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”重要なお知らせ”


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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/5


 
 


 
 

ビクトリア 富士美
1960/7/5

長崎県出身の日本の元女子プロレスラー。本名は鋤崎 富士美(すきざき ふじみ)。覆面レスラーシルバーサタンとしても活躍した鋤崎真澄は姉。

来歴

  • 1976年 昭和51年組としてデビュー。ナンシー久美を退け新人王獲得。新人王戦に先立ちワールドリーグ戦にも出場、決勝まで進みジャッキー佐藤に敗れたものの準優勝の快挙を成し遂げる。
  • ナンシー久美をパートナーとした「ゴールデン・ペア」として、第68代WWWA世界タッグ王座を獲得。
  • 池下ユミ率いるヒール集団「ブラック軍団」の副首領だった時期もあった。
  • 1980年 腰痛のため引退。

タイトル歴

  • 第68代WWWA世界タッグ(パートナーはナンシー久美)

レコード

  • 「ソーダ水の向こうに」(1978年、ナンシー久美&ビクトリア富士美の「ゴールデンペア」名義)
  • 「ミステリー・ラヴ」(ゴールデン・ペア)

 
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ジェリー・サッグス
Jerry Sags
1964/7/5

アメリカ合衆国のプロレスラー。 本名はジェローム・セガノビッチJerome Saganovich)。ペンシルベニア州アレンタウン出身のユダヤ系アメリカ人。相棒ブライアン・ノッブスとのタッグチーム、ナスティ・ボーイズとしての活躍で知られる。

来歴

1985年、バーン・ガニアのAWAでレフェリーとしてプロレス業界に入る。その後ブラッド・レイガンズのトレーニングを受け、1986年にプロレスラーとして正式にデビュー。先にデビューを果たしていた幼なじみのブライアン・ノッブスと "ナスティ・ボーイズ" を結成する。AWAや南部エリアでキャリアを積んだ後、1990年代よりWWFやWCWに進出して各団体のタイトルを獲得、アメリカン・プロレス史に残る名タッグチームとして活躍した。

1996年、nWoのジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)との抗争において、ホールの過剰なイス攻撃により首を負傷して引退。WCW崩壊後の2001年に一時的にカムバックし、ノッブスとナスティ・ボーイズを再結成してフロリダ州タンパのXWF(Xcitement Wrestling Federation)旗揚げに参戦した。2007/11/20にはWWEスマックダウンのダーク・マッチに出場している。

2009年11月、ハルク・ホーガンがオーストラリアでプロモートした "Hulkamania Tour" にノッブスと共に参加。2010年1月からはTNAに登場した。

デビュー当時はノッブスと比べて細身だったが、徐々に体重が増加して1992年頃からはほとんど変わらない体型になっていた。近年は初期の体型に戻っている。また、インタビューやスキットではノッブスよりも冷静に振る舞う場合があり、パンプハンドル・スラムをはじめ技も多彩で技巧派の一面も覗かせた。しかし、向こうっ気の強さはノッブスに勝るとも劣らず、プライベートでケン・シャムロックと諍いを起こしたこともあり、アーン・アンダーソンも彼の腕っ節を認めている。






高岩 竜一
1972/7/5

日本のプロレスラー。本名は同じ漢字で「たかいわ りゅういち」。京都府亀岡市出身。ZERO1-MAXを退団しフリーランスとなった。ジュニアヘビー級きってのパワーファイターで「超竜」の異名を持つ。在日コリアンであることを告白している。

来歴

1992年、専門学校在学中に新日本プロレスの入団テストに合格し同年にデビュー。同期入門には現在まで続く盟友・大谷晋二郎がいる。以降ジュニアヘビー級を主戦場とし、主に大谷や金本浩二と組んで獣神サンダー・ライガー、エル・サムライ、ケンドー・カシンらの他、WARやみちのくプロレスの選手らと激戦を繰り広げ、1998/8/8には初代IWGPジュニアタッグ王座を大谷と共に獲得。1990年代のジュニアの黄金期の一角を担う。ニックネームである「ジュニアの超竜」は、ジュニアヘビーを超えたパワーファイトがスコット・ノートンを彷彿させるため、週刊ゴング編集長の金沢克彦が「竜一」と引っかけて、そう名付けた。

2001年に大谷と共にZERO-ONEに移籍。ヘビー級に転向した大谷とは対照的にジュニア戦線に留まり、対抗戦などでも活躍を遂げている。

2004/4/30の、ZERO-ONE後楽園ホール興行での天下一Jr.決勝にて、優勝後のインタビューで自分が在日コリアンであることを告白している(試合前には、日本と韓国の国歌が演奏されていた)。そして、在日コリアンであることを誇りに思うと共に、日本で生まれ育ったことから日本人としての誇りも持っていることを観衆にアピールした。この高岩の行動に対して、会場にいた観客は喝采を送った。

2004/10/17ZERO-ONE札幌大会、星川尚浩戦では金網最上段から雪崩式パワーボムを投げ急性硬膜下血腫を引き起こした。

2006/12/23、NOAH・ディファ有明大会で杉浦貴を破り、5年ぶりにGHCジュニアヘビー級王座を獲得。2007/2/18、AWA世界ジュニアヘビー級とのダブルタイトル戦で日高郁人を破り2冠王となった。

2008/12/17の新宿大会後に退団を表明。ZERO1-MAX側も了承し契約が解除されフリーとなった。

2009/2/15に新日本プロレスにおいてタイガーマスクを襲撃、4/5以降参戦しているブラック・タイガーの正体であると言われており、タイガーマスクや観客の反応や声、マスク越しに見える顔などからも明らかに本人と分かる。

また、2009年2月より大日本プロレスのコーチに就任し、9/28の大日本後楽園大会で半年振りに試合を行った。

2011年5月、闘龍門のドラゴマニア・メキシコ大会にて、ウルティモ・ドラゴンとブラック・タイガーで、マスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎ)対決し敗戦。ブラック・タイガーのマスクを脱ぎ正体が高岩と正式に判明。

人物

  • 柔道出身ながら、さして跳びぬけた戦績がないため当時の現場監督でレスリングのエリート出身である長州力からは非常に厳しく扱われ、新弟子時代には唯一高岩だけが「鍛えるためにしごく」のではなく「辞めさせるためにしごく」という目的のもと、過酷な練習を強いられていた。しかしながら高岩は人一倍折れない心とハングリー精神でしごきを乗り越え、のちに長州も彼をジュニアの中心の1人として重用するようになっていった。在籍当時ZERO1-MAXのコーチ的役割も担っており、中でも高岩と同様にジュニアパワーファイターである佐々木義人が彼の影響を受けているといわれる。
  • 若手時代はチャンスに恵まれず、ファイトスタイルに悩む。当時はラリアットを相手の顔面に打ち込んで苦情を受けたこともあった。
  • 競馬の大ファンで、オフの週末は毎週のように競馬施設へ足を運ぶほどである。毎年、週刊プロレスの選手名鑑のライバルには競走馬を必ず上げるほどだが、槍玉に挙げられた競走馬はその年に引退すると言う不思議なジンクスがあり、なんと10年間もこのジンクスが続いている。ライバルにされ、その年で引退した馬はスペシャルウィーク・グラスワンダー・テイエムオペラオー・ファインモーション・ゼンノロブロイ・ディープインパクトなどである。
  • 頭髪が薄いレスラーで、大谷晋二郎と共によく冷やかされている。また、その外見で松中信彦と間違えられることもある。実際野球場で、ファンが高岩と松中2人の顔写真が貼られたプラカードを持って応援しているのが確認されている。
  • オフには総合格闘技ジムでコーチとして選手の育成をしている。
  • 金本浩二が一時期多用していたコーナーに逆さ貼り付けにして対角コーナーからスライディングキックをする技はある日、金本が道場で高岩に尋ねたところ教えてくれたとのこと。
  • また、金本曰く、本人はパワー系のプロレスを行うものの実際はワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)を目標としジュニア特有の空中殺法に憧れていると闘魂Vスペシャル内で言っていた。

タイトル歴

新日本プロレス
  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回(第38代)
  • IWGPジュニアタッグ王座 : 2回(初代・第4代)
    パートナーはどちらも大谷晋二郎
  • ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝 : 1回(2000年)
プロレスリング・ノア
  • GHCジュニアヘビー級王座 : 2回(第2代・第12代)
ZERO1-MAX
  • NWA/UPW/ZERO-ONE認定インターナショナルジュニアヘビー級王座 : 1回
  • 4団体認定インターナショナルジュニアヘビー級王座 : 1回
  • AWA世界ジュニアヘビー級王座 : 1回
  • 天下一Jr.優勝 : 2回(2004年・2008年)
WAR
  • IJタッグ王座





バラモン・シュウ/バラモン・ケイ
佐藤 秀/佐藤恵
1977/7/5

日本のプロレスラー。神奈川県横浜市保土ヶ谷区出身。闘龍門X出身。

経歴

闘龍門9期生としてメキシコに渡る。2002/5/11、メキシコシティのアレナ・コリセオでデビュー。デビュー時は鯱魔神3号を名乗り、鯱魔神1号、2号、4号(4号の正体は弟のバラモン・ケイ)と組み、福政淳也、大柳錦也、小川内潤、菅原拓也組と対戦した。

日本では闘龍門Xを中心に活動したが、2004/9/9の闘龍門X自主興行終了後はみちのくプロレスに主戦場を置いた。

双子の弟である佐藤恵、および石森太二と「セーラーボーイズ」を結成してベビーフェイスとして活動し、東北タッグ王座にも挑戦した。歌を歌いながらの入場シーンが有名であったが、気仙沼二郎に口パクで入場していたことをバラされた。「歌を歌いながらの入場は一人でいい」という理由から、2005/7/9青森産業会館興行で沼二郎と「歌コントラ歌」というコントラ・マッチを行い敗れ、入場シーンからは歌が消えた。だが同年9/10後楽園ホール興行でザ・グレート・サスケを加えた「ニュー・セーラーボーイズ」として歌を歌いながらの入場が復活した。

レスラーのキャリアの大半が双子の兄弟でのタッグチーム活動が中心であったが、2005年7月にみちのくプロレスで行われたシングルレスラーのリーグ戦「鉄人」に参加し、シングルレスラーとしての頭角も現し始めている。

2005年10月、Gamma、菅原拓也と組んでヒールターンを果たした。「ザ・グレート・サスケ宇宙人説」を唱え抗争を開始。マスカラ(サスケによると面の皮)・コントラ・カベジェラマッチに敗れ、それまで伸ばしていた髪をバッサリ切られてしまった。

双子タッグでは東北タッグタイトルを獲得。一度大阪プロレスのタイガースマスク・フラッシュムーン組にタイトル流出を許すが、すぐに取り返している。

正式所属をプロレスリング・エルドラドに移すとバラモン兄弟とリングネームを改め、オカルト教団のような白装束や水晶玉片手に未来を予言するようになる。バラモンの元ネタは宮下あきらの漫画「瑪羅門の家族」からである。みちのくプロレスでは現在も佐藤秀・恵のままであり、サスケとの抗争を企んでいる。

2007年以降、バラモン兄弟による自主興行「大バラモン展」では、ミミズやゴギブリなど生きた害虫などをリングでバラまく、客席に浴びさす、虫を乗せた相手への体へダイブするなど、会場・客席からは非難轟々となった。それから、バラモン兄弟の試合では生きた虫攻撃は欠かせぬものとなった。

プロレスリング・エルドラド解散後は、フリーとなった。

決め台詞

  • 「お前ら、死んで地獄に落ちて、今度生まれ変わったら、蛆虫になるぞー!」

入場テーマ曲

  • 私のビートルズ(常田富士男)

  



ワルドー・フォン・エリック
Waldo Von Erich
1933/10/2 - 2009/7/5

ウォルター・ポール・シーバーWalter Paul Sieber)は、カナダ・オンタリオ州トロント出身のプロレスラー。

フリッツ・フォン・エリックの「弟」を名乗り(実際には血縁関係はない)、ナチス・ギミックの冷酷なドイツ人ヒールとして悪名を轟かせた。

来歴

YMCAにてレスリングのトレーニングを積み、1950年にカルガリーにて17歳でデビュー。カナダ各地を転戦した後にアメリカへ進出し、1950年代後半にフリッツ・フォン・エリックと邂逅。ワルドー・フォン・エリックと改名してフリッツとの「兄弟コンビ」を結成し、1958年10月にノースカロライナ地区(後のNWAミッドアトランティック地区)の南部タッグ王座を獲得した。

1960年代初頭は、ミスター・MMr. M)、ザ・グレート・ズィムThe Great Zim)、ザ・グリーン・ホーネットThe Green Hornet)などのリングネームで覆面レスラーに変身したこともある。

1964年、素顔のワルドー・フォン・エリックに戻り、ニューヨークのWWWFに参戦。8/22、9/21、10/19のMSG定期戦において、ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に連続挑戦した。翌1965/2/4にはジン・キニスキーと組んでジェリーとルークのグラハム兄弟からWWWF USタッグ王座(後のWWE世界タッグ王座の前身タイトル)を奪取している。

1966年よりテキサスのダラス地区でフリッツとのタッグチームを再結成、1967年2月と9月の2度に渡ってNWAアメリカン・タッグ王座を獲得した。同年4月、日本プロレスの『第9回ワールドリーグ戦』に「ドイツ代表」として初来日。ザ・デストロイヤーに次ぐ外国人サイドの2番手となって優勝戦線を撹乱した。5月開幕の『アイアンクロー・シリーズ』にも残留出場し、シリーズのエースとして参戦したフリッツとのコンビでジャイアント馬場&吉村道明のインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。翌1968年1月には、TBSプロレス時代の国際プロレスに来日した。

1970年代からはシングル・プレイヤーに専念し、WWWFやNWAトライステート地区(1980年代にビル・ワットが主宰したMSWA / UWFの前身プロモーション)を経て1971年に五大湖エリアのNWFに登場。同年11/20、オハイオ州クリーブランドにてジョニー・パワーズを破り第2代のNWF世界ヘビー級王者となった(12/8にドン・デヌーチに王座を奪われるが、翌1972/1/5に奪回。6/9にアーニー・ラッドに敗れるまでタイトルを保持した)。

1972年の秋には日本プロレスに再来日し、10/18に坂口征二のUNヘビー級王座に挑戦している。1973年から1974年にかけてはオーストラリアにて活動し、スパイロス・アリオンやマリオ・ミラノと抗争。1975年は第2次政権時代のブルーノ・サンマルチノの首を狙い、フレッド・ブラッシーをマネージャーに迎えて久々にWWWFを襲撃した。

1976年9月、NWFでの抗争相手でもあったアブドーラ・ザ・ブッチャーと共に全日本プロレスに来日。ブッチャーと組んで馬場&ジャンボ鶴田のインター・タッグにチャレンジし、大木金太郎のアジアヘビー級王座にも2回挑戦した。1977年には覆面レスラーのザ・グレート・ズィムとして、NWAトライステート地区にてテッド・デビアスから北米ヘビー級王座を奪取したが、同年3月1日、ディック・マードックに敗れて王座から陥落。これが最後のタイトル戴冠となり、1979年に引退した。

近年は地元オンタリオ州のケンブリッジを拠点にICWなる団体を主宰していた。2009年7月5日、オンタリオ州キッチナーの病院にて死去。75歳没。

なお、1980年代後半にダラスのWCCWでワルドーの息子と称するランス・フォン・エリック(ウィリアム・ヴォーン)がフォン・エリック兄弟(ケビン、ケリー)の従兄弟として活動していたが、フリッツとワルドーの兄弟設定と同様にギミック上のフィクションであり、ワルドーやフォン・エリック一家との血縁関係はない。 

獲得タイトル

  • NWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / フリッツ・フォン・エリック)
  • NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / フリッツ・フォン・エリック)
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • NWAブラスナックル王座(テキサス版):2回
  • NWAカナディアン・ヘビー級王座(カルガリー版):1回
  • NWA北米ヘビー級王座(トライステート版):1回
  • NWA USタッグ王座(トライステート版):1回(w / カール・フォン・ブラウナー)
  • WWWF USタッグ王座:1回(w / ジン・キニスキー)
  • NWF世界ヘビー級王座:2回
  • NWF北米ヘビー級王座:1回
  • IWA世界タッグ王座(オーストラリア版):2回(w / マリオ・ミラノ、ザ・スポイラー)
  • NWAオーストラ=アジアン・ヘビー級王座:1回
  • NWAオーストラ=アジアン・タッグ王座:1回(w / ヒロ・トージョー)




 












 
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