問わず関係者との交友関係は深い)。

  





 















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