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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
2/25



リック・フレアー
Ric Flair
1949/2/25

アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州メンフィス出身。本名はリチャード・モーガン・フレイアーRichard Morgan Fliehr)。ニックネームはネイチャーボーイNature Boy)、略して「ネイチ」と愛称で呼ばれることもある。
その試合巧者ぶりから「業界一卑劣な男Dirtiest Player in the Game)」の異名を取った。日本でのニックネームは「狂乱の貴公子」。息子のデビッド・フレアーとリード・フレアーもプロレスラー。

来歴

初期

1950年に発覚し全米を騒がせたテネシー児童福祉協会による養子縁組用の乳幼児売買事件の被害者の一人。生後一か月ほどで当時デトロイトで産婦人科医を開業していた養父母の元に引き取られ、ミネソタ州ミネアポリスで少年時代を過ごす。

少年時代からプロレスファンで、特にクラッシャー・リソワスキーが好きだったと語っている。学生時代はレスリングおよびアメフトの選手であった。ミネソタ大学を退学後、保険外交員の職に就いていたが、バーン・ガニアのレスリング・キャンプに参加しプロレスラーとなるための訓練を受ける。このキャンプの同期にはケン・パテラ、コシロ・バジリ、グレッグ・ガニア、ジム・ブランゼルらがいる。1972/12/10、師匠ガニアが主宰し、ミネアポリスに拠点を置くAWAにてデビュー戦を行った。

NWA

1974年、ジム・クロケット・ジュニアが運営するNWAミッドアトランティック地区(本拠地はノースカロライナ州シャーロット)に活動の場を移す。金髪ヒールの先達であるベテランのリップ・ホークのパートナーに起用され、同年7月4日にミッドアトランティック・タッグ王座を獲得、プロ入りして初のタイトル戴冠を果たした。1975/2/8にはポール・ジョーンズからミッドアトランティックTV王座を奪取し、シングルタイトルを初めて獲得している。同年下期からは、AWA時代の先輩でもあるワフー・マクダニエルを相手にミッドアトランティック・ヘビー級王座を争った。

1975/10/4、セスナ機の事故に遭い背骨を骨折、医師から引退勧告を受けるも奇跡的にレスラーとして復帰した(この事故ではパイロットは死亡、同乗していたジョニー・バレンタインなどは半身不随となり引退している)。復帰後の1976/12/26にはグレッグ・バレンタインと組んでミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を奪取。以降もミッドアトランティックを主戦場に、USヘビー級王座をはじめ同地区認定のタイトルを立て続けに獲得。「ネイチャーボーイ」の異名が定着したのも、生涯のライバルにして親友でもあるロディ・パイパーやリッキー・スティムボートらと出会ったのもこの頃である。

1981/9/17、ダスティ・ローデスを破りNWA世界ヘビー級王座に初戴冠。後に同王座を8回(7〜10回と諸説有)獲得して一時代を築く。1986年には、オレイ・アンダーソン、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード、およびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、今や伝説と化したチーム、フォー・ホースメンを結成した。

NWAからWCWへの移行期となる1980年代末から1990年代初頭にかけては、若手として台頭してきたスティング、グレート・ムタ、レックス・ルガーらとの戦いを繰り広げ、初期WCWの目玉カードとなった。

WWF

1991年9月に、ジム・ハード副社長との確執から、それまで所属していたNWAの流れを汲むWCWを離脱、WWFへ電撃移籍した。WCW首脳部にとってはフレアーは「すでに全盛期の過ぎた時代遅れの選手」でしかなく、ハードからは思い付きで「古代の剣闘士」スパルタカスなるキャラにギミック変更を要求されるなどの扱いを受けていた。なお離脱前の一時期にトレードマークだったロングヘアーが短くカットされたのは、このキャラチェンジ命令を完全には拒否することができずに妥協したためである。

トップ・ヒールとして迎えられたWWFではボビー・ヒーナン、カート・ヘニングと組むこととなり、かつての宿敵で親友でもあったパイパーとの抗争、その後はハルク・ホーガンとの頂上対決が組まれた。引退を考えていたホーガンとの抗争は今一つ盛り上がらなかったが、1992年1月にロイヤルランブルで優勝、およびこの試合に懸けられていたWWF世界王座を獲得した。

レッスルマニア8ではランディ・サベージを相手に王座防衛戦を戦い、敗れたもののサベージの愛妻エリザベスの唇を奪った。同年のサマースラムでタイトル奪回にも成功するが、アルティメット・ウォリアーとの試合で三半規管を損傷。欠場の必要に迫られ、ブレット・ハートに王座を明け渡した。

WCW

1993年2月にWWFを離脱、WCWへ復帰しフォー・ホースメンを再結成した。また、インタビューコーナー "A Flair for the Gold" のホストも担当している。1998年に、エリック・ビショフとの対立からWCW離脱寸前までいくも、アーン・アンダーソンの働きにより残留。その後WCWには消滅まで所属していたが、ビショフら首脳陣やホーガン、ナッシュを筆頭とする主流派グループとの確執は激しく、脇役扱いも多くかつての輝きを取り戻すことはなかった。脚本家のビンス・ルッソーがWWFから移籍してからはその傾向がさらに顕著になり、精神的・肉体的な理由から一時期はセミリタイヤ状態であった。

2001/3/26のマンデー・ナイトロ最終回ではメインイベントでスティングと戦っているが、この時もコンディションは非常に悪く、体型を隠すためにTシャツを着たまま試合を行った。

WWE

WCW消滅後、2001年末よりWWEに所属する。50%の株式を保有するビンス・マクマホンとのWWE共同経営者というギミックを与えられ、ベビーフェイスとして活躍した。2002年のレッスルマニア18ではジ・アンダーテイカーと対戦、同年WWEがブランド分けを行った際にはRAWのオーナーとなってアンダーテイカーをドラフト1位指名し抗争を継続した。2003年には、トリプルH、バティスタ、ランディ・オートンと共にヒールのユニット、エボリューションを結成した。

その後、ランディ・オートン、バティスタらが単独でファンを沸かすことができるキャラクターに成長して次々と抜けていき(アングル上はエボリューションと抗争するための脱退)、トリプルHも休養に入ったためにエボリューションはフェードアウト。2005年8月に、ショーン・マイケルズと組んでフェイスターン。カリート、クリス・マスターズと抗争後10月のWWE・ホームカミングからは旧友のトリプルHとの抗争に入った。

トリプルHとの抗争はサバイバー・シリーズまで続いた。サバイバー・シリーズ後はプライベートで起こした交通トラブルネタをエッジがあげつらったことをきっかけに抗争開始した。

2006/11/5、サイバー・サンデーでかねてより抗争中のスピリット・スクワッド(ケニー&マイキー)の持つ世界タッグ王座にファン投票で選ばれたパートナーロディ・パイパーと組んで挑戦。足4の字固めでギブアップを奪い王座奪取を果たした。

2007/6/11、RAWで行われたドラフトにより、RAWからスマックダウンに移籍。約2年ぶりにバティスタと同じブランドでの再会を果たす(リックの移籍を決めた試合を行ったのもバティスタである)。

移籍後、3か月の欠場を経て11/26にRAWで復帰し、「私は引退しない」と宣言した。この時、ビンス・マクマホンから「もし1試合でも負けたら強制的に引退とする」と通告されたため、以後の試合はすべて「負けたら引退」マッチとなった(レッスルマニア前最後のRAWでの対戦相手はビンスだった)。

2008年度のWWE殿堂入り第一号として、トリプルHに紹介された。現役レスラーの殿堂入りは初めてであった。

3/30、米フロリダ州オーランドにて開催されたレッスルマニア24にてショーン・マイケルズに敗れ、引退決定。翌日のRAWの放送で引退セレモニーが行われた。

引退後はWWEのエージェントとしてイベントや授賞式などに登場していたが、8/3をもってWWEを退団。退団後もトレーニングは続けているという。

その後はWWE、ROH、インディー団体などにゲストで登場(試合はしない。ただし乱入はする)。2009年に入り、クリス・ジェリコによる映画『レスラー』の主演ミッキー・ロークへの批判(アングル)に端を発したジェリコ対レジェンド(フレアー、スティムボート、ジミー・スヌーカ、ロディ・パイパー)の抗争ストーリーが組まれ、レッスルマニア25ではレジェンド軍のセコンドについた。また、大会前日のWWE殿堂式典では、殿堂入りを果たしたスティムボートのプレゼンターを務めた。

ジャッジメント・デイ以降はランディ・オートンとバティスタの抗争に関わる。これはオートンがエボリューション時代からの遺恨だとしてトリプルHやマクマホン家との抗争を経たもので、フレアーはオートンに再三自身と(引退したため正式な試合ではないが)闘うよう要求した。結局オートンはエクストリーム・ルールズ直前のRAWでのパーキング・ロット戦に同意、待ち伏せしたフレアーはオートンを叩きのめし未だ衰えない存在感を見せ付けるが、オートン率いるレガシーの介入により形勢逆転し、最後にはRKOを喰らった。

日本との関わり

日本および日本人レスラーとの関わりも深い。初来日は1973年6月、国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」である。来日前に雑誌やパンフレットなどに掲載されていた写真は、汚らしい赤毛に下品な口髭、ポッコリと出た腹、とかなり冴えないスタイルだったが、実際に日本に来た時には精悍な顔に口髭はきれいに剃り落とされ、髪型もダイナマイト・キッドを彷彿とさせるショート・ヘア、腹もシェイプアップされ関係者を驚かせた。初来日の国際プロレスのリングでは、ラッシャー木村との金網デスマッチも行われている(フレアーは、金網マッチへの出場はもとより、試合での流血もこのときが初めてであったと自著で述懐している)。また、同シリーズには後にNWA世界王座を巡るライバルとなるダスティ・ローデスとディック・マードックのジ・アウトローズがエース格として参加しており、トリオを組んでメインイベントの6人タッグマッチにも時折出場した。

以降、2008年1月までに62回来日している。NWA王者として全日本プロレスにも再三来日し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力、谷津嘉章、輪島大士、テリー・ファンク、ハーリー・レイス、ザ・グレート・カブキらを挑戦者に迎え、防衛に成功している。

また、1984年に横須賀市総合体育館でケリー・フォン・エリックを破ってNWA王座を奪還。1985年には両国国技館でAWA世界王者のリック・マーテルと、史上初になるNWAとAWAの世界ダブル・タイトルマッチを闘っている(結果は両者リングアウト)。

WCWと新日本プロレスが提携していた頃は新日本にも参戦し、G1 CLIMAXに参加したほか、1995年4月には、アントニオ猪木と北朝鮮にてプロレスの試合を行っている。また、武藤敬司がアメリカマットで武者修行していた頃は、グレート・ムタとしてフレアーと連日のように対戦していた。

2003年にWWF横浜アリーナ興行があった際に、リング上にて日本プロレス界でのライバル達の名前を挙げた。順番に「ジャンボ鶴田」「天龍源一郎」「ブルーザー・ブロディ」「スタン・ハンセン」「テリー・ファンク」「ハーリー・レイス」「アントニオ猪木」「長州力」「蝶野正洋」「藤波辰爾」「ジャイアント馬場」「ザ・グレート・ムタ」の12選手である。なお、この時ゲストとして実況席にいた武藤には、フレアーが自ら手を差し向けて敬意を示した。

2008年日本公演PRのためクリス・ジェリコ、キャンディス・ミシェルとともに来日。司会を務めた草野仁からチョップを貰った。お返しはサイン入りのベルトだった。

獲得タイトル

NWA
  • NWA世界ヘビー級王座 : 10回
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座 : 1回
  • NWA USヘビー級王座(トロント版) : 2回
  • NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版) : 5回
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座 : 3回
  • NWAミッドアトランティックTV王座 : 2回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版) : 3回(w / グレッグ・バレンタイン×2、ブラックジャック・マリガン)
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座 : 3回(w / リップ・ホーク、グレッグ・バレンタイン、ビッグ・ジョン・スタッド)
WCW
  • WCW世界ヘビー級王座 : 7回
  • WCWインターナショナル王座 : 2回
  • WCW USヘビー級王座 : 1回
WWE
  • WWF世界ヘビー級王座 : 2回
  • WWE世界タッグ王座 : 3回(w / バティスタ×2、ロディ・パイパー)
  • インターコンチネンタル王座 : 1回

入場曲

  • Also sprach Zarathustra(Richard Georg Strauss)
  • The Four Horsemen's Theme
  • ギャラクシー・エクスプレス/国吉良一(NWA世界ヘビー級王者時代、全日本プロレス限定)

その他

  • フレアーはNWAクロケット・プロと専属契約を結んでおり、これによってクロケット・プロがNWA内での発言力を高めたために連盟内のパワーバランスが崩れ、NWA崩壊の原因となったといわれる。
  • セスナ機墜落事故の恐怖により、背中から受身を取ることができなくなった。現在でもデッドリー・ドライブやショルダースルーなど落下系の技を受ける際は肩を下にして斜めに受身を取っている。
  • 「16回の世界王者」と呼ばれるが、NWA王座からWCW王座の過渡期は系譜が非常に曖昧なため、実際には19回とカウントすることもできる。またWCW所属時にはWWF王座歴をカウントせずに「14回の世界王者」と名乗っていた。
  • 数々の「やられ芸」を持つフレアーだが、「Oh, No!」のポーズは初代ネイチャーボーイのバディ・ロジャース、「前のめり受身」「コーナー上からのデッドリードライブ」はレイ・スティーブンス、そして「尻出し」はディック・マードックがそれぞれ得意としていたものを受け継いだものである。
  • 定番アピールの「Wooooo!」は元々ジェリー・リー・ルイスが『火の玉ロック』の曲中でやっていたものを真似し、自分流にアレンジしたものである。
  • フレアーはニーパッドを膝からやや下にずらして着用しているが、これは得意技の足4の字固めのグリップを高めるための工夫である。
  • 2003年、3枚組のDVD、The Ultimate Ric Flair Collection が発売された。
  • 2004年、ハーリー・レイスのWWE殿堂入りに際し、ハーリー・レイスへ盾を授与するプレゼンターを務めた。
  • 2004年、自伝 Ric Flair: To Be The Man を発売。
  • 2005年、ロディ・パイパーのWWE殿堂入りに際し、ロディ・パイパーへ盾を授与するプレゼンターを務めた。
  • 日本のお笑い芸人レイザーラモンHGのギャグ「フォー!」は、フレアーの定番アピールが元ネタである。
  • 梶原一騎原作の漫画『プロレススーパースター列伝』には馬場・猪木・ハンセン・ブロディら当時の人気レスラーと並んでフレアーが登場する。なお、なぜかブッチャーと友人ということになっている。




 
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