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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
1/21



潮﨑豪
1982/1/21

日本のプロレスラー。プロレスリング・ノア所属。熊本県熊本市出身。血液型AB型。東海大学付属第二高等学校卒業。

来歴

少年時代〜デビュー

小学校時代は野球部に所属し、地元・熊本市の東地区優勝を果たしたほか、のちに高校の1学年後輩となる女子プロゴルファーの古閑美保と試合で対戦したこともある。中学・高校時代はバスケットボール選手で、ポジションはセンターを務めていた。

警察官の父に倣い、高校卒業後に警察官採用試験を受験するも失敗、試験勉強を継続する形でフリーター生活へ。各バイトを転々としながら悲観的になる中で思い立ち、突発的にプロレス入りを決意した。格闘技経験はなかったものの、プロレスリング・ノアの第2回入門テストに合格、2003年4月(21歳)に入団。憧れていた小橋建太の付き人となり、のちに合宿所の寮長も務めた。

2004/6/26(22歳)、この日京都KBSホールで行われたバトルロイヤルでプレデビュー。同年7/24、ディファ有明での秋山準&橋誠戦(パートナーは本田多聞)にて正式デビュー。団体初の、ヘビー級からのデビューである。

白GHC挑戦〜キング・オブ・ヨーロッパ・カップ出場

2004/11/21、宮城県スポーツセンターで行われたKENTA蹴撃七番勝負最終戦の丸藤正道対KENTAの試合後、グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者である丸藤正道に、「15分時間切れの場合王座移動」というルールで挑戦するも、時間切れ12秒前に不知火で敗れる。

2005年1月のシリーズで潮﨑豪七番勝負が全試合行われた。相手は小川良成、秋山準、齋藤彰俊、三沢光晴、リック・スタイナー、田上明、小橋建太(試合順)。相手の得意技を出すなど健闘するが、0勝7敗で終了した。同年4月24日の日本武道館大会で、天龍源一郎・秋山準相手に小橋と組んで戦った一戦は、天龍のパワーボムで潮﨑が敗れた。

2005/8/24、福島市国体記念体育館大会の対エディ・エドワーズ戦においてムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、シングル戦初勝利。

2005/11/5、日本武道館で行われた小橋・潮﨑組vs佐々木健介・中嶋勝彦組という師弟タッグ対決で爆発。健介、中嶋へジェラシーをぶつけ、果敢に挑んでいったが、健介のラリアットで潮﨑が敗れた。試合後は礼は行ったものの、悔しさのあまり健介との握手は拒否した。同月11-15日、小橋・秋山と共にヨーロッパへ初遠征。

2006/1/11、後楽園大会のKENTAとのシングルマッチにて、フィニッシュ技「go 2 sleep」の膝を顎で受けてしまい、同箇所を骨折。全治3か月の重傷を負って欠場。同年6月9日、選手会興行にて復帰。当初の復帰予定はまだ先だったが、谷口周平の怪我による欠場で、急遽出場の運びとなった。

2006年8月にSUWAと、2007/4/19からは青木篤志と共に、それぞれ約1か月間ヨーロッパへ遠征。2007年4月下旬、キング・オブ・ヨーロッパ・カップに出場し、1回戦でRQW所属のマーチン・ストーンに勝利するも、2回戦(準々決勝)でPWG所属のデイビー・リチャーズに敗れた。

GHC初挑戦〜米国武者修行

2007年10月、田上明とのタッグで臨んだGHCタッグ選手権王座決定リーグ戦でGHC初挑戦。1点止まりの最下位に終わる。

2007/9/9、ノアの日本武道館大会にて、三沢とのタッグで臨んだ無我ワールド・プロレスリングの藤波辰爾・西村修戦は、潮﨑が西村の足4の字固めで敗北。同年12月、無我ワールド・プロレスリングのトーナメントに参戦。1回戦で竹村豪氏に勝利するも、準決勝で吉江豊に敗れた。

2008/1/20、ノアの後楽園大会で行われたROH世界ヘビー級選手権試合にて選手権者のナイジェル・マッギネスに挑戦するも、ロンドン・ダンジョンで敗れる。同年2月、ノアと業務提携を結んでいるアメリカのROHに、無期限の武者修行という形で派遣。

2008年4月、第1回グローバル・タッグ・リーグ戦に、田上明の要請を受け、一時帰国して田上とタッグチームを結成して出場。1勝止まりの最下位に終わる。リーグ終了後、再び渡米。

2008/8/23、フロリダ州クリスタルリバーでエリック・スティーブンスが君臨するFIP世界ヘビー級王座に挑戦。ムーンサルトプレスで勝利し同タイトル(第7代)を獲得。同年10/4、ミズーリ州ウエストプレーンズで9人によるバトルロイヤルという形で行われたWLW世界選手権に勝利し、WLW世界ヘビー級王座(第43代)を獲得。同年12月20日、フロリダ州クリスタルリバーで行われたFIP世界ヘビー級選手権試合でタイラー・ブラックに敗れ、王座から陥落した。

凱旋帰国〜GHC初戴冠&陥落

その後、風格・肉体も大きくなって凱旋帰国し、2008年12/23、12/24にディファ有明で行われた「ザ・トーナメント'08」に参戦。1回戦で森嶋猛、2回戦で小川とチャンピオン経験者を連破する形で準々決勝(3回戦)に進出するも、当時GHCヘビー級王者であった佐々木健介に敗れる。しかし、その後も力皇猛・バイソン・スミスなどチャンピオンクラスの先輩選手を次々撃破している。この頃、寮生活を卒業し、一人暮らしを始めている。

2009/3/1、ノアの日本武道館大会にて、杉浦貴とタッグで自身初の新日本プロレスとの対抗戦となった中邑真輔・ミラノコレクションA.T.戦では、潮﨑がミラノに勝利した。

2009/4/19、自身初のGHCシングル挑戦となった札幌・月寒アルファコートドーム大会における秋山戦にてスターネス・ダストαで敗れ王座奪取に失敗する。

2009/5/6、三沢光晴とタッグチームを結成し4/11より臨んだ第2回グローバル・タッグ・リーグ戦の最終戦が日本武道館で行われ、佐々木・森嶋組と対戦。豪腕ラリアットで森嶋から勝利を奪い、合計9点をマークして優勝を決める。

2009/6/13、広島グリーンアリーナ大会にて、齋藤彰俊・バイソン・スミスが持つGHCタッグのベルトに三沢光晴と挑戦するも、奪取に失敗する。なお、この試合で三沢はアクシデントにより死去(詳細は三沢の項目を参照)。潮﨑は三沢の最後のタッグパートナーとなった。翌日の6/14、博多スターレーン大会にて、秋山準が腰椎椎間板ヘルニアによりGHCヘビー級王座を返上、この日ベルトを賭けて秋山と対戦予定だった力皇猛の対戦相手として潮﨑を指名。GHCヘビー級王座決定戦となった対戦は、潮﨑が力皇を破り第15代王者となった。ノア生え抜き選手としては初の戴冠となる。

2009/7/5、ディファ有明で行われた選手会興行にて、当時GHCジュニア王者であったKENTAとの「GHCヘビー対ジュニア」のシングル対決が実現。垂直落下式変形リバースDDTでKENTAから初勝利を奪う。

2009/12/6、武道館大会でのGHCヘビー級選手権で挑戦者の杉浦貴に雪崩式オリンピック予選スラムで敗れ、2度目の防衛に失敗した。

2010年

2010/1/4、「エース対決」「イケメン対決」と宣伝された、新日本プロレスの棚橋弘至との「レッスルキングダム IV」in東京ドームでの一戦は、ハイフライフローで敗れた。

2010年1月、テーマ曲を「Keep on Going」から「ENFONCER」に変更し臨んだ第3回グローバル・タッグ・リーグ戦であったが、同月1/16の佐野巧真・高山善廣戦にて、佐野に対するダイビング・ニー・ドロップの着地の際、右腕を負傷。後日「右撓骨骨幹部骨折及び右肘内側側副靭帯損傷」と発表され、1/19からの試合を欠場した。同年4/10、「Spring Navig. '10」開幕戦の後楽園大会にて、6度目のシングル対決となる丸藤正道戦での復帰が、潮﨑の要望により実現した。過去5戦は潮﨑の全敗だったが、治癒したての右腕にタイガーフロウジョンからの腕ひしぎ逆十字を決められレフェリーストップという形で敗北した。

2010/5/23、新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権で王者組の森嶋猛・石森太二に青木篤志とのタッグで挑戦、潮﨑が石森に勝利しAAA世界タッグ王座(第6代)を獲得。同年6/6、メキシコシティで行われたトリプレマニア18にて、AAA世界タッグ選手権(4WAY MATCH)で敗れ、王座から陥落した。

2010/6/19、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会で行われたIWGPヘビー級王座選手権で同王座初挑戦。選手権者の真壁刀義にキングコング・ニードロップで敗れ、王座奪取に失敗した。

2010/7/30-8/1、金丸と共に4度目の欧州遠征。

2010年8月6-15日に行われた新日本プロレスのG1 CLIMAXに初出場。4勝2敗1分けで9点を獲得し、Bブロック2位タイの成績をおさめた。

人物・エピソード

趣味は「S.I.C.」など仮面ライダー系のフィギュア収集や、カードゲーム「仮面ライダーバトル ガンバライド」のカード収集。鈴木鼓太郎も潮﨑のことを「同じ秋葉原を愛する男」と話している。大好きな『超人機メタルダー』のDVD-BOXを三沢光晴からプレゼントされたことがあり、ノアの公式サイト上の三沢との日記で感謝の言葉を述べている。小学生の頃から漫画を読んでおり、『エンジェル伝説』『ろくでなしBLUES』『わたるがぴゅん!』などを愛読していた。カラオケの十八番はCHAGE and ASKAの「YAH YAH YAH」である。

フリーター時代に調理場経験があり、新弟子時代にはちゃんこ番を長く務めており、料理が得意だとされている。得意料理は角煮、豚カツなど。

潮﨑の人柄に関して「お行儀のいい選手」という意見があるのに対し、潮﨑は「育ちがいいですからね、お行儀もやっぱりいいでしょうね」とコメントしている。

一時期、新日本プロレスの後藤洋央紀に顔が似ているとよく言われ、後藤もそれを認知している。2009/12/13に汐留・日テレタワーで行われた潮﨑単独のファンイベントにて、近くを通りすがった中年女性に「イケメンの韓流スター」と間違われた。2008年、遠征先のアメリカをバスで移動中、移動元のホテルで初めて出会った白人男性に身体を触られた上、唇まで奪われそうになった。更には、2009年10月、遠征先のメキシコのレストランにて食事中、現金、パスポート、携帯電話などが入ったバッグを盗まれるという被害に遭っており、潮﨑自身、「どうも海外は相性が悪いみたい」と語っている。

タイトル歴

  • プロレスリング・ノア
    • GHCヘビー級王座 - 第15代
    • グローバル・タッグ・リーグ戦 - 第2回(2009年)優勝(&三沢光晴)
  • フル・インパクト・プロ
    • FIP世界ヘビー級王座 - 第7代
  • ワールド・リーグ・レスリング
    • WLW世界ヘビー級王座 - 第43代
  • AAA
    • AAA世界タッグ王座 - 第6代(&青木篤志)

入場テーマ曲

  • My Direction(作曲・SUM 41)
  • Keep on Going(作曲・A-bee)
  • ENFONCER(作曲・鈴木修)- 現行





梶原一騎
1936/9/4 - 1987/1/21

日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は、高森朝樹(たかもり あさき)。高森朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の破天荒な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。

1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、所謂「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。

弟は漫画原作者、空手家の真樹日佐夫。妻は高森篤子。離婚期間があり、その間台湾のトップスター、白冰冰(パイ・ピンピン)とも婚姻関係を結ぶ。白との間に娘・白暁燕(パイ・シャオイェン)がいた。

主な作品

  • チャンピオン太(絵:吉田竜夫)
  • 空手バカ一代(絵:つのだじろう・影丸穣也)
  • タイガーマスク(絵:辻なおき)
  • タイガーマスク二世(絵:宮田淳一)
  • 悪役ブルース(絵:峰岸とおる)
  • 新戦艦大和(絵:団鉄也)
  • 巨人の星(絵:川崎のぼる)
  • 赤き血のイレブン(絵:園田光慶)
  • 朝日の恋人(絵:かざま鋭二)
  • 愛と誠(絵:ながやす巧)
  • おとこ道(絵:矢口高雄)
  • 侍ジャイアンツ(絵:井上コオ)
  • あしたのジョー(高森名義・絵:ちばてつや)
  • 夕やけ番長(絵:荘司としお)
  • 四角いジャングル(絵:中城健)
  • ジャイアント台風(高森名義・絵:辻なおき)
  • 紅の挑戦者(高森名義・絵:中城健)
  • プロレススーパースター列伝(絵:原田久仁信)
  • カラテ地獄変(絵:中城健)
  • 新カラテ地獄変(絵:中城健)
  • キックの鬼(絵:中城健)
  • 柔道一直線(絵:永島慎二)
  • 男の星座(絵:原田久仁信)
  • 人間兇器(絵:中野喜雄)
  • 恋人岬(絵:牧美也子)
  • 柔道讃歌(絵:貝塚ひろし)
  • 甲子園の土(絵:一峰大二)

格闘技の祭典(梶原一騎追悼興行)ビデオ紹介
力道山DVD紹介
チャンピオン太/2/3/3/3

 
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