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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/2


 
 


 
 

ブレット・ハート
Bret Sergeant Hart
1957/7/2

カナダ・アルバータ州カルガリー出身の元プロレスラー。1990年代のWWF(現・WWE)を代表するスーパースターで、「ヒットマンBret "Hitman" Hart)」、「処刑の達人Excellence of Execution)」などの異名を持つ。オーエン・ハートは実の弟である。

先代のWWFの主人公ハルク・ホーガンとは対照的な技巧派レスラーであり、パフォーマンスより試合内容でその地位を築いた。テーマカラーはピンクとブラックで、ピンクはカナダ国旗の色が赤と白であることに由来する。

入場時にはサングラス(ヒットマン・シェード)を着用し、観客席の子供にプレゼントしていた。このサングラスも元はインタビューの際の照れ隠しであったなど、あまりマイクアピールなどは得意としなかったが、座右の銘でもある有名な決め台詞として「現在、過去、未来においても俺が最高だThe Best there is, The Best there Was, and The Best there ever will be)」がある。これは本人がとある映画の台詞からとったもの。

来歴

カルガリー時代

ハート・ファミリーの総帥スチュ・ハートの六男として生まれる。高校時代はレスリングで活躍し、卒業後はハート家の地下に設置されている「ハート・ダンジョン」でミスター・サクラダ、ミスター・ヒトのコーチを受け、1976年にプロレスラーとしてデビュー。

地元カルガリーで父スチュが主宰するスタンピード・レスリングを主戦場に、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、デビッド・シュルツ、バッドニュース・アレン、アーチー・ゴルディーらと共に活躍、メインタイトルの北米ヘビー級王座には1980年から1983年にかけて通算6回載冠した。この間、1980年6月に新日本プロレスに初来日し、以降も新日本に度々参戦。藤波辰巳、木村健悟、初代タイガーマスクとも対戦し、彼らの保持するジュニアヘビー級王座に挑戦した。

WWFへ

1984年、WWFがスタンピード・レスリングを買収したことに伴い、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、ジム・ナイドハートらと共にWWFと契約。同年8月よりWWFマット登場を果たした。当初はカルガリー時代と同様ベビーフェイスのポジションでデビューしたが、1985年に義兄のジム・ナイドハートとヒールのタッグチーム、ハート・ファウンデーションを結成。マネージャーには同姓のジミー・ハートを迎え、ルックスもファイトスタイルも対照的なコンビとして売り出される(ナイドハートは「ブレットはポルシェ、俺はタンク」と自分たちを表現した)。

1987/1/26にはダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスのブリティッシュ・ブルドッグスを破り、WWF世界タッグ王座を獲得。以降、ピンクとブラックをテーマカラーに用いるようになる。タイトルは同年10月26日にストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)に奪われるが、その後もヒールのタッグチームとして観客のブーイングを浴び続けた。

ベビーフェイス転向

1988年3月27日、レッスルマニアIVの第1試合で行われたインビテーショナル・バトルロイヤルにおいて、ヒール仲間のバッドニュース・ブラウンに裏切られて優勝を逸したことを機に、ナイドハートと共にベビーフェイスに転向する。以降は人気コンビとして活躍し、ヒットマン・シェードをリングサイドの子供ファンに渡すルーティンも確立。1990/8/27のサマースラム1990ではデモリッションを撃破し、2度目のタッグ王座戴冠を果たした。

しかし、1991年3月24日のレッスルマニアVIIにおけるナスティ・ボーイズ戦で王座を流出、それを機にチームを解散し、ブレットはシングルプレーヤーとして活動を開始した。

この間、1990/4/13に東京ドームで行われた日米レスリングサミットに来日。当時2代目タイガーマスクに変身していた三沢光晴とシングルマッチで戦い、20分時間切れで引き分けている。

シングル転向

シングルプレーヤー転向後の1991/8/26にはカート・ヘニングを破りインターコンチネンタル王座を獲得。一度ザ・マウンティーに敗れ陥落するも、1992年4月5日のレッスルマニアVIIIでロディ・パイパーを相手に奪回する。同年8/29にイギリス・ウェンブリーで行われたサマースラム1992で義弟デイビーボーイに敗れ王座を失うが、この3試合は名勝負の多いブレットのキャリアの中でも特に評価が高い(ブレット自身も2006年のWWE殿堂入り式典で、デイビーボーイ戦は生涯最高の試合だったと語った)。

同年10/12、リック・フレアーを破りWWF世界ヘビー級王座に初戴冠。1993/4/4のレッスルマニアIXではヨコズナによって王座を奪われるも、翌1994年3月20日のレッスルマニアXで奪回に成功した。

以後、1990年代後半にかけては弟オーエン、ショーン・マイケルズ、ディーゼル等、自身と共に「ニュー・ジェネレーション」と呼ばれた選手たちとWWF世界ヘビー級王座を争う。特に1996年3月31日に開催されたレッスルマニアXIIでのマイケルズとの王座を賭けたアイアンマン・マッチは、敗れはしたものの歴史に残る名勝負として語り継がれている。

ブレット・ハート(1995年)

ジェリー・ローラーやボブ・バックランドといったベテラン選手とも抗争を展開しており、1995年4月2日のレッスルマニアXIではバックランドとの「シャープシューター対チキンウィング」による、どちらかが "I Quit" と降参を宣告するまで続くアイ・クイット・マッチが行われた。

また、この時期のWWFは人材難だったこともあり、ハクシー、ジャン=ピエール・ラフィット、アイザック・ヤンカムなどのニューカマーやリニューアル選手の売り出しにも協力を惜しまず、格下の彼らを相手にイン・ユア・ハウスやサマースラム1995などのPPV大会にてシングルマッチを行っている。

再びヒールターン

1996年3月31日のレッスルマニアXII以降、ブレットは8か月間に渡ってWWFを欠場する。この間、ケビン・ナッシュやスコット・ホールらをWCWに引き抜かれていたWWFは、ブレットの移籍を阻止するために異例の20年契約を提示。契約は同年10月に締結され、11/17のサバイバー・シリーズ1996で復帰戦を行うことが決定する。対戦相手はブレット自身の希望もあり、当時ストーン・コールドの新キャラクターでブレイクの兆しを見せ始めていたスティーブ・オースチンが務めることになった。この時点でブレットはベビーフェイス、オースチンはヒールだったが、当時のプロレスファンは品行方正な善玉よりもダーク・ヒーローを求める傾向にあった。

復帰戦以降オースチンとの抗争が始まるが、こうした背景からブレットの敵役であるはずのオースチンは徐々に声援を集めるようになる。観客の嗜好が変化しつつあることを察知したビンス・マクマホンは、人気に陰りの見え始めたブレットにヒール転向を打診。最初は乗り気でなかったブレットも最終的にはその要請に従い、自分とオースチンのポジションを入れ替えること(ダブルターン)に同意した。

1997年3月23日、レッスルマニア13においてブレット対オースチンのサブミッション・マッチが行われる。試合はブレットがレフェリーストップで勝利を収めたが、試合後もオースチンを攻撃し続けるブレットに観客はブーイングを浴びせた。以降は完全なヒールターンを果たし、長期間の「兄弟喧嘩」を続けていたオーエンとも復縁。デイビーボーイやナイドハートらと共にハート・ファウンデーションを再結成し、アメリカを愚弄しカナダを賛美する反米ユニットのリーダーとして活動するようになった。

モントリオール事件

しかしながら、この時期WWFはWCWへの対抗策としてファミリー路線からD-ジェネレーションXなどのアティテュード路線への転換期で、それに反発するブレットとWWFの関係は悪化した(ブレットの復帰はビンスの思惑ほど視聴率アップにつながらず、トップ・ヒールのポジションもDXのショーン・マイケルズに奪われつつあった)。また、当時WCWとの視聴率戦争に負け続きだったWWFは深刻な財政難に陥っており、高給の選手(ジ・アンダーテイカー、ショーン・マイケルズ、ブレット・ハート)のうち誰かをWCWに移籍させて経営を賄わざるを得ない状況にあった。株式上場について話し合いを持っていた投資会社からバランスシートに長期の負債を抱えるべきではないと忠告されたこともあり、結果として前年に20年契約を結んだばかりのブレットをリリースすることになる。

WCWへ移籍することになったブレットに対しWWFは、彼が保持するWWF世界ヘビー級王座を、同年11/9にカナダのモントリオールで開催されるサバイバー・シリーズ1997でショーン・マイケルズに負けて明け渡すことを通告。しかし、ブレットは地元カナダで犬猿のマイケルズに敗れることを拒否。この結果ブレットとビンス・マクマホンは、「ブレットがマイケルズにシャープシューターをかけるもレフェリーのアール・ヘブナーが見ていなかったためマイケルズは負けを逃れ、その後ハート・ファウンデーションとD-Xが乱入し、翌日のRAWで王座を返上する」というシナリオにすることで合意した。

しかし当日の試合中、マイケルズがブレットにシャープシューターを仕掛けたところで突如ヘブナーがゴングを要請し試合終了を宣言。ビンス・マクマホンがリングに現れた時点でブレットはビンスにはめられたと悟った。この様子はドキュメント映画『レスリング・ウィズ・シャドウズ』で舞台裏が紹介され、「モントリオール事件」と呼ばれる事件となった。

WCW時代

WCWに移籍後nWoにも加入したが、WWF時代のような目覚しい活躍は無かった。1999/5/23にWWF興行中の事故で実弟のオーエン・ハートを失った際は、ビンス・マクマホンを強く非難した。

同年11/21、王座決定トーナメント決勝にてクリス・ベノワを破りWCW世界ヘビー級王座を獲得するが、12/19のビル・ゴールドバーグ戦後に王座を返上。翌日、王者決定戦としてゴールドバーグと再戦しタイトルを奪回。しかし、この試合中に受けたカウンター式の頭部へのトラース・キックが原因で脳震盪を起こし、長期欠場を余儀なくされる。そして2000/10/20、WCWを解雇され、同10/28に引退を発表した。

引退後

2002年、自転車を運転中に脳梗塞を起こして転倒し、一時は左半身不随となるもののリハビリを続けて回復した。

引退後もその人気は変わらず、2005年にはビンス・マクマホンと和解を果たし、同年に「自身のベスト・アルバム」として自ら選んだベストマッチをまとめたDVDがWWEより発売された。また、2006年4月1日にはWWE殿堂入りを果たしている。ただし、顕彰者は翌日のレッスルマニアのメインイベント前にアリーナに登場し、観客のオベーションを受けることが通例となっているが、ブレットはこれには姿を見せなかった。

近年はさらに和解が進み、各地のサイン会などにも積極的に参加。2008年には姪のナタリアがWWEデビュー。ナタリアがFCWでトレーニングしていた当時、彼女の呼びかけで何度かコーチとして来場したことがあるという。

2010年、1/4放送のRAWにおいてゲストホストという形で12年ぶりにWWEに復帰。現在も確執が続いていると思われていたショーン・マイケルズとも抱き合い、和解したことを番組内で公表した。しかし、ビンス・マクマホンとの軋轢はまだ残っているという設定のもと遺恨アングルを展開、3月28日のレッスルマニアXXVIではビンスとの因縁のシングル対決が行われた。なお、前日の3/27には父スチュ・ハートのWWE殿堂入りのインダクター(プレゼンター)を務めている。

5/17放送のRAWにおいてザ・ミズを破り、US王座を獲得。その後RAWのGMに就任したため王座を返上したが、ネクサスに襲われ負傷し、GMを辞任した。以降はハウス・ショーなどには出場したが目立ったテレビ出演はなく、WWEとの契約が満了した。

エピソード

  • サソリ固めを世界に紹介したのはブレットと言われている。来日時に長州力が使っていたのを真似て使い始めたのが最初で、ブレットの人気の上昇と共にシャープシューターとしてアメリカでもメジャーな技になっていった。ちなみにブレットは左足を軸に技を掛ける(通常は右)。
  • 周囲に馴染めずにいた新人時代のザ・ロックに、すでにトップスターであったブレットが自らアドバイスをするなどして周囲に溶け込むサポートをしたという。
  • バックステージでのブレットとショーン・マイケルズの仲は険悪であった。ブレットが一時映画界進出のためにプロレスから離れていた頃にマイケルズはD-ジェネレーションXのリーダーとしてトップに君臨したが、厳格なプロレスラー一家に育ったブレットはD-Xの下品なパフォーマンスによってトップにのし上がったマイケルズを批判。マイケルズもブレットとWWFとの大型契約を話題にし、WWFに尽くしてきた自分よりもブレットが高いギャラをもらうことは有り得ないと非難。その後も泥酔していたマイケルズが番組放送中にブレットのプライベートを暴露し、それに激怒したブレットと殴り合いの喧嘩をしたという逸話も残っている。しかし、2010年1月4日放送のRAWにて両者とも和解を公表した。

獲得タイトル

  • スタンピード・レスリング
    • 北米ヘビー級王座 : 6回
    • 英連邦ミッドヘビー級王座 : 3回
    • インターナショナル・タッグ王座(カルガリー版) : 5回(w / キース・ハート×4、レオ・バーク)
  • WWC
    • WWCカリビアン・タッグ王座 : 1回(w / スミス・ハート)
  • WWE
    • WWF世界ヘビー級王座 : 5回
    • WWFインターコンチネンタル王座 : 2回
    • WWE US王座 : 1回
    • WWF世界タッグ王座 : 2回(w / ジム・ナイドハート)
    • WWE殿堂入り(2006年)
  • WCW
    • WCW世界ヘビー級王座 : 2回
    • WCW USヘビー級王座 : 4回
    • WCW世界タッグ王座 : 1回(w / ビル・ゴールドバーグ)

 
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チャールズ・ロビンソン
Charles Robinson
1964/7/2

WWE所属のレフェリー。ノースカロライナ州シャーロット出身。

経歴・人物

レフェリーとしてのデビューはWCWである。ハルク・ホーガンとビル・ゴールドバーグの初対決(1998/7/6)においてレフェリーを務めたのがロビンソンである。

WCW崩壊に伴い、アライアンスのメンバーとしてWWEに登場。アライアンスのストーリーが終了した2002年からは正式にWWE所属のレフェリーとなる。

風貌がリック・フレアーに似ており、フレアーのニックネームが「ネイチ」であることからリトルネイチと呼ばれている。

試合中のリアクションはスーパースター顔負けである。スーパースターが攻撃を受けるたびに表情と体の動きで痛みを表現する。

2005年7月のハウスショーさいたまスーパーアリーナ大会二日目(7月2日)が、ロビンソンの誕生日当日であり、ジョン・シナ vs JBL vs オーランド・ジョーダン戦(ハンディキャップマッチ形式のWWE王座戦)のレフェリーを務めたことから、シナ自身が「今日は、ロビンソンの誕生日だ。皆で祝ってくれ」と言った所から、日本公演において有名なWWEレフェリーの一人になった(他に有名なWWEレフェリーはマイク・キオーダ)。

2008年のWWE殿堂の式典でリック・フレアーのスピーチの際、フレアーから「リトルネイチは良い友人だ」と述べられた時に人目をはばからず涙を流していた姿がカメラに映し出されていた。






大矢 剛功
1964/7/2

おおや ひさかつは、日本の男子プロレスラーである。石川県金沢市出身で、現在は兵庫県神戸市在住。身長185cm、体重105kg。現在はフリーランスとして日本の各団体に参戦している。かつての本名は大矢健一であったが、法的手続きを執り、本名も「大矢剛功」に変更している。

経歴

藤花学園尾山台高等学校卒業後、神戸市の体育専門学校を経て、1985年新日本プロレスに入門した。1986/4/20、蝶野正洋戦でデビュー(木更津市倉形スポーツ会館において)したが、ドン荒川が開発した新技の実験台(「都庁固め」や「市役所固め」)にされたりしていた。その後、右腕の怪我で一年休場、新日本より退団を言い渡されたが選手会の仲立ちで退団は撤回された。その後すぐに反対の腕を怪我し、1989年ごろ退団している。

ヤングライオン時代に当初越中詩郎が木村健吾と共にヤクザ役で出演予定だった映画「新宿純愛物語」に直前に怪我をした越中の代役で出演した。

1988年に結婚し、その後スポーツインストラクターに転身したが、1990年に設立されたSWSに入団してレスラー生活を再スタートさせた。団体内ユニットではジョージ高野率いる『パライストラ』に所属した。SWS崩壊後はNOWを経てFMWに移籍。ミスター・ポーゴの『W★ING同盟』に所属して、大仁田厚らとデスマッチ抗争を繰り広げる。

1995年の大仁田引退後の『新生FMW』では引き続きポーゴの軍団『リーサル・ウェポン』に属するが、次第にデスマッチとは距離を置くようになり、原点である新日本在籍時に培った「ストロングスタイル」の戦いに活路を見出す。大仁田引退直後に行われたブラスナックル王座決定戦でハヤブサと激闘を演じ、自らのストロングスタイルの実力を知らしめると同時に、団体の『新生』を印象付けることに貢献した。

その後は正規軍にも加わるようになり若手レスラーの指導なども行った時期もあった。このあたりからレスリングの実力を発揮する様になっている。

時を経て、FMWの運営方針が冬木弘道指揮下のエンタメ路線に変更されると、髪の毛の薄さをネタにされるようになり、コミッショナー冬木からカツラをつけて試合をするよう強制されるが、カツラをつけて入場した大矢は試合前に自らそれを取り去り、完全に剃りあげたスキンヘッドをみせつけた。見事に傲慢な(キャラクターを演じていた)冬木の鼻をあかすことに成功し、驚きのあまり冬木は呆然とした顔をしながら花道を後ずさりした。これをきっかけに、大矢はその後ずっとスキンヘッドを保っている。

やがて『男の中の男』のキャッチフレーズを得て、演歌歌手谷本知美をマネージャーにつけて活動。確かな存在感を見せ付ける。

FMW倒産以降は他団体に登場。2005年からは自宅から通勤可能な大阪プロレスに、2006年には無我ワールド・プロレスリングに参戦している。2008年は北都プロレスが主戦場であり、コーチとしても指導に当たっている。

2006/9/18、後藤達俊との必殺技が「バックドロップ」同志の対決をしている。

入場テーマ曲

  • THE MASTER





Leon
1980/7/2

富山県滑川市出身。JWP女子プロレス所属。アルシオンのライセンスナンバー28。
2000/3/15、アルシオンの後楽園ホール興行において、対藤田愛戦でプロレスデビュー

所属

  • アルシオン(1999年 - 2003年)
  • AtoZ(2003年 - 2005年)
  • フリーランス(2005年 - 2007年)
  • JWP女子プロレス(2007年 - )

経歴・戦歴

2000年
  • 3/15、アルシオンの後楽園ホール興行において、対藤田愛戦でプロレスデビュー。
2003年
  • アルシオンを吸収したAtoZにリングネーム玲央奈(れおな)として所属。
2005年
  • 1月にAtoZを退団。そしてフリーランスで活動を開始し、またマスクウーマンとなりリングネームも闘獣牙Leon(とうじゅうきレオン)に改名した。
  • 4/24、M's Style一周年記念興行「Mab 〜夢を支配〜」のワンデートーナメントで優勝。
  • 11月よりM's Style所属となった。
2006年
  • 1/15、M's Style「アストレイア 〜希望の女神I〜」において、浜田文子との対戦中に自らマスクを外し、素顔となり戦うも敗れた。
  • 7/2、新宿FACE(レディゴンまつり)において、アルシオンメモリアルマッチで素顔の高瀬玲奈として、対AKINO、大向美智子、江本敦子組と戦い、江本から勝利する。パートナーは二上美紀子(GAMI)、アジャ・コング。試合後、誕生日を祝ってもらうが、大向のケーキ投げで金具により頬から流血してしまう。
  • 10/8にM's Styleが解散となりフリーに。
2007年
  • 1/14の東京キネマ倶楽部大会で、以前から定期参戦していたJWP女子プロレスへの入団を表明した。
2010年
  • 1月、「読みづらい」という理由から、リングネームを「闘獣牙Leon」から「Leon」に改名。

人物

  • 若手選手育成を願い、団体の枠を越えたユニット「獅子の穴」を結成している。「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2011」には大畠美咲との獅子の穴タッグで参戦。

タイトル歴

  • 全日本ジュニア王座
  • 第23代JWP認定タッグ王座(パートナーは米山香織)
  • 初代NSG王座
  • 第4代NEO認定ハイスピード王座
  • 第16代JWP認定無差別級王座

入場テーマ曲

  • 「NO GOOD」(THE PRODIGY)<闘獣牙Leon>

LEONブログ

  



長島☆自演乙☆雄一郎
1984/7/2

ながしま じえんおつ ゆういちろうは、日本のキックボクサー。本名は長島 雄一郎(ながしま ゆういちろう)。報徳学園高校卒業、流通科学大学中退。魁塾所属。血液型A型。K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜王者、初代ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)スーパーウェルター級王者。

プロボクサーの長島謙吾は実弟。

人物

兵庫県西宮市出身。大阪市生野区の魁塾に所属。日本拳法をバックボーンとする。ミドルネームの自演乙はインターネットスラングで「自作自演おつかれさま」の略。「自演乙」と付けた理由は2ちゃんねらーであることから。また、「☆」を2つ付けた理由は、「☆」が1つのつのだ☆ひろを超えたかったため。なお、2009年1月から2ちゃんねるの芸能・音楽・スポーツニュース速報+板の記者をやっている。

公式サイトおよびブログでは「声優になること」「K-1に出てコスプレ応援団席を作ること」が夢、コスプレが仕事、「皆に認めて貰えるような立派なアニオタになること」が目標で、格闘技は趣味としてついでに「(チャンピオン)ベルトも目指してる」と、あくまでコスプレ優先の姿勢を崩していない。これらのうち「ベルト」「K-1出場」「声優」は叶えられた。実際、長島の出る試合の観客席にはコスプレ姿で長島を応援するファンも見受けられる。

リングへの入場行進で毎回コスプレをしており、入場曲はアニメの主題歌や東方Projectのアレンジ曲である。これらのパフォーマンスから桃井はるこのWeb番組等に出演し、桃井はるこ作詞作曲編曲のテーマソング「☆自演乙☆ソング」が発売されることとなった。

格闘家を目指したきっかけは中学3年時にK-1でアンディ・フグを見て憧れたことからで、「選手ではなく観客が満足する試合をやりたい」とインタビューで語るなど魅せる意味でのプロ意識は高い。

格闘技イベント「DEEP KICK」のプロデューサーとして格闘技イベントを興行、「☆誕生日☆でおっつおつ」「☆新年会☆でおっつおつ」といったイベントを主催するなどプロデュース業にも積極的である。

「CODE(コードヘッドウェア)」とのコラボレーションで帽子を、「MARS SIXTEEN」とのコラボレーションでTシャツを発売している。

現在は東京を練習の拠点(シルバーウルフ)としているが、引っ越したことでアニメに対する環境が良くなったことを喜んでいる(テレビ東京、東京MX、文化放送などが視聴できるため)。

森山未來とプロ野球選手の大谷智久は高校の同級生。

コミックマーケットは78回(2010年夏)からサークル参加している。サークル名は『THE★自演団』。

2010年6月に株式会社ブシロードの木谷高明社長より『ブシロード認定 ヲタク世界ライト級チャンピオン』のベルトが贈呈され初代王者となる。

自分の試合の対戦カードを発表する記者会見で、生徒会役員共の七条アリアのコスプレ姿で会見に登場し「ヲタとしてのメッセージ」として「都の青少年健全育成条例の改正案に大反対」と切り出し、「表現の自由が奪われれば、コスプレの自由が奪われるかもしれないので、それ(改正案反対)を全面に出して戦いたい」と話した。

来歴

総合格闘技

2005/8/27、POWERGATE 2(総合格闘技ルール)に出場し高田谷悟に腕ひしぎ十字固めで一本負け。この時のリングネームは本名の「長島雄一郎」だった。

2006/4/29、REALRHYTHMの若手育成大会「ダブルアール」で開催されたライト級トーナメントに出場し2試合を勝ち抜く。セコンドには池本誠知が付いた。

2006/7/30、REALRHYTHM 4th STAGEで行われたダブルアール・ライト級トーナメント決勝で鍵山雄介にKO勝利し優勝を果たした。

2006/10/1、パンクラスのパンクラスゲート試合に出場しKO勝利を収めた。

キックボクシング

2007/4/15、リングネームを「長島☆自演乙☆雄一郎」に変えニュージャパンキックボクシング連盟でプロキックボクシングデビュー。深野文仁に右ハイキックでKO勝利。

2008/2/11、「MARS 11 "2nd ANNIVERSARY"」で開催されたMARSブラスターバウト初代王者決定トーナメントAブロックに出場。1回戦でK・ウォーワンチャイに判定勝利、決勝ではシャイン・スー(韓国、大韓ムエタイ韓国スーパーミドル級王者)にKO勝利し、優勝を果たした。Bブロック優勝者浦野貴之と6月29日に王者決定戦を行う予定だったが大会は開催されず、MARSは消滅した。

NJKF日本王座獲得

2008/11/9に後楽園ホールで行われた「START OF NEW LEGEND XIII 〜新しい伝説の始まり〜」第10試合NJKFスーパーウェルター級王座決定戦では、前日コメントで対戦相手の古川照明は入場行進中のコスプレに対し「北斗の拳とかのアニメの真似事だと思うが最近のアニメは理解できない」とコメント、対する長島は「練習時間以外は常に入場のことを考えている。てるあきくん、おっつおつにしてやんよ♪」とコメントし、当日は初音ミクのコスプレをして両手にネギを持ちネギ踊りしつつ入場、リング上でも踊り狂った。また、この一戦はNJKFとしては初の加盟ジム所属ではない選手のタイトル戦となった。

試合は1R開始直後に長島がパンチの連打で古川からダウンを奪い、古川は立ち上がったが左目が腫れて足下もおぼつかなく、再開直後から再び仕掛けてきた長島のラッシュに抵抗出来ずスタンディング・ダウンを取られレフェリーストップで1RTKO勝利。試合開始64秒、パンチのみでの勝利だった。試合後、応援客が応援の小道具として持っていたネギをリングに投げ込む中、長島はコーナーポストに登って雄叫びを上げNJKFスーパーウェルター級初代王者となった。

2008/12/22、DEEP PROTECT IMPACT 2008で初代M-1フェザー級王者サクシー・ケイ・リバーと対戦、長島の膝蹴りによりサクシーは鼻から出血してドクターストップがかかり2RTKO勝利。この試合にはFEG社長の谷川貞治が観戦に訪れており、長島は試合後のマイクパフォーマンスで「全勝でK-1MAXの舞台に上がりたいと思っています。アニヲタによるK-1制圧作戦が実行に移されようとしています」とK-1参戦をアピールした。

K-1

2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。1回戦では『マクロスF』の劇中歌「星間飛行」をBGMにランカ・リーのコスプレをし、ナレーションをランカ・リー役の中島愛が務める中で入場。試合は前回準優勝のHAYATOを相手に序盤からパンチのラッシュを仕掛け、バッティングで右瞼をカットしながらも計3度のダウンを奪い2RKO勝利。続く準決勝の山本優弥戦では1回戦と違う「アナタノオト」バージョンで入場。この試合も序盤からラッシュを仕掛けたが山本のガードを崩せず2Rにダウンを奪われ、3R途中にHAYATO戦でカットした瞼からの出血が悪化してドクターストップによるTKO負けを喫した。

2009年3月8日から13日にかけて、4月21日のK-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL16における推薦枠での出場選手を決めるファン投票がK-1公式サイトで実施され、他の候補選手を大きく引き離す50%あまりの得票率で出場権を獲得、世界トーナメント初代王者アルバート・クラウスとの対戦が決定した。

2009年4月8日の公開練習では桃井はるこのWeb番組に出演した際にリクエストを募集して1位となったビリー・ヘリントンのコスプレでレスリングのスパーリングを行い、その後着替えてミット打ちを見せた。取材には『灼眼のシャナ』のシャナの衣装で応じ、出稽古でボクシング日本スーパーウェルター級5位の下川原雄大などとスパーリングをしたとコメント。勝って衣装を持ち帰るとクラウスが挑発したことに対して「命懸けで阻止する」とし、自分が勝てばクラウスが天元突破グレンラガンのヨーコのコスプレをすることを要求した。

2009/4/21、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦でクラウスと対戦。10人のメイドを引き連れ、桃井はること共に乃木坂春香の秘密の乃木坂春香のコスプレで同作品のエンディングテーマのダンスを再現し入場。試合では真っ向からパンチを出して打ち合おうとしたが逆にクラウスのパンチで1Rに2度のダウンを奪われ、試合開始1分7秒でプロデビュー以来初めてダウンによるKO負けを喫した。試合後のインタビューでは「世界は強かった」とコメントし、ファンに謝罪すると共にこの敗戦を活かして這い上がると宣言した。

2009年8月から9月にかけて東京に住み込みシルバーウルフで出稽古を行い、魔裟斗ともスパーリングを行った。

2009/10/26、K-1 WORLD MAX 2009 FINALのワンマッチで散打選手シュー・イェン(中国)に初回KO負け。2連続1ラウンドKO負けとなり、試合後の会見では「自分の進退を考えなければいけない」と引退を示唆するコメントを残した。

2010/3/27、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜に出場し、K-1 MAX史上初となる全試合KO勝利で初優勝を果たした。NJKF王座の防衛戦を行うことが難しくなったため、4/1付けで王座を返上した。

2010/7/5、K-1 WORLD MAX 2010 FINAL16でアンドレ・ジダと対戦し、2-0の判定勝ち。試合後、ジダの攻撃を受けた際に右耳の鼓膜が破れていたと語った。

2010/11/8、K-1 WORLD MAX 2010 FINALに出場。準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦し、3Rに2度のダウンを奪われてKO負けを喫した。

2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で青木真也と対戦。『探偵オペラ ミルキィホームズ』の主演声優陣(声優ユニット「ミルキィホームズ」)をバックダンサーに、明智小衣のコスプレで入場。試合は、オープンフィンガーグローブ着用し、K-1ルール(フリーノックダウン制)の1Rが3分、総合格闘技ルールの2Rが5分のDREAM特別ルールで行われ(2Rで決着がつかない場合はドロー)、1Rは青木がクリンチやドロップキック、胴回し回転蹴り、反則行為であるロープを掴んでのキックなどで終了。続けて2R開始4秒で、タックルに来た青木への右跳び膝蹴りでダウンを奪って失神させ、パウンドでの追撃でKO勝ちした。試合後は、座礼を行い頭を深々と下げた。試合後のインタビューで、「2Rのひざは狙っていましたか?」という質問に対し「狙っていました。作戦は特にないです。青木選手とやると決まって、総合ルールでは勝てるわけないだろと思ってました。青木真也ですからね。世界一のグラップラーですから。総合ルールになったら終わるなと思っていました。でも、僕も往生際は悪いので、どうせだったら一発、立ってる状態では白帯ではないので。本当に1ラウンドと2ラウンドのファーストコンタクトを練習、イメージしてきました。」と語った。また、ミルキィホームズの4名は、試合後の長島の記者会見にも同席した。それ以降、ミルキィホームズとは共演する機会も多く、『探偵オペラ ミルキィホームズ』の打ち上げや長島の壮行会など私的な会合にも出席するようになた。ブシロードカードゲームライブ2011など、ミルキィホームズが規模の大きいライブに出演する際、長島もコスプレでゲスト出演している。

プロレス

2011/5/5に後楽園ホールにて開催される『ブシロードレスリング』でプロレスデビューが決定。佐藤耕平と対戦し、14分03秒に飛びつき回転十字固めで勝利。
過去の来歴から一見プロレスと接点が無さそうだが、アントニオ猪木引退試合でプロレスに目覚め、プロレスラーになるために格闘技を始めて、猪木が引退後に主宰したUFO (プロレス)に入団を問い合わせたこともあるという。また、同月にはZERO1の代表取締役兼社長の大谷晋二郎とも対談し、同対談の内容が週刊プロレスに掲載された。

同年6月、ZERO1のリングで曙とタッグを組み、大谷・橋本大地組と対戦。同じキック主体で戦う大地を一人前の選手として認め、闘争心むき出しで戦った(試合は曙が大地からボディープレスでフォール勝ち)。

獲得タイトル

アマチュア

  • 極真連合会全日本大会 高校の部 準優勝
  • 第7回西日本学生個人拳法選手権大会 第4位
  • のじぎく兵庫国体 日本拳法一般男子の部 準優勝
  • 第8回格闘空手選手権大会 優勝

プロ

  • ニュージャパンキックボクシング連盟初代スーパーウェルター級王座
  • ダブルアール・ライト級トーナメント優勝
  • K-1 WORLD MAX 2010 -70kg Japan Tournament 優勝

コスプレレパートリー

  • 東方Project
チルノ、博麗霊夢(2010年3月27日、名城裕司戦)、八意永琳(2010年3月27日、龍二戦)、霧雨魔理沙(2010年3月27日、中島弘貴戦)
  • アニメ
ランカ・リー(2009年2月23日、HAYATO戦。2009年4月4日、赤坂5丁目ミニマラソン)、ヴィータ、閻魔あい、仲村ゆり、中原小麦、カミナ、渚カヲル(アンドレ・ジダ戦前日記者会見)、サキエル(2010年7月5日、アンドレ・ジダ戦)、平沢唯、田井中律、明智小衣、アルセーヌ、涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、長門有希
  • 漫画
水銀燈、泉こなた、アリシア・フローレンス、阿部高和、諫山黄泉、巻き貝の巻
  • ゲーム
竜宮レナ、天海春香(ゼノグラシア版)(シュー・イェン戦前日記者会見)、坂上智代(TBS番組カード学園)、フェイリス・ニャンニャン、能美クドリャフカ
  • ライトノベル
桜野くりむ、木下秀吉、インデックス、シャナ、ドクロちゃん、乃木坂春香(2009年4月21日、アルバート・クラウス戦)、戦場ヶ原ひたぎ、瀬能ナツル(アンドレ・ジダ戦公開練習)
  • 芸能人
桃井はるこ、ビリー・ヘリントン(アルバート・クラウス戦公開練習)
  • その他
初音ミク

出演

テレビ番組
  • 格闘王(TBS系列、2008年)
  • 格闘神話MARS(テレビ埼玉、2008年)
  • オールスター感謝祭'09(TBS系列、2009年4月4日)
  • カード学園(TBS系列)
  • ダウンタウンDX(日本テレビ系列、2009年5月21日)
  • FNNスーパーニュース(CX系列、2008年)
  • ザ☆ネットスター!(BS2、2009年7月4日)
  • 陣スポ! 関西超(めちゃ)スゴ★アスリート10連発!!(関西テレビ、2009年8月22日)
  • VOICE(毎日放送、2009年10月14日)
  • ツボ娘(TBS系列、2010年)
  • 朝生ワイド す・またん!(読売テレビ、2011年2月4日)
アニメ
  • 地獄少女 三鼎 (カメラマン #22)
  • こどものじかん OVA 2学期 3科目目
  • R-15 (鉄坊 廻)
インターネットテレビ
  • 桃井はるこの独占!モコモコ90分#1(ニコニコ生放送、2009年3月25日)
  • 桃井はるこの独占!モコモコ60分(ニコニコ生放送、2009年)
  • 全てのホビーファンに送る「朝まで生ワンホビテレビ6」!(ニコニコ生放送、2009年7月26日)
  • J-サポート(あっ!とおどろく放送局、2009年12月21日)
  • ai sp@ce バリバリ720分(ニコニコ生放送、2009年12月29日, 30日)
ラジオ
  • ゴー傑P(MBSラジオ、2009年2月28日)
  • 桃井はるこのはいはいラジオラジオ(文化放送、2009年5月9日)
  • JAM THE WORLD(J-WAVE、2009年4月28日)
  • 青春ラジメニア(ラジオ関西、2009年6月28日)
インターネットラジオ
  • GENEON&キャララジオ Presents のら犬兄弟のギョーカイ時事放談! #42・43
  • 長島☆自演乙・美佳子のwwおつおつ☆ラジおっつww(HiBiKi Radio Station、2009年8月18日 - 2010年8月17日)パーソナリティ
イベント、その他
  • 大虹ロックフェスティバル Vol.1 〜みらくるらりあっと〜(2008年11月29日)
  • New レイヤーズパラダイス(2009年3月20日)
  • Borderless Dimension!! vol.10(2009年3月28日)
  • 萌えミーティング2009(2009年7月12日)
  • AOMORI夏の魔物(2009年7月18日)
  • ブシロード カードフェス(2009年7月25日)
  • ワンダーフェスティバル2009in幕張(2009年7月26日)
  • 『劇場版マクロスF 〜イツワリノウタヒメ〜』公開初日舞台挨拶(2009年11月21日)
  • 阿佐ヶ谷ロフトA『とある桃井の超自演砲vol.1 〜自演のチカラ2010〜』(2010年5月25日)
  • 週刊トロ・ステーション 第71号(2011年3月25日)




 












 
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