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プロレス/格闘技
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8/10

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タイフーン/タグボート/ザ・ショックマスター
Typhoon/Tugboat/The Shockmaster
1956/8/10

フレッド・オットマンFred Ottman)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。バージニア州ノーフォーク出身。

来歴

1984年、NWA圏フロリダ地区のCWFにてビッグ・ブバのリングネームでデビュー。1985年はテキサス州サンアントニオのテキサス・オールスター・レスリングに出場し、12月にアル・マドリルを破りUSAヘビー級王座を獲得した。1986年からはテネシー州メンフィスのCWAを主戦場に、ブバ・ザ・ターミネーターブバ・ザ・ベルトコレクターなどのリングネームで活動。1989年上期にはフロリダのPWF(旧CWF)にてU・S・スティールを名乗り、当時NWA-WCWを離脱して一時的に古巣のフロリダ地区に戻っていたダスティ・ローデスからPWFフロリダ・ヘビー級王座を奪取した。

同年6月、ビッグ・マン・スティールの名前でWWFのダークマッチに登場(マネージャーはスリック)。しかしすぐに姿を消し、翌1990年に水兵ギミックのタグボート・トーマスとしてベビーフェイスのポジションで再デビューする。やがてリングネームをタグボートと簡略化し、ハルク・ホーガンのパートナーとなってアースクエイクやディノ・ブラボーと抗争した。

1991年5月にヒールに転向し、タイフーンと改名。ジミー・ハートをマネージャーに、ライバルだったアースクエイクとナチュラル・ディザスターズThe Natural Disasters)なる超巨漢タッグチームを結成、リージョン・オブ・ドゥームのWWF世界タッグ王座に再三挑戦した。1992年には揃ってフェイスターンを行い、7/20にテッド・デビアスとIRSのマネー・インコーポレーテッドからWWF世界タッグ王座を奪取。また、同年4月にはSWSにナチュラル・ディザスターズとして来日し、ジョージ高野と高野俊二の兄弟チームを破りSWSタッグ王座も獲得している。

1993年、WCWに移籍。ザ・ショックマスターを新リングネームに、スティングやデイビーボーイ・スミスの助っ人マスクマンとしての参戦だった。しかし、初登場時の生放送の公開TVショー(中継番組『Clash of the Champions』でのリック・フレアーのインタビューコーナー "A Flair for the Gold")において、セットの壁を突き破る際につまづいて被り物が脱げ、正体を曝してしまうという大失態を演じた。このシーンは後々まで語り草となり、近年でもWWEやTNAでネタにされている。その後、軌道修正を図るべくアンクル・フレッドなどのコミカルなキャラクターに変身するも、すぐにフェードアウト。以降は1994年の短期間のWWF復帰を経てインディー団体を転戦し、1995年12月からはタイフーン名義でWARにも参戦した。

2001年4月1日、レッスルマニアX-Sevenにおけるギミック・バトルロイヤルでは、タグボートとして久々にWWFに登場。同年に引退し、近年はフロリダ州レイクランドにて建物清掃サービス会社の安全管理者として働く一方、リトルリーグのコーチも務めている。

リングネーム

CWF / TASW
  • ビッグ・ブバBig Bubba
CWA
  • ビッグ・ブバBig Bubba
  • ブバ・ザ・ターミネーターBubba the Terminator
  • ブバ・ザ・ベルトコレクターBubba the Belt Collector
PWF
  • U・S・スティールU.S. Steel
WWF
  • ビッグ・マン・スティールBig Man Steel
  • タグボート・トーマスTugboat Thomas
  • タグボートTugboat
  • タイフーンTyphoon
WCW
  • ザ・ショックマスターThe Shockmaster
  • スーパー・ショックマスターSuper Shockmaster
  • アンクル・フレッドUncle Fred

獲得タイトル

CWA
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回
  • CWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回
  • AWA南部タッグ王座:2回(w / ジェリー・ローラー、ゴライアス)
WWF
  • WWF世界タッグ王座:1回(w / アースクエイク)
SWS
  • SWSタッグ王座:1回(w / アースクエイク)
その他
  • テキサス・オールスターUSAヘビー級王座:1回
  • PWFフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • IAWタッグ王座:2回(w / デモリッション・アックス)

 
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TNT/サビオ・ベガ
Savio Vega
1964/8/10

プエルトリコ出身のプロレスラー。本名はフアン・リベラJuan Rivera)。

1990年代はアメリカ合衆国本土のWWFでも活躍した。近年は地元のプエルトリコを本拠地に、ブッカー業務も担当している。

来歴

「プエルトリコの帝王」ことカルロス・コロンの主宰するWWCにて1985年にデビュー。テコンドーの下地を活かし、ザ・グレート・カブキをイメージした東洋系ギミックのペイントレスラーとなり、爆薬のトリニトロトルエンを意味するTNTT.N.T.)をリングネームにヒールのポジションで活動する。ミスター・ポーゴともタッグを組み、1987年7月にマークとクリスのヤングブラッド兄弟からWWC世界タッグ王座を奪取した。同年11月には全日本プロレスに初来日、アブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーとして世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した。

1990年9月には新日本プロレスに登場し、翌1991年7月の再来日ではグレート・ムタとタッグを結成、7/19の札幌大会にて馳浩&佐々木健介のチームと対戦した。翌月の8/7からは、W★INGの旗揚げシリーズにも参戦している。

1994年1月より忍者ギミックの覆面レスラー、クワンKwang)に変身してWWFに登場。TNT時代と同様のマーシャルアーツ・スタイルに加え、カブキやムタのような毒霧も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。マネージャーはハービー・ウィップルマンが担当し、『Raw is War』にてブレット・ハートやジ・アンダーテイカーとも対戦している。

1995年からは覆面を脱ぎ、レイザー・ラモンの友人のプエルトリカンという設定のもと、サウス・ブロンクス出身のサビオ・ベガSavio Vega)を名乗ってベビーフェイスに転向。5/14のPPV『イン・ユア・ハウス』の第1回大会にて初登場を果たし、ジェフ・ジャレットとザ・ローディーの2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6/25の『キング・オブ・ザ・リング』ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、メイブルに敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補のヨコズナを撃破するなどの活躍を見せた。翌1996年はインターコンチネンタル王者のゴールダストと抗争、一時はタイトルを空位にしている。

1997年2月、再びヒールとなってファルーク率いるネーション・オブ・ドミネーションNOD)に加入。アーメッド・ジョンソンやリージョン・オブ・ドゥームと抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、ミゲル・ペレス・ジュニア、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系ストリートギャング集団のロス・ボリクアスLos Boricuas)を結成。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放されたクラッシュのDOAとの三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。1998年には "WWF Brawl for All" にも出場したが、2回戦でダレン・ドロズドフに敗退。同年にWWFを解雇された。

WWF以降、2000年代はIWAプエルトリコにて選手兼ブッカーとして活動。2008年1月にはインターナショナル・ツアーをプロデュースし、パナマにてリッキー・バンデラスともタイトルを争った。合衆国本土では、WWF時代の旧友ジェフ・ジャレットの招きで2008年7月から2009年7月まで、TNAのロード・エージェントを務めていた。2010年からはIWA対WWCの対抗戦アングルに参画している。

獲得タイトル

WWC
  • WWC北米ヘビー級王座:1回
  • WWCカリビアン・ヘビー級王座:3回
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
  • WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回
  • WWC世界TV王座:5回
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / ミスター・ポーゴ)
IWA
  • IWAハードコア王座:1回
  • IWA世界ヘビー級王座:4回
  • IWA世界タッグ王座:1回(w / ミゲル・ペレス・ジュニア)





ケビン・ランデルマン
Kevin Randleman
1971/8/10

アメリカ合衆国の総合格闘家、プロレスラー。オハイオ州サンダスキー出身。Tapout Training Facility所属。元UFC世界ヘビー級王者。

レスリング出身であり、レッグダイブによるテイクダウン、そしてパウンドが得意技である。スタンドの打撃(特に左フック)も強力で、ストライカーであるミルコ・クロコップやムリーロ・ニンジャなどをスタンディングでKOしている。

ニックネームは「ザ・モンスター」。PRIDEでは驚異的なジャンプ力を披露するパフォーマンスにあやかって「リアル・ドンキーコング」とも呼ばれた。

来歴

総合格闘技

マーク・コールマンを師に持つ。オハイオ州立大学在学中にフリースタイルレスリングのアメリカ選手権で優勝という実績を持つ。

レスリングで培ったテクニックと人間離れした身体能力を武器に総合格闘技参戦。1999/11/19のUFC 23でピート・ウィリアムスを破り、第5代UFC世界ヘビー級王者となった。2000/6/9のUFC 26ではペドロ・ヒーゾを判定で下し王座防衛に成功。

PRIDE参戦後3連勝し、ミドル級のベルトへと着実に進んでいったが、PRIDE.25でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンに敗北。さらに『PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦』のワンマッチで桜庭和志に腕ひしぎ十字固めで一本負け。

2004/4/25、『PRIDE GRANDPRIX 2004』のヘビー級GP1回戦で、ミルコ・クロコップと対戦。左フックでダウンを奪い、パウンドでKO勝ち。6月20日の準々決勝では、PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。ヒョードルをスープレックスで頭からマットに叩きつけたが、直後にアームロックで一本負け。

2004/12/31、PRIDE 男祭り 2004でミルコ・クロコップと再戦し、フロントチョークで一本負け。リベンジを許した。

2005年12月、真菌感染症のため左肺の手術を受け、しばらくの間、病院で闘病生活を送った。

2006/10/21、PRIDE.32で復帰を果たすも、マウリシオ・ショーグンに膝十字固めで一本負け。試合後の薬物検査で偽の尿サンプルを提出したとしてNSACから選手ライセンスの剥奪、無期限出場停止を受けた。

2007年初頭、感染症が再発し、再び闘病生活を送った。

2007年8月、アメリカ合衆国ネバダ州で飲酒運転、速度違反、無免許運転などの容疑で逮捕された。

2008/3/5の戦極 〜第一陣〜において、戦極への参戦が発表された。

2008/5/18、戦極 〜第二陣〜で川村亮と対戦し、判定勝ち。

2009/4/25、5年半付き合ってきた女性と結婚。

2009/6/6、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Lawler vs. Shieldsでマイク・ホワイトヘッドと対戦し、判定負け。

2009/11/7、1年5か月ぶりの戦極参戦となった戦極 〜第十一陣〜でスタニスラブ・ネドコフと対戦し、判定負け。この試合から所属がTapout Training Facilityとなった。

2010/5/15、Strikeforce: Heavy Artilleryでホジャー・グレイシーと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。

プロレス

2002/11/17にWRESTLE-1へ参戦して以来、総合格闘技と並行してプロレス活動も行っている。目標とするプロレスラーはジミー・スヌーカで、スヌーカ同様に驚異的な跳躍力を生かした技を得意とする。

2007年4月のハッスルシリーズに覆面レスラーランデルマンが登場、金村キンタロー似のキンターマン、黒田哲広似のクロダーマンと組んで参戦。勝利を呼び込んだ上で、モンスター軍への雇用を求めるもあっさり拒否された。

主な獲得タイトル

  • UVF4 トーナメント優勝(1996年)
  • 第5代UFC世界ヘビー級王座(1999年)





子安慎悟
1974/8/10

日本の空手家、キックボクサー。千葉県東金市出身。正道会館所属。

正道会館を代表してK-1等で闘う姿から「ミスター正道空手」の異名を持つ。柔道出身。カポエイラにも似た「子安キック」と呼ばれる大胆な奇襲技を持つ。

来歴

高校時代は柔道部に在籍しながら極真会館の道場に通っていた。放課後、柔道部の練習が終わるとそのまま極真の道場へ通うという日々を送っていた。高校卒業後、正道会館に内弟子として入門。空手家、格闘家としての実力もさる事ながら、柔道においても高校時代に実績を残している。

2001年12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2001」では石澤常光と総合格闘技ルールで対戦し、ドローに終わる。

現在は正道会館の指導員として活動中。

エピソード

非常に涙もろい性格で知られる子安は、探偵!ナイトスクープの「母よ!あなたは強かった」(2002年6月21日放送)に登場した。息子を女手一つで育ててきた依頼者が、息子に強い母の姿を見せるため、そして息子に強くなってほしいがため、空手の30枚割(瓦ではなく板)に挑戦するエピソードである。子安はその師範と して登場した。そして子安の指導の下、依頼者は30枚連続割りを成し遂げた。その姿に子安は感極まり、息子に対して、「見てたよね?お母さんは30枚成功 して、強いよ。でももっと強いのは、いつもご飯を作ってくれたり、ここまで大きく育ててくれた事だよ。それが一番凄いんだ。だから今度は君が空手を頑張っ て、お母さんを守っていけるように強くなろう」と語った。母親の姿と子安の言葉は、視聴者の大きな感動を呼んだ。この映像は数ある探偵!ナイトスクープのエピソードの中でも特に『感動ネタ』として人気のある依頼の1つであり、「探偵!ナイトスクープ アカデミー大賞」の候補にも選ばれた程である。2007年12月19日に発売されたDVD(BOX)「探偵!ナイトスクープVol.5 養老の星 幸ちゃん編」に収録されている。

獲得タイトル

  • カラテワールドカップ '94 第7位
  • カラテワールドカップ '95 第3位
  • 正道会館 第15回全日本空手道選手権大会 優勝(1996年)
  • 正道会館 第16回全日本空手道選手権大会 優勝(1997年)
  • 正道会館 第1回ウェイト制オープントーナメント 全日本空手道選手権大会 重量級 優勝(1999年)
  • 正道会館 第2回ウェイト制オープントーナメント 全日本空手道選手権大会 軽重量級 優勝(2000年)
  • 正道会館 第3回ウェイト制オープントーナメント 全日本空手道選手権大会 軽重量級 3位(2001年)
  • 正道会館 第4回ウェイト制オープントーナメント 全日本空手道選手権大会 軽重量級 準優勝(2002年)
  • K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 準優勝

  



ウェイド・バレット
Wade Barrett
1980/8/10

ステュアート・アレクサンダー・ベネットStuart Alexander Bennett)は、イングランド出身のプロレスラー。

来歴

2001年、ジョン・リッチーとアル・スノーが主宰するレスリング・スクールにてトレーニングを開始。2004年にリングネームをステュー・サンダースStu Sanders)としてデビュー。

2007年にWWEの入団テストを受けて合格。ディペロップメント契約し、傘下団体であるOVWでデビュー。ポール・バーチルとタッグを組んでOVW南部タッグチーム王座を獲得した。2008年にOVWがWWEとの関係を解消したことによりFCWへと移籍。同じくイギリス出身のドリュー・マッキンタイアとエンパイアThe Empire)というタッグチームを結成し、5月にエディ・コロン & エリック・ペレスからFCWフロリダタッグチーム王座を奪取。タッグ王座陥落後にマッキンタイアとタッグを解消し、シングルで活動。リングネームをローレンス・ナイトLawrence Knight)、そして現在使われているウェイド・バレットWade Barrett)へと変更。

2010年にECWが放送終了となり、新設された番組であるNXTのシーズン1にルーキーとして参加。クリス・ジェリコをプロとして迎え、優勝を果たした。6/7のRAWでバレットはWWE史上いまだかつて行われていない事を成し遂げる。と発言し、その日のメイン戦にはNXTシーズン1の卒業生全員で乱入し、ジョン・シナを始めとしたレスラー達を袋叩きにした後、実況ブース、リング、フロアまでも破壊する。その翌週のRAWではNXTシーズン1の卒業生全員と契約することを要求するが、GMのブレット・ハートは拒否。さらにブレットはバレットのNXT優勝の特典であるPPV王座戦出場権の剥奪、解雇を決定。しかしこれに憤慨したウェイド率いる卒業生たちは、その日のメイン戦中にバックステージでブレットに襲いかかり、リムジンに押し込み暴走させて負傷させた。

6/20のフェイタル・4ウェイでも王座戦の途中に乱入し暴れ回り、その翌日のRAWにて会長であるビンス・マクマホンが混乱の原因はブレット・ハートだとして、ブレットをGMから解任、卒業生全員との契約、バレットのPPV王座戦挑戦権の復活を決定。メイン戦にて乱入し、シナに襲いかかった後、特別レフェリーを務めていた会長をも袋叩きにした。この後からネクサスThe Nexus)と名乗り始める。以後リーダーとして縦横無尽に暴れ回り、ジョン・シナをユニットに引き込むなどしてリングを席巻。

2011/1/3のRAWでは新メンバーとなったCMパンクと対立、バレットはランディ・オートン、シェイマスとのWWE王座挑戦権を懸けた三つ巴金網戦で勝てばパンクがバレットの傘下に入り、負ければネクサス追放を宣告される。試合の終盤では金網の頂上に達しかけたが、援護するかに思われたパンクに蹴り落とされて試合はオートンが勝利、バレットはネクサスを追放された。1/7のスマックダウンでビッグ・ショーを襲いスマックダウンに移籍した。翌週のスマックダウンではジャスティン・ガブリエル、ヒース・スレイター、エゼキエル・ジャクソンと共にビッグ・ショーを袋叩きにしてコアThe Corre)を結成した。 3/25に開催されたWrestleMania XXVII直前のスマックダウンでは、コフィ・キングストンを破り、1軍入り後初のタイトルであるWWE・インターコンチネンタル王座を獲得した。

獲得タイトル

WWE
  • インターコンチネンタル王座 : 1回
  • NXT : シーズン1優勝
FCW
  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 1回
    w / ドリュー・マッキンタイア
OVW
  • OVW南部タッグチーム王座 : 1回
    w / ポール・バーチル

入場曲

  • Blood Shot
  • A Good Buzz
  • Smuggly Ugly
  • Exploding Helmets
  • We Are One (12 Stones)
  • End of Days (9 Electric)
  • End of Days (emphatic) - 現在使用中





レミギウス・モリカビュチス
Remigijus Morkevicius
1982/8/10

リトアニア・カウナス出身のキックボクサー、総合格闘家。リングス・リトアニア所属。通称レミーガ

小さなミルコ」「リトアニアの闘神」の異名を持ち、強力なパンチを持つ。

来歴

幼少期

幼い頃に当時のリトアニアの不安定な政治情勢(リトアニア独立革命)の影響により、両親の元をやむなく離れ、祖母に預けられて育った。現在祖母は、老人性骨粗鬆症にかかり、杖無しでは歩くことが困難な状況にある。闘病中の祖母の治療費を捻出するためにレミギウスは闘い続けている。

ZST-GP2優勝

2005/1/23に「ZST-GP2 ファイナルステージ」の準決勝で宮川博孝と対戦。宮川のタックルに膝蹴りをカウンターで合わせ、1RKO勝ちする。続く決勝戦で大石真丈と対戦。組み付こうとした大石を強引に振りほどき、左フックを当てて1RKO勝ちし、ZST-GP2(フェザー級)トーナメントで優勝した。試合後のマイクアピールで、モリカビチュスは前大会の決勝戦で敗れた後、東洋哲学を学んだことや、利己主義を捨てたことを明らかにした。

HERO'S参戦

2005/7/6、HERO'Sに初参戦。ミドル級トーナメント1回戦で村浜武洋と対戦し、1R左フックでKO勝ち。9月7日、HERO'Sミドル級トーナメント準々決勝で高谷裕之と対戦し、2RマウントパンチでTKO負け。

K-1参戦

2005/10/12、K-1 WORLD MAX 2005 〜世界王者対抗戦〜でK-1ルールに初挑戦。安廣一哉から6度もダウンを奪った。

2005/11/5、K-1 FIGHTING NETWORK KOREA MAX 2005でイ・スファンを左ストレートでKO。また、4度ダウンを奪った。

2005/12/31、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にて永田克彦と対戦し、判定負け。

2006/2/4、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントのスーパーファイトにて我龍真吾に1R開始8秒左跳び膝蹴りでKO勝ち。なお、この試合はK-1史上における最短KO記録である。

2006/4/5、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント開幕戦で魔裟斗と対戦。2RTKO負け。

2008/7/7、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のスーパーファイトでアンドレ・ジダと対戦し、1RKO負け。

2010/3/28、K-1 WORLD GP 2010 IN WARSAW -EUROPE GP Elimination Tournament A-のスーパーファイトでミハウ・グロガフスキーと対戦し、ドロー。

2010/4/10、K-1 WORLD GP 2010 IN VILNIUS -EUROPE GP Elimination Tournament B-のスーパーファイトでジョエル・クノークと対戦し、1RKO勝ち。

獲得タイトル

  • ZST GP2フェザー級トーナメント優勝(2005/1/23)

 












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