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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/6

新着(ニュース、興行・結果、Youtube動画)
今日は何の日?


舟橋慶一
1938/2/6

元日本教育テレビ・テレビ朝日のアナウンサー。特定非営利活動法人エコです環境応援団副理事長。

プロレスリング実況では、解説の桜井康雄(東京スポーツ)とコンビを組み、初期の新日本プロレスの激戦の語り部としてその名を知られている。
1976/6/26、格闘技世界一決定戦:アントニオ猪木 vs.モハメド・アリの試合を実況





ミミ萩原
1956/2/6

旧本名は萩原 妙美、東京都出身の元歌手、女優、タレント、女子プロレスラー、歌手・アイドル時代の旧芸名はミミミミーで出演している例もある)。現在はヒーラー、アーティスト。身長165cm・体重48kg。(当時) 血液型・B型 水瓶座。

経歴

  • 調布アメリカンスクール卒業。幼い頃は獣医を志していた。スイスへの留学経験があり、英語はネイティブ。
  • 1972年(毎日放送)『仮面ライダー』のライダーガールズのひとりチョコ役(70-92話、93-98話)でデビュー(クレジットはミミー)。
  • 1973年日本コロムビアよりミミの名で歌手デビュー。デビュー曲は「おしゃれな土曜日」。他「恋人たちの森」「恋愛志願」「水色の予感」の3枚のシングルと1枚のアルバム『かわいいシャトン』を出し、『8時だョ!全員集合』にも何度か登場した。
  • その後、『プレイガールQ』、『あんちゃん』などのテレビ・ドラマに出演。
  • ビューティ・ペアの人気が爆発した1978年、アイドル歌手から女子プロレスラーに転身、全日本女子プロレスに入団し、大きな話題を呼んだ。リングネームはミミ萩原。同年2/6、のちの人気レスラー(そして現在最古参レスラー)となる横田利美(ジャガー横田)戦でプロデビュー。その後1981年まではまったく芽が出ず、前座試合で連戦連敗を続けていた。
  • 1980年にアメリカに渡り、ロバート・アルドリッチ監督、ピーター・フォーク主演の『カリフォルニア・ドールズ』に出演。この映画はロードムービーの名作として有名である。
  • 1981年2月、横浜文化体育館で悪の実力者、池下ユミの保持するオールパシフィック王座に挑戦。強引なスモールパッケージホールドで王座を奪取する。前年の試合中にアクシデントで欠けた尾骶骨の一部が体内にあり、腰のヘルニアも悪化していたため引退を勧告されていたが、全日本女子プロレスの主要スタッフ松永国松(後の社長)によるハードなボクシング式トレーニングで見事再起。体重を10kg近く増加させて臨んだ最後のチャンスをモノにした。同じ日にジャガー横田がビューティ・ペアのジャッキー佐藤を破り、WWWA世界シングルチャンピオンとなった。この日を境に女子プロレス界の新陳代謝が行われ、敗れたジャッキー、池下は同年中に引退。悪役スターとしては同時期にデビル雅美が台頭し、池下のポジションを受け継ぐ。これによりジャガー、ミミ、デビルのトロイカ体制が誕生。数年後の、クラッシュギャルズによる女子プロレスブームに至る礎を築き上げる。
  • 1981年より数年間、看板選手として会社側からの売り出しがかけられるようになる。露出度が高く、サポーターさえ着用できないハイレグ水着で試合を断行するセクシー路線を確立。賛否両論を呼んだ。相手に痛めつけられる苦悶の表情は世代を超え、いまなおネット上などでカルト的な人気を誇っている。この時代の女子プロレスはヒールが八割方責めてベビーフェイスが一発逆転で勝利を収めるというパターンが多く見られたが、これはミミの持ち味を最大限に活かすために、選手全体で練り上げられた、ひとつの様式といえる。
  • 1982年、女子プロレスラーとしては史上初のヌード写真集『燃える青春』が愛宕書房より発売される。また講談社よりエッセイ『美しき夢色の日々』も発売される。
  • 1984/4/1、タランチェラ戦を最後に引退。元祖ビジュアル系女子プロレスラーとして大きな役割を果たした。
  • ミミ萩原時代にもレコードを出しており、「セクシーパンサー」、「セクシー IN THE NIGHT」、「愛(アイリーン)鈴」、「スタンド・アップ」がある。
  • その後、タレント・女優業に復帰しドラマ、舞台出演や、ヌードグラビアのモデルなどをする。
  • 1993年、スピリチュアルな声を聞き広島市に転居。
  • 1995年3月、会社員と結婚。
  • 2005年、デビュー戦を同じくした盟友ジャガー横田の呼びかけで、12/4新宿FACE大会で、約20年ぶりにリング復帰(歌とライブパフォーマンス)した。
  • 2007/3/11、ホテルラフォーレ東京で開かれた「ジャガー横田デビュー30周年記念大会」に参加。「30人ミラクルバトルランブル」にトミー青山、ルーシー加山とともに出場し、23年ぶりのリングで多数の現役選手と交えた。ちなみに優勝は同期で当時まだ現役であったデビル雅美。
  • 現在ヒーラー、アーティストとして世界平和活動をおこなっており、NPO法人の平和大使として海外で講演、パフォーマンス、ヒーリングを行っており、「Garden of Re-creation」というパワースポットを、癒し・リクリエーションの場として一般公開している。
  • アーティストとしては「アティーナ」「ミミ萩原」の名前で、ライブ活動を行い、歌にダンスに幅広く活動をしている。

タイトル歴

  • オールパシフィック王座(第6代・第9代)
  • WWWA世界タッグ王座(パートナーは大森ゆかり)

ミミ萩原おまとめ動画集

 
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大槻ケンヂ
1966/2/6

本名:大槻 賢二、日本の東京都中野区野方出身のロックミュージシャンで作家。有限会社オーケン企画所属。身長178cm。愛称は「オーケン」。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」など。
  • プロレスや古武道を中心とした格闘技ファンでもあり、興行や大会などに足を運ぶ事もある。日米レスリングサミット(1990/4/13)では、当時の恋人と思われる女性との2ショットを写真週刊誌に掲載されたことがある。不安神経症を患ったことをきっかけに心身のリハビリとして実際に極真会館(大山派。当時)で空手を習っていた時期もあるが、上達はしなかったという。ただ、極真会館に在籍したままグローブ着用顔面殴打有りの新空手の試合にチャレンジするなどして、習い事としての格闘技のハードルを下げる活動を福昌堂の雑誌やムックで行っていた。





田村欣子
1976/2/6

日本の元女子プロレスラー。東京都江戸川区篠崎町出身。NEO女子プロレス所属。

NEO女子プロレスのエース。WWEのザ・ロックをモチーフにした『タムラ様』の愛称と、「ケッテー」の一言だけで重要事項を決定してしまうパフォーマンスで有名である。

所属

  • 全日本女子プロレス(1994年 - 1997年)
  • ネオ・レディース(1997年 - 2000年)
  • NEO女子プロレス(2000年 - 2010年)

経歴・戦歴

1994年
  • 9/15、東京・後楽園ホールにおいて対金山薫戦で、全日本女子プロレスからプロレスデビュー。全日本女子プロレス時代には、同期の中で最初にタイトルマッチが組まれるなど、将来のエース候補として期待されていた。
1997年
  • 全女の経営難から離脱。
  • ネオ・レディース(現NEO女子プロレス)に移籍。
2000年
  • 8/24(現地時間)、アメリカ・アトランティックシティでニコル・バスを下し、NWA女子パシフィック&NEO認定シングルの二冠王座の初代王者となる。
  • 10/13の板橋産文ホール大会にて、40分6秒の激闘の末元気美佐恵を下し、2度目の二冠王座防衛に成功。
2004年
  • 12/19の後楽園ホール大会にて、TWA女子王者の田村と二冠王者の元気による三冠統一戦が行われるが、60分時間切れ引き分けに終わる。
2005年
  • 5/5の後楽園ホール大会で、我闘姑娘の中学生レスラー・高橋李佳との対戦が実現。高橋にプロの洗礼を浴びせ、泣かせてしまう。
2006年
  • 8/19、東京・板橋グリーンホールにおいて、松尾永遠と組みミッドサマー・タッグトーナメントに優勝する。
2007年
  • 7/16、東京・後楽園ホールにおいて、さくらえみと組み、元気美佐恵、松尾永遠組の保持するNEO認定タッグに挑戦。さくらえみがラ・マヒストラルで元気美佐恵から勝利。田村欣子、さくらえみ組が、第5代NEO認定タッグ王者になる。
2008年
  • 8月、NEOとアイスリボンが制作する映画「スリーカウント」(監督:窪田将治)の撮影に参加。その中での出演者から数名を選抜し、チーム「田村プロレス」を結成。「勝利が絶対」という田村流プロレス理論を叩き込む。
2009年
  • 5/5の後楽園ホール大会で、さくらえみを破りNEO統一二冠王者に返り咲く。
  • 9/20のNEO後楽園ホール大会で、NEO統一二冠王座初防衛戦。高橋奈苗を27分35秒、マウントクックからのエビ固めで破り、初防衛成功。
  • 12/31、NEO後楽園ホール大会において、栗原あゆみとのタッグ「☆タムクリ☆」で、高橋奈苗・華名組の保持するNEO認定タッグ王座に挑戦。21分32秒、栗原あゆみが華名へのダブルニーアタックからの押さえ込みで勝利。第12代NEO認定タッグ王者となる。なお、「☆タムクリ☆」は、NEO認定タッグへの4度目の挑戦で載冠を果たした。
2010年
  • 2/14、NEOラゾーナ川崎大会において、「☆タムクリ☆」でNEO認定タッグ王座の初防衛戦に挑む。挑戦者は、木村響子・中川ともか組。22分21秒、栗原がダブルニーアタックからのエビ固めで木村響子からスリーカウントを奪取。第12代王者としてNEO認定タッグ王座の初防衛に成功。
  • 5/5の後楽園ホール大会で「☆タムクリ☆」は松本浩代・大畠美咲組相手にNEO認定タッグ王座の2度目の防衛に成功。しかしメイン終了後に大晦日の後楽園大会での団体解散、ならびにタニー・マウス、宮崎有妃と共に現役引退することを発表。
  • 12/31、NEO最終興行となる後楽園大会で引退試合を兼ねて栗原とNEOシングル王座13度目の防衛戦。リストクラッチ式裏投げで敗れ王座のまま引退はならなかった。

タイトル歴

  • NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
  • WCW世界女子クルーザー級王座
  • AWF世界女子王座
  • TWF世界シングル王座
  • 全日本ジュニア王座
  • NEO認定タッグ王座

入場テーマ曲

  • 「You be so Wrong」 - 全女時代
  • 「ギャラクシー・エキスプレス」(国吉良一)
    ※ただしNEO統一二冠王座戴冠時に限る




  

















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