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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/15


 
 


 
 


ミル・マスカラス
Mil Máscaras

1942/7/15
ミル・マスカラス

メキシコのプロレスラー。本名はアーロン・ロドリゲスAaron Rodríguez)。

千の顔を持つ男」「仮面貴族」などのニックネームを持つ。入場テーマ曲はジグソーの『スカイ・ハイ』。

メキシコのルチャリブレを代表するルチャドールの一人、そして世界で最も著名な覆面レスラーの一人として、華麗な空中殺法で人気を博した。

来歴

学生時代からアマチュアレスリングとボディビルに熱中。アマレスではメキシコ代表として東京オリンピックの候補にもなった。ボディビルでは1962年にミスター・メキシコに輝く。1964年4月に仮デビュー、1965年7月大キャンペーンの後、メキシコの大会場アレナ・メヒコでデビュー。

1968年から1971年にかけてはアメリカのNWAロサンゼルス地区を主戦場に活動し、ザ・シークやジョン・トロスを破りアメリカス・ヘビー級王座(WWA世界ヘビー級王座の実質的な後継タイトル)を通算4回獲得した。同地区ではアーニー・ラッドやブル・ラモスなどの巨漢ヒールとも抗争を展開しており、ラモスとの抗争は髪と覆面を賭けて闘うカベジェラ・コントラ・マスカラやチェーン・デスマッチにまで発展している。

初来日は1971年2月、日本プロレス。1970年代後半から1980年代前半にかけて、ドス・カラスとの兄弟コンビでの来日は全日本プロレスの「夏の風物詩」だった。日本マットではアントニオ猪木、ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤーらと名勝負を演じた。1977年8月に鶴田のUNヘビー級王座に挑戦した試合ではプロレス大賞の年間最高試合賞を受賞している。1980/9/12には、全日本のリングでハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している。

1986年1月の来日を最後に全日本プロレスへの登場が途絶えていたが、2000年に三沢光晴らの大量離脱が起こった後、再び参戦を開始。2006年9月には大阪プロレスへ参戦した。2009年3月の「仮面貴族FIESTA2009〜ミル・マスカラス華麗ナルゴールデンタイム伝説〜」で2年半ぶりに来日し、初代タイガーマスクとタッグを組んで藤波辰爾&グラン浜田と対戦。67歳ながらも空中技は健在で「日本は大好き、呼んでくれればいつでも来ます」とコメントを残した。

また、マディソン・スクエア・ガーデンにおける「覆面レスラーはマスクを脱いで素顔で出場しなければならない」という理不尽な決まりを、1972/12/18に素顔のザ・スポイラーとの対戦にて破り、初めて覆面を被ったままMSGに登場した人物である。ニューヨークのWWEには1970年代から1990年代にかけて不定期に単発参戦し、1978年には当時のWWWF王者スーパースター・ビリー・グラハムにも挑戦。同年1/23のMSG定期戦で行われたタイトルマッチでは、ボブ・バックランドがマスカラスのセコンドを務めている。1984年にスタートしたビンス・マクマホン・ジュニアの全米侵攻サーキットにも、中西部地区のビッグイベントを中心に出場した。1997/1/19には、メキシカン人口の多いテキサス州サンアントニオで行われたロイヤルランブル(第10回大会)にも出場している。

俳優としても活動しており、これまで20本以上の映画(ルチャシネマ)に出演している。日本では『愛と宿命のルチャ』がBOX東中野で公開され、TBSの深夜映画枠で『ミル・マスカラスの幻の美女とチャンピオン』が放映されたことがある。また、2007年には久々に主演作品Mil Mascaras Versus The Aztec Mummy(ミル・マスカラス対アステカのミイラ)が製作・公開され、各映画評からも好評を得た。同作品の公式ウェブサイトはhttp://mmvsam.com/(英語)である。

千の顔を持つ男」

試合毎にマスクを変えることから“千の顔を持つ男”と呼ばれた。リングネームはスペイン語で「千の仮面(マスク)」という意味である。日本で試合に出場した時には複数枚のマスクを用意して、リングに入場する際、マスクの上に別のマスクを更に被り(オーバーマスク)、そのオーバーマスクを投げファンにプレゼントするパフォーマンスが人気を集めた。また、別のマスクを被る時は顔を隠しながらアゴのあたりからスルッと(2枚のマスクで頭を包むようにして)被り直す特技もあり、絶対に素顔を晒さなかった。

親族

実弟に同じくプロレスラーのドス・カラス、エル・シコデリコ(サイコデリコ)がおり、兄弟での来日も多い。

甥のドス・カラス・ジュニアとエル・シコデリコ・ジュニア(サイコデリコ・ジュニア)は共にプロレスラーとなっている。ドス・カラス・ジュニアの総合格闘技参戦に関しては、「バーリ・トゥード(=総合格闘技)は犬の喧嘩」と否定的であるが、「若い人はいろいろと経験するのも良いこと」だと一定の理解を示している(週刊プロレスでのインタビュー)。

獲得タイトル

NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座 : 4回
  • NWAアメリカス・タッグ王座 : 2回(w / アルフォンソ・ダンテス、レイ・メンドーサ)
NWAビッグタイム・レスリング / WCCW
  • NWAアメリカン・タッグ王座 : 1回(w / ホセ・ロザリオ)
  • NWAテキサス・タッグ王座 : 1回(w / ホセ・ロザリオ)
  • WCCWタッグ王座 : 1回(w / ジェフ・ジャレット) ※ダラスのフリッツ・フォン・エリックの団体のタイトル
IWA
  • IWA世界ヘビー級王座 : 1回(アメリカ北東部の独立団体のタイトルだったが、団体崩壊後も長期間防衛戦を続けていたマスカラスの虎の子のタイトルである。日本で天龍源一郎、マイティ井上らの挑戦を受けたことがある。なおラッシャー木村らの保持していた同名のタイトルとは別物)
WWA
  • WWAヘビー級王座 : 1回
ALLL
  • ALLLヘビー級王座 : 1回
HWP
  • HWPアメリカ王座 : 1回
全日本プロレス
  • PWF・USヘビー級王座 : 1回(日本でザ・デストロイヤーから奪取)
その他
  • メキシカン・ナショナル・ライトヘビー級王座 : 2回

入場テーマ曲

  • スカイ・ハイ(ジグソー)
全日本プロレスで使用されたのは、映画主題歌としての「メインタイトル」バージョンである。他団体参戦時には、アップテンポなシングルカット版も使われた。

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ミル・マスカラス The Man of the Thousand Masks/2/2

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ジェシー "ザ・ボディ" ベンチュラ
Jesse "The Body" Ventura
1951/7/15

来歴

出生から海軍経験まで

スロバキア系移民の父とドイツ系移民の母のあいだに生まれる。地元ミネアポリスの高校に在学中は水泳選手として活動した。卒業後の1969年から海軍に入隊し、特殊部隊ネイビーシールズの一員となり、ベトナム戦争に出征する。ベンチュラは自伝で、このときの特殊部隊の訓練を人生でもっとも苛酷な経験だったと回想している(同時に彼はこのときの特殊部隊のトレーナーを深く尊敬していると語っている)。除隊後、地元のコミュニティ・カレッジで学び、1970年半ばごろからレスリングを始めた。一時はローリング・ストーンズのボディーガードを務めていた時期もあった。

プロレスラー時代

エディ・シャーキーにコーチを受け1975年にカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区でデビュー。その後、オレゴン州およびワシントン州一帯をサーキットエリアとするPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)に転戦し、ジミー・スヌーカやダッチ・サベージとの抗争で頭角を現す。スーパースター・ビリー・グラハムの熱狂的ファンであった(勝手に弟を名乗っていたという)ことから、そのビジュアルイメージやファイトスタイルまでグラハムの完全なコピー選手を演じた。レスリングの技術は拙いがマイクアピールに抜群の才能を持っていたことも共通していた。プロフィール上はミネアポリスではなくカリフォルニア州サンディエゴ出身を自称したが、これは海軍在籍時代の駐屯地に由来する。

1979年、地元ミネアポリスに本拠地を置くAWAでアドリアン・アドニスとのタッグチーム、イースト・ウエスト・コネクションEast-West Connection)を結成、ヒールとして大ブレイクを果たす。1980/7/20にはバーン・ガニア&マッドドッグ・バションからAWA世界タッグ王座を奪取し、以降約1年間保持。1981年の下期からは、2人ともニューヨークのWWFに王者ボブ・バックランドの挑戦者として参戦した。

しかしアドニスが新日本プロレスに定期的に参戦するようになったことからコンビは解散(ベンチュラも新日本に参戦し、アントニオ猪木とシングルマッチを行ったことがあるが、マイクアピールの才能が生かせない日本では活躍できなかった)。ベンチュラはシングルプレイヤーとしてAWAのトップ・ヒールの地位を確立、同じくグラハムに強烈な影響を受けたハルク・ホーガンのライバルとして活躍した。AWAでは1983年にミスター・サイトーともタッグチームを組んだことがある。このコンビはサイトーが「極東」の日本出身ということもあり、ファー・イースト・ウエスト・コネクションFar East-West Connection)と呼ばれた。

1983年の下期にはテネシー州メンフィスのCWAに遠征し、ジェリー・ローラーとAWA南部ヘビー級王座を賭けた抗争を展開。その後1984年、WWFの全米侵攻の主力メンバーとしてAWAから引き抜かれる。先にAWAより移籍してWWF世界王者となっていたホーガンの挑戦者のポジションが用意されていたが、心臓近くに血栓が発見されたことにより(ステロイド剤の影響とも言われる)突然の引退。持ち前の弁才を活かし、カラー・コメンテーターとしてのキャリアを選択した。もともとトークに関しては抜群の能力を有していたこともあり、彼が現在まで続く「ヒール解説者」の元祖とも言われる。1990年のWWF脱退後はWCWでも同様の役を務めた。

1999年、久々にWWFに登場し、サマースラムのメインイベント(ストーン・コールド・スティーブ・オースチン対トリプルH対マンカインドのWWF王座戦)でスペシャル・ゲスト・レフェリーを担当。2001年にはXFLのコメンテーターも務めた。

以後もWWEの番組や興行に時折出演し、2009/11/23のRAWでは、メインイベントのブレークスルー・バトルロイヤルにおいてビンス・マクマホンとの実況コンビを約20年ぶりに復活させた。

俳優・DJ時代

ベンチュラは俳優としての道を模索し、SFアクションの名作として名高い映画『プレデター』を始め、アーノルド・シュワルツェネッガー関連の作品を中心に何本かの作品に出演。またミネアポリスで朝のラジオ番組のDJとしても活動を開始。この経験が彼の目を政治問題に向けさせることとなった。

政治家時代

1990年、ベンチュラはミネソタ州ブルックリンパーク市の市長選に立候補して当選を果たし、1995年まで務めた。更に1998年にはミネソタ独立党候補としてミネソタ州知事選に出馬、ノーム・コールマン前上院議員を破って見事当選した。それからの一時期、ミネソタでは車のバンパーのステッカーなどに「オレたちの知事はおまえたちの知事をボコボコにできるぜ」という文句を貼るのが流行した。知事になったベンチュラは、これからは "ザ・ボディ" ではなく「ジェシー "ザ・マインド" ベンチュラ」と呼んでほしいという意向を示したが、ほとんどの人は以前と同じように "ザ・ボディ" あるいは "統治するザ・ボディ (The Governing Body)" と呼んでいた。

ベンチュラの政治的スタンスはリバタリアンに近いとされるが、彼は自身のポリシーを「財政的には保守で、社会的にはリベラル」と述べている。知事としてのベンチュラはライトレールを推進し、医療用大麻の合法化を支持し、同性結婚や中絶容認などの政策をとった。ベンチュラの知事としての仕事は一期だけで、彼は2002年に任期を終えている。しかしその後も政治への関心は衰えておらず、テレビなどで政治関連のコメンテイターとして出演するほか、2008年には上院議員への立候補も噂された(結局出馬はしなかった)。ベンチュラは二大政党が支配する現在の米国の政治体制をしばしば「二者君主制(dual monarchy)」、「我々に与えられている選択肢はコークとペプシだけ」などと批判し、第三者が大統領選に出馬するべきだと主張している。

獲得タイトル

  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:2回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:5回(w / ブル・ラモス×2、バディ・ローズ×2、ジェリー・オーツ)
  • NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / スティーブ・ストロング)
  • NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版):1回(w / タンク・パットン)
  • AWA世界タッグ王座:1回(w / アドリアン・アドニス)
  • AWA南部ヘビー級王座:2回
  • WWE Hall of Fame:2004年度





バット吉永
1970/7/15

日本の元女子プロレスラー。兵庫県尼崎市出身。本名吉永 恵理子。ブル中野率いる「獄門党」の一員だった。

経歴・戦歴

  • 1989/10/8、全日本女子プロレス・後楽園ホール大会において、対伊藤薫戦でデビュー。
  • 1991/3/17、初代WWWA世界格闘技王座を獲得。
  • しかし、その後頸椎を痛めて引退。2年経過して格闘技限定で復帰するも結局完全引退となる。

得意技

  • カーフブランディング
  • ニールキック

その他

  • リングネームはオーディションで野球用バットをキックで折ったことから命名された。
  • プロレス入り前は極真空手の選手だったため、格闘技要員としても活躍。初代WWWA世界格闘技王座を獲得し、キックの女王神風杏子からKOを奪ったこともある。

タイトル歴

  • 全日本タッグ王座
  • 初代WWWA世界格闘技王座(2度防衛)





蛯原 哲(えびはら さとし)
1974/7/15

日本テレビのアナウンサーである。茨城県取手市出身。茗溪学園、獨協大学法学部卒業。
  • プロレスリング・ノア中継

  



チェリー・パイ/チェリー
1975/7/15

カラ・エリザベス・ドリュー(Kara Elizabeth Drew)は、アメリカのプロレスラー、マネージャー。NWS、PCWで活動後、2005年9月にOVWにチェリー・パイの名前でスローバックスのマネージャーとして登場、スローバックスがアンタッチャブルに改名後、2007年にデュース・アンド・ドミノのマネージャーとチェリーしての名前で登場。デュースとドミノから別れ、別のタグチームとの活動をしていたが、2008年8月にリリースされた。




 
ヒース・スレイター
Heath Slater
1983/7/15

ヒース・ミラーHeath Miller)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。

来歴

2004年、カーティス・ヒューズが主宰するWWA4レスリング・スクールにてトレーニングを開始。2006年に遠征先のジョージアでプロレスラーとしてデビュー。その後、南部のインディ団体を中心にして参戦し、NWAワイルドサイド にてGCWコロンバスヘビー級王座を奪取。防衛戦ではスコッティ・2・ホッティを破るなどして活躍した。

2006年12月にWWEとディペロップメント契約。傘下団体のDSWでトレーニングを積む。2007年4月にDSWがWWEとの関係を解消したことによりFCWへと移籍。移籍当初はトレーニングを中心としながらマネージャーとして活動。その後選手としてデビューし、テッド・デビアス・ジュニアとタッグチームを組む。2008年1月、タッグパートナーであるテッド・デビアス・ジュニアが負傷し、保持していたFCW南部ヘビー級王座の防衛戦を行えないことから王座を譲り受けた。

王座陥落後、デビアスがWWEに昇格したことによりタッグを解消。解消後も主にタッグ戦線を中心とし、パートナーを変えながら9月にジョー・ヘニングと組んでFCWフロリダタッグチーム王座を奪取。タッグチーム王座を獲得後にリングネームをセバスチャン・スレイターSebastian Slater)に変更。2009年に入ってシングルに転向し、リングネームを現在使われているヒース・スレイターHeath Slater)に変更。8月にタイラー・レックスからFCWフロリダヘビー級王座を奪取した。

2010年にECWが放送終了となり、新設された番組であるNXTのシーズン1にルーキーとして参加。クリスチャンをプロとして迎え、第4位という結果に終わる。その後シーズン1のルーキーで結成されたネクサスの一員として暴れ回り、PPVのブラッギング・ライツ後のRAWにてジャスティン・ガブリエルとタッグを組んでデビッド・オタンガ & ジョン・シナからWWEタッグ王座を奪取した。12/6のRAWで行われた4ウェイ・エリミネーション戦での王座戦では、シナの介入もありサンティーノ・マレラ & ウラジミール・コズロフ組に敗れ王座から陥落した。

1/10のRAWではネクサスの新リーダーになったCMパンクが行った“通過儀礼”であるガブリエルとの竹刀での殴りあいを拒否、ガブリエルと共にネクサスを脱退した。1/14のスマックダウンではウェイド・バレット対ビッグ・ショー戦に乱入し、バレット、ガブリエル、エゼキエル・ジャクソンと共にビッグ・ショーを袋叩きにしてコアを結成した。

2011/2/20のエリミネーション・チェンバーではスレイターとタッグを組んでマレラ & コズロフ組からWWEタッグ王座を奪還した。しかし、翌日のRAWでザ・ミズ & シナ組に敗れ王座を失うが、すぐに再戦権を行使して勝利し王座を奪還した。

獲得タイトル
WWE
  • WWEタッグ王座 : 3回
    w / ジャスティン・ガブリエル
FCW
  • FCW南部ヘビー級王座 : 1回
  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 1回
    w / ジョー・ヘニング
  • FCWフロリダヘビー級王座 : 1回
GCW
  • GCWコロンバスヘビー級王座 : 1回

入場曲  

  • Shut Up
  • Dumb Ass Rock Live
  • We Are One (12 Stones)
  • End of Days (9 Electric)
  • End of Days (emphatic)













 
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