本文へスキップ
 

プロレス/格闘技
誕生日/忌日
1/12



ジョー・フレージャー
"Smokin'" Joe Frazier
1944/1/12

アメリカ合衆国のプロボクサー。「スモーキン・ジョー」と称される機関車のような突進力とスタミナを備え、リズミカルに上体を揺すり、相手の攻撃を避けながらクラウチングスタイルからの左フックを得意とする。ボクシング史上最強と名高いモハメド・アリをプロボクサーとして初めて敗北させたボクサーである。息子のマーヴィス、娘のジャッキー、甥のロドニーもプロボクサー。





ジャッジ金子
1973/1/12

日本のレフェリー、タレント、イベントプロデューサーである。本名は金子 達。東京都昭島市出身。ジャッジサポート所属。

経歴

1993年にSPWFへスタッフとして参加。当初はリングアナウンサーを希望していたが、代表の谷津嘉章からの提案もあって、レフェリーとなる。

レフェリングデビューは1994/2/26、SPWFの神奈川・いすゞ自動車大和工場体育館で行なわれたホッパーキング 対 デビルホッパー戦。

これまでの所属団体歴は、SPWF(1994年)、レッスル夢ファクトリー(1995年)、SPWF(1995年-1998年)、DDTプロレスリング(1998年-2003年)。

現在は大阪プロレス、NEO女子プロレス、大仁田厚プロレス興行、など、各プロレス団体のレフェリーも務める傍ら、プロレス&格闘技のイベント制作会社、ジャッジサポート株式会社(東京都渋谷区松濤)代表取締役としての顔を持っている。

趣味は、テキサス・ホールデムPOKER、並びにポーカー・トーナメント国際大会への出場、ゴルフ。

レフェリングスタイル

キャット・ファイトなどのエンタメ系からストロングスタイルまで、男女・団体問わず公正・無比なレフェリングに定評がある。

レスラーの高野拳磁が「(和田)京平さんの次に、試合がしやすいレフェリー」と評価したこともある。[]

レフェリー以外の活動

ジャッジサポートとしてはWWE、AAA、UWAI STATION、角海老宝石ボクシングジム、GCMコンテンターズ、ZST、J-NETWORK、IKUSA、RISE、西口プロレスなど数々のプロレス・ボクシング・格闘技イベント・興行を、リングレンタル業を中心に、音響機材レンタル、照明機材レンタル、2009年度にはテレビ局、CM制作会社、電通系企業イベント御用達「インカムレンタル」事業部を設立。並びにイベント企画立案から大会運営・制作・進行・ディレクションまで幅広く関わっている。

また、南半球最大の総合格闘技団体、XPLOSION・2007年6月22日・オーストラリア・ゴールドコーストコンベンションセンターアリーナ大会(観衆4000人)では総合演出責任者に就任。海外のスポーツイベントを手掛けることもある。

2005年には東京都新宿区歌舞伎町にあるプロレス&格闘技会場、新宿FACEの立ち上げに協力。また渋谷区道玄坂、円山町の人気クラブ5店舗、CLUB ATOM、Club asia、LOUNGE NEO、Glad、VUENOS TOKYO、の代理店・管理業務を手掛けている。

ジャッジ金子個人としては、千葉WALKER等の人気雑誌でモデルを務めるほか、バラエティ番組のめちゃ×2イケてるッ!、ヤミツキ、ロンブー龍、深夜ドラマの渋谷系女子プロレス、J-POP アーティスト、ジュエミリアのPV、「リセット」に演技指導担当、並びにレフェリー役として出演した。2009年12月2日、SONYMUSICから発売された、福原美穂の新曲「なんで泣きたくなっちゃうんだろう」、PV制作、並びに、ぱちんこ&パチスロ「あしたのジョー」お披露目イベント(KYORAKU&サミー合同イベント@両国国技館&東京ビッグサイト)、の制作にも携わっている。[]

2003年4月から、シティテレビ中野のプロレス情報番組『ゴー!ゴー!!バトル塾』において、メインキャスターとして番組開始から終了するまでの2年半の間、レギュラー出演し、メイン司会を担当していた。

クレーマー活動

竹書房出版の「本当にあったゆかいな話」なジャッジ金子が以下のことを暴露した。

  • スーパーで値下げ交渉を行い、端数を強引に切らせる。
  • ブランドショップで値下げ交渉を行い、非売品の香水をもらう。
  • 家電量販店の店舗に向かい冷蔵庫を購入するも自宅の寸法に合わないと言い、クーリングオフ対象外にもかかわらずクーリングオフを理由にキャンセルする。この冷蔵庫は定価16万円であり、最初は11万円で値下げ交渉を行っていた。量販店の即日配送サービスの対象であったが、在庫が無く配送が3日後になるという理由で、最終的には10万円にまで値切らせていた。
  • 5,500万円で建築したものの、設計が少し間違っていたという理由で4,500万円に値引き要求したが通らずキャンセルする。
  • 自分で落下させ落としてしまったデジタルカメラを自然劣化という理由でメーカー保証対象内として修理させる。

このことが掲示板やブログに掲載され批判が集中、さらにデジタルカメラの故障については詐欺に
当たるとして竹書房に問い合わせを行うものまで登場した。その後、ジャッジ金子や竹書房からのコメントは無い。


 
広告


おばっち飯塚
1973/1/12

本名:飯塚 昌美は、日本の女子プロレスラー。現役時代は吉本女子プロレスJd'→JDスター女子プロレスとLLPWに所属していた。

身長152.4cm、体重71kg。血液型AB型。千葉県浦安市出身。東京学館浦安高等学校卒業。

おばちゃんキャラクターで知られ、もじゃもじゃパーマのカツラ、割烹着、手には小道具が入った買い物籠をさげた姿で入場し、大根を凶器として使用する。

所属

  • Jd'→JDスター(1997年~2004年)
  • フリー(2004年~2005年)
  • LLPW(2005年~2008年)

経歴・戦歴

1997/5/26、兵庫・姫路厚生会館大会にて対藤原和子戦でデビュー。その後本名からおばっち飯塚に改名。

2001年年末頃にお笑いを捨て「サイバー飯塚」を名乗るもすぐに戻る。

2004/4/29を最後にJDスターを離脱。その後フリーとして活動していたが、翌2005/5/22にLLPWに入団。

2008/5/31、後楽園ホール大会にて11年のプロレスラー生活に幕を下ろした。






ミノワマン
1976/1/12

日本の総合格闘家。本名は美濃輪 育久(みのわ いくひさ)。岐阜県羽島市出身。富山健康科学専門学校卒業。

ニックネームは「本能のリアルプロレスラー」、パンクラス時代は「ザ・パンク」。赤いパンツがトレードマーク。ファンが喜ぶ試合をするのが身上で、格闘技の試合でパイルドライバーやデスバレーボムを繰り出したこともある。

また無差別級での試合を多く行っておりボブ・サップやチェ・ホンマンのような巨漢やギルバート・アイブル、ソクジュといった階級上の強豪選手相手に勝利を収めている。

来歴
冴夢来プロジェクト時代・パンクラス時代
1996年6月、第6回パンクラス入門テストを受けるが、不合格となる。その後、誠ジムに入門、剛竜馬の主宰する冴夢来プロジェクトに上がっていた。
1997/7/20、誠ジム所属としてパンクラスでプロデビュー、「ネオブラッドトーナメント」で3位となった。その後パンクラスに移籍し、1999/8/1には「ネオブラッドトーナメント」で優勝を果たした。パンクラスのリングではセーム・シュルト、菊田早苗、DEEPのリングでは田村潔司らと対戦した。
2003年4月にパンクラスを退団し、フリーに。8月にはブラジルのブラジリアン・トップチームでトレーニングするなど武者修行を行う。2003/9/19、ブラジルのジガンティーニョ・ジムナジウムで開かれた第1回ブラジルスーパーファイトにおいてシウマウ・ホドリゴと対戦。2R3分1秒、バックを取られながらも膝十字固めを極め一本勝ち。現地で「東洋の神秘」と絶賛される。
PRIDE参戦
2003/12/31、PRIDE初参戦となったPRIDE 男祭り 2003のオープニングファイトでクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、膝蹴りでTKO負け。
2004年はヴァンダレイ・シウバ戦、ハイアン・グレイシー戦と連敗スタートもその後は山本喧一、上山龍紀に連勝。大晦日のPRIDE 男祭り 2004で再びオープニングファイトに出場。ステファン・レコと対戦し、開始27秒ヒールホールドで一本勝ち。
2005年はギルバート・アイブル、キモらと対戦。両試合ともに得意の足関節技で勝利した。またPRIDEウェルター級グランプリにも出場。1回戦で以前TKO負けを喫したフィル・バローニにリベンジを果たすも、2回戦でブラジル武者修行時の師匠であるムリーロ・ブスタマンチに敗れた。
2005/12/31、PRIDE 男祭り 2005で、対戦を以前から熱望していた桜庭和志と対戦。チキンウィングアームロックでTKO負けを喫したが美濃輪は最後までタップしなかった。
2006年も継続してPRIDEに参戦。PRIDE 武士道 -其の拾-ではジャイアント・シルバをKOで破った。5/5の無差別級グランプリ開幕戦にも参戦。体重差約20kgのミルコ・クロコップと対戦するが、1分10秒でTKO負けを喫した。その後はバタービーンやマイク・バートンなどに勝利。
2006/12/31、PRIDE 男祭り 2006のオープニングファイトで田村と再戦。「超人になりたい」「『マン』を付けると強そうだから」とリングネームをミノワマンに変更。結果は田村にカウンターで横腹に膝蹴りを叩き込まれKO負け。
2007/7/23、プロデビュー10周年を記念して「CMAフェスティバル2 美濃輪育久デビュー10周年記念大会」が開催され、メインイベントでホ・ミンソクと対戦。アンクルホールドによりミンソクの左足にダメージを負わせ、1R終了時にタオル投入によるTKO勝ち。入場時には、トップロープ越えのパフォーマンスを披露した。
2007/8/11、HEAT4のメインでチェ・スンヒョンと対戦、アームロックで一本勝ち。
2007/9/17、HERO'Sに初参戦。ハレック・グレイシーと対戦予定であったが、ハレックの怪我の影響で、ヒクソン・グレイシーの門下生ケビン・ケーシーとの対戦に変更された。試合は、ケーシーが引き込んだグラウンドから再三脱出し、2R序盤でのパンチの打ち合いの中でミノワマンの右フックがケーシーのアゴをヒット、倒れたところにパウンドで追撃してTKO勝ち。
2007/10/28、HERO'S KOREA 2007でキム・ミンスと対戦。体格差を埋められず、左右のフック連打でTKO負け。試合後に拳を観客に向けて8回突き上げるパフォーマンスをキム・ミンスにやられてしまった。
2007/12/31、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でズールと対戦。ズールの周りをグルグルと走り回り、時々ローキックを放っていくヒットアンドランアウェイ戦法を取る。100kg以上の体重差があるズールを背負い投げ会場を沸かせる場面もあったが、体格差を埋めることはできず、最後はパウンドを受けたところで、セコンドからのタオル投入によりTKO負け。試合前には「体重差・体格差によって強さは計れないことを証明する」と語っていた。
DREAM参戦
2008/3/15、DREAM.1で韓国の元野球選手イ・グァンボムと対戦、膝十字固めで一本勝ち。トレードマークであった赤パンツではなく黒パンツで試合を行った。
2008/4/29、DREAM.2のミドル級トーナメント1回戦で金泰泳と対戦し、判定負け。
2008/9/23、DREAM.6でかつての師匠船木誠勝と対戦し、踵固めで一本負け。
2008/12/31、Dynamite!! ?勇気のチカラ2008?で、同年K-1GPベスト4のエロール・ジマーマンとDREAMルールで対戦し、足首固めで一本勝ちを収めた。
2009/2/10、DEEP&CMAファン感謝祭2009でかつての先輩・鈴木みのるとプロレスルールで試合し(初プロレス試合と発表されたが、冴夢来プロジェクト時代に経験済み)、17分31秒ゴッチ式パイルドライバーからの体固めで敗れる。
2009/4/5、DREAM.8で柴田勝頼と対戦。2R終了終盤にジャーマン・スープレックスを食らうなどして判定負けを喫した。
2009/5/26、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でボブ・サップと対戦し、アキレス腱固めで一本勝ち。
2009/5/29、キン肉マニア2009にてキン肉マンとプロレスルールで対戦。ブロッケンJr.の得意技である「ベルリンの赤い雨」やジェロニモの得意技である「トマホーク・チョップ」を繰り出し、挙句の果てにはキン肉マン自身の得意技である「キン肉バスター」を掟破りで使用するも、「火事場のクソ力」によってパワーアップしたキン肉マンのキン肉バスターを喰らっての体固めで敗れる。
2009/10/6、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でチェ・ホンマンと対戦した。下馬評を覆し、踵固めで2R一本勝ち。大晦日の決勝戦に駒を進めた。
2009/12/31、Dynamite!! ?勇気のチカラ2009?のスーパーハルクトーナメント決勝戦でソクジュと対戦し、3Rに左フック一撃でKO勝ち。スーパーハルクトーナメント優勝を果たし、世界最強超人の称号を手に入れた。
2010/3/22、DREAM.13でジミー・アンブリッツと対戦し、足首固めで一本勝ち。5月29日、DREAM.14でイマニー・リーと対戦し、裸絞めで一本勝ち。
2010/9/25、DREAM.16で石井慧と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
人物・エピソード
試合中、対戦相手に対して「俺はプロレスラーだ!!」と叫んだり(ハイアン・グレイシー戦)、退場時に観客にいきなり「リアルプロレス知ってるか?」と質問を投げかけたりするなど(どこの国へ行っても「クレイジー野郎」と言われるらしい)、その特異な言動から「本能のリアルプロレスラー」とも呼ばれる(彼の奇行については後述)。プロレスラーを標榜するように総合格闘技の実戦でも、ドロップキック、パイルドライバー、キーロックを果敢に行っている。
PRIDEに参戦するようになって以降、アップテンポな入場曲(Sunbeam "One Minute in Heaven")と、曲のリズムに合わせたテンションを上げるための仕草が名物となっている。
トップロープからリングインした後「ヨーソロー!」と叫ぶ。この言葉は長渕剛の曲「Captain of the Ship」から拝借したらしい。
試合中に大声を出す癖がある。それはラウンド間のインターバル中であっても例外ではなく、セコンドと「キン肉マン!」「俺がプロレスラーだ!」などの掛け声をあげながら気合を入れる。
試合に勝利した後は観客席に向かって「オイ!オイ!」と腕を突き上げながら掛け声を出す「S.R.F.8回」(スタンディング・リアル・フィスト8回)というパフォーマンスで人気を博している。ただし8回ではないことも多々ある。2005年の大晦日では試合には敗退したが、このパフォーマンスを控え室への帰り際に行った。
打ちっぱなしのゴルフや壁当てのボール投げなど一風変わったトレーニングを行う。
手ぶらで山篭りを敢行し遭難しかけ、持っていた携帯電話の明かりを頼りに下山した。
ミレニアム・コーナーというオリジナル必殺技を持つ。ハーフガードの状態で上になり、そこからパウンドを落としつつ相手を脚力でコーナーに押し込んでいく技である。初公開はPRIDE 武士道 -其の参-で行われたハイアン・グレイシー戦。
専門学校時代、パンクした自転車で富山県から実家のある岐阜県まで帰省した逸話がある。
女子アマチュアボクシング選手箕輪綾子は、同じ格闘家であり同姓である彼に強い親近感を抱いており、公式ブログ等でミノワマンというニックネームを使用している。なお、二人の間に血縁関係はない。
キン肉マンの影響
キン肉マンへの強い憧れを常々公言している。「奇行」とも取れる彼の数々の言動からは、キン肉マンの影響が見て取れる。
インタビュー中に突然キン肉マンの話を始める。
キン肉スグルと同じ赤いパンツがトレードマーク。
勝利後に謎のポーズをとる。
試合前に河原・砂浜・山奥・富士山などで謎の特訓を行う。
趣味を聞かれ「修行」と答える。
砂浜で特訓中、上空を通った旅客機を突然追いかける。本人いわく「目の前の海がなければ勝てていた」とのこと。
「超人になりたい」「『マン』を付けると強そうだから」と、リングネームをミノワマンに改名する。
ヘブン
2005年以降は終わりなき「ヘブン」の追求を公言している。本人の弁では、ヘブンには「スーパーヘブン」「ウルトラヘブン」と更なる超越の領域が存在するとのこと。なお、桜庭戦では「スーパーヘブン」に到達できたらしい。
試合前に「今回のテーマ」と称して不思議なコメントを残す。(「春風」「Go to summer」「追い風ダッシュ」「-爆風-20代最後の挑戦」「スプリングヘブン」等)
「ヘブンに到達するまでの特訓」をフジテレビのジャンクSPORTSで明かした際、司会の浜田雅功から「お前はアホか」と呆れられた。
2006年11月16日、美濃輪は関東学院大学・金沢八景キャンパスで講演会を行い、「リアル」「新型」「最先端」「超人」「遺伝子完全体超」「脳内外革命」、そして「ヘブン」についての講演を行った。

獲得タイトル

  • パンクラス ネオブラッドトーナメント 優勝(1999年)
  • BSFミドル級王座(2003年)
  • DREAM スーパーハルクトーナメント 〜世界超人選手権〜 優勝(2009年)

戦績
86戦47勝31負8引分





NAO
1989/1/12

本名:渡辺 菜穂、日本の女子レスリング選手、女子プロレスラー。東京都大田区出身。埼玉栄高等学校・東京リゾート&スポーツ専門学校卒業。高校の同期に健介officeの梶原慧がいる。

経歴・戦歴

レスリングではジャパンクイーンズカップスクールガールの部上位の常連となる活躍を見せる。

2004年
  • 12/26、東京・後楽園ホールにおいて、対吉田万里子戦でデビュー。
2005年
  • 3/25、ジャパンクイーンズカップ2005カデットの部49kg級で後にアジアジュニアチャンピオンとなる西のどかとの同期対決を制して優勝。
  • 6/5東京・新木場1stRING「“息吹”第1回大会」において、闘獣牙Leonと対戦。マッドスプラッシュで敗れた。
  • 11/13、東京・新宿FACE「“息吹”第4回大会」において、椎名由香と対戦。腕ひしぎ逆十字でギブアップ負け。
2007年
  • 4/13、ジャパンクイーンズカップ2007シニアの部51kg級に初出場も初戦敗退。
  • 12/21、全日本レスリング選手権大会51kg級初出場。準決勝まで進出するも甲斐友梨に0-2負け。

現在はレスリング・プロレスとも活動はしていない


  

















 ↑ トップへヤフーオークション
 


 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system