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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/1



ルイス・ヘルナンデス
? - 1973/2/1

日本プロレスに参戦中の1973/2/1、巡業先のホテルにて心臓発作を起こし死去。ジノ・ヘルナンデスはルイスの後妻の連れ子で直接の血縁関係はない。





鈴木杏奈
1983/2/1

日本の元女性タレント、グラビアアイドル。本名:住谷 杏奈、旧姓:鈴木。北海道帯広市出身。有限会社ハイパークリエイティブ所属。

来歴

高校時代は、雑誌『Cawaii!』に読者モデルとして頻繁に登場していた。

2006/8/8、レイザーラモンのHG(ハード・ゲイ)こと住谷正樹と入籍。11/26に挙式披露宴を東京で行った。

2006/8/30に、ラストDVD『あんなこと こんなこと』を発売し、秋葉原で発売イベントを開催。イベントにはまばらな人数のファンしか集まらなかったが、「芸能界には悔いがない。元々バイトみたいなものだったから。」とのコメントを残して引退。現在は素人として住谷杏奈ブログ『主婦魂-しゅふたま-』を運営している。既に芸能界を引退したはずだが、アメブロオフィシャルブログ(著名人ブログ)となっており、ランキングにも参加中。

公式ブログによると、現在エステティシャンとしてサロンを経営している。ネットefのファッションページに載った際も「職業:エステシャン」になっていたが詳細は不明。

2008/2/29、妊娠5ヶ月であることをブログにて発表。同年7/23に男児を出産。


 
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エディ・タウンゼント
Eddie Townsend
1914/10/4 - 1988/2/1

アメリカ合衆国のボクシングトレーナー。ハワイ州ホノルル出身。本名は、エドワード・タウンゼント。多くの世界チャンピオンを育て上げ「名トレーナー」「名伯楽」として尊敬された。

エディが育てた世界チャンピオン]

  • 藤猛
  • 海老原博幸
  • 柴田国明
  • ガッツ石松
  • 友利正
  • 井岡弘樹

エディが育てた国内有名選手 ]

  • 田辺清
  • カシアス内藤
  • 村田英次郎
  • ジャッカル丸山
  • 赤井英和
  • 徳島尚





ジャック・ブリスコ
Jack Brisco
1941/9/21 - 2010/2/1

フレディ・ジョー・ブリスコ(Freddie Joe Brisco)はアメリカ合衆国の元プロレスラー。オクラホマ州ブラックウェル出身。日本での異名は「南部の麒麟児」。実弟ジェラルド・ブリスコ(ジェリー・ブリスコ)も元プロレスラー。

来歴

NCAA全米学生選手権で1964年2位、1965年優勝をはじめ、レスリング時代の戦績89戦87勝2敗という実績をひっさげてオクラホマのプロモーター、リロイ・マクガークにスカウトされ1965年にプロレスラーとしてデビュー。その後テキサス州、オーストラリア、フロリダ州を転戦。同郷のダニー・ホッジとの連戦で力を付ける。

1967年には日本プロレスに初来日。1971年8月にはアントニオ猪木のUNヘビー級王座に挑戦して敗れている。

最初から超大型新人だったこともあって、テキサス北部のプロモーターだったドリー・ファンク・シニアに息子たちの売り出しの道具として利用されるが、次第にスター選手の地位を確立し、1973/7/20、テキサス州ヒューストンでハーリー・レイスを破り第48代NWA世界ヘビー級王者となる。1974年1月には全日本プロレスに初登場し、現王者ブリスコ、前王者レイス、元王者ドリー・ファンク・ジュニアが揃った豪華シリーズで、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ドリー、レイス、ザ・デストロイヤーの挑戦をすべて退ける。12/2鹿児島県立体育館で馬場に敗れて王座転落も1週間後豊橋市体育館にて奪回。1975年12月テリー・ファンクに敗れて王座転落後は一度も返り咲いていない。1976年8月にはジャンボ鶴田と復活したUN王座の決定戦で対戦するが敗れている。

1979年には新日本プロレスに登場し、NWF選手権で猪木と再び対戦するが敗戦。最後の来日は1981年、全日本への参戦でチャンピオン・カーニバル及びインターナショナル・ヘビー級王座決定トーナメントに出場した。以上のように、馬場から王座を奪回した試合を除いて日本でのビッグマッチでほとんど勝っていないという奇妙な一流レスラーである。ただし、それぞれの試合の名勝負としての評価は確たるものがある。

以降は主にジェリーとのタッグなどで活動し、第一線からは退いた。NWAジョージア地区(GCW)の興行株を取得し、弟ジェリー、オレイ・アンダーソン、ポール・ジョーンズ、ジェリー・オーツ、フレッド・ワードと共に株主になっていたが、1984年4月に自らとジェリー、ジョーンズ、オーツで興行株の持分合計51%をWWF(現・WWE)のビンス・マクマホンに売却し、自分たちもWWFに移籍する。

このブリスコ兄弟の行動は、結果としてNWAの衰退とWWFの全米侵攻を促進したわけで、そのため同業者のプロモーターからの激しい憎悪を買った。WWF移籍後しばらくは番組にも登場したりしていたが、1984年12月を最後に、引退試合を行わないままリングを去っている。それ以来、ブリスコ本人は『プロレスが行われるアリーナには出向いていなかった』という。引退後はフロリダで自動車修理工場を経営していた。

一方、弟ジェリーはWWEに残り、現在も重役の責を担っている。一時期は前述の事情でOB会などにも姿を現さなかったが、近年になって顔を出すようになったという。

2008年3月には弟ジェリーと共にWWE殿堂に迎えられた。

2010/2/1に死去。68歳没。近年は循環器系の問題や肺気腫にかかるなどに健康に問題を抱えており、亡くなる数週間前に開胸手術を行い、リハビリを受けている最中であった。

獲得タイトル

  • NWA世界ヘビー級王座
  • フロリダ地区認定南部ヘビー級王座
  • フロリダヘビー級王座
  • ミズーリ州ヘビー級王座
  • フロリダタッグ王座

その他含め13タイトルを合計45回獲得している。

補足

  • レスリングのバックボーンを生かし、スマートなスタイルで人気を得たものの、その分力強さに欠け、また技にオリジナルなものが無かったため、同業者からの評価はあまり高くない。ジャイアント馬場は「逃げるレスリングをしていた」と評していて、ブリスコからならNWAベルトを取れると目論んでいたらしい(事実そうなった)。もっとも、ルー・テーズからの評価は高く、「すべてにおいて文句の付けようがない。NWAの権威を守った最後のレスラー」と絶賛している。
  • 生涯のライバルはドリー・ファンク・ジュニア。新人時代にかませ犬にされたことから始まり、キャリアを積んだ後もNWA王座を巡って何度も対戦している(日本でも1974年1月にこの二人の対戦は実現している)。
  • レイス・モデルのNWAヘビー級ベルトを赤のベルベットから黒革に作り変えたのはブリスコである。また同ベルトを最初に使用したのもレイスではなくブリスコである。
  • アメリカン・インディアンの血を受け継いでいる。
  • NWA王者時代の超ハード・スケジュールから、「飛行機のシートが私のベッドだ」という言葉を残した。




  

















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