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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/24


 
 


 
 

スキップ・ヤング
Skip Young
1951/7/24 - 2010/12/3

本名:Galton W. Youngは、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人。生年は1956年ともされていた。

スウィート・ブラウン・シュガーSweet Brown Sugar)のリングネームでも知られる。正面飛び式およびスクリュー式のドロップキックなど、跳躍力を活かした空中殺法を武器に、ジュニアヘビー級の黒人ベビーフェイスとしてアメリカ南部を主戦場に活躍した。

来歴

1970年代中盤にスキップ・ヤングのリングネームでデビュー、フリッツ・フォン・エリックの主宰する地元テキサスのダラス地区(後のWCCW)を皮切りに、中西部のセントラル・ステーツ地区、エディ・グラハムの主宰するフロリダ地区など、NWAの主要テリトリーを転戦してキャリアを積んだ。

1979年、フロリダで覆面レスラーのスウィート・ブラウン・シュガーに変身。ダスティ・ローデスやボボ・ブラジルのパートナーとなり、キング・イヤウケア、キラー・カーン、パク・ソン、ジョー・ルダック、ソー・ザ・ヴァイキング、バグジー・マグロー、レロイ・ブラウンなど、スーパーヘビー級の巨漢ヒールとも激闘を展開した。同年9/29にはブラジルとのコンビでミスター・サクラダ&ミスター・ヒトからフロリダ・タッグ王座を奪取、シングルでは10/26にアーニー・ラッドを下して南部ヘビー級王座を獲得している。

1979年はフロリダを主戦場としつつ、素顔のスキッピー・ヤングとしてカリフォルニア州のロサンゼルスにも遠征し、8/10に藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に3本勝負で挑戦。タイトル奪取はならなかったものの、得意の正面飛び式ドロップキックで藤波から1本奪っている。翌1980年1月には新日本プロレスにスキップ・ヤング名義で初来日、藤波への挑戦権を賭けてダイナマイト・キッドとも対戦したが、キッドのダイビング・ヘッドバットに敗れた。

1980年の下期より古巣のダラス地区に戻り、フロリダ時代と同じく黒人マスクマンのスウィート・ブラウン・シュガーとして活動。同年8/1、故郷ヒューストンにてケリー・フォン・エリックと組み、キラー・ブルックス&スタン・ステイジャックを破ってNWAテキサス・タッグ王座を獲得した。フロリダへの参戦も続け、1981/2/4にディック・スレーターから南部ヘビー級王座を奪取、同王座への2度目の戴冠を果たした。1982年1月にはダラスとの提携ルートで全日本プロレスに来日している。

以降はスウィート・ブラウン・シュガーのリングネームはそのままに、覆面を脱いで素顔に戻って活動。主戦場のフロリダでは1982年4月にレイ・スティーブンスからTV王座を奪取、同月11日にはブッチ・リードとの黒人コンビでドリー・ファンク・ジュニア&デビッド・フォン・エリックを破り、フロリダ版のNWA北米タッグ王座を獲得した。1983年はテキサスのサンアントニオ地区に登場。アドリアン・アドニス、タリー・ブランチャード、ボビー・ジャガーズ、ルーク・ウィリアムスらヒール勢と対戦した。

1984年はテネシー州メンフィスのCWAに参戦し、ペッツ・ワトレーと組んでココ・ウェア&ノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングスと黒人タッグ抗争を展開(ココ・ウェアもかつて「スウィート・ブラウン・シュガー」を名乗っていたことがある)。1987年はダラスのWCCWにて、ブッカーのゲーリー・ハートのアイデアでトニー・アトラスともタッグチームを結成した。

その後、ココ・ウェアの仲介でWWFと契約する話もあったが実現せず、1990年代初頭はキラー・ブルックスが旗揚げしたダラスのインディー団体NAWAで活動。ベテランのジョバーとしてWCWのショーにも出場した。プエルトリコのWWCにも遠征し、1996年1月にTV王座を獲得している。

引退後は父の後を継いで説教師に転身した。2010年12月3日、テキサス州ダラスにて死去。59歳没。

獲得タイトル

CWF
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ボボ・ブラジル)
  • NWAフロリダTV王座:1回
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):3回
  • NWA北米タッグ王座(フロリダ版):1回(w / ブッチ・リード)
WCCW
  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ケリー・フォン・エリック)
  • WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / トニー・アトラス)
NWAロサンゼルス
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
WWC
  • WWC TV王座:1回

 
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トリー・ウィルソン
Torrie Wilson
1975/7/24

アメリカ合衆国の女子プロレスラー、ディーヴァ。本名はビクトリア・アン・ウィルソン(Victoria Anne Wilson)。アイダホ州ボイシ出身。アメリカのプロレス団体WWEに所属していた。雑誌『PLAYBOY』の表紙を2003年、2004年の2度にわたり飾ったことがある。

来歴

プロレスラーになる以前は1997年からフィットネスのモデルとして活躍しており、既に名前も知られていた。ビクトリアはフィットネスモデル時代からの知り合いである。

プロレス界に入ったきっかけは、1999年にWCWからスカウトされたことによる。WCWではリック・フレアーの息子であるデビッド・フレアーや、ビリー・キッドマン、シェーン・ダグラス、ケビン・ナッシュなどのマネージャー役を務める。2000年12月にWCWから解雇されたが、翌月の2001年1月にWWE(当時WWF)入りする。WCW出身であったことから、WWFとWCW/ECW連合軍(アライアンス)の抗争ストーリーが展開されていたときにはアライアンスに所属し、同じくWCW出身のステイシー・キーブラーとタッグを組んでいた。

アライアンスのストーリーが終了後、スマックダウンにてタジリのアングル上の恋人となり、マネージャー役を務めた。後にビリー・キッドマンとタジリが抗争するストーリーが展開されるが、ストーリーはトリー・ウィルソンがタジリから去ってアングル上ビリー・キッドマンと恋人になることで決着する。しかしキッドマンと恋人関係でありながら、メイヴェンと恋人関係であったりと謎である。ビリー・キッドマンとはこのストーリー以前から実生活においても恋人関係であった。

2002年、トリーの実の父親がWWEに登場。アングル上ドーン・マリーが父親の愛人となり、抗争ストーリーを展開した。2004年にはケンゾー・スズキがトリーにほれ込み、それに嫉妬したヒロコと抗争するというストーリーが展開された。両者は2005年2月にさいたまスーパーアリーナで行われたスマックダウンの収録において対戦している。下着姿になったほうが負け、というルールの試合において勝利し、ヒロコはリング上で下着姿になった。

2005年のグレート・アメリカン・バッシュにてメリーナに敗北の後、キャンディスと共にRAWに移籍した。 当初は新人であったアシュリーを虐めるキャラとしてヒールターンを果たしていたが、抗争中にキャンディスとビクトリアに裏切られる形でトリッシュ・ストラタスチームに加入しベビーターンする。

プライベートでは、2003年にビリー・キッドマンと結婚したが、2006年10月に離婚。

2007/6/11、ドラフトによりRAWからスマックダウンに移籍・復帰。ペットのクロエも同じく「移籍」した。移籍後はジミー・ワン・ヤンのマネージャーとして、カウボーイ姿で活動していた。

2008年、腰の痛みなどから自らWWEを退団した。

2009年、レッスルマニア25のミスレッスルマニアバトルロイヤルに出場し、一夜限りの復帰を果たした。

入場曲

  • Lo-Fi Groove
  • Shadows
  • Need A Little Time
  • A Girl Like That (Eleventh Hour)





大原 はじめ
1984/7/24

日本の男子ルチャドールである。

2003年、闘龍門MEXICOよりデビュー地であるメキシコを本拠地として活動。CMLLのレギュラーとしてメキシコでの日本人スター選手。

たびたび闘龍門の試合で日本とメキシコを往復。またスペインやイタリア、アメリカなどで元WWE選手などと世界を股にかけて大活躍する生活を送っていたが、2008年に本帰国。

NWA世界ジュニアヘビー級チャンピオンとして現在ハッスルエンターテイメント所属として日本を本拠地に活動。2008年12月 - 2009年7月までREY大原役を演じ、2009年8月より大原はじめとしてハッスルに出演。

2009年12月よりSMASH所属になる。

経歴

  • 中学時に高田道場に通い、高田延彦や桜庭和志の指導を受ける。
  • 卒業後は、新弟子の仕事の一環としてちゃんこ番があるので料理ができたほうがいいと考え料理を本格的に学ぶべく服部栄養専門学校に通い調理師免許を取得する。越中詩郎やTAJIRI、ウルティモ・ドラゴンがよく料理の腕を褒めている。
  • 2003年、闘龍門JAPAN入門。第13期生となる。
  • 2004/5/16、メキシコ・アレナコリセオの松山勘十郎戦でデビュー。
  • 2005年、新日本プロレスLA道場に遠征後、CMLLに参戦。奥村茂雄、田口隆祐とのKamikaze Nipponesトリオを結成。CMLLのレギュラーとして活躍しメキシコのスター選手の仲間入りをする。
  • 2006年、22歳でNWA世界ウェルター級王座となった。
  • 2007年、メキシコのネットラジオ、リスナーが90万人を超える人気番組LUCHANDOLIBREの準レギュラーとして自分のコーナーを持ちマネージャーのMYと活躍。
  • 2008年、ドラディションに参戦。その他アメリカ、スペイン、イタリアなどNWEに参戦。そこで元WWEの選手らと活躍。バルセロナでウルティモ・ドラゴンとマスカラコントラマスカラを行った。
師であるウルティモ・ドラゴンからNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取する。
日本へ本帰国。
メビウス興行にて、ザ・グレート・サスケからメビウス公認の黄金のマスクを勝ち取る。
年末よりハッスル所属になりREY大原として活動開始する。
  • 2009/8/23メキシコ、アレナメヒコのメインでウルティモ・ドラゴンとのマスカラコントラカベジェラを行う。アレナメヒコのメインでシングルマッチを行える選手は極一部のスターのみ、この試合で名実ともにトップスターのルチャドールとなる。
  • 2009/8/27より大原はじめとしてハッスル参戦。持ち味である当たりの強い打撃、技の受け、わかりやすい試合展開で相手を光らせる技術。毎回高評価を得て日本でも若き天才と急速に評価を上げている。その独特なスタイルからストロングハッスルと呼ばれKGとの試合でハッスルを大いに盛り上げている。
  • ウルティモ・ドラゴンとのNWAインターナショナルジュニアヘビー級のタイトルマッチで防衛。
  • キャリア4年たらずでスペル・デルフィン、ザ・グレート・サスケ、ウルティモ・ドラゴンからタイトルマッチで勝利している。
  • また、ピースボートの水先案内人やメキシコや日本で小学校で講演を行ったり、活動の幅が広く有名人ブログのダイヤモンドブログにも登録されておりリング以外でも活躍している

タイトル

  • NWA世界ウェルター級
  • NWAインターナショナルジュニアヘビー級
  • 黄金のマスク

大原はじめBLOG






たこ 八郎
1940/11/23 - 1985/7/24
たこ八郎

日本のコメディアン・俳優で元プロボクサー。本名は斎藤 清作(さいとう せいさく)。宮城県仙台市宮城野区出身。プロボクサーとして日本フライ級王者を獲得している。ボクサー現役時の愛称は「河童の清作」。引退後の愛称は「たこちゃん」。

  





 












 
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