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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/3



キング・ハク 
King Haku
1959/2/3

ウリウリ・フィフィタTonga 'Uli'uli Fifita、トンガ・ヌクアロファ出身のプロレスラー。

大相撲・朝日山部屋出身の元力士であり、プロレス転向後は全日本プロレスを経てアメリカのWWFやWCWで活躍した。

新日本プロレスで活動するタマ・トンガことデヴィタ・フィフィタと、WWE傘下のFCWに所属するドニー・マーロウことテヴィタ・フィフィタ、FCWに所属していたピート・フィフィタは彼の息子である。

来歴

1974年末、トンガ国王の命で16代朝日山親方に連れられて来日し、大相撲の朝日山部屋に入門。福ノ島の四股名で幕下27枚目まで昇進するも、親方死去後に起こった部屋のお家騒動のため1976年9月に廃業の憂き目に遭う。その後1977年7月に全日本プロレスに入団し、同年12月に渡米。テキサス州アマリロのザ・ファンクスのもとでトレーニングを積み、翌1978年、アマリロ地区にてプリンス・トンガPrince Tonga)のリングネームでデビュー。アイランダー系のベビーフェイスとして南部のローカル・エリアを転戦し、1979年にはテネシー地区でデビッド・シュルツらのチームを破り、NWA6人タッグ王座を獲得した。

1980年に凱旋し、7/11の津島市体育館におけるリック・デビッドソン戦で日本マットでのデビューを果たす。以降、1982年頃まで全日本の若手選手としてキャリアを積んだ。1983年、プエルトリコのWWCに参戦し、ヒールのキング・トンガKing Tonga)に改名。その後は北米マットを主戦場とするようになり、フロリダ地区やAWAなど当時の主要テリトリーにも登場。1984年10月にはカナダのモントリオール地区でディノ・ブラボーからカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を奪取している。

1986年、ハクHaku)のリングネームでWWFと契約。当初はベビーフェイスとして、トンガ・キッドことタマとのタッグチーム、ジ・アイランダーズThe Islanders)で売り出された。やがてヒールターンし、ボビー・ヒーナンのファミリーに加入してブリティッシュ・ブルドッグスらと抗争。タマの離脱後はシングルプレイヤーとなり、1988年6月にはハーリー・レイスの負傷欠場で空位となっていた「キング」の称号をバトルロイヤルに勝ち抜いて獲得した。以降、キング・ハクKing Haku)を名乗り、同年の8月から10月にかけてはハルク・ホーガンとの連戦も行われている。

翌1989年1月のロイヤルランブル1989でレイスを破り正式に「王位」を継承するが、その後ジム・ドゥガンに敗れキングの座から陥落。同年下期からはヒールに転向していたアンドレ・ザ・ジャイアントとのタッグチーム、コロッサル・コネクションColossal Connection)で活躍。アックスとスマッシュのデモリッションを相手に、WWF世界タッグ王座を巡る抗争を展開した。

1990年4月には日米レスリングサミットへの参戦で久々に日本に登場。ジャンボ鶴田と組んでカート・ヘニング&リック・マーテルを撃破した。同年下期にアンドレが戦列を離れると、大相撲時代の盟友ザ・バーバリアンを新パートナーにミッドカード戦線で活動。1992年は当時WWFと提携していた日本のSWSを主戦場に、谷津嘉章とナチュラル・パワーズなるチームを結成、天龍源一郎&阿修羅・原の龍原砲とタッグ王座を争う。同年秋にWWFを退団し、1993年6月にはWAR経由で新日本プロレスのリングに初登場。8月のG1クライマックスにも来日した。

1994年11月、ミングMeng)の名前でWCWに登場。サングラスに黒スーツ姿で悪徳マネージャーのカーネル・ロバート・パーカーのボディーガード役を務める。翌1995年には、日本育ちという出自から武道家スタイルのヒールに変身。同年7月のPPV "バッシュ・アット・ザ・ビーチ" では、スティングのUSヘビー級王座に挑戦した。以降もWCWに定着し、ケビン・サリバンのダンジョン・オブ・ドゥームへの加入や、旧友バーバリアンとのフェイシズ・オブ・フィアーFaces of Fear)などで活動。フェイシズ・オブ・フィアーでは1996年12月のスターケードでジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)のWCW世界タッグ王座にも挑戦している。その後はセミレギュラーの立場で単発的な出場を続け、1998年8月には当時連勝記録を更新中だったWCW世界ヘビー級王者ゴールドバーグのチャレンジャー兼ジョバーとしてマンデー・ナイトロに登場。WCW末期はハードコア戦線に進出し、2001/1/14に師匠のテリー・ファンクからWCWハードコア王座を奪取した。

その1週間後の1月21日、WWFのロイヤルランブル2001に出場。以降はWWFに復帰し、ヒールターンしたリキシのタッグパートナーを務めた。翌2002/3/1には、WWF初の単独日本公演であるスマックダウン・ツアー・ジャパンに参加、横浜アリーナでダイヤモンド・ダラス・ペイジとの試合が組まれた。

WWF離脱後はハーリー・レイスのWLWなど各地のインディー団体を転戦。2004年5月には新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、天龍源一郎と組んでブルー・ウルフ&ドルゴルスレン・スミヤバザルと対戦した。

リアルファイトの強さには定評があり、WWFを共にサーキットしたダイナマイト・キッドの自著には、バーで同席していた女性を執拗に侮辱したジミー・ジャック・ファンクがハクに叩きのめされたエピソードが書かれている。

獲得タイトル

NWA
  • NWA6人タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / ケン・ルーカス&ジョージ・グラス)
  • NWAハワイ・ヘビー級王座:1回
WWC
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:2回
  • WWC北米タッグ王座:1回(w / エル・グラン・アポロ)
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / ヘラクレス・アヤラ)
Lutte Internationale
  • カナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座:1回
  • カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:1回(w / リチャード・チャーランド)
WWF
  • WWF世界タッグ王座:1回(w / アンドレ・ザ・ジャイアント)
SWS
  • SWSタッグ王座:2回(w / 谷津嘉章)
WCW
  • WCWハードコア王座:1回
WLW
  • WLWヘビー級王座:3回





ケリー・フォン・エリック
Kerry Von Erich

1960/2/3 - 1993/2/18

ケリー・アドキッセンKerry Gene Adkisson、、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州バッファロー出身。鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの四男。WWF(現・WWE)ではテキサス・トルネードTexas Tornado)のニックネームでも活躍した。日本では「虎の爪」の異名を持つ。

来歴

血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を主戦場に、ベテランのアーニー・ラッド、マーク・ルーイン、ザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデス、キングコング・バンディ、ファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。

1983/1/23にはミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得。同年3月に全日本プロレスに初来日している。

1984/5/7、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを撃破、第67代NWA世界ヘビー級王者となる。同年5月、王者として全日本プロレスに来日し、5/22に東京でジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5/24の横須賀で前王者フレアーに敗れて王座転落。

1985年10月からは新日本プロレスに来日するようになり、兄ケビンと組んで藤波辰巳&木村健吾のWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた。

1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故によりペインキラー依存症となる)。

カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、当時のAWA世界ヘビー級王座ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサス対テネシー」の抗争を繰り広げた。タイトルは勝者ローラーによって統一され、1989年よりUSWAユニファイト世界ヘビー級王座と改称。WCCWもローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたテネシーCWAとの合併でUSWAとして再出発するが、1990年9月に興行収益を巡るトラブルでテネシー派と袂を分かつ。

ケリーもUSWAを離れ、1990年夏よりWWFに参戦。8/27のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル王座を奪取した。WCCWでの盟友でもあったアルティメット・ウォリアーともタッグを組み、同年11月のサバイバー・シリーズではウォリアー&リージョン・オブ・ドゥームと "The Warriors" を結成して出場。WWFには1992年まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。

1993年、コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2/18に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅にて(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルで自らの命を絶った。

男のみの6人兄弟の中、現在でも健在なのは次男のケビン・ロス・アドキッセン(ケビン・フォン・エリック)のみ。ケビンもかつてはプロレスラーとしてNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得するなどの活躍をしたものの(日本ではデビッドとのコンビでアジアタッグ王座を奪取)、現在はプロレスから身を引いている。

2009年4月、フォン・エリック一家の一員としてWWE殿堂に迎えられた。

獲得タイトル

NWA
  • NWA世界ヘビー級王座:1回
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
WCCW
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:4回
  • NWAテキサス・タッグ王座:3回(w / ブルーザー・ブロディ×1、スキップ・ヤング×1、タイガー・コンウェイ・ジュニア×1)
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:5回
  • NWAアメリカン・タッグ王座:6回(w / ブルーザー・ブロディ×3、ケビン・フォン・エリック×2、アル・マドリル×1)
  • NWA世界タッグ王座(テキサス版):3回(w / アル・マドリル×2、テリー・オーンドーフ×1)
  • NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):6回(w / ケビン&デビッド・フォン・エリック×2、ケビン&マイク・フォン・エリック×1、ケビン&ブライアン・アディアス×1、ケビン&ランス・フォン・エリック×1、ケビン&マイケル・ヘイズ×1)
  • WCWA世界ヘビー級王座:4回
  • WCWA世界タッグ王座:4回(w / ケビン・フォン・エリック×3、ジェフ・ジャレット×1)
WWE
  • WWFインターコンチネンタル王座:1回
  • WWE Hall of Fame 2009 (プレゼンターはマイケル・ヘイズ)
その他
  • USWFテキサス・ヘビー級王座:1回

 
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マーティ・ジャネッティ
Marty Jannetty

1960/2/3
 

本名:Frederick Marty Jannetty、アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州コロンバス出身。

ショーン・マイケルズとのタッグチーム、ザ・ロッカーズThe Rockers)での活躍で知られる。

来歴

NWA〜AWA

全日本プロレスの常連外国人選手だったジェリー・オーツのトレーニングを受け、1984年4月にカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区でデビュー。当初は師匠にあやかりマーティ・オーツMarty Oates)をリングネームとしていたが、すぐにマーティ・ジャネッティMarty Jannetty)に改名し、トミー・ロジャースとアップタウン・ボーイズThe Uptown Boys)を結成、ベビーフェイスの新鋭として売り出される。シングルではジプシー・ジョーからセントラル・ステーツTV王座を、ミスター・ポーゴから同ヘビー級王座をそれぞれ奪取。デビュー翌年の1985年8月には早くも全日本プロレスに初来日しているが、キャリア不足を露呈して技に失敗し、後楽園ホールの観客の失笑を買うこともあった。

その後、テキサスのサンアントニオ地区から転戦してきた新人のショーン・マイケルズとミッドナイト・ロッカーズThe Midnight Rockers)を結成。当時の人気タッグチーム、ロックンロール・エクスプレス(ロバート・ギブソン&リッキー・モートン)の二番煎じと関係者からは揶揄されたが、1986年5月にセントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得、同年よりバーン・ガニアのAWAに移籍する。

AWAではバディ・ローズ&ダグ・サマーズ、アレックス・スミルノフ&ポール・デマルコ、バッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)などのチームと抗争し、1987/1/27にはローズ&サマーズからAWA世界タッグ王座を奪取同年12/27にも、ポール・E・デンジャラスリー率いる "オリジナル" ミッドナイト・エクスプレス(デニス・コンドリー&ランディ・ローズ)を下し再び同王座を獲得した。この間、ジェリー・ローラーらが主宰するテネシー州メンフィスのCWAにも遠征し、AWA南部タッグ王座も2度に渡って獲得している。

WWF

彼らとWWFとの最初の契約は1987年の夏だったが、不祥事を起こして2週間で解雇。その後AWA復帰を経て、1988年に改めて再契約を交わした。チーム名もザ・ロッカーズThe Rockers)と簡略化し、アイドル系の若手タッグチームとして女性や子供の観客からの支持を獲得。ハート・ファウンデーション、デモリッション、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)、ツイン・タワーズ(ビッグ・ボスマン&アキーム)、パワー&グローリー(ハーキュリーズ&ポール・ローマ)、ナスティ・ボーイズなど、数々のチームと激闘を繰り広げたが、タッグ王座に就く機会には恵まれなかった。

1991/11/27、サバイバー・シリーズにおける同士射ちを発端にマイケルズとの仲間割れアングルが勃発。翌1992年初頭のブルータス・ビーフケーキのインタビュー・コーナー "バーバーショップ" で一旦は和解したかに見えたが、不意をついたマイケルズがスウィート・チン・ミュージックでジャネッティをKO。ロッカーズは解散し、マイケルズはヒールのシングル・プレイヤーとして売り出されることになるが、ジャネッティはマイケルズの急襲による負傷というアングルのもと、諸事情のためしばらくWWFを離脱する。

カムバック後は、1993年よりマイケルズとの本格的な抗争がスタート。1/24のロイヤルランブルではマイケルズのインターコンチネンタル王座に挑戦、試合では当時マイケルズとの間に軋轢が生じていたマネージャーのセンセーショナル・シェリーがジャネッティのセコンドに付いた。その後もIC王座を巡る連戦を行い、5/17のマンデー・ナイト・ロウにてマイケルズを下しタイトルを獲得するが、6/6のリターンマッチではディーゼルの介入によりマイケルズが奪還に成功している。

同年下期からは同じくマイケルズやディーゼルと反目していたレイザー・ラモンや1-2-3キッドと共闘し、翌1994/1/10にはキッドとのコンビでザ・ケベッカーズ(ジャック&ピエール)からWWFタッグ王座を奪取。翌週のRAWで奪還され、またもや短命王者に終わったものの、ロッカーズ時代には成し得なかった同王座への初載冠を果たした。しかし、ロッカーズ時代に起こしたリング禍の裁判が同年より始まり、再びWWFから姿を消すことになる。

その後、ECWへのスポット参戦(エディ・ゲレロらと対戦)を経て1995年9月よりWWFに復帰したがポジションを見出せず、1996年からはレスラーとしてのキャリアでは初めてとなるヒールに転向。リーフ・キャシディことアル・スノーとニュー・ロッカーズThe New Rockers)を結成するもファンの反応は鈍く、1996年11月のサバイバー・シリーズを最後にWWFを退団した。

復帰〜近年

1997年は東部のインディー団体を転戦し、1998年よりWCWと契約。従来通りのベビーフェイスとしてスコット・スタイナー、クリス・ジェリコ、クリス・ベノワらと対戦するが、ミッドカード専門のジョバーのポジションに甘んじ、同年下期に負傷のため解雇された。

その後しばらく近況が聞かれなかったが、2003年頃よりインディー団体でカムバックし、2004年7月にはロッカーズ・ギミックの先達である元ロックンロール・エクスプレスのロバート・ギブソンとのロックン・ロッカーズThe Rock 'n' Rockers) としてIWAジャパンに登場、1990年代初頭のSWS参戦以来となる久々の来日を果たした。

そして2005年、3/14開催のRAWにおいてWWEに電撃復帰。ショーン・マイケルズとの一夜限りのロッカーズ再結成が実現し、ラ・レジスタンス(シルヴァン・グラニエ&ロブ・コンウェイ)を撃破した。3/17放送のスマックダウンでは、レッスルマニア21に向けて当時マイケルズと抗争中だったカート・アングルとも対戦。ファンの反応も上々でフルタイム契約が結ばれたにもかかわらず、不祥事のため7月に契約は破棄された。

翌2006/2/20、再びWWE(RAW)に登場。スピリット・スクワッドの5人がかりの攻撃からマイケルズを救出して大喝采を浴びたが、以降も解雇と復帰を繰り返し、WWEにはパートタイム参戦の状態となる。2007/12/10のRAW15周年大会では、やはりマイケルズと抗争していたミスター・ケネディと対戦した。

2009年には、前週に元タッグパートナー同士のUS王者ザ・ミズとIC王者ジョン・モリソンが自分達をロッカーズになぞらえ、互いのどちらかがマイケルズの如く成功し一方はジャネッティのように没落する、と言い争ったのを受け10月19日のRAWに登場。ジャネッティを散々に愚弄したミズと対戦するが、スカル・クラッシング・フィナーレを食らいフォール負けを喫した。

近年はセミリタイアの状態ながら、インディー団体へのスポット参戦を続けている。

獲得タイトル

NWA
  • NWAセントラル・ステーツTV王座:2回
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:2回
  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:4回(w / トミー・ロジャース×2、ブルドッグ・ボブ・ブラウン、ショーン・マイケルズ)
AWA
  • AWA世界タッグ王座:2回(w / ショーン・マイケルズ)
CWA
  • AWA南部タッグ王座:2回(w / ショーン・マイケルズ)
WWE
  • WWFインターコンチネンタル王座:1回
  • WWFタッグ王座:1回(w / 1-2-3キッド)
その他
  • MTWヘビー級王座:1回
  • MWAヘビー級王座:1回
  • NBPWヘビー級王座:1回
  • WWWAインターコンチネンタル王座:1回
  • SWA TV王座:1回
  • UWCタッグ王座:1回(w / Purple Hooter)





ルーシー加山
1960/2/3

本名は伊村 幸恵(デビュー当時は漆原幸恵の名前)、日本の元女子プロレスラー。東京都江東区出身。

経歴・戦歴

1977年
  • 6/28、東京・大田区体育館において、対ビクトリア富士美戦でデビュー。
1981年
  • 引退。

レコード

当時のCBSソニーより、『ローリング・ラヴ』でデビュー (ペア名:クイーン・エンジェルス;トミー青山とのコンビで)

タイトル歴

  • 第69代WWWA世界タッグ王座(パートナーはトミー青山)コンビ名:クイーン・エンジェルス
  • 第71代WWWA世界タッグ王座(パートナーはナンシー久美)

入場テーマ曲

  • 「PHOENIX FLIGHT」

テレビ出演

  • 「探偵物語」第10話(1979年)





有田哲平
1971/2/3

日本のお笑い芸人、司会者。お笑いコンビ「くりぃむしちゅー」のメンバーで、相方は上田晋也。愛称はアリペイアリペー

熊本県熊本市出身。ナチュラルエイト所属。身長173cm、体重80kg。


お笑いプロレスおまとめ動画集

  



ネルソン・ロイヤル
Nelson Royal
1935/7/21 - 2002/2/3

ケンタッキー州フロイド・カウンティ出身。生年は1931年、出身地はテキサス州ダラスともされる。

カウボーイ・ギミックの技巧派ベビーフェイスとして活動し、NWA世界ジュニアヘビー級王座を長期間に渡って保持、日本でも防衛戦を行った。

来歴

昭和期からの日本でのプロフィールでは、牧場主の父を持つ生粋のカウボーイとして育ち、スティアー・レスリングと呼ばれるロデオ競技では当時の世界記録も樹立した、などと紹介されている。1950年代にプロレス入りし、太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト地区やアリゾナなど各地を転戦、1962年にはテキサス西部のアマリロにてドリー・ファンク・シニアとNWAサウスウエスト・タッグ王座を争い、1966年は長身のテキサス・マッケンジーとの凸凹カウボーイ・コンビで活躍した。

1968年からは自身と同サイズのポール・ジョーンズを新パートナーにカウボーイ・コンビを再編。1969年2月、ジョーンズと共に日本プロレスに初来日し、アントニオ猪木と大木金太郎が保持していたアジアタッグ王座に挑戦した。本国アメリカではノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズを主戦場に活躍し、1970/9/22にはジン・アンダーソンとオレイ・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーからNWAアトランティック・コースト・タッグ王座を奪取している。ジョーンズとのタッグチームは日本では「牧童コンビ」と呼ばれ、1970年4月の第12回ワールドリーグ戦と1971年9月の第2回NWAタッグ・リーグ戦にも揃って出場した。

ジョーンズとのコンビ解散後はシングル・プレイヤーに転身し、日本には1974年2月と1975年2月に全日本プロレスに来日。アメリカではテネシーのミッドアメリカ地区(後のCWA)を経てオクラホマのトライステート地区(後のMSWA)に定着し、1976/12/6にロン・スターを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得。長期政権を築き、1978年4月には王者として全日本プロレスに参戦、アル・マドリルを相手に防衛戦を行った。帰国後の7月25日にテキサスのヒューストンにてマドリルに王座を奪われるも、マドリルの病気による王座返上後に自動的にチャンピオンへ返り咲いている。

1979年9月、国際プロレスに来日。阿修羅・原を相手に防衛戦が行われたが、NWA加盟団体である全日本プロレスと新日本プロレスがロイヤルの王座は無効であると主張し、タイトルマッチにクレームを付けるという一幕も見られた。同年12月に現役を一時引退し王座を返上したが、トライステート地区のプロモーターだったレロイ・マクガークが同王座の運営権を占有していたことに不満を持つNWAの反主流派(フロリダのエディ・グラハム、ロサンゼルスのマイク・ラベール、新日本の新間寿など)が、ロイヤルの引退に伴い独自にジュニア王座を新設(新王者は王座決定戦でチャボ・ゲレロを破ったスティーブ・カーン)。これに異を唱えたマクガークも従前のジュニア王座を復活させたことにより(新王者はトーナメント決勝でレス・ソントンを破ったロン・スター)、一時期は2つのNWA世界ジュニアヘビー級王座が混在するという事態を招いた。最終的にはロイヤルが保持していたタイトルの正当性が認められ、反主流派の王座は「NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座」と改称され、日本に定着した。

リタイア後はノースカロライナ州ムーアズヴィルにてウエスタンショップの "Nelson Royal Western Store" を経営しつつ、トレーナーとして後進の指導・育成にも携わった。輪島大士のコーチも務め、輪島のデビュー翌年の1987年1月と8月には弟子を伴って全日本プロレスに久々に来日している。

2002年2月3日、心臓発作で死去。70歳没。

獲得タイトル

  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / ブラック・ホーク)
  • NWAサウスウエスト・タッグ王座:2回(w / ザ・ヴァイキング、マイク・ギャラガー)
  • NWA世界タッグ王座(セントラルステーツ版):1回(w / ペドロ・ゴディ)
  • NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / ポール・ジョーンズ)
  • NWAアトランティック・コースト・タッグ王座:2回(w / ポール・ジョーンズ、サンディ・スコット)
  • NWAテネシー・タッグ王座:3回(w / レス・サッチャー×2、ロン・ライト)
  • NWA世界ジュニアヘビー級王座:4回

育成選手

  • ケン・シャムロック
  • 輪島大士
  • ジョニー・エース
  • ザ・ターミネーター
  • ジョー・ディートン
  • デビッド "ホス" ディートン
  • ジーン・リージョン
















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