ブロック・レスナー
Brock Lesnar
1977/7/12
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アメリカ合衆国の現総合格闘家、元プロレスラー、元レスリング選手。サウスダコタ州ウェブスター出身。元WWE所属。ミネソタ・マーシャルアーツ・アカデミー所属。元UFC世界ヘビー級王者。
プロレスデビューから5か月でWWE王座を獲得して当時の史上最年少記録を作り、総合格闘技転向後もその圧倒的な体格とパワー、ヘビー級離れしたスピードの速さ、アマチュアレスリング技術を活かしてUFC世界ヘビー級王座を獲得した。 WWE時代の異名は「The
next big
thing(次代の大物)」「苦痛を呼ぶ男」「Manster(マンスター。モンスターとマンによる造語)」、新日本プロレスでは「世界標準」と呼ばれた。
来歴
ビスマルク短大でレスリング部に所属しNJCAA王座を獲得するも、レスリング部が消滅してしまったためミネソタ大学に編入し、そこでNCAA(フリースタイル)レスリング選手権王座を獲得した。
WWE
WWEのスカウトによりブラッド・レイガンズの道場で指導を受ける。この時のコーチはカート・ヘニングである。その後WWEの下部団体OVWに1年半在籍し、ミネソタ大学の先輩だったシェルトン・ベンジャミンと共にタッグ王座を獲得して活躍した。
2002年にWWEに昇格するとポール・ヘイマンをマネージャーにし、デビュー戦でジェフ・ハーディーに勝利。同年6月のKing of the ringでババ・レイ・ダッドリー、ブッカー・T、テスト、ロブ・ヴァン・ダムを破り優勝。さらにハルク・ホーガンに勝利してWWE統一王座挑戦権を獲得。同年8月のサマースラムでザ・ロックを破りWWE統一王座を獲得して、最高位王座の戴冠としては当時の史上最年少記録(後にランディ・オートンが最年少戴冠記録を更新した)を作るなどプロレスデビューから5か月で頂点に立った。秋にはストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争でレスナーが勝利するブックが組まれていたが、これをオースチンが拒否してボイコットしたため、代わりにオースチンと同格のスーパースターであるジ・アンダーテイカーと抗争が組まれ、妊娠中のテイカーの妻を脅迫したり、ヘイマンの協力で試合前にテイカーの右手を骨折に追い込むなどして勝利。とどまることを知らない勢いでヒールでありながらファンからの人気を勝ち取り、徐々にベビーフェイス化しつつあったが、11月のサバイバー・シリーズでヘイマンが裏切り、ビッグ・ショーに敗れ王座転落。これをきっかけに完全にベビーターンする。
2003年のロイヤルランブルでビッグ・ショーとシングル戦で対戦して勝利した後、さらに同日のロイヤルランブル戦にも出場する強行日程ながら優勝を果たすと、レッスルマニア19のメインイベントでカート・アングルとWWE王座を賭けて対戦、試合終盤にシューティング・スター・プレスを仕掛けるも首から落ちる誤爆で意識も朦朧とするなか勝利して王座奪還。その後ビッグ・ショーと担架戦などで抗争後、6月のヴェンジェンスでカート、ビッグ・ショーとの三つ巴戦で敗れ王座転落。その後、悪のオーナービンス・マクマホンに「いつまで善人ぶっているつもりだ?お前の心の中にいる野獣の目を覚ませ!」と張り手をくらったのをきっかけにビンスと結託してヒール・ターン。義足のスーパースターザック・ゴーウェンを痛めつけて階段から落とすなどビンスですらドン引きするほど非道の限りを尽くし、サマースラムで再びカートと対戦するもアンクル・ロックでタップアウト負け。
その後、登場するたびに観客から「You Tapped Out!(お前はタップ負けした)」と、タップしたことを馬鹿にされるようになる。9/18のSmackDown!にてカートの持つWWE王座に60分間アイアンマン・マッチで挑戦し、1ポイントリードした状態で迎えた試合終了直前にアンクルロックを極められるも時間切れまでタップせずに耐え切って勝利し、王座を奪回。その後はビンスを中心に、SmackDown!にGMとして復帰してきたヘイマンらとも結託し、援護を受けて王座防衛を重ねた。
2004年、ノー・ウェイ・アウト2004でエディ・ゲレロにフォール負けして遂に王座から転落。
レスナーは以前からアメリカンフットボールの最高峰であるNFLに挑戦したいという意思を持っており、2004年3月には本格的にNFLに挑戦するためレッスルマニア20でのビル・ゴールドバーグ戦を最後に退団。なお、この時点で対戦する両者ともWWEを退団するということがあらかじめ分かっていたために、両者に対するファンからの批判が相次ぎ、WWE副社長のジム・ロスがこの件に対しての声明を出した。また試合においてもファンから多くのブーイングを浴び、特別レフェリーを務めたストーン・コールド・スティーブ・オースチンがレスナーに対して試合後スタナーを繰り出してファンの気持ちの沈静化を行った。
その後NFLのトライアウトを経て一度はミネソタ・バイキングスに入団するものの、開幕ロースター入りはならず同年8月にチームを解雇された。以後は無所属状態となり、プロレスへの復帰話が出てくる。またハルク・ホーガンが雑誌のインタビューで「プロレスに復帰すべきだ」と語るなど、多くのレスラーも復帰を呼びかけていた。
新日本プロレス参戦
2005年1月には来日して新日本プロレスの東京ドーム興行を観戦に訪れ、新日参戦を噂される。同年10月の新日本プロレスの東京ドーム興行にて新日マットに正式参戦し、いきなり挑戦者としてIWGPヘビー級王座選手権としては初の3WAY決戦(藤田和之・蝶野正洋)に臨み、王座を獲得した。12/10に中西学、翌11日永田裕志とシングルで対戦し勝利を収めた。
2006年1月4日の東京ドームにおいて前王者の藤田和之との初防衛戦が決定していたが、藤田の参戦拒否により対戦相手が中邑真輔に変更となった。なお、プライベートではWWEのディーヴァだったセイブルと婚約しており、2006/1月の東京ドーム興行にセイブルを伴っている。3/19には曙と対戦した。
2006/4/29、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASにおいて、総合格闘技大会HERO'Sへの参戦を表明した。試合後のインタビューではボブ・サップ、ホイス・グレイシーとの対戦を希望していた。
7/17、札幌でIWGPの防衛戦を行う予定であったにもかかわらず契約上のトラブルを理由にキャンセル。新日本プロレスは15日、レスナーのIWGPヘビー級王座を剥奪した。ベルト(3代目)は返却することなく以後も所有し続けていたが、2007/6/29のIGF旗揚げ戦でWWE以来となるカート・アングルとの対戦に敗れたことにより、ベルトをアングルに明け渡した。
総合格闘技
デビュー〜UFCとの契約
2007/6/2、「Dynamite!! USA」において総合格闘技デビュー。キム・ミンスに1R1分9秒、グラウンドでのパンチによるタップアウトで総合格闘技での初勝利を収めた。
2007/8/25、UFC 74の会場に姿を現わし、UFC世界ヘビー級王座を防衛したランディ・クートゥアを試合後に祝福した。また、10/20にはUFC
77にも来場し、UFCと正式に契約したことを明かした。
2008/2/2、スーパーボウルの開催される週に合わせたUFC 81でのUFCデビュー戦においてフランク・ミアと対戦。ミアをテイクダウンしパウンドで攻めたが、ミアに下から右脚を取られ膝十字固めで一本負け。8/10のUFC
87ではヒース・ヒーリングと対戦。KOおよび一本は取れなかったものの、3-0の判定勝ち。
世界ヘビー級王座戴冠とその後
2008/11/15、UFC 91で15か月ぶりに復帰してきた王者ランディ・クートゥアと対戦。パウンドによるTKO勝ちで、キャリア4戦目にしてUFC世界ヘビー級王座を獲得した。
2009/7/11、UFC 100で行われたUFC世界ヘビー級統一王座決定戦で、前回UFC 81でレスナーを破った暫定王者フランク・ミアと再戦。2ラウンドにパウンドによるTKO勝ちで雪辱しヘビー級王座の統一を果たすとともに、ヘビー級王座の初防衛に成功した。ミアの地元ラスベガスでの勝利に観客からはブーイングが起き、試合直後のインタビューでは「バドワイザー(UFCの公式スポンサーのビール会社)は何もくれなかったから、家に帰ってクアーズ・ライト(バドワイザーのライバル会社のビール)を飲むよ」と発言、その後の記者会見ではこの発言を謝罪したが、物議を醸すこととなった。
2009/11/21のUFC 106での防衛戦でシェイン・カーウィンと対戦予定であったが、自身の体調不良を理由に2010/1/2のUFC 108に延期されるも、最終的には大腸憩室炎のため欠場。一時は現役復帰は困難になる可能性という指摘を医師から受けたが、無事に完治した。
2010/7/3、UFC 116にて1年ぶりの復帰戦で暫定王者シェイン・カーウィンと対戦。開始早々からカーウィンのパンチを浴び続けてKO負け寸前に追い詰められるも、2ラウンドに肩固めで一本勝ちを収め、王座統一を果たすとともに2度目の防衛に成功した。また、この試合で自身初となる大会のサブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。
2010/10/23、UFC 121の王座防衛戦でケイン・ヴェラスケスと対戦し、1RにパウンドでTKO負けし、王座から陥落した。
人物・エピソード
- 総合格闘技に転向当初は、プロレス出身ということもあって、ファンからブーイングを浴びていた。しかし、レスナー本人は「俺はアマチュアレスリング出身だし、そもそもプロレスなんてやりたくなかった。本当は大学を卒業した後すぐにMMAに転向したかったが、当時のMMAでは大金を稼げなかったから仕方なくプロレスをやるしかなかった」と語っている。WWEで最も不満なことに地方巡業の過密日程を挙げており、さらに「WWE退団後にはリアルな競技がしたかったからNFLのトライアウトを受けた。合格しなかったけど後悔はしていない。なぜなら挑戦しなかったらもっと後悔してたからだ。大学卒業時にMMAに転向しなかった時のようにね。そんな過去があるから俺はMMAファイターになれた」と語るなど、自身のプロレスラー時代を全否定するかのような発言を繰り返している。
- ヒールとしての振る舞いに加えて、フランク・ミアとの因縁など強気な性格が強調されがちではあるが、対戦相手に敬意を表すなど誠実な一面も持つ。
獲得タイトル
WWE
- WWE・WCW統一王座:1回
- WWE王座:3回
- 2003年 ロイヤルランブル 優勝
- 2002年 キング・オブ・ザ・リング 優勝
OVW
- OVW南部タッグ王座:3回(w / シェルトン・ベンジャミン:3回)
新日本プロレス
UFC
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