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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
8/17

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石川一雄
1935/8/17 - 2010/7/12

東京タイムス、毎夕スポーツで力道山時代からプロレスの写真を撮り続け、日本スポーツ出版社を経て昭和53年にベースボール・マガジン社に。70歳を超えてもみちのくプロレスを中心に“鉄人”として最後までカメラマンとしての職をまっとう

  • 狭山事件の容疑者とされる人物
  • 専修大学法学部教授、法学博士
  • 週刊プロレス専属カメラマン。2010年7月12日死去

 
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ディック東郷
1969/8/17

本名:佐藤茂樹(さとう しげき)は、プロレスラーである。秋田県大館市出身。「マスター・オブ・セントーン」の異名をもつ。

経歴

  • 秋田県立十和田高等学校在学中は野球部に所属。卒業後FMWの練習生を経てユニバーサル・プロレスリングに入門。
  • 1991/6/5、巌鉄魁(がんてつ・さきがけ。入場時にはなまはげの仮面を着用)というリングネームでMASAみちのくを相手にデビューする。メキシコ遠征後、サスケが旗揚げしたみちのくプロレスに参戦する。
  • マスクマンレスラー、SATO(サトー)として活動するも、スペル・デルフィンとのマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者覆面剥ぎマッチ)に敗れてマスクを脱ぐ。
  • 獅龍、テリーボーイと「平成海援隊」を結成。負傷欠場からの復帰に際しディック東郷に改名する。「夢狩人」のタッグチーム名で活躍していた船木勝一とTAKAみちのくが合流し、グループ名を「海援隊★DX」に改名。
  • 1998年、TAKAを追ってWWF(現WWE)に移籍し「KAIENTAI」として活動するが会社とそりが合わず、翌年退団。
  • 帰国後、大阪プロレスに電撃参戦し、ルードとして活躍。しかしデルフィンとの確執から2000年に離脱。その後フリーとして活動。
  • 2004年8月まで、みちのくプロレスにヒールユニットFEC(ファー・イースト・コネクション)を率いて参戦。
  • その後はやて、小坪弘良らとプロレス学校「SUPER CREW」を立ち上げ、(2006年12月解散)、DDTプロレスリングを中心として活動している。
  • また、仲の良いTAKAが率いているKAIENTAI-DOJOにも参戦しているが、生涯一ヒールを自認しているため、ヒールユニットの勤王党と共闘し、TAKAと対立する。その一方で、古巣のみちのくプロレスで、これまで敵対していたサスケと東北タッグ王座に就いたりもする。また新日本マットに参上しC.T.Uとブラックニュージャパンと共闘した。
  • 2010/3/11には自身ブログにて入籍を報告。
  • 2010年4月9日に記者会見を開き、2011年6月をもって日本でのプロレス活動を引退し、それまでの1年強はDDT所属レスラーとして試合を行うこと、また2011年6月から1年間は日本国外でプロレスを行い、最終的にボリビアで引退試合を行うことを発表した。
  • 2010年10月、プロレスリング・ノアの日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、DDTプロレスリング代表チームとしてヤス・ウラノとともに参加、同団体初参戦を果たした。
  • 11/28、佐藤光留の持っていたDDTのKO-D無差別級選手権に挑戦し、これを奪取する。その後負傷欠場により一時返上するも、復帰後暫定王者となっていた師弟関係にあり、引退前にシングルでの対決を誓い合っていたアントーニオ本多との統一戦に勝利し再び戴冠、以降HARASHIMA、飯伏幸太の挑戦を退け防衛している。
  • 2011年5月、KO-D無差別級選手権、石川修司戦にて敗戦。
  • 2011/6/30、引退興行「IKIZAMA」を開催し、ユニバーサルプロレスリング時代からの先輩である外道とのシングルマッチに勝利し、国内での活動を引退。世界ツアーへと旅立っていった。

その他

  • FMW練習生を辞めた理由は「逃げた」。
  • かつてはここ一番でタイトルを逃すことが多かったが、近年では多くのタイトルを手にしている。

リングネーム

佐藤が現在、過去に用いたことがあるリングネーム

  • ディック東郷(現在)
    • 巌鉄魁
    • SATO(2007/9/24覆面MANIA大会で13年ぶりに復活、みちのく15周年ノスタルジックツアーでも参加)
    • ザ・スーター(誠心会館の興行に出場したマスクマン。本人はそのことに一切触れていないが、後に松永光弘が本人に了解を得た上で、自書で正体を明かしている)。
    • カンクン(ロス・ゲレーロ・デ・メヒカーノス)
    • 北野インフェルノ
    • エル・ティグレ・デル・トーキョー
    • ディク本(高校時代レスリング部だった後輩レスラーの試合に助っ人として参戦。胸の部分に出身校の「十和田」と入ったレスリングタイツで参戦したが、高校時代は野球部だった)
  • DDTに参戦した遠い親戚
    • レイ・クバーノ(キューバ軍のメンバー)
    • フランチェスコ・トーゴー(イタリアン・フォー・ホースメンのメンバー、ギミック上は遠い親戚の別人、となっている)
    • プリンス・トーゴー(aWo(アロハ・ワールド・オーダー、通称ハワイ軍)のメンバー、フランチェスコ・トーゴー同様、遠い親戚)
  • 新北京プロレス所属の遠い親戚
    • 老師トウ・ゴー(新北京プロレスの重鎮、ギミック上は遠い親戚の別人、となっている)

タイトル歴

  • スーパーウェルター級王座
  • 英連邦ジュニアヘビー級王座
  • KO-D無差別級王座
  • UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座
  • NWAジュニアタッグ王座
  • 新日本プロレス
    • IWGPジュニアタッグ王座(パートナー : TAKAみちのく) : 1回
  • みちのくプロレス
    • 東北タッグ王座
    • 東北ジュニアヘビー級王座
  • ZERO1-MAX
    • AWA世界ジュニアヘビー級王座 : 1回
  • 大阪プロレス
    • 大阪プロレス王座

入場曲

  • INSANE IN THE BRAIN / サイプレス・ヒル
  • Falla Girare / ジョヴァノッティ(イタリアン・フォー・ホースメンのテーマとして使用)

ディック東郷 公式ブログ『夜霧よ今夜もありがとう』





ホビン・グレイシー
Robin Gracie
1971/8/17





ヴァレンタイン・オーフレイム
Valentijn Overeem
1976/8/17

オランダの総合格闘家。ユトレヒト州アメルスフォールト出身。ゴールデン・グローリー所属。

総合格闘家・キックボクサーのアリスター・オーフレイムは実弟。

来歴

15歳からキックボクシングを始め、クリス・ドールマンの下でグラウンド・テクニックを習得した。

日本やオランダのリングスに数多く出場。リングス KING OF KINGS 1999初戦でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、V1アームロックで一本負けを喫した。

翌年のリングス KING OF KINGS 2000では、スレン・バラチンスキー、レナート・ババル、山本宜久、ランディ・クートゥアの全てからKOまたは一本勝ちし、決勝進出を決めた。決勝戦で因縁のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対決するが、1ラウンド1分20秒で肩固めにより敗退。

その後、PRIDE等に出場するも、2年間で11戦2勝と戦績は振るわなかった。

2003/12/12、クロアチアで開かれた総合格闘技大会トーナメント「DF - Durata World Grand Prix 3」では全試合一本勝ちで優勝を果たした。

2005/3/26、HERO'Sで大山峻護と対戦、アンクルホールドで一本負けを喫した。

2005/6/12、オランダで行われたIt's Showtimeでギルバート・アイブルと対戦、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。

2008/8/24、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜で高橋和生と対戦し、右跳び膝蹴りでKO勝ちを収めた。

2011/2/12、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Fedor vs. SilvaのStrikeforce World Grand Prix リザーブマッチでレイ・セフォーと対戦し、ネッククランクによる一本勝ちを収めた。

エピソード

2001年12月23日に行われた「PRIDE.18」でイゴール・ボブチャンチンとレスリングシューズを履いた状態で対戦し、ヒールホールドで一本負けを喫したことについて、試合後インタビューで「次回からはシューズを履かないようにする。絶対もうシューズは履かない」と語っていたが、1年後の「PRIDE.24」に参戦した際にはレスリングシューズを履いていた。さらに、2005年3月の「HERO'S」旗揚げ興行に参戦した際にもレスリングシューズを履いており、それが災いし、大山峻護にアンクルホールドで一本負けを喫している。

獲得タイトル

  • DF - Durata World Grand Prix 3 優勝(2003年)
  • リングス KING OF KINGS 2000 準優勝(2001年)

  



松永 国松
1941/8/30 - 2005/8/17

全日本女子プロレス解散時の社長だった松永国松氏が、東京・品川区内のビル7階から飛び降り自殺していたことが18日、分かった。目黒区内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。63歳だった。自殺の理由は分かっていない。
東京・目黒区生まれ。プロボクサーとして活躍後、68年に兄高司氏らとともに全日本女子プロレス旗揚げに参画する。マッチメーカー、ロードマネジャーとして現場を取り仕切りながら、ジミー加山のリングネームでレフェリーとしても活躍した。全女解散直前には団体の社長として尽力した。




 












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