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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/4


 
 


 
 

ルーファス・ジョーンズ
Rufus R. Jones
1933/7/4 - 1993/11/13

キャリー・ロイドCarey Lloyd)。サウスカロライナ州ディロン出身のアフリカ系アメリカ人。

NWAのセントラル・ステーツ地区やミッドアトランティック地区を主戦場に、フレイト・トレインFreight Train)(貨物列車)の異名を持つベビーフェイスのブルファイターとして活躍した。

来歴

サウスカロライナ州立大学ではアメリカンフットボールとボクシングで活躍。1960年代にプロレスラーとしてデビューし、1969年1月にはバスター・ロイドBuster Lloyd)のリングネームで日本プロレスに初来日した。

以降、ルーファス・R・ジョーンズRufus R. Jones)をリングネームに1970年代前半は中西部のセントルイス・レスリング・クラブおよびセントラル・ステーツ・レスリングで活動。セントルイスではドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦し、60分フルタイムの時間切れ引き分けに持ち込んでいる。

1973年12月、ルーファス・ジョーンズ名義で全日本プロレスに初参戦。以降も全日本の常連外国人選手なり、1974年4月にはチャンピオン・カーニバルの第2回大会に出場。アメリカでは陽気なキャラクターのベビーフェイスとして人気者だったが、全日本マットではアブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーになるなどヒールのポジションに回った。1975年2月の来日ではボボ・ブラジルともタッグを組んでいる。

1970年代後半は、地元のサウスカロライナをサーキットエリアとするNWAミッドアトランティック地区に定着。1976/1/27にはワフー・マクダニエルとのコンビでミネソタ・レッキング・クルー(ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)からミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を奪取。同年7/6、サウスカロライナ州コロンビアにてテリー・ファンクのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、反則裁定ながら勝利を収めている。1977年にかけてはグレッグ・バレンタインやリック・フレアーとミッドアトランティックTV王座を争った。

その後はジョージアのGCWやアラバマのSECWなどNWAの深南部テリトリーを経て1980年よりセントラル・ステーツ地区に復帰し、ボビー・ジャガーズ、J・J・ディロン、ボブ・スウィータンらと抗争。全日本プロレスへの来日も続け、1981年7月にはビクター・リベラ、最後の来日となった1982年9月にはフランク・デュセックをパートナーに、佐藤昭雄&石川敬士のアジアタッグ王座に挑戦した。

1983年はミッドアトランティック地区に戻り、8月5日にドリー・ファンク・ジュニアを破りミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得したが、同年12/3にディック・スレーターに奪取された。その間の11/24には、バグジー・マグローとのコンビで『スターケード』の第1回大会に出場している。

キャリア末期の1980年代後半は古巣のセントラル・ステーツ地区に定着し、マイク・ジョージとのタッグやブッチ・リードとの抗争などで活動後、1987年に引退した。

1993年11月13日、ディア・ハンティング中に心筋梗塞を起こし死去。60歳没。

獲得タイトル

セントラル・ステーツ地区
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:2回
  • NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:3回(w / ボブ・ブラウン、デューイ・ロバートソン、マイク・ジョージ)
  • NWAセントラル・ステーツTV王座:1回
  • NWA北米タッグ王座(セントラル・ステーツ版):3回(w / スティーブ・ボラス、ザ・ストンパー、ボブ・ガイゲル)
  • NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版):2回(w / ボブ・ガイゲル)
ミッドアトランティック地区
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / バグジー・マグロー)
  • NWAミッドアトランティックTV王座:2回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ワフー・マクダニエル)
その他の地区
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ノーベル・オースチン)
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回
  • NWAバハマ・ヘビー級王座(フロリダ版):1回

 
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バリー・ウインダム
Barry Clinton Windham
1960/7/4

バリー・ウインダム

アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州スウィートウォーター出身。父親はブラックジャック・マリガン、弟はケンドール・ウインダム。ディック・マードックは義理の叔父、マイク・ロトンドは義兄弟にあたる。

父親譲りの長身の持ち主だが、大型ラフファイターだったマリガンとは対照的に、インサイドワークを駆使する技巧派として活躍した。1980年代から1990年代を全盛期に、NWA、WCW、WWFなど各メジャー団体で実績を残している。

来歴

父ブラックジャック・マリガンのトレーニングのもと、1980年1月にエディ・グラハムが主宰するNWAフロリダ地区のCWFでデビュー。金髪と長身、そして甘いマスクを持ったベビーフェイスの新鋭として売り出され、同年には早くもバグジー・マグロー、ミスター・サイトー、スーパー・デストロイヤーらを破り、同地区認定のTV王座を通算3回獲得した。

以降もフロリダを主戦場に、ダスティ・ローデスやマリガンとのタッグで活躍。シングルでは1981年1月にドリー・ファンク・ジュニアからフロリダ・ヘビー級王座を奪取し、1982年12月にはグレッグ・バレンタインを下し南部ヘビー級王座を獲得。1980年代前半はリッキー・スティムボート、ポール・オーンドーフ、ケリー・フォン・エリック、ブッチ・リードらと共に、次期NWA世界ヘビー級王者候補の一人として期待を集めた。

1983年11月、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にロン・フラーとの2メートル・コンビで初来日。キャリア不足もあって勝ち星には恵まれなかったものの、リッキー・スティムボート以来の初来日選手に対するコールが起こった。なお、来日第1戦となる開幕戦(大阪府立体育会館)で対戦し、リーグ戦の優勝チームとなったスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの両者は、ジョージアやテキサスなどアメリカ南部におけるブラックジャック・マリガンのライバルでもあった。

1984年10月、フロリダでのタッグパートナーだったマイク・ロトンドと共にWWFと契約。ロトンドとのタッグチームはUSエクスプレスU.S. Express)と名付けられ、1985/1/21にはノース・サウス・コネクション(ディック・マードック&アドリアン・アドニス)を破り、WWF世界タッグ王座を獲得した。同年3/31のレッスルマニア第1回大会でアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフに敗れ王座から陥落するも、6/17に奪還に成功。しかし、8月24日にドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)にタイトルを奪われ、そのままWWFを離脱した。

1986年1月、ロトンドとのコンビで全日本に再来日。その後は古巣のフロリダを経て、同年末よりジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)に定着、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した。1988年3月にはフォー・ホースメンを脱退したレックス・ルガーと組んでアーン・アンダーソン&タリー・ブランチャードからNWA世界タッグ王座を奪取するが、数週間後にルガーを裏切ってヒールに転向、ルガーと入れ替わる形でフォー・ホースメンの新メンバーとなった。

1988年11月、テッド・ターナーがクロケット・プロを買収してWCWが発足すると、一時WCWを離脱し1989年にザ・ウィドウメイカーThe Widowmaker)を名乗ってWWFに短期間登場。1990年には全日本に来日してジャンボ鶴田の三冠ヘビー級王座に挑戦し、その後WCWに復帰する。復帰後は再びホースメンに加わるも、1991年からはベビーフェイスに戻り、ダスティン・ローデスとの南部人タッグを結成した。同年3月、当時WCWと提携していた新日本プロレスに初参戦し、1992年8月のGIクライマックスにも出場。1993年2月にはノースカロライナ州アッシュビルでグレート・ムタを破り、復活版のNWA世界ヘビー級王座を奪取している。

1994年のWCW退団後はしばらくマット界から離れていたが、1996年末より密猟者ギミックのベビーフェイス、ザ・ストーカーThe Stalker)としてWWFに登場。翌1997年からは父マリガンと同様の黒ずくめのカウボーイ・スタイルとなり、ジャスティン・ブラッドショーを相棒にニュー・ブラックジャックスThe New Blackjacks)を結成。かつて父がブラックジャック・ランザとのコンビで一世を風靡した名タッグチーム、ザ・ブラックジャックスをリメイクした。同年の暮れには全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に、ニュー・ブラックジャックスとして参加。1983年の初来日以来、14年ぶりの最強タッグ出場を果たしている。

1998年にブラッドショーとのコンビを解消してヒールに転向、ジム・コルネットがWWF内で結成した「NWA軍」に加入するがファンの反応は鈍く、同年よりWCWに復帰する。しばらくは前座のポジションに甘んじていたものの、1999年にカート・ヘニング、ボビー・ダンカン・ジュニア、実弟のケンドール・ウインダムらと共に、カウボーイ・ユニットのウエスト・テキサス・レッドネックスWest Texas Rednecks)を結成。同年2月にはヘニングと組みトーナメント決勝でクリス・ベノワ&ディーン・マレンコを、8月にはケンドールとの兄弟チームでハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)をそれぞれ破り、WCW世界タッグ王座を2回に渡って獲得した。

1999年にWCWを離れ、プエルトリコのWWCやテッド・デビアスがプロデュースしたWXOなどを転戦。2000年にはケンドールとのウインダム・ブラザーズで全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦に来日、通算3回目の出場を果たした。2001年からはダスティ・ローデスが興したTCWに参加、以降はセミリタイア状態となり、各地のインディー団体へのスポット参戦を続けた。2004年5月にはIWAジャパンに来日。マイク・ロトンドの引退試合にタッグを組んで出場した。

2006年、プロデューサーとしてWWEと契約したが、2008年に解雇された。

獲得タイトル

CWF
  • NWAフロリダTV王座:3回
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:6回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / マイク・グラハム、スコット・マギー)
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):2回
  • NWA北米タッグ王座(フロリダ版):1回(w / マイク・グラハム)
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):3回(w / マイク・ロトンド)
  • NWAフロリダ・グローバル・タッグ王座:1回(w / ロン・バス)
NWAミッドアトランティック / WCW
  • NWA USヘビー級王座:1回
  • NWA USタッグ王座:1回(w / ロニー・ガービン)
  • NWA西部ヘリテージ王座:1回
  • NWA世界ヘビー級王座(復活版):1回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / レックス・ルガー)
  • WCW世界タッグ王座:3回(w / ダスティン・ローデス、カート・ヘニング、ケンドール・ウインダム)
  • WCW世界TV王座:1回
WWF
  • WWF世界タッグ王座:2回(w / マイク・ロトンド)
WWC
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / ケンドール・ウインダム)
その他
  • NWA南部ヘビー級王座(テネシー版):1回
  • NWA北米ヘビー級王座:1回
  • NWAニューイングランド・ヘビー級王座:1回
  • BTCWヘビー級王座:2回





シッド・ビシャス
Sid Vicious
1960/7/4

シッド・ユーディーSid Eudy)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。アーカンソー州ウェスト・メンフィス出身。サイコ・シッドSycho Sid)、シッド・ジャスティスSid Justice)などのリングネームでも知られ、WWF(現・WWE)やWCWで活躍した。

身長200cm超、体重140kgの筋骨隆々の肉体を誇る。技術面は荒削りで素行の悪さでも有名であったが、全盛期の1990年代は数々の問題行動を起こしながらも業界から消えることなく、その人間離れしたパワーと風貌および存在感から、メジャー団体のWWFとWCWを行き来し、トップスターとして活躍し続けた。

2001年以降は、インディー団体を中心に活動している。ちなみに、セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスとは同姓同名の別人(日本ではプロレスラーの方をシッド・ビシャスと表記しているため大きな混乱はない)。

来歴

日系レスラーのトージョー・ヤマモトのコーチを受け、1987年にデビュー。アイスホッケーのマスクを付けた覆面レスラー、ロード・ヒューマンガスLord Humongous)の名でアラバマ地区で活動する。その後、素顔に戻りテネシーのCWAマットでシッド・ビシャスと改名。1989年2月にはビシャス・ウォリアーのリングネームで新日本プロレスに初来日、両国国技館で藤波辰巳のIWGPヘビー級王座に挑戦した。

帰国後、シッド・ビシャス名義でWCWに移籍し、ダニー・スパイビーとの巨人タッグ、スカイ・スクレイパーズを結成(マネージャーはテディ・ロング)。シッドは怪我により休養を余儀なくされるが、スパイビーはマーク・キャラスを新パートナーに同タッグを継続した。復帰後にはフォー・ホースメンのメンバーとなり、トップ戦線で活躍。

1991年夏、ハルク・ホーガンの後継者候補としてWWFに引き抜かれる。当初はシッド・ジャスティスと名乗りベビーフェイスとして活躍。しかし、ロイヤルランブルでの遺恨を発端にホーガンと仲間割れして抗争を展開、レッスルマニアVIIIでは「ホーガン引退試合」の相手を務めた。

1993年、WCWに復帰。同年10/28、イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、彼の胸部・腹部をハサミで数箇所突き刺し、解雇される(「アンダーソン事件 / Arn Anderson's stabbing incident」とも呼ばれる)。ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われる。

WCWを解雇された後、1994年にはメンフィスのUSWAに復帰し、ジェリー・ローラーとの抗争を始める。1994/7/16には、(筋書き上)試合前に対戦相手のローラーを襲って負傷させて、不戦勝によりUSWA統一ヘビー級王者となる。その後1995/2/6に、ローラーに王座を奪還された。

1995/2/20、WWFと再契約。前述の事件もあってか、狂人ヒールのサイコ・シッドとしての復帰だった(入場曲も映画『サイコ』の有名なテーマ曲のアレンジだった)。主にショーン・マイケルズとの抗争を展開、1996年11月には彼を破りWWF世界ヘビー級王座を奪取。同王座を巡ってマイケルズ、ブレット・ハート、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ジ・アンダーテイカーらと抗争したが、1997年夏に再び脱退。

ECWへの短期参戦などを経て、1999年夏よりWCWに復帰。ランディ・サベージ派閥「チーム・マッドネス」のメンバーとなる。ミレニアム・マンと名乗り、2000/1/24、ケビン・ナッシュとの王座決定戦を制しWCW王座を奪取。ハルク・ホーガンの結成したミリオネアーズ・クラブにも参加した。2001年1月、試合中に脚を骨折して以降は半ばセミリタイア状態。

2007年にはWWE登場の噂が相次ぎ、ビンス・マクマホンとも復帰についての会談を持ったとされている。

2008/11/7には、かつてテネシー地区(CWA / USWA)で抗争を展開したジェリー・ローラーのレスラー生活35周年記念試合の対戦相手も務めた。

現在でも国内のインディー団体の試合に時折出場しており、全盛期と変わらぬ肉体・風貌と暴れっぷりでファンから声援を浴びている。

獲得タイトル

SECW(Southeastern Championship Wrestling)
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:1回(w / シェーン・ダグラス)
CWA
  • CWAヘビー級王座:1回
USWA
  • USWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • USWAユニファイド世界ヘビー級王座:2回
WWF
  • WWF世界ヘビー級王座:2回
NWA Northeast
  • NWAノースイースト・ヘビー級王座:1回
WCW
  • WCW世界ヘビー級王座:2回
  • WCW USヘビー級王座:1回

逸話

  • 無類のソフトボール好きとして知られる。WCW時代は試合をサボって草ソフトボールの試合に出場していたこともしばしばだった。





ライアン・シュルツ
Ryan Schultz
1977/7/4

アメリカ合衆国の総合格闘家。ネブラスカ州ノースプラット出身。Trials MMA and Fitness所属。元IFL世界ライト級王者。

背中にライオンのタトゥーがあり、「ザ・ライオン」のニックネームを持つ。消滅したIFLではポートランド・ウルフパックに所属していた。

来歴

ネブラスカ大学在学中にマット・リンドランドのコーチを受け、2003年にはリンドランドの影響を受けプロ総合格闘技デビュー。

2004年6月18日、SuperBrawl 36のライト級トーナメント決勝でロジャー・ウエルタと対戦し、パンチで顎を脱臼させてギブアップによる勝利を挙げ、優勝を果たした。

2006/9/9、IFLに初参戦。11/2にはクリス・ホロデッキーと対戦し、TKO負けを喫した。

2007/12/29、IFL世界ライト級王者決定戦でクリス・ホロデッキーと再戦。序盤でテイクダウンから上をキープし、ホロデスキーの左腕を固めた状態でパウンドを連打してTKO勝ち。ホロデスキーの無敗記録を止めるとともに、初代IFL世界ライト級王者となった。その後、2度に渡って同王座を防衛するも、2008/7/31のIFL活動停止をもって、王座を失った。

2008/8/24、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリ1回戦で廣田瑞人と対戦し、右フックからのパウンドでKO負け。

2009/9/23、戦極 〜第十陣〜で横田一則と対戦し、右フックで失神KO負けを喫した。

獲得タイトル

  • SuperBrawlライト級トーナメント 優勝(2004年)
  • 初代IFL世界ライト級王座(2007年)

  




アドリアン・アドニス
Adrian Adonis
1953/9/15 - 1988/7/4

Adrian Adonis

キース・フランクKeith Franke)は、1970年代から1980年代にかけて活躍したアメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州ニューヨークシティ出身。リングネームは、正確には「エイドリアン」と発音する。生年は1954年ともされる。

来歴

かつてはアメリカンフットボールの選手として活躍していたが、1974年にジャイアント馬場やタイガー・ジェット・シンの師匠としても知られるフレッド・アトキンスに弟子入りしてプロレス入り。本名をもじったキース・フランクスKeith Franks)を名乗り、金髪の若手ヒールとして売り出す。

若手時代は「賞金王」「ゴールデン・ボーイ」と呼ばれ、試合のたびに多額な賞金を賭けて戦い「俺を破った奴にはこの賞金をプレゼントしよう」と豪語していた。このスタイルで5年程戦ったが、1回も賞金を取られることはなかった(負けたことはなかった)という。

1977年にはNWAのロサンゼルス地区でアメリカス・ヘビー級王座を獲得し、チャボ・ゲレロやザ・ハングマンらと抗争。ロディ・パイパーとのコンビでアメリカス・タッグ王座も奪取し、ミル・マスカラスやアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦して日本でも注目を浴びた(当時、日本の専門誌では「ース・フランクス」と表記されていた)。その後、アドリアン・アドニスの名前で太平洋岸北西部のPNW(Pacific Northwest Wrestling)に登場、ロン・スターと組んで1979年4月にパイパー&キラー・ブルックスからパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している。

1979年の下期よりAWAに参戦し、ジェシー・ベンチュラとタッグチーム『イースト・ウエスト・コネクションEast-West Connection)』(アドニスがニューヨーク=東海岸出身、ベンチュラが自称カリフォルニア=西海岸出身)を結成。このヒール・コンビで大ブレイクを果たし、1980/7/20にはAWA世界タッグ王座を獲得、翌1981/6/14にハイ・フライヤーズ(グレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル)に敗れるまで、1年近くに渡ってタイトルを保持した。

1981年の後半にベンチュラと共にWWF入り。両者ともフレッド・ブラッシーを共通のマネージャーに迎え、リック・マーテル&トニー・ガレアやチーフ・ジェイ・ストロンボー&ジュールズ・ストロンボーなどの人気チームと対戦したが、当時は同じヒール陣営のミスター・サイトー&ミスター・フジがWWFタッグ王座に就いていたこともあり、それぞれシングル・プレイヤーとして売り出された。アドニスは1982/1/18と2/15のMSG定期戦においてボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に連続挑戦し、初戦ではバックランドの流血によるレフェリー・ストップで勝利を収めている(タイトルは移動せず)。また、インターコンチネンタル王者のペドロ・モラレスにも再三挑戦した。

1982年7月にWWF経由で新日本プロレスに初来日し、以降も新日本の常連外国人としてIWGPリーグ戦などで活躍。ニューヨーク・ヤンキースの革ジャンが入場時のコスチュームだったため、日本ではアメリカの暴走族のイメージから暴走狼のニックネームが付けられた。1983年3月の来日時は、1シリーズだけだがボブ・オートン・ジュニアとタッグを組む。オートンとのチームは「(初代)マンハッタン・コンビ」と呼ばれ、繰り出した「ハイジャック攻撃」の数々は、後に維新軍団他がコピーして、タッグマッチにおける一大ブームとなる(スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディの「超獣コンビ」の対抗馬とも目された)。

しかし、オートンが諸事情でしばらく来日できなくなったため、同年夏以降はディック・マードックが新パートナーとなる。チームリーダーではなくなったものの、傍若無人な暴走ファイトでアントニオ猪木と藤波辰巳の師弟コンビや維新軍団らと激闘を展開した。北部ニューヨーク出身のアドニスと南部テキサス出身のマードック、出身地も個性も対照的な2人のチームは、後にWWFで『ノース・サウス・コネクションNorth-South Connection)』と呼ばれた。

同時期、アメリカではテキサス州サンアントニオ地区のSCW(Southwest Championship Wrestling)を主戦場に、ボブ・スウィータンとサウスウエスト・ヘビー級王座を巡る抗争を展開。1983/5月/26には、真の世界王者(Undisputed World Heavyweight Champion)を決めるべく新設されたSCW世界ヘビー級王座の争奪トーナメントに出場、決勝で盟友のボブ・オートン・ジュニアを下して初代王者となり、ルー・テーズが保持していたNWA世界ヘビー級王座の旧ベルトを手にした。

1984年からは全米侵攻を開始したWWFと再契約し、マードックとのノース・サウス・コネクションでWWF世界タッグ王座も獲得(1984年4月17日、ロッキー・ジョンソン&トニー・アトラスから奪取)したが、その後は薬物依存とストレス性過食症で極度の肥満に苦しむようになる。コンビ解散後はジミー・ハートをマネージャーにゲイボーイ・ギミックの "アドラブル" アドリアン・アドニス"Adorable" Adrian Adonis)に変身し、LA時代の盟友ロディ・パイパーと抗争。パイパーと仲間割れしたカウボーイ・ボブ・オートンをボディーガードに従え、初代マンハッタン・コンビの再結成も見られたが、アドニスのギミックに合わせオートンもピンク色のテンガロンハットを被るなど、かつての暴走チームの面影は微塵もなかった(また、当時のWWFにはベンチュラも在籍していたが、すでに引退していたためイースト・ウエスト・コネクションが復活することはなかった)。このギミックでは、ザ・フラワー・ショップThe Flower Shop)なるインタビューコーナーのホストも担当している。

1987年の後半にWWFを退団してリハビリ施設に入所、以後は末期のAWAにてポール・E・デンジャラスリーをマネージャーに活動し、1988年5月には新日本プロレスへの久々の来日も実現。元のスタイルに復帰して再起を図っていた矢先の1988/7/4、カナダで自動車事故に遭い、34歳で死去。なお、この時の事故では新日本プロレスの常連外国人の仲間入りをしていた双子のタッグチーム、ケリー・ツインズも死去した。

獲得タイトル

  • NWAアメリカス・ヘビー級王座(ロサンゼルス版):1回
  • NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / ブラック・ゴードマン、ロディ・パイパー)
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / ロン・スター)
  • AWA世界タッグ王座:1回(w / ジェシー・ベンチュラ)
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:1回
  • SCW世界ヘビー級王座:1回
  • WWF世界タッグ王座:1回(w / ディック・マードック)




 












 
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