ビッグ・ショー/ザ・ジャイアント
Big Show/The Giant
1972/2/8
ポール・ワイト(Paul Wight )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州アイケン出身のプロレスラー。)のリングネームで知られる。
その体の大きさで有名なレスラーで、身長213cm、体重200kgの巨体を誇る。現在はWWEに所属。
来歴
WCW
大学まではバスケットボールの選手として活躍。ハルク・ホーガンにスカウトされ、ラリー・シャープのプロレスラー養成所「モンスター・ファクトリー」で7か月間に渡ってトレーニングを積む。その後、WCWのトレーニング機関であるWCWパワープラントでの再トレーニングを経て、1995年にプロレスデビューを果たす。
WCWでの公式デビュー戦(10/29)でいきなりホーガンからWCW王座を奪取する快挙を見せた。WCW時代のリングネームはザ・ジャイアントで、アンドレ・ザ・ジャイアントの息子と称していた。翌年4月にはリック・フレアーを破り二度目の王座を獲得したが、同年7月よりWCWでnWoが結成されるとホーガンに王座を奪われた。自身もnWoに加入、程なくして脱退後は正規軍側の主力として活躍を見せる。
提携先の新日本プロレスにも招聘され、巨体ながらコーナーポストからのミサイルキックを放つなど、運動能力の高さを見せていた。
WWF/WWE
1999年2月にWWF(現在のWWE)に移籍。当時ヒールとしてストーンコールド・スティーブ・オースチンと抗争中であったビンス・マクマホンの刺客として、突如リングの下からマットを破って表れるという衝撃のデビューであった。WWFに移籍後、リングネームを"ビッグ・ショー"ポール・ワイトに変更。このニックネームが後に正式なリングネームとなり、現在も用いている。このころにはホーガンのパロディを演じるなど、コミカルなキャラクターの一面を見せていたことがある。
10月にはトリプルH、ザ・ロックとの試合を制し WWF世界王座を奪取。ジ・アンダーテイカーとのタッグやビッグ・ボスマンとの抗争後、2000年に体重オーバーを理由に一時OVW行きを宣告された。
2002年の番組分割時にRAWにドラフト6位で指名されるが、同年秋に当時GMのエリック・ビショフとの衝突によりSmackDown!へ移籍する。ポール・ヘイマンと組んでブロック・レスナーを破りWWE王座を奪取。
2005/2/5のテレビショーさいたまスーパーアリーナ大会「ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR」において、観戦していた曙を、「日本のビッグ・ショー」と公言して意気投合。同年4/3のレッスルマニアにおいて曙とスモー・マッチを実現。7月のハウス・ショーさいたま大会ではタッグも組んでいる。
2005年のドラフトにてにRAWに移籍。タブー・チューズデイではケインと組み、世界タッグ王座を獲得した。
2006年、スピリット応援団に世界タッグ王座を奪われるとケインと仲間割れ、その頃ケインは「5/19(メイ・ナインティーン)」という言葉を聞くと状況に構わず逆上してみせるようになり、これをアングル化してケインと抗争。その後WWE
vs ECWの抗争が始まると、WWEを裏切りECWの仲間入りを果たした。
ECW移籍
その後、ECW世界ヘビー級王者のロブ・ヴァン・ダムに挑戦。ロブ・ヴァン・ダムのマネージャーについていたポール・ヘイマンの裏切りを受けて、同王座を獲得。WCW、WWE、ECW全ての世界王座を獲得した唯一の選手となった。ECW入りしてからは、ECW本来の環境に親しみ、流血戦とも真っ向から向き合うようになった。
マクマホン親子の用心棒としてD-Xとも抗争。12月3日の新生ECW初の単独開催PPVECW ディセンバー・トゥ・ディスメンバーの6人参加凶器エリミネーション・チェンバー・マッチでボビー・ラシュリーに敗れ王座を失い、直後の12/7のECWでのラシュリーとの再戦に敗れリングから姿を消す。この裏には以前から苦しんでいた背中の痛みの問題があった。
WWE復帰
2007年2月末にWWEとの契約が満了し、その後、2007/4/27に米テネシー州メンフィスで行われたハルク・ホーガンの自主興行で復帰するも、レッグドロップからの3カウントで敗北。
2008年2月に行われたノー・ウェイ・アウトにてWWEへ復帰。そのリング上でプロボクサーのメイウェザーに顔面を殴られ鼻を骨折させられた このことからメイウェザーとの抗争に入り、レッスルマニア24で対戦したがメリケンサックで顎を殴られ敗北した。9月のアンフォーギヴェンでヴィッキー・ゲレロを葬ろうとしたジ・アンダーテイカーを殴打してテイカーを失神させた。それによりテイカーとの抗争を開始し、10月ノー・マーシーでも、テイカーに勝利し、トリプルHの持つWWE王座への挑戦権を得るが、王座戦でテイカーの乱入により王座奪取に失敗する。サイバー・サンデーではファンの投票によりラストマン・スタンディング・マッチでテイカーと勝負が決定するが敗れる。その後のスマックダウンで金網戦でテイカーに敗れ抗争は終了する。
2009年のドラフトでRAWへ移籍し、この少し前から対立状態にあったジョン・シナと本格的に抗争を開始する。この抗争はエクストリーム・ルールズで決着がつき、以降はUS王者のコフィ・キングストンに狙いを定める。
7月のナイト・オブ・チャンピオンズでは6パック・チャレンジ形式のUS王座戦への参加が決定していたが当日の第一試合の統一タッグ王座戦のクリス・ジェリコのパートナーと発表され、ジェリコと共にレガシーから王座を防衛する(6パック・チャレンジ形式のUS王座戦には代わりにプリモが出場)。翌日のRAWではゲストホストを務めたシャキール・オニールと険悪な関係になり、統一タッグ王者組とクライム・タイムのメイン戦(ビッグ・ショーの反則負け)後に特別審判員を務めていたシャックと掴み合いになるが、リング外に突き飛ばされた。
10月にはジェリコを破り、ブラッギング・ライツの番組対抗戦のチームRAWの一員となる。対するチームスマックダウンの主将がジェリコであったため、一時的に両者の関係が微妙なものとなった。しかしPPV当日、試合終盤で突如チームメイトであるコフィ・キングストン、トリプルHを立て続けに襲撃し、結果的にジェリコ率いるチームスマックダウンを勝利に導いてしまう。翌日のRAWでは、スマックダウンの勝利をアシストしたためにジ・アンダーテイカーの世界ヘビー級王座戦第一挑戦者となったことを明かした。11月のSurvivor
Seriesでトリプルスレット形式の王座戦に挑んだが王座獲得とはならなかった。7月の統一タッグ王座獲得以来様々なタッグを相手に王座を防衛してきたが12月のTLC:Tables,
Ladders and ChairsでのTLC戦でD-ジェネレーションXに敗れ王座を失った。
2010年の2月にはザ・ミズとタッグを組み再び統一タッグ王者となる。しかし4月26日のRAWでハート・ダイナスティに敗れ王座を失う。そして同日行われたドラフトでスマックダウンに移籍するとともにベビーターンする。
移籍後はCMパンクが丸坊主を隠すために被っていたマスクを剥ぎ取ったことをきっかけに、ストレート・エッジ・ソサエティ(CMパンク & ルーク・ギャローズ & セリーナ & ジョーイ・マーキュリー)と抗争を開始する。8/15のサマースラムでパンク & ギャローズ & マーキュリーとの1対3のハンディキャップ・マッチに臨み、勝利した。その後もパンクらを圧倒して抗争は終了した。
スタイル
ストーリーに応じてヒール、ベビーフェイスとどちらの役割も演じている。ハルク・ホーガンのモノマネを得意とし、ベビー時には「ショースター」なるパロディキャラに変身したこともある。
スマックダウンでは、その巨体のため、ブロック・レスナーやジョン・シナとの抗争の中彼らに投げられることが試合の見所となっていた。中でも、2003年6月・フロリダ州オーランド大会での対レスナー戦において雪崩式ブレーンバスターで投げられた直後、リングが崩壊したシーンは今もなお語り草となっている。後にプロレス上の演出であると言う事をWWEのシェイン・マクマホンが説明しているとはいえ、この事態は世界プロレス史上初の出来事である(リングに穴が開くことはよくある)。
WWE退団後は体の負担を和らげるため減量に励み体重を約100lb(約30kg)落とすことに成功、シャープな体系へと変貌していた。しかしメイウェザー戦を控え計量したところ既に20kg増量していた。
かつてインタビューで「自分も(アンドレら過去の巨人レスラー同様)長生きはできないことを悟っている」と述べた。
入場曲
- Crank It Up(Brand New Sin) - 現在使用中
- Big
エピソード
- そのキャリアにおいて二度リングを破壊している。
- 一時期スーツを着用していたがその巨体ゆえおそらく特注だと思われる。
- スーツ自体はエディ・ゲレロによるバキュームカー事件により着られなくなってしまった。
- 既婚者である。
- 運動神経とレスニングテクニックが優れており、若い頃はドロップキックやムーンサルトプレスを披露しており現在もできるとのこと。しかしバスケットボール対決ではJBLに敗北している
- 尊敬する人物としてアンドレ・ザ・ジャイアントとリック・フレアーを挙げている。リック・フレアーの引退セレモニーではバックステージで涙を流しながらフレアーに感謝の言葉を述べた。
- 俳優業もこなしドラマ、映画にも出演している。イメージとして「大きくて見た目は強そうだが、どこか間抜けで憎めない」としてコメディを担当していることが多い。
タイトル履歴
WCW
- WCW王座 : 2回
- WCWタッグ王座: 3回(w / スコット・ホール、スティング、レックス・ルガー)
WWE
- WWE王座 : 2回
- ECW世界ヘビー級王座 : 1回
- US王座 : 1回
- WWE・ハードコア王座 : 3回
- WWE世界タッグ王座 : 3回(w / ジ・アンダーテイカー×2、w / ケイン×1)
- WWE・統一タッグチーム王座 : 2回 (w/ クリス・ジェリコ、ザ・ミズ)
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