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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/4



オスカー・デ・ラ・ホーヤ
Oscar De La Hoya
1973/2/4

メキシコ系アメリカ人の元プロボクサー。名の「De La」は英語に訳すと「of the」であり、『ホーヤ家のオスカー』となる。アメリカ合衆国カリフォルニア州イーストロサンゼルス市出身。アマチュアではバルセロナオリンピックライト級で優勝、プロでは史上初の6階級制覇を成し遂げるなど、アマ時代からエリート街道を驀進してきたその成功ぶりから「ゴールデンボーイ」の異名を持つ。

アメリカのみならず世界中のボクサーの中で最も人気のある選手の一人であり、端正なルックスから女性の支持も高い。その活躍の場はリングだけにとどまらず、歌手デビューも果たしグラミー賞にもノミネートされた。

プロモーターとしても非常に優秀で、自らプロモーション会社「ゴールデンボーイ・プロモーションズ」を立ち上げ、今ではプロモーション業界の一大勢力へと成長した。彼のもとには多くの優秀なボクサーが集まっている。

ボクサーとしては、数々のビッグマッチを経験した世界屈指の人気選手である。

戦績

  • アマチュアボクシング: 228戦 223勝 163KO 5敗
  • プロボクシング: 45戦 39勝 30KO 6敗

獲得タイトル

  • バルセロナオリンピックボクシング競技ライト級金メダル
  • WBO世界スーパーフェザー級王座(2度防衛)
  • WBO世界ライト級王座(6度防衛)
  • IBF世界ライト級王座
  • WBC世界スーパーライト級王座(1度防衛)
  • WBC世界ウェルター級王座(7度防衛)
  • WBC世界スーパーウェルター級王座(2度防衛)
  • WBA世界スーパーウェルター級王座
  • WBO世界ミドル級王座





モンターニャ・シウバ
Montanha Silva
1977/2/4

ブラジル出身のキックボクサー、プロレスラー。身長225cm、体重142kg。シッチ・マスター・ロニー所属。見る者を威圧するような風貌と長身とは裏腹に、ファイトスタイルは堅実で守り重視。

来歴

225cm、142kgととても巨大な体格をもつ彼は、「アマゾンの大巨人」という触れ込みで2003/6/29にK-1デビュー。武蔵と対戦するも、K-1ルールでは反則であるマウントパンチで、武蔵を失神させた。K-1史上前代未聞のこの反則により、K-1からの追放が叫ばれた。

7/6に無期限出場禁止処分が発表されるも、武蔵が再戦要求を出したこともあり処分が一時保留とされ、9/21にJAPAN GP 1回戦で武蔵と再戦し、判定負け。

2003/12/31、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!でアーネスト・ホーストと対戦し、判定負け。

2004/2/15、K-1 BURNING 2004で藤本祐介と対戦し、右ストレートでKO勝ち。K-1初勝利となった。

2005/3/19、K-1 WORLD GP 2005 in SEOULでセーム・シュルトと対戦し、左フックでKO負け。

2007/9/8、愛知・日本ガイシホール(旧レインボーホール)で開催されたIGF「GENOME」にて田村潔司とU-STYLEルールで対戦。パンチ、キックでダウンを奪うなど優勢に試合を進めたが、7分49秒フロントスリーパーホールドで敗北。

以降IGFのリングで活躍している。


 
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北岡悟
1980/2/4

日本の総合格闘家。奈良県奈良市出身。ロータス パラエストラ 世田谷所属。元戦極ライト級王者。

バックボーンは柔道とブラジリアン柔術。手足が長く、さらに筋骨隆々であるという独特の体格を生かしたパワーのある寝技を武器とする。特にフロントチョークなどの絞め技と足関節技を得意とする。

2008年に旗揚げされた戦極に参戦後、「キモいけど強い(キモ強)」キャラクターでブレイクし、五味隆典にも一本勝ちを収め初代戦極ライト級王座を獲得した。光岡映二、横田一則、廣田瑞人との4人で「S4」と呼ばれる。

人物

  • 確かな判断力と聞き取りやすい声を持つため、ジム所属選手や練習仲間のセコンドを務めることが多い。
  • 練習仲間でありパラエストラ東京の後輩でもある青木真也を意識しており、最近の試合では真っ赤なロングスパッツを穿いている。
  • アニメ「おねがいマイメロディ」の大ファンであり、毎週欠かさず見ている。そのことが製作スタッフに知られ、「おねがいマイメロディ」の第47話に「プロレスラー 北岡悟」として特別出演した。
  • 試合時に穿いているスパッツにも「MY MELODY」という文字がプリントされていたり、新必殺技に「メロディーマーク(マイメロディ内に登場する魔法の名前)」という名前をつけたりしている。
  • 中学生時代は虐められており、それが高校進学後柔道を始めるきっかけとなった。
  • 戦極参戦以前は、オアシスのヘルター・スケルターを入場曲に使用していた。

来歴

高校時代にバス・ルッテンと船木誠勝の戦いを観て衝撃を受け、大学進学を諦めプロ格闘家を目指す。高校では柔道を学び、卒業後はパレストラ東京(現・パラエストラ東京)に2年間所属し、ブラジリアン柔術を学びながら国内外の様々な大会に出場する。

2000年4月にパンクラスに入門。同10/31、河崎義範戦にてプロデビュー。

2002/7/28、昼夜興行で開催されたネオブラッドトーナメントに出場。1回戦で野沢洋之に判定勝ち、準決勝ではアライケンジのフットアスタンプで左目上を負傷しながらもアンクルホールドで一本勝ち。負傷した左目上にバンテージを巻いて臨んだ決勝では門馬秀貴に開始5秒、顔面に右膝蹴りを受けKO負け。準優勝に終わった。

2006/1/26、暫定王者井上克也とウェルター級キング・オブ・パンクラスタイトルマッチで対戦。2Rにサミングを受け井上にイエローカードの減点1が課せられるも、寝技を封じられ判定1-0のドローとなり、王座獲得ならず。

2006/5/2、パンクラスで石毛大蔵とウェルター級タイトルマッチ次期挑戦者決定戦で対戦し、判定負け。

2006/8/27、パンクラスでポール・デイリーに得意のフロントチョークで一本勝ち。続く2006/10/25のホン・ジュピョ戦もアキレス腱固めで一本勝ち。

2007/2/28、パンクラスが提携したBodogFightの刺客グスタボ・PCと対戦、飛びつきからのフロントチョークを仕掛けるなどして押しまくり判定勝ちする。さらに勝利後のマイクアピールで「パンクラスはBodogと提携しました。でも、僕が上がりたいリングはPRIDEです」と2007年開催予定であったPRIDEライト級GPへの参戦をアピールする。

2007/4/13の『DEEP 29 IMPACT』にてファブリシオ・"ピットブル"・モンテイロと「PRIDEライト級GP出場者決定戦」として対戦し、肩固めによるタップを奪い一本勝ち。だが、PRIDEの活動停止によりライト級GPは中止となり、PRIDE参戦は叶わなかった。

2007/8/10、P's LABで開かれた記者会見で、大晦日にHERO'Sで現役復帰することを表明した船木誠勝との対戦を希望したが、船木にまったく取り合ってもらえなかった。

2007/9/5、パンクラスでミルトン・ヴィエイラと対戦予定であったが、ビザ取得ができず来日できなくなったため、代替選手としてジェイソン・パラチオスと対戦し、2-1の判定勝ち。

2007/9/8、CAGE FORCE 04でケージに上がり、CAGE FORCE 05での出場をアピール。その後、参戦予定となっていたものの対戦相手が見つからず、CAGE FORCE参戦は消滅した。

2008/1/30、パンクラスで暫定王者井上克也と第3代ウェルター級キング・オブ・パンクラス決定戦で対戦し、判定負け。またしても王座獲得に失敗した。

2008/5/18、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜でイアン・シャファーと対戦し、開始50秒フロントチョークで一本勝ち。

2008/8/24、戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリ1回戦でクレイ・フレンチと対戦し、開始31秒アキレス腱固めで一本勝ち。

2008/11/1、戦極 〜第六陣〜のライト級グランプリ準決勝で光岡映二に一本勝ち、決勝で横田一則に判定勝ちし、優勝を果たした。優勝決定後のリング上でリングサイド席にいた五味隆典(同日の試合でセルゲイ・ゴリアエフに判定負け)に対し、「五味選手、負けちゃったけど本当に僕と試合するんですか?」と挑発した。

2009/1/4、戦極の乱2009の戦極ライト級チャンピオンシップで五味隆典と対戦し、アキレス腱固めで一本勝ちを収め、初代ライト級王座を獲得した。

2009/6/7、「北岡悟凱旋興行」と銘打たれたパンクラス興行に1年4か月ぶりに参戦。メインイベントで坂口征夫と対戦し、アキレス腱固めで一本勝ち。この試合はショートスパッツで登場し、試合後のリング上で「ショートスパッツでの足関節も極まります」と発言し、ロングスパッツ批判に反論した。

2009/8/2、戦極 〜第九陣〜の戦極ライト級チャンピオンシップで挑戦者廣田瑞人と対戦し、TKO負けで王座から陥落した。

2009/11/7、復帰戦となった戦極 〜第十一陣〜でホルヘ・マスヴィダルと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。

2010/6/5、7か月ぶりの復帰戦となったパンクラスでジョージ・ホドリゲスと対戦し、判定勝ちを収めた。

2010/10/3、パンクラスのメインイベントで弘中邦佳と対戦し、フロントチョークで一本勝ち。試合後のリング上で「今日で自分のパンクラスismは終わりになります」とパンクラス退団を発表した。翌10/4からは八隅孝平の主宰する「ロータス パラエストラ 世田谷」へ移籍した。






ホイッパー・ビリー・ワトソン
"Whipper" Billy Watson
1917/7/25 - 1990/2/4

ウィリアム・ジョン・ポッツWilliam John Potts)は、カナダのプロレスラー。オンタリオ州トロント出身のアイルランド系カナダ人。ニックネームは「鞭打男」。身長177cm、体重102kg。実の息子もプロレスラーで、ホイッパー・ビリー・ワトソンJr.を名乗って活動した。

来歴

1936年、英国にてデビュー。1947/2/21、ミズーリ州セントルイスでビル・ロンソンを破り第35代NWA世界ヘビー級王者となる。2か月後王座をルー・テーズに奪われるも、1956/3/15、地元トロントでテーズを破り第39代王者にカムバック。同年11月王座転落。全身68箇所を骨折しながら、なお第一線で活躍していたことは有名。未来日。





  

















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