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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/6


 
 


 
 

沖識名
1904/7/6 - 1983/12/15

元プロレスラー、その後、日本のプロレスでの元レフェリー。

来歴・人物

沖縄県出身。本名は識名盛夫。ハワイに移住(日系アメリカ人)。ハワイ相撲の横綱やハワイ柔道選手権者として活躍した後、1931年にタロー・三宅(三宅多留次)に出会いプロレスラーとなる。タロー・三宅は、当時アメリカで大活躍をしていた日系レスラーである。

沖識名は、プロレスラーとしては、なかなかの実力者であり、5人の世界チャンピオンと選手権を争ったことがあるが、惜しいところでタイトルは取れなかった。柔道仕込みの関節技の名手だったという。また、若い頃のルー・テーズにレスリングを教えたことがあるのが自慢のひとつだった。

1948年にプロレスラーとしての現役を引退後、1951年、ハワイでハロルド坂田の誘いでプロレスに転向した力道山のコーチを務める。以後、日本プロレスで長年に渡ってメインレフェリーを務め、特に暴走する外国人レスラーにシャツを破かれるシーンが定番だった。

1973年(昭和48年)3月の日本プロレス崩壊により引退。同年10月に蔵前国技館で引退興行(全日本プロレス主催)が催された。

その後、ハワイに帰り、1983年(昭和58年)12月15日没、享年79。奇しくも、ちょうど20年目の力道山の命日であった。

エピソード

1965年(昭和40年)に拳銃不法所持で逮捕されたことがある。 その際、留置場で「プロレスは八百長だろう」と絡んできた若いチンピラに対して「俺が命を賭け、身体を張ってきたプロレスを八百長呼ばわりするとは許せない」と激怒した沖は、このチンピラと取っ組み合って、あっと言う間にのしてしまったという。この時、沖識名は61歳だった(出典:門茂男著『群狼たちの真実』角川文庫刊)。彼のハワイでのプランテーション労働の日々や力道山との出会いは、鳥越皓之『沖縄ハワイ移民一世の記録』(中央公論新書)に詳しい。


 
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ムース・モロウスキー
Moose Morowski
1935/7/6

スタン・マイキートビッチStan "The Moose" Mykietovitch)は、カナダ・マニトバ州ウィニペグ出身の元プロレスラー。

来歴

1954年、地元のウィニペグにてデビュー。以降、ウィニペグを主戦場に1957年から1966年までマディソン・タッグ王座を通算6回獲得し、1968年よりスタン・ザ・ムースStan the Moose)を名乗ってスチュ・ハートが主宰するカルガリーのスタンピード・レスリングに登場した。

翌1969年7月、このリングネームで国際プロレスに初来日。1970年7月には覆面レスラーのドクター・デスDr. Death)に変身して再来日し、ラッシャー木村と日本初の金網デスマッチを戦った。国際には、モンスター・ロシモフ、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンの3強が参加した1971年3月の『第3回IWAワールド・シリーズ』にもドクター・デスとして出場している。

1972年からはアメリカのNWA圏に進出し、ドリー・ファンク・シニアが牛耳っていたテキサス州アマリロ地区に参戦。ムース・モロウスキーMoose Morowski)と改名し、同年12月に全日本プロレスに初登場。以降、中堅外国人選手として全日本に度々来日し、1973年10月には鶴田友美の国内デビュー戦の相手を務めた。1974年9月の来日では、再び覆面を被ってジ・アベンジャーThe Avenger)なるマスクマンに変身、ザ・デストロイヤーの「覆面10番勝負」の対戦相手に起用されている。アベンジャー名義では1981年3月開幕の『第9回チャンピオン・カーニバル』にも出場し、ジャイアント馬場からリングアウト勝ちを収めるなど「リーグ戦荒らし」となって活躍した。

この間、カナダではバンクーバー地区(NWAオールスター・レスリング)でブラック・アベンジャーBlack Avenger)を名乗り、1977年から1978年にかけてカナディアン・タッグ王座を再三獲得。ジン・キニスキーやドン・レオ・ジョナサンとも対戦した。また、プエルトリコ、トリニダード・トバゴ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどにも遠征。キャリア晩年となる1980年代前半はヨーロッパを主戦場としていた。

1984年にリタイアし、1994年にバンクーバー近郊のブリティッシュコロンビア州クロバデールにてレスラーとしての最後の試合を行った。引退後はボランティア業務に従事している。

獲得タイトル

  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:3回(w / ニック・コザック、リッキー・ロメロ×2)
  • NWAオーストラ・アジアン・ヘビー級王座:1回
  • NWAカナディアン・ヘビー級王座(バンクーバー版):1回
  • NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):3回(w / テキサス・アウトロー、マイク・シャープ、ドン・ウエイト)
  • NWAインターナショナル・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / アル・トムコ)






ドン・フジイ
1970/7/6

ドン・フジイ

日本の現プロレスラー。DRAGON GATE所属。北の湖部屋所属の元大相撲力士であり、力の海(りきのうみ)の四股名で、最高位は三段目51枚目。プロレスラー時代のリングネームはドン・フジイだが中点を省いてドンフジイと記載されることも多い。二枚目レスラーが多いDRAGON GATEにおいて「おっさん」臭いキャラクターで人気を集め、通称フジイさん。身長175cm、体重105kg。大阪府箕面市出身。

「D・フジイ」と表記されることもある。

来歴

中学卒業後北の湖部屋に入門し1986年7月場所初土俵、1995年9月場所を最後に引退。本人の言によると「10年やってダメなら辞めようと思っていた」そうだ。入門した同期に幕内・北桜がいる。

力士廃業後天龍源一郎率いるWARでアルバイトとして営業業務を勤める(このときの経験は、現在チケットの営業として活かされている)が、闘龍門の募集を知り応募、合格しメキシコに渡る。現地で大島伸彦(現:CIMA)・諏訪高広(現:SUWA)とルード(悪役)集団C-MAXを結成(のちに多留嘉一(現:TARU)が合流)。1997/5/11デビュー。当時のリングネームは「スモー・フジ」。1999年に凱旋帰国を果たした。

喧嘩ファイトから、他人の物を盗む・演歌キャラを演じる(あまり歌はうまくない)などコミカル路線まで幅広くこなせる。C-MAX時代は抗争の口火を切る役目を果たしていた。 ちなみに過去に盗んだものは、斎藤了から「自転車」、堀口元気から「サーフボード」(未遂)、ミラノコレクションA.T.から「透明犬ミケーレ」、YOSSINOから「ヴェネツィア」、BATAやんから「黄金のマイク」、セカンド土井から「バット」を盗んでいる。自転車を盗み和解した後は"自転車兄弟"というユニット結成、ヴェベツィアを盗んだ(誘拐)時は"大きなゴリラの着ぐるみ"を着て気を引こうとし、マイクを盗み和解した後は"カラオケマシーン1号"となり、バットを盗み和解した後は土井と谷崎と"アイパーズ"を結成している。

元力士のため、闘龍門系レスラーとしては珍しい中肉中背の体格である。周りには二枚目でスラッとした体型の選手が大半を占める中、「羨ましくないですか?」との新聞社の質問に「俺の目標はマイティ井上さんのようなあんこ型で強いレスラー」と返していることから、このキャラは当分続きそうである。

また年が変わる毎にリングネームを変えていた。「スモー・フジ」「スモー・ダンディ・フジ」「スモー・ダンディ・フジ2000」「ビッグ・フジ」そして「ドン・フジイ」。ドン荒川をモチーフにしたドン・フジイに改名した当時、周囲にPRIDEで暴れていた「狂乱の格闘王」ドン・フライに間違われたという。実際CIMAもドン・フライが元ネタだと思っていたため、改名を宣言した時にフジイが公表した掛け軸には「ドンフジイ」と書かれていたが、「藤井さん、点はいらないんですか?」とツッコんだため結局ドン・フジイになった。その後に改名はなく、2011年現在ドン・フジイのままである。

2006年8月、WARのベルトであったIJタッグ選手権の王者決定リーグに神田裕之とのタッグで参加するが1回戦で敗れる。しかしマグナムTOKYOの負傷により急遽望月成晃のパートナーに指名され、見事王者となった。この時ベルトを天龍から腰に巻いてもらい感極まった表情をしていたのが印象的である。
さらに2006/11/23に団体最高峰のベルトであるオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦し、見事第6代王者となるなど2006年は大躍進の年であるといえる。

ドリーム・ゲートのベルトを失ってからは永遠のライバルでもある、黒田哲広や“ハリウッド”ストーカー市川との戦いや、ザ・ターボマンのパロディの『ターボやん』に扮する等、コミカル路線である。 しかし8/19のZepp札幌の試合後にCIMAの持つドリームゲートに再び挑戦を表明した。しかし土井成樹が同じくドリームゲートへの挑戦表明したため、9/8大阪府立第2競技場にでフジイと土井の2人による挑戦者決定戦が行われることが決定した。しかし、敗れてしまい、挑戦はならなかった。

しかし、吉野が持っているドリームゲートに挑戦するなど前線で常に活躍していたが、望月に対BWへ向けて共闘を呼びかけられたが、若手育成を理由に誘いを断り、前線から一度離れる事となった。

リングネーム

フジイが用いたことがあるリングネーム、四股名

  • 藤井達樹(本名)
  • スモー・フジ
  • スモー・ダンディ・フジ
  • スモー・ダンディ・フジ2000
  • ビッグ・フジ
  • ドン・フジイ(現在も使用中)
  • カラオケマシーン1号
  • ペロ・フジイ
  • キャッチャー・フジイ
  • フジ・不二子(ルパン松谷のセコンドで)
  • 番長・フジイ(期間限定ユニット“大島学園”の番長として)
  • B×Bフジイ
    B×Bハルクと同じコスチュームで入場し、ぎこちないダンスを披露した。
  • エル・キングコング
    YOSSINOのペットでゴリラのヴェネチアを盗むために自らゴリラに
    変身した。
  • ターボやん
    モデルはDRAGON GATEに参戦するAAAのザ・ターボマン。2007年7月 
    のWRESTLE JAMではマグニチュード岸和田が『ターボ・マッスル』、
    K-ness.が『ターボness.』、ルパン松谷が『ルパン松ターボ』に扮する等、
    2007年のWRESTLE JAMでは『ターボ旋風』が吹き荒れた。
  • ドン馬之助
    上田馬之助がモデル。"ハリウッド"ストーカー市川が大阪プロレスに
    参戦した際、タイガー・ジェット・市川として登場し、
    そのセコンドとして登場。

エピソード

  • 昔、因縁があったらしく黒田哲広とは深い対立関係である。
  • 怪我や欠場の多いドラゴン・ゲートでも極めて怪我が少ない選手。

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