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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/14



一宮章一
1969/2/14

日本のプロレスラー。東京都北区出身。

父は先代・高砂親方(元小結・富士錦)こと一宮章。元横綱朝青龍のマネージャーだった一宮章広は実弟。それが縁でサンデージャポンの朝青龍関連コーナーに頻繁に登場。

経歴

立教高校時代は野球をしていた。父・章の影響で学生時代は相撲をしていたが、大相撲へは行かず1997年にWARに入門、7/16にデビュー。

同団体が1999年に解散後はフリーとしてIWA・JAPANなどに参戦、ゴージャス松野の宿敵としてサンデージャポンに度々出演し知名度を上げる。

2002年からDDTプロレスリングに定着、2003年には社長に就任した。

偽造王」と称して、橋本真也、高山善廣、ブル中野、北斗晶などの物真似をしながら試合をすることが多かった(特に北斗の物真似は秀逸で、対戦相手であった佐々木健介(北斗の夫)が笑いを堪えきれず、試合がなかなか始まらなかったほど)。過去に偽造した運転免許を所持していた容疑で逮捕され、それが偽造をするきっかけとなる。

2005/12/28を以って現役引退。

2006年新宿プロレスEXにて復帰。

2007/6/5、チケット販売会社「チケット&トラベルT-1」主催「T-1スペシャル」新木場1stRING大会に折原昌夫の偽造・折原偽夫として篠原光と対戦。6/27「T-1グランプリ」新宿FACEでは、堀田祐美子の偽造・堀田偽美子として、浦井百合&桜井亜矢と組んで、二見理(ふたみ おさむ、「T-1」代表取締役社長、興行の主催者)&T-1マスク2号&高原智美組と対戦。偽造もさることながら、試合巧者の一面を見せ観客のヒートに一役買った。

現在は、「ガッツワールド」を中心にフリーとして活動中。

2010/3/11、「MAP」の旗揚げを発表。

主な偽装ネーム

  • 高偽三四郎(DDT高木三四郎)
  • は偽本真也(橋本真也)
  • 偽沢光晴(ノア三沢光晴)
  • マ偽ナムTOKYO(マグナムTOKYO)
  • 電げ偽ネットワーク(電撃ネットワーク)
  • ポイズン一宮偽ュリー(ポイズン澤田JULIE)
  • 高山善偽ろ(高山善廣)
  • 北斗ア偽ラ(北斗晶)
  • ターザン偽藤(ターザン後藤)





トミー・ドリーマー
Tommy Dreamer
1971/2/14

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はトーマス・ジェームズ・ラフリンThomas James Laughlin)。

ハードコア・レスリングのキャリアで知られ、「ヒー・イズ・ハードコアHe is HARDCORE)」と呼ばれる。

来歴

ECW

ジョニー・ロッズのレスリング学校でトレーニングを積み、ニューイングランドのIWCCWにてT・D・マディソンのリングネームでデビュー。アメリカ東部地区のインディー団体を転戦後、1993年よりイースタン・チャンピオンシップ・レスリング時代の初期ECWに参戦。11月にはジョニー・ガンとのコンビでECWタッグ王座を獲得した。

1995年1月には全日本プロレスに初来日。ジョニー・スミスのパートナーとしてアジアタッグ王座決定トーナメントに出場した。

以降もECWを主戦場とし、ポール・ヘイマンの新体制下で団体名が「エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング」と改称されてからは、ハードコア路線を敷いた同団体の主力選手となって活躍。1999年8月にレイヴェンと組んでダッドリー・ボーイズ、2000年2月に田中将斗と組んでランス・ストーム&ジャスティン・クレディブルを破り、世界タイトルとなったECWタッグ王座に返り咲く。2000年4月にはタズからECW世界ヘビー級王座を奪取した。

WWE

ECWの崩壊後、2001年7月からWWFに移籍。当初はWCW・ECW連合軍「アライアンス」の一員としてヒールのポジションにいたが、同アングルの終了後はECW時代と同じくベビーフェイスで活動。2002年8月には最後のWWEハードコア王者となった。

団体がWWEと名を変えてからはブッカーとしての活動を主としていたが、2006年にWWEが第3のブランドとして「ECW」を復活させると、オリジナルのECWを知る者として本格的に復帰する。

2007年にはサンドマンらと共にECWオリジナルズとして活動。ビンス・マクマホンの放った刺客たちと抗争するストーリーを展開した。しかしその後、ドリーマーを除いた元祖ECWが退団あるいは解雇されてしまったため、軍団は解散。以降は単独で活動した。

2008年は、1月のロイヤルランブルに出場。また、レッスルマニア24のダーク・マッチ「24人バトルロイヤル」にも出場している。この頃からコリン・デラニーを弟子として、ジョン・モリソンとザ・ミズの持つWWEタッグ王座を狙うストーリーを展開したが、タイトルを獲得することはできなかった。

7月のグレート・アメリカン・バッシュではマーク・ヘンリーの保持するECW王座に挑戦するも、コリン・デラニーの裏切りに合い敗退。デラニーとの抗争に入るかと思われた矢先、デラニーの解雇により立ち消えとなる。その後はアマレス出身の新人ヒール、"全米代表のアメリカ人" ジャック・スワガーとの抗争を開始した。

2009年1月のECWにおいて、WWEとの契約が切れる6月6日までにECW王座を戴冠できなければ引退すると宣言。その後4月のバックラッシュで王者となったクリスチャンに二度挑戦するが、スワガーの乱入によりノーコンテストとなった。そのことをGMのティファニーが考慮し、ドリーマーの契約を一日延長、6/7のエクストリーム・ルールズが最後のチャンスとなった。このエクストリーム・ルールズではジャック・スワガー、クリスチャンとのトリプルスレットマッチを制しECW王座を獲得。それを受けWWEとの契約を更新する。その後も何度か王座を防衛するが、7/26のナイト・オブ・チャンピオンズでクリスチャンに敗れ王座を失った。

2009/12/29のECWにおいて、「今夜の試合で負けたら引退する」と宣言し、ザック・ライダーと対戦。結果、試合に敗れ引退を表明した。試合後、リングの上でマイクを握り、「思えば俺はいつも倒れてばかりだったよ。でも会場のみんなや視聴者のみんなが俺を立たせた。人生にはつらいことが多い。だがどんなにつらくても努力と挑戦を続けるしかないんだ。それが人生ってもんだ。別れるのはつらいが、ありがとう。愛してるぜ」と、ファンに向けて引退の挨拶をした。その後、ECWのTシャツを脱ぎリングの上に置き、最前列にいた家族のところに行き、2人の娘を抱いて「ECW!」と叫んでリングを去った。翌2010/1/4、WWEは彼のリリースを発表した。

WWE以降

WWE退団後の2010/1/17、ECWの本拠地でもあったペンシルベニア州のインディー団体Evolve Wrestlingに登場。

2010年3月26日には、WWE退団後では日本での初戦となるスマッシュの『SMASH.1』において、ECW時代からの盟友でもある元WWEスーパースターTAJIRIとハードコアマッチで対戦、勝利を収めた。

2010年6月からはTNAに登場し、7月よりミック・フォーリー、ロブ・ヴァン・ダム、レイヴェン、スティービー・リチャーズ、ライノ、チーム3D、アル・スノーらとTNA版ECWオリジナルズであるEV 2.0Extreme, Version 2.0)を結成した。

獲得タイトル

WWE
ECW王座:1回
ハードコア王座:14回
ECW
ECW世界ヘビー級王座:1回
ECWタッグ王座 / ECW世界タッグ王座:3回(w / ジョニー・ガン、レイヴェン、田中将斗)
PWI
2000年度のPWI(Pro Wrestling Illustrated)500では28位に就いている。

 
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元気美佐恵
1973/2/14

日本の元女子プロレスラー。本名:渡辺 美佐恵(わたなべ みさえ)。埼玉県入間市出身。身長175cm、体重95kg、血液型A型。NEO女子プロレスに所属していた。

所属

  • 全日本女子プロレス(1994年 - 1997年)
  • ネオ・レディース(1997年 - 2000年)
  • NEO女子プロレス(2000年 - 2008年)

来歴

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の女子プロ予備校出身であり、リングネームの由来となっている。なお、同番組企画の出身者には上林愛貴(現:Aky)・シュガー佐藤・市来貴代子がいるが、全日本女子プロレスのオーディションに合格したのは元気のみである。

田村欣子らと共に「平成6年組」として全女入門後、1994/8/28の後楽園ホール大会で玉田りえ・高橋洋子組相手にデビュー(パートナーは前川久美子)。全女在籍時代はなかなか体重が増えなかったが、1997年にネオ・レディース(現NEO女子プロレス)へ移籍したあと急激に増加した。

美佐恵ちゃん」というリングネームでDDTプロレスリングなど男子プロレス団体に上がったこともあった。2000/12/17に行われたスマックガール第1回大会では、かつての後輩である張替美佳相手に総合格闘技ルールで試合を行った。

2008/7/13の後楽園ホール大会の試合後に年内いっぱいでの現役引退を表明し、同年12/31の後楽園ホール大会で引退した。

2010/7/18、地元入間市で自身がプロデュースする「元気が出る女子プロレス」を開催。

現在は上目黒の飲食店に勤務している。

タイトル歴

  • 大日本認定女子シングル(初代)
  • アイアンマンヘビーメタル級(27代、32代、35代、221代、227代)
  • AWF世界女子シングル(第18代)
  • JWP認定タッグ(第17代・パートナーは輝優優)
  • NWA認定女子パシフィック&NEO認定シングル 2冠(第4代、第14代、第16代)
  • NEO認定タッグ(第4代・パートナーは松尾永遠)
  • NEO認定タッグ(第7代・パートナーは田村欣子)

入場テーマ曲

  • 「Deep Shot」 「全日本女子プロレス・ヤング・ファイト集 Action&Bright」に収録。





高智政光
1975/2/14

日本のプロレスラー。大阪府門真市出身。血液型B型。谷津嘉章の弟子。

来歴

1994年に青柳政司が旗揚げした新格闘プロレスに入門し、同年7/26にプロレスデビュー(対山田圭介戦・岩手県大船渡市体育館)。

その後、フリー選手となり、ユニオンプロレス、SPWF、大日本プロレス、屋台村プロレスなど、様々なインディー団体にフリー参戦している。

1995年7月、ミスター・ヒト(安達勝治)の引退試合の相手を務めた。

1996年3月に神戸にて行われた東京プロレス主催の三億円タッグトーナメントに谷津嘉章と組んで参戦する。1回戦を勝ち抜くも2回戦のザ・グレート・カブキ、大黒坊弁慶組に敗戦している。

1998年7月にSPWFの新道場が千葉県長生郡一宮町にオープンし、道場長となった。

1998年8月に行われたSPWFタッグリーグ戦に谷津嘉章と組んで参戦。決勝で、嵐・大刀光組を破り優勝する。

1999年5月に谷津嘉章のパートナーとして、有刺鉄線電流爆破デスマッチのリングに上がり、ターザン後藤組と対戦するが、病院送りにされる。

2002年5月にタッグマッチながら、谷津嘉章から初勝利する(谷津嘉章・大刀光組 vs 高智・宇和野貴史組、青森県弘前市)。

2002年7月に、谷津嘉章から二度目の勝利(谷津嘉章・大刀光組vs高智・宇和野貴史組、東京板橋産文ホール)。

2002年11月に長州力が旗揚げしたWJプロレスに谷津嘉章と共に入団し、所属選手となった。

2003年3月に横浜アリーナにてWJプロレス旗揚げ。本間朋晃(当時・全日本)と対戦する。

2003年8月にWJプロレス主催の後楽園大会にて行われた『WJ・YOUNG MAGMA杯トーナメント』の決勝で、石井智宏に敗れ準優勝となった。

2004年2月に同団体を退団し、プロレスから一時離れていた。

2007年9月に北海道を拠点とするアジアンプロレスに谷津嘉章と共に参戦し約3年振りのプロレス復帰を果たした。

2008年1月にDDT大阪大会参戦。このDDT参戦をきっかけにマグニチュード岸和田主催興行など、大阪を拠点に各インディー団体に参戦している。

2010年11月に師でもある谷津嘉章の引退興行に参戦する。






鈴木浩子
1975/2/14

日本の元アナウンサー、元WWEのディーヴァ。千葉県出身。國學院高等学校、明治大学文学部卒業。レプロエンタテインメント所属。

ハッスルの三代目ゼネラルマネージャー(GM)を務めた(2006/1/1から3/12)。

学生時代

学生(明大)時代から、ラグビー雑誌(ラグビーマガジン)の契約記者。同窓のラグビー部員鈴木健想(鈴木健三)と知り合う。

就職・アナウンサー時代

1998年に大学卒業後、福島中央テレビに入社。当時は「水野弘子」の名前で「ゴジてれシャトル」や「FCTニュースダッシュ」などを担当する。2000年に同社を退社、以後フリーアナウンサーとして活動する。2006/3/6、夫・鈴木健想とともにゴジてれシャトル生出演。

プロレスラーの妻 そしてアメリカへ

2003年に鈴木健想と結婚。彼は就職先を退社し、新日本プロレスのプロレスラーに転じていた。その後移籍したWJプロレスが崩壊寸前となり、2004年にWWE入りした健想と共に渡米し、日本人として初めてWWEとディーヴァとしての契約を結ぶ。

当初は夫である鈴木健想のみの契約の予定であり、鈴木健想はリングネーム「ヒロヒト」での登場が予定され、予告ビデオも作成された。この一連の扱いは日本や昭和天皇に対してあまりにも失礼である、とWWE上層部に鈴木浩子が抗議したところ、一転彼女がビンス・マクマホンらWWE上層部に注目されるようになり、鈴木健想のギミック修正だけではなく、本人も予想もしていなかった「鈴木浩子自身のディーヴァ契約」に至った。

当初はWWEから働かないかと持ちかけられ、「イエス」と答えていたがそれは裏方としての仕事として認識していた。また会場で他のスタッフから芸者についてやたらと訊かれ、それについて調べ作成したファイルを重役に渡したところ、そのファイルを一瞥されただけで「あなたは出来るのか?」と質問され、そこで初めてディーヴァとしての契約だったことに気付いた。そこで鈴木健想が「イエス」と答えてしまった、という裏話がある。

自身もプロレスへ

WWEでは白塗りの「ゲイシャガール」のギミックで登場し、主に健想をサポートするマネージャー役を演じていた。実際問題として、英語が堪能な彼女が通訳としてついた方が楽だったと言うこともあった。また健想自身も英語が殆どしゃべれない、という日本人レスラーの伝統的なギミックを演じていた。

格闘技のバックグラウンドは殆どないが、2005年2月にさいたまスーパーアリーナで行われたSmackDown!の収録において、実際にトリー・ウィルソンと試合を行っている。2005年7月に健想がWWEから解雇されたのに伴う形でWWEとの契約を打ち切られた。その後は散発的にではあるが、健想とともにアメリカのインディ団体に出場し、時に試合をしている。

2005/11/3のハッスルマニアにて、夫・健想が日本マットに復帰した(和泉元彌との対戦)。彼女もまたWWE時代と同様に健想のサポート役を演じている。WWE時代に引き続きゲイシャガールのギミックで活動しており、ドイツの団体へも参戦している。


  



和田拓也
1978年/2/14

日本の総合格闘家。東京都大田区出身。SKアブソリュート所属。

来歴

1999/7/16、K'zファクトリー所属として修斗でプロデビュー。

2000/3/18、フランスで開催されたGolden Trophy 2000の75kg級トーナメントで優勝を果たした。

20025/5、修斗でデイブ・ストラッサーと対戦し、判定負け。

2002/10/1付けで竹内出と共に、SKアブソリュートに移籍。10/4に修斗プロライセンス返上を修斗コミッションに通達し、10月7日付けで受理された。

2002/11/30、初参戦となったパンクラスで伊藤崇文と対戦し、判定負けを喫した。以後、パンクラスを主戦場としている。

2004/2/27、フロリダ州で開催されたAbsolute Fighting Championships 7でジョルジ・サンチアゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。

2007/2/17、BodogFightでスティーブン・ハイグ(ファイト・ファクトリーの創立者であり、エディ・アルバレスのトレーナー)と対戦し、チョークスリーパーで一本負けを喫した。

2007/4/15、アブダビコンバット日本予選77kg未満級に参戦するも、準決勝で敗退した。

2007/10/14、パンクラスでキム・ヒュンクワンと対戦。2Rにバッティングにより両者ともカットし、ヒュンクワンの傷口が深くドクターストップ。2R1分40秒時点まで試合内容で2-0の判定勝ちとなったものの、翌2008年5月になってノーコンテストに裁定が変更された。

2008/4/27、ウェルター級暫定キング・オブ・パンクラス決定戦でジェイソン・パラチオスと対戦し、判定勝ちで暫定王座を獲得した。

2008/10/26、ノンタイトルマッチで鳥生将大と対戦。キャリアの短い鳥生に判定ドローに持ち込まれた。

2008/12/7、第4代ウェルター級キング・オブ・パンクラス決定戦で改めて鳥生と対戦し、判定勝ちで正規王座を獲得した。

2009/4/5、防衛戦で岩見谷智義と対戦し、判定勝ちで王座防衛に成功した。

2009/10/25、日本デビュー戦となった宇良健吾と対戦し、判定ドロー。

2009/11/23、修斗で行われた修斗 vs. パンクラスの対抗戦で山下志功と対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収めた。

2010/4/29に次期挑戦者決定戦に勝利した宇良健吾とタイトルマッチで対戦予定であったが、「宇良との再戦はモチベーションが上がらないので辞退したい」として4月29日付けでウェルター級キング・オブ・パンクラス王座を返上した。5月21日、SRC参戦が発表された。

2010/6/20、SRC13のウェルター級グランプリ1回戦でイ・ジェソンと対戦し、2-1の判定勝ち。

2010/10/30、SRC15のウェルター級グランプリ準決勝で中村K太郎と対戦し、パウンドによりタップアウト負けを喫した。

戦績
40戦20勝9負10分1無効





アキュート冴
1980/2/14

日本の元女子プロレスラー。本名は佐井 富子。岐阜県瑞浪市出身。JWP女子プロレスに所属していた。本名、アキュート冴、ならびにマスクウーマン市川 狐火名としての活動で知られる。

経歴・戦歴

1998/1/23、神奈川・川崎市体育館において、対池田麻奈美戦でデビュー。2月に本名からアキュート冴に改名。

JWPの他にNEO女子プロレスにレギュラー参戦、特に西千明との「反マシンガンズ同盟」でNEOマシンガンズ(タニー・マウス、宮崎有妃)と抗争を展開し、板橋タッグを獲得したこともある。2001年に市川狐火名に改名してからは、JWPでは市川、NEOではアキュートとして出場を続けていた。同年12/8には米山香織、仲村由佳との巴戦を制しJWPジュニア王座を獲得。

2002年にかねてより痛めていた頸椎が限界に達し引退を決意。6/16の東京キネマ倶楽部大会で同期の春山香代子とエキシビションマッチを行った。

JWPの前にもNEOで6/8北沢タウンホール大会にて「お別れセレモニー」を行ったが、2か月前の北斗晶引退セレモニーのパロディでこれまでのコスチューム(市川狐火名、吉備団子を含む)を展示するというNEO側の計らいに本人はもちろん、マシンガンズや仲村も感極って泣き出す感動的なセレモニーとなった。

タイトル歴

  • JWP認定ジュニア王座
  • 板橋タッグ

入場テーマ曲

  • 「冬のセーター」(BLANKEY JET CITY)





浜田文子
1981/2/14

日本で活躍するメキシコの女子プロレスラーである。

プロフィール

本名Ayako Valentina Hamada Villarreal(アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビヤッレアル。スペイン語圏では本人の名前・洗礼名・父親の姓・母親の結婚前の姓の順に表記する。洗礼名の「バレンティナ」は誕生日であるバレンタインデーに由来する)。メキシコシティにて、マリポーサ(空中)殺法で一時代を築いたグラン浜田(新日本プロレスやメキシコ・マットで活躍した)の四女として生まれる。プロレスラーソチ浜田は姉である。

1995年、父の帰国と共に日本に移住し、1998年、できたばかりの女子プロレス団体アルシオンに入団(当時のライセンスナンバーは14)、デビュー前から写真集やビデオが発売され、またプロレス雑誌の表紙を飾るなどスーパールーキーとして注目された。同年8/9キャンディー奥津戦でデビュー。大活躍し、1年たらずでアルシオンのチャンピオンとなった。1970年代のチャンピオンマッハ文朱以来のスピード出世と言われる。

1999/8/29、みちのくプロレス群馬大会で日本人レスラーとして初めて父娘タッグを組む。団体の中心レスラーだったアジャ・コング退団後はライセンスナンバーが1に変更され文字通りエースとなり、年間200試合近くをこなす団体を支えた。

2002年、アルシオン脱退後、フリーとなり主にGAEA JAPANマットに活躍の場を移し活躍。一方で文子を失ったアルシオンは倒産し、2003年に堀田祐美子に買収され、AtoZとなった。

2003年5月には老舗の全日本女子プロレス横浜アリーナ大会でWWWA世界シングル王座を奪取した。

2004年からはハッスルに「アリシンZ」というリングネームにて参戦していたが、2005年暮れから「ドクロンZ」に改名。また2005年からは悪役レスラーに転向し、凶器を使うなど新たなファイトスタイルを見せている。新間事務所を離脱後、しばらくフリーだったが2006/10/15付で伊藤薫プロレス教室に入団し活動していたが、2009/4/8、アメリカのプロレス団体TNAと契約を交わした。

タイトル歴

  • 第6代NEO認定タッグ王座(パートナー:伊藤薫)
  • インスター・オブ・アルシオン(パートナー:AKINO、大向美智子)
  • スカイハイ・オブ・アルシオン
  • クイーン・オブ・アルシオン
  • P*MIXタッグ王座(パートナー:グラン浜田)
  • UWA世界女子王座
  • WWA世界女子王座
  • AAAWシングル王座
  • AAAWタッグ王座(パートナー:里村明衣子)
  • WWWA世界シングル王座
  • IWRG女子王座

入場テーマ曲

  • 「上がる」(ケツメイシ)

所属

  • アルシオン(1997年 - 2002年)
  • 新間事務所(2002年 - 2005年)
  • フリーランス(2005年 - 2006年)
  • 伊藤薫プロレス教室(2006年 - )





紫雷美央
1988/2/14

日本の女子プロレスラー。

身長162cm、体重52kg、血液型A型。妹は女子プロレスラーの紫雷イオ
本名及び出身地(関東という事以外)は非公開。打撃技を得意とし、将来的には総合格闘技への挑戦も視野に入れている。芸能事務所は株式会社トゥインクル・コーポレーションに所属。(イオも同様)

経歴

2007/3/4橋本友彦プロデュース興行『MAKEHEN』で、妹のイオと共にデビュー。

2009年、「TEAM MAKEHEN」から妹と共に退団。フリー転向後も「紫雷姉妹」としていろんな団体を渡り歩く。

女子プロレスラー華名とともにトリプルテイルズを結成し、自主興行も開催された。

2010年、メキシコへ修行。AAAではマスクマン・KAGUYA(イオはOYUKI)として人気を博す。

入場テーマ曲

  • 『Humble Neighborhoods』(P!NK)





味方冬樹
(1/4)
デビュー当時は誕生日が2/14ということになっていた。




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