駿河海光夫
1920/1/1 - 2010/11/24
出羽海部屋所属の元大相撲力士、日本プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代は、身長186cm、体重98kg、最高位は東前頭14枚目。プロレスラー時代のリングネームは駿河海、身長186cm、体重105kg。本名は杉山光男。
来歴
静岡県静岡市出身。出生地は現在の駿河区。
天竜三郎一派の関西角力協会に入門したが番付掲載2場所ほどの1937年12月に解散となったため、日本相撲協会に復帰者とともに新規加入して、1938年1月場所に出羽海部屋所属より葵龍(あおいりゅう)という四股名で幕下付出で初登場した。
1939年5月場所より駿河海と改名してから順調に出世し、新十両の1942年1月場所に十両優勝、翌5月場所でも2場所連続十両優勝して1943年1月場所で新入幕を果たした。十両時代には、東富士(後に第40代横綱)、汐ノ海(後に大関)とともに大いに将来を嘱望されていた。汐ノ海のニックネーム「赤鬼」に対して、「青鬼」のニックネームで周囲から好一対と評された。組んでもよし離れてもよしの取り口で、突っ張って左四つ吊りに威力を発揮したが新入幕の場所に膝を怪我してしまい、その後は一度も勝ち越すことができずに1945年11月場所限りにて25歳の若さで廃業した。
大相撲時代の幕内通算成績は、在位4場所で、13勝19敗1分14休であった。
大相撲廃業後は1953年に力道山を頼ってプロレスに転向し、1956年には重量別日本選手権大会に出場して初代日本ジュニア・ヘビー級王者となった。その後、力道山との権力闘争に嫌気がさして引退した東富士とともにプロレス界を引退した。
2010/11/24、腸閉塞により、入院先の病院で死去。享年90歳。
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