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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
1/16



ビッグ・タイトン
Big Tyton
1970/1/16

カナダのプロレスラー。ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身。

来歴

1988年、地元カナダでプロレスデビュー。

1991年7月、FMW参戦。1992年1月大仁田厚を破り世界マーシャルアーツ・ヘビー級王座を奪取。ザ・グラジエーターと共に強豪外国人として活躍した。のちリッキー・フジらと「チーム・カナダ」を結成。当時の出で立ちは、短髪を立て、顔にペイントを施していた。

1995年6月、WARに参戦。

1996年9月、WWF参戦、二代目レイザー・ラモン襲名。

1998年1月、新日本プロレス参戦。nWoジャパン内ユニット、アリストトリストの目玉外国人としてG1クライマックスに出場するなどし、活躍。

エピソード

元々のリングネームはビッグ・タイタンBig Tytan)だったが当時のポスターの誤記で、aoになっていた為そのまま「タイトン」と名乗るようになった。






佐々木貴
1975/1/16

日本のプロレスラー。岩手県一関市出身、神奈川県茅ヶ崎市在住。プロレスリングFREEDOMSに所属し、大日本プロレスに参戦。

経歴

岩手県立一関第二高等学校卒業後、IWA格闘志塾に入門。1996/9/15、神奈川・大津スイミングクラブ、vsトウカイブシドーX戦でデビュー。1997年、DDTプロレスリングへ移籍。DDTではKO-D無差別級シングル、タッグの二冠王に君臨。その後、円満退団し、「アカレンジャーズ」としてコンビを組んでいたGENTAROのいるアパッチプロレス軍へ移籍。

2005年、伊東竜二の持つBJW認定デスマッチヘビー級王座を狙い、大日本プロレスでデスマッチに挑み始め、同年6月18日の大会にて、自ら提示した蛍光灯300本デスマッチでタイトルマッチに挑戦するも、あえなく敗戦。このとき伊東は試合後、デスマッチ初心者ながら激しい試合を繰り広げた佐々木に対し、「タカシ、スゲェよ、お前!」と健闘を称えた。

その後、アパッチの葛西純と、大日本の"黒天使"沼澤邪鬼が、クレイジーコンビ「045邪猿気違's(ゼロヨンゴ ジャンキーズ)」を結成したことによって始まった、デスマッチ・イデオロギー闘争を機に、「大日本をもっと盛り上げて、日本一の団体にしたい」という思いから、元々固定のパートナーがいなかった伊東とタッグを結成。「045邪猿気違'S」と「マッスル&ファットです(アブドーラ小林&関本大介)」と共に、三つ巴の抗争を展開している。

大日本プロレスの2006/1/2の興行で、「アパッチも大日本も関係なしに、伊東と組んで一番を目指す。」と発言。これが金村キンタローら、アパッチメンバーの逆鱗に触れて抗争が勃発。佐々木も伊東、井上勝正、関本大介、MIYAWAKI、佐野直と対立派閥「たかし軍団」を結成。以来、新日本プロレスの真壁刀義ら、メジャー団体所属選手も巻き込み、ファンからのブーイングを浴びつつ、アパッチのメンバー達に牙を剥いている。

そのような中、BJW認定デスマッチヘビー級王座をめぐり、王者・アブドーラ小林の不甲斐無さに怒りを覚え、3月31日におけるタイトル挑戦を表明。「蛍光灯&剣山デスマッチ」で対戦し、試合中、頭に剣山が刺さり抜けなくなるというショッキングな事態に見舞われるも見事勝利。第18代デスマッチヘビー級王座を獲得した。試合後に病院直行、無事に剣山を抜いた。
(※補足 剣山を使ったデスマッチは、2001/10/27後楽園ホール大会の、アブドーラ小林vs松永光弘との一戦で、有刺鉄線との組み合わせの「薔薇剣山デスマッチ」が実現。その際、小林の腕に刺さって抜けなくなった。)

同年8月、アパッチにて空位となっていたWEWタッグ王座決定リーグ戦で、BADBOY非道をパートナーに迎え、優勝し、BJWデスマッチヘビー級と並んで二冠となった。

しかし、9月10日の大日本の大会では、大日本参戦以来、目標としてきた伊東竜二との防衛戦に敗北し、デスマッチヘビー級王座を失った。試合終盤の伊東のドラゴンスプラッシュ失敗で伊東自身が両腕骨折の重傷・長期欠場を余儀なくされたため、正パートナーも失った。

この結果を受け、大日本の12月3日の大会では、6月の後楽園ホール大会での防衛戦の相手でもある"黒天使"沼澤邪鬼を相手にデスマッチヘビー級王者決定戦に出場。「狂神の蛍光灯神殿デスマッチ」で勝利し、第20代デスマッチヘビー級王座を獲得した。

2007年は大日本の3/14の大会で宮本裕向を相手に「廣島 大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ 〜one night carnival〜」で屈指の激戦を制し、7/8の大会では前述の怪我から復帰してきた伊東竜二を相手に、2年振りの「蛍光灯300本デスマッチ」で、過去2度の同地同タイトル戦で敗れた雪辱を果たすも、8/26プロレスサミット有明大会で、"黒天使"沼澤邪鬼に敗れ、王座から陥落した。

2008年2月に発覚した金村キンタローの強制猥褻事件では、アパッチを代表して真っ先に会見を開き、謝罪し、団体の無期限活動停止処分も発表。興行活動再開後はGENTAROとのコンビも復活させ、大日本のデスマッチ戦線に絡みつつ、団体再興を推進していたが、2009年のアパッチ解散に伴い、自ら新団体「FREEDOMS」を設立、旗揚げした。

人物

  • 非常に酒に弱く、金村キンタローによれば「ビール一杯で潰れる」という。
  • 大日本やFREEDOMSのDVD制作や団体公式サイトを運営する有限会社ネオプラスの佐藤肇社長が、「佐々木貴に似てる」と2008年2月の大日本のイベントでイジられている。
  • 2009年、DDTが経営するスポーツバー「ドロップキック」で、ほぼ毎週木曜夜に「殿の宴」と称したイベントを行っている。FREEDOMS・大日本などの選手をゲストに招く形を取っている。
    • 先行したイベントは2008年3月に開催する予定だったが、前述の金村事件の影響で中止になっている。
  • 大の横浜ベイスターズファンであり、横浜スタジアムまで試合を見に行くこともある他、FREEDOMSでも横浜の応援歌の曲名をもじった大会名を付けている。

タイトル歴

  • DDT
    • KO-D無差別級シングル
    • KO-Dタッグ
    • アイアンマンヘビーメタル級王座
  • 大日本プロレス
    • BJW認定タッグ王座 : 1回(アカレンジャーズとして): 防衛戦が組まれないことと、パートナーを伊東竜二に変更したため、返上。
    • BJW認定デスマッチヘビー級王座 : 2回
  • アパッチプロレス軍
    • WEWタッグ王座

入場曲

「This is WAR」VANDENBERG


 
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キャンディー奥津
1975/1/16

日本の元女子プロレスラー。本名は奥津 智子。広島県広島市出身。覆面レスラータイガードリームRED LYNXとしても活躍。

経歴・戦歴

高校在学時はクロスカントリー部に所属。

JWP女子プロレス創設時の生え抜き1期生としてデビュー(当時は本名の奥津智子)。

1992年
  • 8/4、東京・葛飾区総合スポーツセンターにおいて、対プラム麻里子戦でデビュー。
1993年
  • 12/6、全日本女子プロレス・両国国技館大会にてチャパリータASARIを下し、全日本ジュニア王座を獲得。
1995年
  • 6/16、両国国技館大会にて矢樹広弓、菅生裕美との巴戦を制し初代JWPジュニア王者となった。
1997年
  • 8/17、後楽園ホールでの対福岡晶戦で引退。
1998年
  • 2/18、アルシオンの旗揚げに参加、現役復帰。
2001年
  • 1/5、後楽園ホールでの対大向美智子戦で2度目の引退。

タイトル歴

  • 全日本ジュニア王座
  • JWP認定ジュニア王座(初代、第4代)

入場テーマ曲

  • 「NESSA」(野呂一生)<JWP時代初期>
  • 「JUNGLE BOOGIE」(Kool & the Gang)<JWP時代後期>
  • 「SILVER LYNX」「ARSION MUSIC」に収録。(織田哲郎作曲、演奏)<アルシオン時代>
  • 「ENDLESS DREAM」「ARSION MUSIC」に収録。<タイガードリーム>





悲恋
1986/1/16

本名:金子 友里恵、日本の女子プロレスラー東京都葛飾区出身。センダイガールズプロレスリング所属。
2006年
  • 7/9、宮城・仙台サンプラザホールにおいて、対吉田万里子戦でデビュー。裏足4の字固めでタップアウト負け。
  • 9/29、宮城・Zepp Sendaiにおいて、尾崎魔弓と対戦。ローリング・セントーンで敗れる。
  • 11/11、宮城・Zepp Sendaiにおいて、カルロス天野と対戦。腕ひしぎ逆十字固めでタップアウト負け。
  • 12/3、宮城・Zepp Sendaiにおいて、闘獣牙Leonと対戦。マッドスプラッシュで敗れる。
2007年
  • 9/8、リングネームを悲恋に改名する。
2008年
  • 2月、一勝を挙げられない所を見かねた永島千佳世の誘いでOZアカデミー参戦を決意。
  • 3月、その永島千佳世を裏切り、尾崎魔弓に寝返り。以後、尾崎によるハードコアの手解きを受けることになる。
  • 7月、OZアカデミー(現在、尾崎軍の一員として参戦)新宿FACE大会、松本浩代から自力での初勝利を挙げる。
  • 10/26、Zepp Sendai大会「5vs5勝ち抜きサバイバルマッチ」の大将に抜擢。エネミーチーム大将の帝嘩怒(TEAM MAKEHEN)を倒し、ホームでのシングル初勝利を挙げ、仙女軍の勝利に貢献した。
2010年
  • 9/3、宮城・Zepp Sendaiにおいて、水波綾の持つJWP認定ジュニア王座&POP王座に挑戦し、勝利。自身初のタイトルを獲得する。

タイトル歴

  • JWP認定ジュニア王座&POP王座(第19代&第9代)

入場テーマ曲

  • 「Tokio Makin' Love」(浜田麻里)




 
ピンキー真由香
1992/1/16

本名:新関 真由香、日本の元女子プロレスラー。身長158cm、体重58kg。東京都大田区出身。現役時代はJWP女子プロレスに所属していた。
  • 2007年
    • 12/9、後楽園ホール大会の対中島安里紗戦でデビュー。
  • 2008年
    • 4/20、センダイガールズプロレスリング主催じゃじゃ馬トーナメントに出場。本名名義はこの試合までとなる。
    • 4/29、後楽園ホール大会の対紫雷美央(TEAM MAKEHEN)戦で初勝利。同日付で現在のリングネームに改名。
  • 2009年
    • 2/20東京キネマ倶楽部大会、JWP認定ジュニア&POP選手権試合で、松本浩代に挑戦するが、王座獲得に失敗。
    • 8月より長期欠場を続けていたが、12/28に、12/31をもって退団、引退することが発表された。

  



柴田勝久
1943/12/4 - 2010/1/16

日本の元大相撲力士、元プロレスラー、レフェリー。三重県桑名市出身。大相撲時代の四股名は、三重ノ山 勝久。朝日山部屋(入門時は大鳴戸部屋)所属。柴田勝頼は実子。

来歴

大鳴戸部屋(師匠は二瀬山)に入門して、柴田の四股名で1960年7月場所に16歳で初土俵を踏む。鉄扇(てっせん)と改名して1961年5月場所には序ノ口優勝、1963年9月場所には三段目優勝を果たした。この間、大鳴戸部屋と朝日山部屋の合併に伴い新・朝日山部屋所属となり、四股名も三重ノ山と改名した。しかし1966年9月場所限りで廃業、最高位は幕下35枚目。

大相撲廃業後はプロレスへ転向、1966年に東京プロレスに入団して同年10/12プロレスデビューした。1967年2月の東京プロレス崩壊後は、日本プロレスを経て1972年の新日本プロレス旗揚げに参加。

1977/2/9、肩の怪我のため、小沢正志戦で現役を引退、レフェリーへ転向。厳格なレフェリーとして活躍したが、1999/6/25に新日本プロレス「柴田勝久レフェリー引退記念興行」でレフェリーを引退した。全試合終了後の引退記念セレモニーでは、息子勝頼を激励の意を込めてボディスラムで投げた。

2005/9/11、メインイベントで勝頼が試合を行なったビッグマウス・ラウド旗揚げ戦にレフェリーとして参加した。

その後は藤波辰爾が主宰していたドラディションのリングでレフェリーをしていた。

2010/1/16の朝、心筋梗塞にて急逝。66歳没。

新日旗揚げ時のエピソード

東京プロレス→日本プロレスという経歴に加え、アントニオ猪木の付き人を務めたことがあったため、当時一緒にメキシコ遠征していた北沢幹之と共に新日本プロレス旗揚げに当然参加するもの、と当初見られていたが、北沢が先に帰国したのに柴田が戻ってこないため、不参加濃厚、と雑誌に書かれた。その理由についても、メキシコ遠征で貯めたお金を「(新日の)重役にするから出資しろ」と、当時猪木の金庫番とされた人物に言われたため、とされた。実際、出資したかは不明であるが、旗揚げ前には帰国して参加となった。

















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