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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
8/22

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パット・オコーナー
Pat O'Conner
1927/8/22 - 1990/8/16

ニュージーランドの男性プロレスラー。ニュージーランドウェリントン出身。ニックネームは「魔術師」。身長185cm、体重112kg。

来歴

学生時代はニュージーランドでフットボールとレスリングでならした。1950年イギリスで行われた大英帝国競技会に参加し金賞を獲得。この試合を米国のプロモーターに認められスカウトされ同年米国に於いてプロレスデビュー。

1959/1/9、セントルイスでディック・ハットンを破り第42代NWA世界ヘビー級王者となる、また同時期に初代AWA世界ヘビー級王者に認定される。AWA王座は1960年8月に剥奪され、NWA王座は2年5か月間にわたって王座に君臨するも、1961年6月にバディ・ロジャースに破れ転落。1963年初来日。力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦している。セントルイス・レスリング・クラブでマッチメイカーとして長年活躍した。

1990/8/16に肝臓癌により死去。62歳没。

ジャイアント馬場との親交も深く、馬場のランニング・ネックブリーカー・ドロップのアイデアはオコーナーから示唆されたという。馬場の全日本プロレス旗揚げにも選手として協力し、また大相撲横綱・輪島大士がプロレス入りした際、馬場から託されて彼のトレーニングを引き受けた。馬場が全日本旗揚げ直後に行った「世界ヘビー級争覇戦」(初代PWFヘビー級王座の決定戦となった)の対戦相手8人にも(当時すでに40代半ばであったにもかかわらず)起用されている。

ハットンを破って世界王者となった試合は、ゴング誌に連載された原康史筆「世界のプロレス史」によれば、一本目ハットン(コブラツイスト)、二本目オコーナー(ドロップキックからフォール)、三本目オコーナー(ドロップキックから逆エビ固め)とされるが、オコーナーがストレートで勝った、最後はエビ固めという説もある。

アントニオ・ロッカ、ペドロ・モラレスと共にドロップキック三人男の一人と言われ、またルー・テーズによればプロレス最高のドロップキックの使い手とされる。

1990/12/16に、「パット・オコーナー・メモリアル・インターナショナル・タッグ・トーナメント」が行われ、国別代表タッグ8チームが一日で競い合った。決勝でアメリカ代表のスタイナーブラザーズと、日本代表のグレート・ムタ、マサ斎藤組が戦い、スタイナーブラザーズが優勝した。

獲得タイトル

NWA
  • NWA世界ヘビー級王座 : 1回
AWA
  • AWA世界ヘビー級王座 : 1回

ミネアポリス派初代AWA王者に認定するが、1960年5月に90日以内にバーン・ガニアの挑戦を受けないとAWA王座を剥奪するとAWAから発表され、ガニアとの対戦を拒否したため同年8月に剥奪される。


 
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"プレシャス" ポール・エラリング
"Precious" Paul Ellering
1953/8/22

アメリカ合衆国の元プロレスラー、マネージャー。ミネソタ州メルローズ出身。

現役選手時代はスーパースター・ビリー・グラハム系の筋肉美を誇るヒールとして活躍。引退後はロード・ウォリアーズのマネージャーとなって名を馳せた。

来歴

AWAのバーン・ガニアのもとでトレーニングを積み、1978年にプロレスラーとしてデビュー。同タイプのジェシー・ベンチュラと抗争後、テネシー州メンフィスのCWAに参戦。1980/3/11にシーク・アリ・ハッサンと組んでビル・ロビンソン&ケン・ルーカスからAWA南部タッグ王座を、同年4/7にはジミー・バリアントからAWA南部ヘビー級王座を奪取している。CWAではテネシーの帝王ジェリー・ローラーやトミー・リッチとも抗争を展開した。

当時の日本では「まだ見ぬ強豪」の一人として注目され、1981年に国際プロレスに待望の初来日を果たす。5/4、アニマル浜口の王座返上で空位となっていたIWA世界タッグ王者決定戦において、テリー・ラザンとのコンビでラッシャー木村&マイティ井上を撃破、第24代のチャンピオン・チームとなる。その後5/13に井上&阿修羅・原を相手にタイトルを防衛、5/16の後楽園ホール大会で最終的には井上&原に王座を奪われるも、期待に違わぬ活躍を見せた。

1982年に内臓疾患のため現役を引退するが、そのマイクパフォーマンスの巧みさをオレイ・アンダーソンに見込まれ、ジム・バーネット主宰のNWAジョージア地区でマネージャーに転身。バズ・ソイヤー、ジェイク・ロバーツ、アーン・アンダーソン、キングコング・バンディらを配下に悪の軍団、リージョン・オブ・ドゥームを組織する。そして1983年、同じくエディ・シャーキーを師に持つロード・ウォリアーズと合体(後に「リージョン・オブ・ドゥーム=LOD」のユニット名はウォリアーズの別名義となった)。

ウォリアーズが注目を集めるようになると、彼らの専任マネージャーとなって古巣のAWAと契約。1984/8/25、ラスベガスでクラッシャー・リソワスキー&バロン・フォン・ラシクからAWA世界タッグ王座を奪取させる。以降もウォリアーズと共に全日本プロレス、NWA、WCW、WWFで活躍、1980年代を代表するタッグチームのマネージャーとして、プロレス史にその名を残した。

1992年のウォリアーズ(LOD)解散後はプロレス業界から離れていたが、再結成後の1998年にLODと敵対する立場となってWWFに登場。バイカー軍団ディサイプルズ・オブ・アポカリプス(DOA)のマネージャーとなり、LODと抗争を繰り広げた。近年はイヌぞりレーサーとして活動している(DOAのマネージャー時も、レース用のゴーグルをトレードマークとして装着していた)。

2011年、ロード・ウォリアーズと共にWWE殿堂に迎えられた。

獲得タイトル

CWA
  • AWA南部ヘビー級王座:1回
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / シーク・アリ・ハッサン)
IWE
  • IWA世界タッグ王座:1回(w / テリー・ラザン)
WWE
  • WWE殿堂:2011年度(w / ロード・ウォリアーズ)

担当選手

  • ロード・ウォリアーズ(ホーク&アニマル)
  • バズ・ソイヤー
  • ジェイク・ロバーツ
  • キングコング・バンディ
  • アーン・アンダーソン
  • ザ・スポイラー
  • アイアン・シーク
  • ジョー・ルダック
  • アブドーラ・ザ・ブッチャー
  • キラー・カール・クラップ
  • テッド・デビアス
  • マット・ボーン
  • ディサイプルズ・オブ・アポカリプス(8ボール&スカル)

 etc.






スティービー・レイ
Stevie Ray
1960/8/22

レーン・スティーブン・ハフマンLane Steven Huffman)は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人。

現役選手時代は実弟のブッカー・Tとのタッグチーム "ハーレム・ヒート" などで活動した。

来歴

1989年、師匠のイワン・プトスキーが主宰していたテキサスのインディー団体においてスーパー・コライダーSuper Collider)のリングネームでデビュー。1991年、ダラスのグローバル・レスリング・フェデレーション(GWF)にてスティービー・レイStevie Ray)と改名し、弟のブッカー・Tとエボニー・エクスペリエンスThe Ebony Experience)を結成。ベビーフェイスのポジションで活動し、1992年から1993年にかけてGWFタッグ王座を通算3回獲得した。1992年10月には「ブラック・ボンバーズ」の名義で桜田一男らが主宰していたネットワーク・オブ・レスリングに初来日している。

1993年8月、ブッカー・Tと共にWCWに参戦。カーネル・ロバート・パーカーをマネージャーに迎えてヒールに転向し、ニューヨークのハーレム出身という設定のもと、チーム名をハーレム・ヒートHarlem Heat)に改めた。1994年からはシスター・シェリーを新しいマネージャーに、12月にマーカス・バグウェル&ザ・パトリオットからWCW世界タッグ王座を奪取。以降1997年までブッカー・Tとのハーレム・ヒートで活躍、同タッグ王座を再三に渡って獲得した。この間、1996年3月には新日本プロレスに揃って来日している。

1997年秋、ミング&ザ・バーバリアンとの試合で足首を負傷。長期欠場を余儀なくされ、その間にブッカー・Tはベビーフェイスのシングル・プレイヤーとして成功を収める。しかし、復帰後のスティービー・レイは弟と袂を分かち、1998年にハリウッド・ハルク・ホーガンの誘いでnWoに加入。ブライアン・アダムスやスコット・ノートンなどで構成されたnWoブラック&ホワイトnWo black & white)と呼ばれるBチームのリーダー格となった。

1999年、ブッカー・Tの説得によりnWoを離れ、フェイスターンしてハーレム・ヒートを再結成。8月にバンバン・ビガロ&クリス・キャニオンを破り、WCW世界タッグ王座に返り咲く。10月のPPV "Halloween Havoc 1999" ではコナン&ビリー・キッドマン、ブライアン・ノッブス&ヒュー・モラスとのトリプルスレットマッチを征し、同タッグ王座への10度目の戴冠を果たした。

しかし、ブッカー・Tがハーレム・ヒートのセコンドとして黒人女性ボディビルダーのミッドナイトを帯同し始めたことにより、兄弟の間に再び亀裂が発生。ミッドナイトとのミックスドマッチに敗れたことを機にスティービーはヒールに戻り、ビッグ・Tを新しいパートナーにハーレム・ヒート2000Harlem Heat 2000)を結成、「ハーレム・ヒート」の名称使用権を巡り実弟との骨肉の抗争を展開する。悪徳弁護士のJ・ビッグスをマネージャーに雇い、入場テーマ曲やリングネームの変更をブッカー・Tに強要するなどしたが、2000年3月のPPV "Uncensored 2000" にてブッカー&ビリー・キッドマンに敗退。以後ハーレム・ヒート2000は解散し、スティービー・レイは現役を離れて "WCW Thunder" のカラー・コメンテーターに転じた。

2001年のWCW崩壊後はオーストラリアのワールド・レスリング・オールスターズ参戦を経て、2002年に引退。リタイア後は2005年に地元のヒューストンにてプロレスリング・アカデミー併設のインディー団体PWAをブッカー・Tと共に主宰。元WWEスーパースターのブギーマンもPWAで再トレーニングを積んでいた。

獲得タイトル

GWF
  • GWF北米ヘビー級王座:1回
  • GWFタッグ王座:3回(w / ブッカー・T)
WCW
  • WCW世界タッグ王座:10回(w / ブッカー・T)





アントニオ小猪木
1971/8/22

日本のお笑いタレント。

埼玉県志木市出身。西口プロレス所属。身長158cm、体重56kg、血液型はB型。

かつてはウクレレえいじ、長州小力、ジャイアント小馬場、佐々木孫悟空らと共に、5人組コントグループ『ラヴ兄弟』という名前で浅井企画に所属していた。

アントニオ小猪木のマネージャーを務めるファニー猪木はアントニオ猪木の実の姪である(現在ファニー猪木は西口エンタテインメントを退社している)。

芸風

アントニオ猪木のものまね、特に試合運びのものまねを得意とし、アントニオ猪木を心から尊敬している。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」では第5回から出場、優勝を勝ち取る。特に落下スイッチと小猪木のジャンプとのタイミングが一致したために起こった「無音での落下」は審査員全員の爆笑を誘い、以降出演時の名物になった。また同コーナー第7回では小猪木の後、ジャイアント馬場の物真似をした浅井優(山田カントリー)が登場し、関根勤らから「夢の共演」と言われた。第9回では浅井とタッグも組んでいる(1979年8月26日の「プロレス夢のオールスター戦・BI砲」を再現)。ちなみにタイツやタオルの色も、ものまねの元ネタの試合に合わせて変えるなどの芸の細かさを見せる。

人物

  • 東スポでのコラムによると、同じくアントニオ猪木のものまねで有名な春一番に あいさつに行った際、春に「俺の目の前でものまねやってみろ」と言われたことがあるとのこと。ちなみにその時は小猪木が「勘弁してください。僕がやってい るのは形態模写、春さんは声帯模写でジャンルが違いますから。」と言ったところ、春は笑いながら「わかってるじゃねーか。」と機嫌を直し、自分が猪木の服 を仕立てている店を教えてくれたりしたらしい。
  • 2006年11月18日の『めちゃ²イケてるッ!』で本物のアントニオ猪木と共演し、番組のエンディングで、猪木から闘魂ビンタを受けた。
  • 持ちギャグは「小元気ですかーっ!?」「現金があればなんでもできる!」など。アントニオ猪木以外にも柳沢慎吾やヒロミ、岡村隆史やジム・キャリーのモノマネも得意としている。
  • 西口プロレスのイベントでは、長州小力との対戦が人気カードの一つになっている。
  • アントキの猪木とコンビで番組に出演することもある(ザ・イロモネアなど)。コンビ名は「イノキーズ」。
  • 健脚の持ち主としても知られ、オールスター感謝祭 '07秋の赤坂5丁目ミニマラソンで優勝している(ハンデなしの一般男子枠で2度目の参加で優勝)。ちなみのこの時の「100万円山分けクイズ」では誰も賭けていなかったため、珍しく予想が外れた回となった。
  • 2004年5月4、11日に放送したテレビ東京系『裏ジャニ』で西口プロレスの特集で長州小力と組んで、関ジャニ∞の横山裕&丸山隆平組と対戦した。
  • JWP女子プロレスにおいて、ザ・グレート・カブキとの対決は名物カードとなっている。レフェリーを務めるTommyとは中学時代の先輩にあたる。
  • 2008年1月23日に西口プロレス選手とゲストとの対戦をテーマにした自主興行『アントニオ小猪木興行』を開催し、鈴木みのると対戦。それをきっかけに西口プロレスは対ゲストをテーマに西口DXプロレスを発足。高山善廣、曙、小島聡、ウルティモ・ドラゴンとも対戦した。他のリングでは武藤敬司、ビッグバン・ベイダー、ザ・グレート・サスケ、新崎人生、辻結花、ハム・ソヒらとも対戦している。
  • 『行列のできる法律相談所』、『人生が変わる1分間の深イイ話』などでのアントニオ猪木の再現VTRでアントニオ猪木役を小猪木が務めており、熱演をしている。
  • 2008年4月15日に放送した『ぴったんこカン・カン』において、天海祐希がゲストの際、「天海祐希が推薦する芸人」リストに入っており、小猪木自身も天海祐希の大ファンらしい。
  • 2008年12月18日、後楽園ホールで行われた昭和プロレス第二弾でのバトルロイヤルで優勝をした。
  • 2009年2月20日、アントニオ猪木の誕生日パーティーで、アントニオ猪木、春一番、アントニオ小猪木、アントキの猪木の4人が同じステージに立ち、マスコミの前に初めて揃った。
  • 2009年4月27日の西口DXプロレスで藤原喜明と対戦。過去に藤原組関節技セミナーに通っており、タレント活動を始めた藤原喜明に弟子入り志願。初日に大遅刻で弟子入り失敗。その14年後に西口DXで対戦し、試合後、失敗談を告白。藤原は「覚えてない」と一蹴。この日は藤原が60回目の誕生日を小猪木がお祝いした。
  • 2009年7月27日、東京・渋谷O-EASTでミノワマンと激突。ミノワマンはDREAMのスーパーハルクトーナメント中にもかかわらず、対極の西口マットに参戦。小猪木とガチンコ対決し、10秒アキレス腱固めでミノワマンが勝利。納得いかない小猪木は再戦を要求。プロレスルールでの対決もミノワマンが勝利した。なお、この試合がミノワマンのプロレス初勝利となり、ネットニュースのニュースサイトにも話題となった。ちなみにミノワマンは年末に同トーナメントを優勝した。
  • 2010年5月31日、西口DXプロレスにおいて、天龍源一郎と一騎打ち。掌打、グーパンチ、喉笛チョップ、顔面蹴りなどを喰らい、歯を2本折られ、レフェリーの和田良覚が試合を止めて敗れた。それでも立ち上がる小猪木は西口プロレスの底力を見せつけ、新聞、雑誌等で高く評価された。顔面や首元には蹴られたシューズの紐跡も残った。天龍自身も小猪木を高く評価し、9日後の天龍プロジェクトに出場を果たした。
  • 2005年10月17日に放送した日本テレビ『NNNニュースプラス1』の「エンタメ5」のコーナーで小猪木が紹介された際の握力検査で小猪木の握力は34kg。ちなみに小力も34kg。リポートした清原久美子アナが31kg。陣内貴美子も38kgあり、西口プロレスの屋台骨の二人は握力が女子の平均強くらいしかなかった。
  • 2007年5月21日、日本テレビ系『嵐の宿題くん』の「借り物ミニ運動会」の企画で日本テレビ内の控室にいたところを嵐の大野智にスタジオに連れていかれ、そのまま出演。嵐のメンバーや国分太一らと共演した。
  • 2007年5月26日、MAKEHEN6岐阜・club-G大会でプロレス界の王座のアイアンマンヘビーメタル級王座を奪取し、第699代王者となる。
  • 2008年9月11日、NHK『きよしとこの夜』の「ジャガー横田杯争奪ものまねプロレスネタスペシャルマッチ」のコーナーでジャイアント小馬場、東京ペールワンのチームで出場し、優勝するも優勝商品はジャガー横田のプロレス技というバラエティ番組らしいオチだった。だが、後日談によるとジャガー横田のスリーパーホールドに小猪木が失神。そのシーンはカットされたらしい。
  • 2009年12月15日、東京・浅草木馬亭で日本喜劇人協会主催『喜劇ワークショップ講座』で、お笑いプロレスというジャンルの講師を務めた。
  • 格闘技イベント「TRIBELATE」にレギュラー出場中。このリングでは積極的に異種格闘技戦にも挑戦。キックボクサーの新田明臣、我龍真吾、女子格闘家の藪下めぐみら各世界王者とも対戦している。
  • 谷川真理ハーフマラソンや谷川真理駅伝にも猫ひろしらと共にレギュラー出場している。
  • 2003年『月刊松金洋子』DVDに小力らと出演した。
  • 週刊ゴングの「芸人コラム 〜プロレスに愛を込めて〜」(2005年 - 2006年)(三又忠久、ユリオカ超特Q、ケンドーコバヤシとリレー連載)を開始。続いて小猪木川柳「小猪木を探せ!」のコーナーも連載していた。
  • 2009年2月より、アントニオ小猪木トークライブや講演を各地(東京、大阪、三島、博多、神戸、仙台、広島、京都、那覇)で開催している。
  • 西口プロレスの解説者ユンボ安藤によると小猪木は格闘技経験や習得が全くないらしい。
  • 生まれは埼玉県上尾市である。
  • 欽ちゃん劇団3期生として在籍していた。
  • FM白石『尻ミッターフジオのラジプリ』の「アントニオ小猪木の小元気ですか〜っ!?」にレギュラー出演している。
  • RCサクセションの大ファンである。その他、ソウル、ファンク、ブルースなどのブラックミュージックを好む。

  



山本聖子
1980/8/22

日本の女子レスリング選手。神奈川県出身

来歴・人物

  • トキワ松学園高等学校、日本大学通信教育部商学部卒業後、ジャパンビバレッジに入社。
  • 父は日本体育大学教授山本郁榮、姉美憂、兄徳郁の影響で5歳よりレスリングを始める。世界選手権では1999年に51kg級、2000年、2001年には56kg級、そして2003年には59kg級を制覇し、3階級で4度の世界王者となった。現役当時は主に59kg級で活躍。
  • 2004年のアテネオリンピックでは女子レスリングが正式種目となった。しかし、世界選手権の7階級(48kg級、51kg級、55kg級、59kg級、63kg級、67kg級、72kg級)とは違い4階級(48kg級、55kg級、63kg級、72kg級)しか採用されなかった。オリンピック出場を目指しウェイトの軽い55kg級で出場するも、オリンピック第2次代表選考会を兼ねたジャパンクイーンズカップ決勝で55kg級の王者吉田沙保里に敗れ、48kg級の姉とともにオリンピック出場の夢は絶たれた。
  • 2006年3月、大崎OSOL所属のハンドボール日本代表の永島英明と婚約。
  • 2006年7月、結婚のため現役を引退し、ジャパンビバレッジを退社。姉・美憂がマネジメント契約をしていたスポーツビズの所属となった。
  • 2007年、第1子(男児)を出産。
  • 2009年1月、現役復帰することを発表。
  • 2009年8月14日、3年ぶりの復帰戦となったポーランド・オープン女子59kg級に出場。4試合を勝ち抜き、優勝を果たした。





ジョシュア・ファトゥ/ジェイ・ウーソ
Joshua Samuel Fatu/Jey Uso
1985/8/22

アメリカ合衆国のプロレスラー。

父はリキシのリングネームで有名なソロファ・ファトゥ。双子の兄はWWE・RAWで共に活動しているジミー・ウーソことジョナサン・ファトゥ。

来歴

2007年、wXwにて双子の兄のジョナサン・ファトゥと共にプロレスラーとしてデビュー。

2009年、ジョナサンと共にWWEとディペロップメント契約。傘下団体のFCWにてジュレス・ウーソJules Uso)というリングネームでデビュー。ジミーとウーソズThe Usos)というタッグチームを結成し、デビュー早々トップの前線に立つ活躍を見せ、デューク・ロトンド & ボー・ロトンドと兄弟タッグ同士の抗争をした。2010年3月にはタミーナをマネージャーに加え、ジョー・ヘニング & ブレット・デビアスからFCWフロリダタッグチーム王座を奪取した。

5月、WWEに昇格。24日のRAWでの放送においてリングネームをジェイ・ウーソJey Uso)に変更し、ヒールとして登場。WWEタッグ王座を保持しているハート・ダイナスティを襲撃し、抗争を開始。RAWにおいてのノンタイトルマッチではハート・ダイナスティから勝利を奪うも、PPVであるオーバー・ザ・リミットでのタイトルマッチでは敗戦。ナイト・オブ・チャンピオンズでターモイルマッチによるタイトルマッチに再び挑戦。第一試合目からハート・ダイナスティと当たり、勝利。第二試合目のサンティーノ・マレラ & ウラジミール・コズロフにも勝利を収めるが、第三試合目のマーク・ヘンリー & エヴァン・ボーンに敗れたため、王座を奪取することができずに抗争は終了となった(ちなみに王者になったのはドリュー・マッキンタイア & コーディ・ローデス)。

以後はSuparStarsでの登場が主になっている。

2011年4月末の追加ドラフトで兄のジミーと共にSmackdown!への移籍が決定した。

その他

  • プロレス界を代表するレスリング・ファミリーであるアノアイ・ファミリーの一員。
  • FCWでは短期間ながらドニー・マーロウが加わり、サモアン・ソルジャーズThe Samoan Soldiers)というユニットを結成していた。

獲得タイトル

  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 1回
    w / ジミー・ウーソ

入場曲

  • Bad Man
  • Get Up





プロフェッサー・タナカ
Professor Tanaka
1930/1/6 - 2000/8/22

チャールズ・カラーニ・ジュニアCharles "Charlie" Kalani, Jr.)は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身のプロレスラー。現役引退後は、俳優に転じた。

グレート東郷と並んで東洋の悪魔として恐れられ、当時のアメリカマットを席巻した典型的な日系悪役レスラーだが、出自は不明な点が多い。トール・タナカToru Tanaka)あるいはタロー・タナカTaro Tnaka)を名乗り日系人を自称していたがギミックの可能性が高く、実際はハワイ生まれのフィリピン系とされている。その他、ミンダナオ島出身説やタイの山岳民族であるとの説もあった。

来歴

1939年にハワイで柔術を始め、黒帯を取得。その他、金剛山の名前でハワイ相撲で活躍したといわれているが詳細は不明。

1955年にアメリカ陸軍に入隊。プロレス入りした年代は諸説あるが、除隊後の1966年にプロフェッサー・トール・タナカとしてデビュー。ハワイやオーストラリアで活動した後、アメリカ南部への転戦を経て、1967年にニューヨークのWWWF(現・WWE)でブルーノ・サンマルチノと抗争を繰り広げヒールとしてブレイク。塩をサンマルチノの顔面にすり込む反則技を得意にした。1968年12月、フィリピン遠征中に一度来日して日本プロレスに顔を見せたが試合は行わなかった。

1969年6月に日系人レスラーのミツ・アラカワとのコンビ「The Rising Suns」でWWWFインターナショナル・タッグ王座を奪取。その後はフレッド・ブラッシーをマネージャーに迎え、ミスター・フジとも日系人タッグチームを結成。1972/6/27、フィラデルフィアでチーフ・ジェイ・ストロンボー&ソニー・キングを破りWWWF世界タッグ王座を獲得するなど活躍した(以降もフジとのコンビで1973/9/11にトニー・ガレア&ヘイスタック・カルホーン、1977/9/27にストロンボー&ビリー・ホワイト・ウルフから同王座を奪取し、通算3回戴冠)。

1974年1月には全日本プロレスの『新春NWAシリーズ』に来日、ジャイアント馬場のPWFヘビー級王座に挑戦している。1978年11月には国際プロレスの『日本リーグ争覇戦』に参加してラッシャー木村と決勝を争った。1981年頃に現役を引退して俳優に転じ、アクション映画の悪役俳優として成功した。2000年8月22日、カリフォルニア州レイクフォレストにて心不全のため死去。70歳没。

獲得タイトル

シングル
  • IWA世界ヘビー級王座(オーストラリア版):2回(1966年にドミニク・デヌーチ、1968年にマリオ・ミラノから奪取)
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:2回(1970年と1971年にフリッツ・フォン・エリックから奪取)
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回(1975年にアブドーラ・ザ・ブッチャーから奪取)
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回(1977年にチャボ・ゲレロから奪取)
  • NWAテキサス・ブラスナックル王座:2回(1979年と1980年にブルーザー・ブロディから奪取)
  • AWAサザン・ヘビー級王座:1回(1979年にロバート・フラーから奪取)
タッグ
  • IWA世界タッグ王座(オーストラリア版):1回(w / スカル・マーフィー)
  • WWWFインターナショナル・タッグ王座:1回(w / ミツ・アラカワ)
  • WWWF世界タッグ王座:3回(w / ミスター・フジ)
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ミスター・フジ)
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:1回(w / ミスター・フジ)
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ディック・スレーター)

 etc.

俳優活動

1980年頃から俳優として多数の映画に日本人役で出演している。

  • 『香港コネクション』(1981年、主演:チャック・ノリス)
  • 『ニンジャ II・修羅ノ章』(1983年、主演:ショー・コスギ)
  • 『チャック・ノリスの 地獄のヒーロー2』(1985年、主演:チャック・ノリス)
  • 『ピーウィーの大冒険』(1985年、主演:ポール・ルーベンス)
  • 『ピース・フォース』(1985年、主演:トム・ハンクス)
  • 『爆進!プロレス野郎 / アメリカン・ヒーローズ』(1986年、主演:アダム・ボールドウィン)
  • 『上海サプライズ』(1986年、主演:ショーン・ペン、マドンナ)
  • 『特攻野郎Aチーム』(1986年、主演:ジョージ・ペパード)
  • 『バトルランナー』(1987年、主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)
  • 『Police Story: Monster Manor』(1988年、主演:ブライアン・マクナマラ)
  • 『ブラック・レイン』(1989年、主演:マイケル・ダグラス、高倉健)
  • 『ダークマン』(1990年、監督:サム・ライミ)
  • 『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年、主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)

 etc.











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