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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
8/21

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ネイサン・ジョーンズ
Nathan Jones
1970/8/21

オーストラリア出身の元プロレスラー、総合格闘家、俳優。

来歴

16歳の時に強盗事件を起こし刑務所で2年間服役する。服役中にパワーリフティングに打ち込みレスラーとしての下地を作り、出所後にパワーリフティング大会でオーストラリア王者に輝いている。怪力世界一を決めるワールド・ストロンゲスト・マン・コンテストやアームレスリングの大会などに出場。 1995年のワールド・ストロンゲスト・マン・コンテストではアームレスリング種目でマグナス・サミュエルソンと対戦し、その時ネイサンの右腕の骨が折れてしまう事故が起こる。 1997年、PRIDE旗揚げ戦に北尾光覇の対戦相手として来日し総合格闘技デビュー。

その後、ボディーガードを経てオーストラリアのWWAにてプロレスラーとしてデビュー。2002/4/7には、ジェフ・ジャレット、スコット・スタイナー、ブライアン・クリストファーとの4Wayマッチを征し、WWA世界ヘビー級王座を獲得している。同年、橋本真也の目に留まりプロレスリングZERO-ONEに来日し、ジョン・ハイデンライクとのタッグで活動。10/20に大谷晋二郎&田中将斗(炎武連夢)からNWAインターコンチネンタル・タッグ王座を奪取している。

2002年末からWWEのダーク・マッチに出場を続け、翌2003年にWWEと契約。スマックダウン所属となり、10年間服役していた元服役囚という自身の経歴を誇張したギミックでジ・アンダーテイカーのパートナーとしてデビュー。テイカーのパートナーとしてビッグ・ショー&Aトレインと抗争し、レッスルマニア19にも出場予定だったが、レッスルマニア本編前の『HeAT』でFBIの襲撃を受け医務室に搬送される。そのため、カードはテイカーとビッグ・ショー&Aトレインのハンディキャップマッチに変更されるが、その試合終盤に復帰・乱入し、劣勢のテイカーを救出する活躍を見せた。しかしその後は実力不足と判断され、傘下団体のOVWに送られ調整。同年のサバイバー・シリーズ前にブロック・レスナーの手下としてヒールターンし復帰、マット・モーガンとのコンビで活動する。しかし母国・オーストラリアでハウス・ショーを行った際にホームシックに陥ったことが原因で12月に自らWWEを退団。

退団後はオーストラリアに戻り現地のインディー団体に参戦していたが、2005年に引退。その後は俳優としていくつかの映画に出演している。

獲得タイトル

  • WWA世界ヘビー級王座:1回
  • NWAインターコンチネンタル・タッグ王座:1回(w / ジョン・ハイデンライク)

出演作品

  • トロイ (映画) (2004年) - ボアグリアス役
  • トム・ヤム・クン!(2005年) - TK役
  • SPIRIT(2006年) - ヘラクレス・オブライアン役
  • TEKKEN -鉄拳-(2010年) - クレイグ・マードック役

 
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ドレイク森松
1970/8/21

日本の元プロレスラー。本名は森松 由紀(もりまつ ゆき)。大阪府門真市出身。

所属

  • FMW(1990年 - 1996年)
  • 吉本女子プロレスJd'(1996年 - 2004年)
  • フリーランス(2004年 - 2006年)

経歴・戦歴

中学までは柔道、高校でレスリングに転向。1988年の第2回全日本女子選手権70kg級で3位に入る。

1990年
  • 1/17、熊本・小国ドームにおいて、対里美和戦でデビュー。
2002年
  • 2/3、スマックガールで総合格闘技デビュー。
2006年
  • 4/16、引退。6/10、沖縄県に移住。
2009年
  • 5/31、沖縄プロレスにて渡辺智子と共に1日限定復帰。

タイトル歴

  • TWF世界タッグ王座
  • AWF世界女子王座

その他

2005/8/4、元プロレスラーの東城えみ(元バンビプロモーション所属)とのシングルで「負けたらアダルトビデオ出演」という条件の試合で東城えみが敗北し、試合後そのまま撮影が行われた。会場(新木場1stRING)や撮影会社を巻き込んだスキャンダルとなったが、結局DVDは発売された。






竹村豪氏
1972/8/21

たけむら かつしは、日本の男子プロレスラー。本名:竹村 克司(読みは同じ)。京都府城陽市出身。東京愚連隊所属。

来歴

学生時代はバレーボール、バスケットボール、ボディビルなどを行っていた。

藤波辰爾主宰の無我出身で、プロレスデビューは1997/7/22の無我博多興行での対アレクサンダー大塚戦である。デビュー後は格闘探偵団バトラーツ、レッスル夢ファクトリーのリングへ上がりつつメキシコのEMLLへ参戦した。

2001年2月に新日本プロレスに入団。新日本プロレスではジュニアヘビー級で実績を積んだ。新日本プロレス所属中も2002年4月から途中1か月の一時帰国を挟んで2003年8月まで長期メキシコ遠征を経験している。メキシコでは西村修とのタッグや、NOSAWA、MAZADAとの「東京愚連隊」として活動した。

2003年8月の新日復帰以降は、邪道、外道と組んで行動した。2004/7/3からはC.T.Uの一員となって活動、9/9の闘龍門Xの興行ではUWA世界6人タッグ王座を獲得している。12/12、西村の度重なる説得によりC.T.Uを脱退、本隊に復帰した。2006/1/28、新日本プロレスを退団。

2004/7/4、全日本プロレス初参戦でNOSAWA、MAZADAと合流し、オリジナルの東京愚連隊を復活させ、その勢いで7/18、カズ・ハヤシが保持していた世界ジュニア王座に挑戦。王座獲得はならなかったが、2004年末まで全日マットにスポット参戦した。

2006年2月にZERO1-MAXへ数試合ほど参戦し、東京愚連隊として暴れる。その後は妻子を妻の実家へ戻らせ、西村と共に海外遠征へと出発。当初はタンパでの住居移転を考えたようだが、愚連隊として活動していたメキシコで家族を連れての住居移転を目指している。5/21、全日本プロレスに約1年半ぶりに参戦、8/2には無我ワールド・プロレスリングプレ旗揚げ戦に参加。8/20、ビッグマウス・ラウド後楽園ホール大会では緑のペイントを施したザ・グレート・タケとして藤原喜明と対戦した。8/29に無我ワールド・プロレスリング旗揚げシリーズ参戦を前に、正式な所属選手になった。

2007年12月、無我を退団。2008年1月、無我を退団した西村修を追って全日本に乱入し東京愚連隊に復帰。後に法人化を発表した東京愚連隊・所属レスラーTAKEMURAとなった。

2008年1月以降全日本に西村との一騎打ちを要求。4/20の後楽園大会で西村とのシングルマッチが実現するも敗北した。

2009/1/6、試合中に肩を負傷し、長期欠場となった。竹村を支援するため「TAKEMURA AID」を開催する。

獲得タイトル歴

  • UWA世界6人タッグ王座
    • パートナーは邪道&外道。
  • IWRG6人タッグ王座
    • パートナーはNOSAWA&MAZADA。





ニコライ・ワルーエフ
Nicolay "The Russian Giant" Valuev
1973/8/21

ロシアのプロボクサー。元WBA世界ヘビー級王者。サンクトペテルブルク出身。

人物

近年ヘビー級のボクシングはトップ選手たちの大型化が進んでいるが、その筆頭格の選手。ヘビー級トップクラスの選手の中にあってはスピードに欠け、鈍重な部類に入る。しかし、左から入るオーソドックスなボクシングを展開。有無を言わせぬ圧倒的巨体で対戦相手を威圧。スピード、パワー、テクニックをすべて殺してしまう。

圧倒的な巨体そのものが攻撃(パンチ力)にも防御(耐久力)に転化し、それに加え、防御の基本であるガードをガッチリと固めフォームを重視。これだけの巨大な体を誇りながらも、あえて危険を冒して打ち合うスタイルの選手ではない。


  





 












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