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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/9



KAORU
1969/2/9

本名:前田 薫は、日本のプロレスラー。長崎県佐世保市出身。日本人ルチャドーラの先駆者であり、覆面レスラー『インフェルナルKAORU』としての一面も持つ。また、FEVER DRAGON NEOで舞台にも出演している。

所属

  • 全日本女子プロレス(1986年 - 1991年)
  • ユニバーサル・プロレスリング(1991年 - 1993年)
  • フリーランス(1993年 - 1994年)
  • GAEA JAPAN(1994年 - 2005年)
  • フリーランス(2005年 - )

来歴・戦績

1986年
  • 全日本女子プロレスのオーディションに合格。同期にアジャ・コング・バイソン木村・工藤めぐみ・コンバット豊田・Coogaらがいる。
  • 8/8、東京・東村山スポーツセンターにおいて、対工藤めぐみ戦でデビュー。その後、同期の高橋美華とタッグチーム『ハニーウイングス』を結成し、アイドルタッグとして活動をするが、中堅レスラーとしてそれ程目立った活躍は無かった。
1990年
  • ユニバーサル・プロレスリングが旗揚げした際、リングを全女が貸した縁で同団体のリングに上がり、注目されるようになる。
1991年
  • 『ルチャリブレ』がやりたいと言う理由から全女を退団しユニバーサルに移籍、『日本人女性初のルチャドーラ』として活動し、TV女子王座に就くなどしていた。のちに、ユニバーサルの経営難により退団。
1994年
  • 長与千種が設立したGAEA JAPANに参加。
1995年
  • ファイトスタイルが似ているJWPの福岡晶と、当時としては珍しい団体の枠を超えたタッグチームを結成。12月には、第7代JWP認定タッグチャンピオンとなった。
1999年
  • GAEA JAPANに参戦していたライオネス飛鳥、アジャ・コング、加藤園子とのDorA(デッド・オア・アライブ)結成を機に、ルチャ仕込みの空中殺法に加えて、机の切れ端などを凶器として使うハードコアな戦闘スタイルに路線変更。これが吉と出て、翌年以降大ブレイク。
2000年
  • 2月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて同期のアジャ・コングの持つ念願のAAAWシングルのベルトに挑戦し、アジャの素手による裏拳にて惜しくも敗れるが、両者大流血の死闘を繰り広げる。
  • 5月のGAEA JAPAN有明コロシアム大会にて長年敵対してきた尾崎魔弓とフリーウエポンマッチで対戦し、試合後両者が歩み寄り、後のD-FIX結成に繋がっていく。
2001年
  • 5月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて尾崎魔弓とヒールユニットD-FIXを結成。
  • 7月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて因縁のライオネス飛鳥とのハードコアマッチで両者KO引き分けの死闘を繰り広げる。
2002年
  • 2月のGAEA JAPAN梅田ステラホール大会にてインフェルナルKAORUを久々に復活させる。
  • 4月のGAEA JAPAN横浜文化体育館大会にて尾崎魔弓と組み、シュガー佐藤、永島千佳世の持つAAAWタッグ王座に挑戦し、KAORUがシュガーからエクスカリバーでピンフォール勝ちを収め、第7代AAAWタッグ王者になる。
2003年
  • 4月のGAEA JAPAN横浜文化体育館大会にて尾崎魔弓と組み、抗争のあった長与千種、広田さくらのチーム・エキセントリックとカベジェラ・コントラ・カベジェラ戦で対戦し、尾崎が長与にアルゼンチン・バックブリーカーで敗れ、尾崎とともに坊主になる。
  • 年末から翌年4月かけてに謎の長期欠場をする。
2004年
  • 4月のGAEA JAPAN国立代々木競技場第2体育館大会にて復帰。尾崎魔弓、井上貴子と組み、デビル雅美、ダイナマイト・関西、イーグル沢井の重戦車トリオと対戦し、尾崎がデビルからオザキックでピンフォール勝ちを収めた。
  • 5月の大会にて負傷をし、長期欠場に入る。
2005年
  • 1月に復帰を果たすが、2月のライオネス飛鳥主催興行で負傷して、再度長期欠場に入る。また4月にGAEA JAPANが解散するに伴いフリーランスとなった。
2006年
  • 4月の長与千種プロデュース興行Marvelous Night Miracle Game KAORU復帰戦にて大日本プロレスの関本大介、アブドーラ小林と組み、KAORUの復帰戦のために一夜限りの復帰をした長与千種、大日本プロレスの伊東竜二、佐々木貴組を相手にハードコアマッチで復帰戦を行い、長与千種からエクスカリバーでピンフォール勝ちを収めた。以降は尾崎魔弓が主宰する『OZアカデミー』を中心に活動している。
2007年
  • 8月のOZアカデミー後楽園大会で久々に尾崎魔弓とのD-FIXを復活させ、植松寿絵、輝優優組と対戦し、輝を大流血に追い込み、勝利。以降、D-FIXとしての活動を再開させる。
2008年
  • 3月頃よりOZアカデミーにて尾崎軍の一員として、活動している。
  • 8月のOZアカデミー後楽園大会で尾崎軍およびD-FIXとして、遺恨のあったダイナマイト・関西、カルロス天野組とOZアカデミー認定タッグ王座を賭けて、カベジェラ・コントラ・カベジェラ3本勝負でKAORU、尾崎が立て続けにダイマナイト・関西からピンフォール勝ちを収め、ダイナマイト・関西を坊主にすると共に、第2代OZアカデミー認定タッグ王者となった。
  • 12月デビル雅美引退興行にて、スーパーヒール・デビル雅美、ダンプ松本とタッグを組み、堀田祐美子、里村明衣子と久々に復帰した長与千種と6人タッグマッチで対戦し、デビルが長与から勝利を収めた。
2009年
  • 2月のOZアカデミー後楽園ホール大会にて、スーパーヒール・植松寿絵のデビュー戦の相手を務める。
  • 6/3OZアカデミー新宿FACE大会、永島千佳世、加藤園子の持つOZアカデミー認定タッグ王座に挑戦し、尾崎が加藤から毒霧からの首固めでピンフォール勝ちを収め、第5代OZアカデミー認定タッグ王者となった。
  • 8/2OZアカデミー認定タッグ王者から陥落。以降尾崎魔弓との確執が続き、12月に尾崎軍から離脱する。
2010年
  • 7月のOZアカデミー新宿FACE大会にて、カルロス天野の持つOZアカデミー認定無差別級王座に挑戦し、カルロス天野からピンフォール勝ちをおさめ、第8代OZアカデミー認定無差別級王者となった。
  • 8月のOZアカデミー後楽園ホール大会にて、尾崎魔弓とOZアカデミー認定無差別級王座を賭け、ラストウーマンスタンディングマッチで対戦。勝利し、初防衛を果たした。
  • 9月のSMASH新宿FACE大会にて、SMASHに初参戦し、朱里とハードコアマッチを行い、ラダーからのムーンサルトプレスからの片エビ固めでピンフォール勝ちを収めた。

タイトル歴

  • 第6代、第9代全日本タッグ王座(パートナーは高橋美華)
  • 初代JC-TV認定女子シングル王座
  • 第7代JWP認定タッグ王座(パートナーは福岡晶)
  • 第7代AAAWタッグ王座(パートナーは尾崎魔弓)
  • 初代大山プロレス女子シングル王座
  • 第2代、第5代OZアカデミー認定タッグ王座(パートナーは尾崎魔弓)
  • 第8代OZアカデミー認定無差別級王座

入場テーマ曲

  • 「FREE YOUR MIND」(DOUBLE)





関本大介
19812/9

日本のプロレスラー。大阪府大阪市鶴見区出身。血液型O型。大日本プロレス所属。

鍛え上げられた肉体が特徴で、その肉体自体が「凶器」と自称する。大日本プロレスにの代名詞であるデスマッチはあまり行わないが、メジャー団体の選手とも頻繁に試合を行なっている。

来歴

明徳義塾高等学校卒業。幼い頃からプロレスラー志望であったが、父親の希望もあり、在校中は野球部に所属。ただし本人曰く「四軍まである中で文句無しの四軍」だったのこと。しかし、控えゆえ監督・コーチの目が届きにくいことを逆手に3年間、野球の練習ではなく筋トレに終始し、プロレスラーとしての素養を磨く。

大日本プロレス入団後の1999/8/10、地元大阪での対伊東竜二戦でプロレスデビュー。

2005年 - 2006年

2005年にアブドーラ小林とのタッグチーム『マッスル&ファットです。』で、2006年には友人でもある佐々木義人とのタッグでBJW認定タッグ王座にも就いている。

2006年1月、大日本道場を利用したジム運営を行うと発表し、5/11にスポーツジム『横浜マッスルファクトリー』を正式にオープンする一方、自ら目標とする田中将斗・マンモス佐々木との、力と力の勝負を繰り広げる。

5/5の大会にて、DDTの柿本大地とのタッグで、佐々木健介・中嶋勝彦と対戦。

2007年 ]

1/31の大会では、小島聡、金村キンタローとタッグを組み、川田利明と初対決した。そして3/8の大会で崔領二の持つNWA認定UNヘビー級王座に挑戦し、大熱戦の末、18分00秒ジャーマン・スープレックス・ホールドでベルトを奪取。第7代王者となった。

4/29の大日本プロレスの大会で、新日本プロレスの中西学との対戦熱望を表明。関本・井上勝正vs中西・平澤光秀戦が予定されていたが、試合3日前から頭痛を訴え、大会当日に診察した結果、脳浮腫と診断され、大日本統括部長・登坂栄児から、対中西戦の中止は勿論、改善が見られるまで全ての大会を欠場させると発表。

5月の大会から復帰すると、5/27、ZERO1-MAXシングルマッチ 火祭り出場者決定戦 時間無制限1本勝負 NWA UNヘビー級選手権で対神風戦に勝利。

7月には念願の関本vs中西のシングルマッチが行われたが、敗戦。それから間もなくの大日本後楽園大会では、LOCK UP狭山大会のメンバーに、裕次郎(中西側)・マンモス佐々木(関本側)を加えた6人タッグマッチが行われ、平澤をジャーマン・スープレックスでフォールし勝利。中西に対し8/20・大日本後楽園大会でのシングルでの再戦を要求、受理された。

8/20、大日本・後楽園大会で中西との二度目のシングルが行われたが敗戦。その後、LOCK UPで中西とタッグを組み、中西のプロレス理論を学ぶ。

11月、ZERO1-MAXのNWA認定UNヘビー級選手権試合で、パートナーでもある佐々木義人に敗れ、ベルトを失う。

12/11、プロレス大賞技能賞を受賞。

2008年

10月のプロレス・エキスポではライバル田中将斗とタッグを結成し、大陸別タッグトーナメントで優勝を果たした。(準優勝はモーターシティ・マシンガンズ)

2009年 - 2010年

2009年4月のZERO1の大会で崔領二の持つ世界ヘビー級王座に初挑戦したが敗戦した。やがて7月の大会にて岡林裕二とともに木高イサミ&竹田誠志の持つBJW認定タッグ王座に挑戦し勝利。第27代王者となった。

2010年1月のZERO1の大会にて、川田利明の持つ世界ヘビー級王座に挑戦したが敗戦。2月のユニオンプロレスの大会で石川修司の持つKO-D無差別級王座に挑戦し勝利。第31代王者に。7/25、DDT両国大会にてHARASHIMAの挑戦を受け敗退しKO-D無差別級のタイトルを失う。9/9にはバンビキラーの持つZERO1世界ヘビー級王座に再挑戦し勝利、第9代王者となった。

タイトル歴

  • KO-D無差別級選手権(第31代)
  • BJW認定ヘビー級王座
  • BJW認定タッグ王座
  • NGBトーナメント優勝
  • WEWハードコアタッグ王座
  • NWA認定UNヘビー級王座(ZERO1-MAX)
  • 天龍PROJECT認定世界6人タッグ王座(初代)
  • ZERO1 世界ヘビー級王座(第9代)

テーマ曲

  • CROW OF WINNER(大日本プロレステーマ曲コレクションに収録)

エピソード

  • 大相撲横綱・朝青龍とは高校の同期であり、一緒にウエイトトレーニングをしながら意地を張り合っていたと某プロレス誌のインタビューで語っている。
  • CS放送であるFIGHTING TVサムライのプロレス中継の実況担当の一人である塩野潤二によれば、関本を≪肉体のアマゾン≫と形容し、また相手の無理くりバックをとり得意技のジャーマンスープレックスに(ぶっこ抜きジャーマン)入る光景も≪人間ブルドーザー≫との形容で呼ばれている。
  • ZERO1-MAXの大谷晋二郎に気に入られており、そのためか巡業に帯同することが多い。大谷とは2001/12/2の大日本横浜アリーナ大会セミファイナル、2001/9/1ZERO-ONE後楽園ホール大会「火祭り」公式戦でシングルマッチで対戦しており、好勝負を繰り広げた。
  • 2002/5/2の新日本プロレス創立30周年記念東京ドーム大会に出場しており、オープニングマッチで金村キンタローと闘い、田中秀和リングアナに高評価を得ている。
  • 藤川球児と一打席だけ対戦したことがある。結果はセカンドフライ。

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池田恒雄
1911/5/3 - 2002/2/9


日本のスポーツを中心としたジャーナリスト、出版社経営者。ベースボール・マガジン社の創立者、社長→会長である。







  

















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