HIROYA
1992/1/6
日本のキックボクサー。本名は河部
弘也)。神奈川県愛甲郡愛川町出身。WMFアマチュアムエタイ世界選手権ジュニア部門ピン級金メダリスト。15歳でK-1デビューしたことから、デビュー当時は「最強の15歳」と称された。
2007年3月の中学卒業後、タイ・バンコクのセントジョーンズ・インターナショナルハイスクールへ留学し、学業をこなすと同時にムエタイの修行を行っていた。魔裟斗の後継者として期待されている。
国際大会出場
2005/3/19 - 26にタイのタンマサート大学で行われた「2005 W.M.F. WORLD CHAMPIONSHIP」に参加。男子ジュニア部門のピン級で優勝した。2006年2月23日
- 3月1日にはインドのバンガロール市内にあるインドアスタジアムで行われた「2nd OPEN ASIAN KICK BOXING CHAMPIONSHIP
2006」に参加。男子ジュニア・ローキック部門54kg級で優勝し、男子フルコンタクト部門48kg級王者との対決を制した。2006年3月に再びWMF主催の世界選手権に参加。男子ジュニア部門バンタム級で準優勝を果たした。
K-1参戦
2006年9月、魔裟斗が所属するシルバーウルフジムを単身で訪れ、自分の技術を見せた(当初、魔裟斗は彼のことを自分のファンだと思い込んでいた)。すると、その技術に驚いた魔裟斗が谷川貞治K-1プロデューサーにそのことを報告、同プロデューサーがそのことをHIROYA本人に伝え、K-1参戦が決定した。
2007/2/5、アマチュアルールでK-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜のワンマッチに15歳で参戦。20歳の高橋明宏を3Rにローキックでタオル投入によるTKOで下しK-1初勝利を飾った。
2007/4/4、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜において、第0試合として西村憲孝と対戦。1Rに3度のダウンを奪い、1RKO勝ち。
2007/4/19、タイ・バンコクのセントジョーンズインターナショナルハイスクールへ留学するため、日本を離れた。
2007/6/23、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMにおいて、18歳のオランダ人選手ロイ・タンとスペシャルマッチで対戦し、判定勝ち。
2007/9/1、タイでサクダー・ルークロムクラーオと対戦し、2RKO勝ち。
2007/10/3、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜において、高校3年生の韓国人選手クォン・オルチャンと対戦。お互いに最後までKOを狙う攻防となったが、勝負は判定での勝利となった。
2007/12/31、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で開催された「K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント」に出場。1回戦で才賀紀左衛門と対戦し判定勝ちを収めたが、決勝で雄大と再戦し、打ち合った結果、延長ラウンドで判定負けでリベンジ失敗。
2008/1/3、「K-1甲子園」で優勝できなかったケジメとして、頭を丸刈りにした(1月11日のK-1 WORLD YOUTH 2008 記者会見で初披露)。
2008/2/2、K-1 WORLD MAX 2008で行われたオランダとの3対3対抗戦・大将戦でロビー・ハヘマンと対戦し、2RKO勝ち。
2008/4/9、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16で大晦日に対戦が流れた藤鬥嘩裟と改めて対戦し、判定勝ち。試合前から舌戦を繰り広げた。
2008/8/29、K-1甲子園 KING OF UNDER 18 〜FINAL16〜のK-1甲子園1回戦で園田顕悟と対戦。2Rに右フック、3Rに左ストレートでそれぞれダウンを奪うなどして判定勝ち。10/1、K-1
WORLD MAX 2008 FINALのK-1甲子園準々決勝で平塚大士と対戦し、1R開始24秒2ノックダウンでKO勝ち。
2008/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のK-1甲子園準決勝で嶋田翔太に3-0の判定勝ち、続く決勝では卜部功也に3-0の判定勝ちで優勝を果たした。
2009/2/23、K-1 WORLD MAX 2009で才賀紀左衛門と再戦し、2-0の判定勝ちを収めた。
2009/4/21、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16で魔裟斗とエキシビションマッチで対戦した。
2009/7/13/、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8で、総合格闘家キコ・ロペスと対戦。HIROYAは前日計量では1.7kgも体重超過した。2Rに右膝蹴りでダウンを奪うなどして3-0の判定勝ちを収めた。
2009/8/10、K-1甲子園 〜FINAL 16の62kg級トーナメント1回戦で西川康平と対戦し、3者とも30-29という僅差の判定勝ち。
2009/10/26、K-1 WORLD MAX 2009 FINALで行われたK-1甲子園準々決勝で日下部竜也と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。
2009/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のK-1甲子園の準決勝にて、野杁正明と対戦し、1・2Rダウン寸前まで追い込まれるなど終始圧倒されて判定負け。
2010年6月、セントジョーンズインターナショナルハイスクールを卒業し、帰国。同年8月、神奈川県相模原市(古淵駅)に自ら代表を務めるキックボクシングジム「Try
Hard Gym」をオープンした。
2010/11/8、K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINALのスーパーファイトで久保優太と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
21試合17勝6敗1分(2010/12/30現在)
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