本文へスキップ
 


 
 
”重要なお知らせ”


2011/9/1よりパワーアップでページ独立!

 
 


 
 
プロレス/格闘技
誕生日/忌日
7/29


 
 


 
 

"バロン" マイケル・シクルナ
"Baron" Mikel Scicluna

1929/7/29 - 2010/3/20

マルタ共和国出身のプロレスラー。元WWWF世界タッグ王者、WWE殿堂者。

来歴

カナダに移住後、1950年代にオンタリオ州トロントにてデビュー(当時のトレーニング仲間にはワルドー・フォン・エリックらがいる)。マイク・バレンティノMike Valentino)をリングネームに、1960年代前半までカナダやNWAサンフランシスコ地区を主戦場に活動した。

1965年にニューヨークのWWWF(現在のWWE)に進出し、バロン・マイケル・シクルナBaron Mikel Scicluna)と改名。マルタ十字の施されたマントをまとった大型ヒールとして頭角を現し、1966/1/24にマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に初挑戦、マルタ式背骨折りでサンマルチノを半失神に追い込んだ。同年9/22にはスマッシャー・スローンとのコンビでジョニー・バレンタイン&アントニオ・パリシーからWWWF USタッグ王座も奪取している。

1967年11月には日本プロレスに初来日。日プロには1968年2月にも再来日している。同年はオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたWCW)にも遠征し、6/1日にシドニーでスパイロス・アリオンを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得した。

1970年代に入ると再びWWWFに参戦し、キャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーにキング・カーティス・イヤウケアと "キング&バロン" のタッグチームを結成。1972/2/1、カール・ゴッチ&レネ・グレイの独仏コンビからWWWF世界タッグ王座を奪取し、第3代の王者チームとなった。

王座陥落後の1972年6月には国際プロレスに来日。翌1973年3月と1974年8月には全日本プロレスに参戦している。1973年の来日時は『チャンピオン・カーニバル』の第1回大会に参加。トーナメント1回戦でサムソン・クツワダを下したが、2回戦でザ・デストロイヤーに敗退した。

以降もWWWF / WWFを主戦場に、1976/6/1には、モハメド・アリがゴリラ・モンスーンに喧嘩を売ったアングルにおいてモンスーンのジョバーを務めている(アリは同年6/26にアントニオ猪木との異種格闘技戦が決定しており、そのプロモーションとしてWWWFのリングに登場した)。

1978年4月には当時のWWFの提携ルートで新日本プロレスに初参戦し、『MSGシリーズ』の第1回大会に出場。すでに体力的なピークを過ぎていたこともあり決勝リーグ進出は果たせなかったものの、予選トーナメント1回戦ではチーフ・ジェイ・ストロンボーとの本場MSGでの定番試合が実現している(このストロンボー戦に敗退後、敗者復活戦の1回戦でマーティン・ジョーンズ、2回戦で藤原喜明を破り勝ち進んだが、決勝リーグ進出を賭けた3回戦で坂口征二に敗れた)。

その後も中堅ヒールのポジションでWWFに定着し、ベテランのジョバーとして活動。1984年の現役引退後はWWFの重要拠点の一つだったペンシルベニア州フィラデルフィアに居住し、ニューヨーク・タイムズのトラック・ドライバーの職に就いた。1996年にはWWF殿堂に迎えられている。

2010/3/20、癌のため死去。享年80歳。


 
広告


キャプテン・ルー・アルバーノ
"Captain" Lou Albano
1933/7/29 - 2009/10/14

アメリカ合衆国の元プロレスラー、プロレス・マネージャー、俳優。本名はルイス・ビンセント・アルバーノLouis Vincent Albano )。ニューヨーク州マウントバーノン出身のイタリア(シチリア)系アメリカ人。

ヒールのプレイング・マネージャーとして知られ、1960年代末から1980年代にかけて、地元ニューヨークのWWF(現・WWE)で活躍した。

来歴

1953年にカナダのモントリオールでプロレスラーとしてデビュー。トニー・アルティモア(トニー・アンジェロ)とのイタリア系ギャングスター・ギミックのタッグチーム、ザ・シチリアンズThe Sicilians)で活躍し、1961年にはシカゴでミッドウエスト・タッグ王座を獲得。その後ニューヨークのWWWFに進出し、1967年にアーノルド・スコーラン&スパイロス・アリオンからWWWF USタッグ王座を奪取した。

アルティモアとのコンビ解消後はマイクパフォーマンスの才能を活かし、1969年よりWWWFでイワン・コロフのマネージャーに転身。1971/1/18にはブルーノ・サンマルチノからWWWF世界ヘビー級王座を奪取させることに成功した。以降、フレッド・ブラッシーやグラン・ウィザードと共に、ビンス・マクマホン・シニア時代のWWWF / WWFを代表する悪徳マネージャーとしてブーイングを浴び続けた。

自他ともに認める悪相の持ち主であったことから、ゴージャスなブラッシーや頭脳派のウィザードと比べ野卑で単細胞なイメージを売り物にし、TVインタビューでゲップを連発するなど意図的に下品な振る舞いをしていた。頬に安全ピンでゴムバンドを括り付けるなど、ビジュアル面でもブラッシーやウィザード同様にファンに強いインパクトを与えたが、どことなくユーモラスで憎めないキャラクターも支持され、後にベビーフェイスとしても人気を集めることになる。

1983年、シンディ・ローパーの『Girls Just Want to Have Fun』のミュージック・ビデオにローパーの横柄で保守的な父親役で出演(出演のきっかけは、プエルトリコ・サンフアンでのコンサートを終えたローパーがニューヨークに戻る飛行機内でアルバーノと出会い、彼に興味を持ったことによる)。同曲は大ヒットし、さらなるビジネスの拡大を目論んだローパーのマネージャー(デビッド・ウォルフ)のアイデアで、1984年よりWWFにて彼女とアルバーノの対立アングルがスタートする。同時期、WWFはビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下に入っており、マーケティング戦略においても新機軸を次々と打ち出していた。同年7月23日、"The Brawl to End It All" と銘打ち、マディソン・スクエア・ガーデンにてローパーとアルバーノの代理対決、ウェンディ・リヒター対ファビュラス・ムーラ戦が行われる。両者がセコンドに付いたこの試合はMTVで放送され大反響を呼び、ロックン・レスリングRock 'n' Wrestling)という新しいコンセプトが誕生、翌年のレッスルマニアへの試金石ともなった。

ローパーとの一連のアングルにより、アルバーノのユニークな個性はプロレスファン以外の一般層からも認知され、1985年からはベビーフェイスのマネージャーに転向。旧敵のハルク・ホーガンやアンドレ・ザ・ジャイアントとも共闘し、その陽気なキャラクターで主に子供ファンの人気を獲得した。1986年の末にWWFを離れ、その後は俳優としてショービジネス界で活躍。1989年の『The Super Mario Bros. Super Show!』ではマリオ役を演じた。

1994年、フェイスターンしたヘッドシュリンカーズのマネージャーとして一時WWFに復帰。1996年にはWWE殿堂に迎えられた。近年もオールドタイマーのリユニオン・イベントに登場し、WWEの番組にも時折出演していた。2009年10月14日、自宅にて老衰のため死去。76歳没。

担当選手

  • イワン・コロフ
  • ターザン・タイラー
  • ルーク・グラハム
  • キング・カーティス・イヤウケア
  • バロン・マイケル・シクルナ
  • ザ・スポイラー
  • ラリー・ヘニング
  • ブルドッグ・ブラワー
  • ジョージ "ジ・アニマル" スティール
  • バグジー・マグロー
  • プロフェッサー・タナカ
  • ケン・パテラ
  • グレッグ・バレンタイン
  • キングコング・モスカ
  • ジミー・スヌーカ
  • レイ・スティーブンス
  • アイアン・マイク・シャープ
  • バズ・ソイヤー
  • ファビュラス・ムーラ
タッグチーム
  • モンゴルズ(ジート・モンゴル、ベポ・モンゴル)
  • ブラックジャックス(ブラックジャック・マリガン、ブラックジャック・ランザ)
  • バリアント・ブラザーズ(ジミー・バリアント、ジョニー・バリアント、ジェリー・バリアント)
  • ユーコン・ランバージャックス(ユーコン・ピエール、ユーコン・エリック)
  • エクスキューショナーズ(マスクド・エクスキューショナー1号、マスクド・エクスキューショナー2号)
  • サイトー&フジ(ミスター・サイトー、ミスター・フジ)
  • ワイルド・サモアンズ(アファ・アノアイ、シカ・アノアイ)
  • ムーンドッグス(ムーンドッグ・キング、ムーンドッグ・レックス、ムーンドッグ・スポット)
  • ノース・サウス・コネクション(ディック・マードック、アドリアン・アドニス)
  • USエクスプレス(バリー・ウインダム、マイク・ロトンド)
  • ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス)
  • マシーンズ(ジャイアント・マシーン、スーパー・マシーン、ビッグ・マシーン)
  • ヘッドシュリンカーズ(サムゥ、ファトゥ、シオネ)

自身がタッグ出身ということもあり、マネージャー時代はタッグチームを手掛ける場合が多く、初代王者チームとなったターザン・タイラー&ルーク・グラハムを皮切りに、担当したほとんどのチームをタッグ王座に就かせた(上記はUSエクスプレス以降がベビーフェイス転向後の担当チーム)。

獲得タイトル

  • WWWF USタッグ王座:1回(w / トニー・アルティモア)
  • WWF Hall of Fame:1996年度(プレゼンターはJoe Franklin)





ピラタ・モルガン
Pirata Morgan
1962/7/29

メキシコのプロレスラーである。メヒコ州ネツァワルコヨトルの出身。本名はペドロ・オルティス・ビジャヌエバ(Pedro Ortiz Villanueva)。

来歴

レスラーだった兄の下でトレーニングを積み、1979年にデビュー。その後、試合中に負った事故で右目が見えなくなり、以降は眼帯をした海賊(パイレーツ / ピラタ)のギミックをトレードマークにルード(悪役)として活躍した。

1984年からは全日本プロレスに来日し2代目タイガーマスク(三沢光晴)と抗争を繰り広げる。1980年代はEMLLを拠点にし1990年代は各団体を転戦した。AAA所属。

獲得タイトル

  • ナショナル・ヘビー級王座 : 1回
  • ナショナル・トリオ : 2回(エル・サタニコ、MS-1「ロス・インフェルナレス」)
  • NWAインターコンチネンタル・ヘビー級王座 : 1回
  • CMLL世界トリオ王座 : 2回
  • IWC世界ヘビー級王座 : 1回
  • IWRGインターコンチネンタル・ヘビー級王座 : 2回
  • ナショナル・タッグ王座 : 1回

他多数

家系

  • 兄:オンブレ・バラ
  • 弟?:ベルデューゴ
  • 妹:ラ・マルケサ
  • 息子:ピラタ・モルガン・ジュニア
  • 娘:ペルラ・ネグラ
  • 甥:二代目インディア・スー、オンブレ・バラ・ジュニア、コルサリオ、レイ・ブカネロ





武田 美智子
1975/7/29

日本の総合格闘家。広島県廿日市市出身(旧佐伯町)。禅道会広島支部所属。

格闘歴は小学生の頃から始めた柔道が最も長く、サンボは大学時代に柔道修行の一環として一時期練習していた。また、中学時代は柔道部がなかったとのことで剣道部に所属し初段を持っている。

人物

広島電機大学附属高校(現:広島国際学院高校)卒業。

拓殖大学時代の柔道部監督は岩釣兼生であり、その影響でサンボなどの試合に出場。

1996年11月、東京で初めて開催された第20回世界サンボ選手権大会・女子68kg級に出場し、優勝を果たした。

1997年6月、第13回全日本学生女子柔道体重別選手権大会・女子66kg級に出場し、準優勝を果たした。

2004/8/29、Love Impactでプロ総合格闘技デビュー。ファング鈴木と対戦し、ドローとなった。

2006/6/30、初参戦となったスマックガールで高橋洋子のデビュー10周年記念試合の相手を務め、フロントチョークで一本負けを喫した。

2007/3/11、1回戦をシードされたスーパーギャルズミックス杯の準決勝でたま☆ちゃんと対戦し、3-0の判定勝ち。5/19の決勝ではHIROKOと対戦し、1-2の判定負けで準優勝となった。

2009/2/4、JEWELS初参戦となったJEWELS 2nd RINGでHIROKOと再戦し、右ストレートによるTKO負けを喫した。

2010/9/26、VALKYRIE初参戦・ケージ初挑戦となったVALKYRIE 07の女子無差別級初代チャンピオン決定トーナメント準決勝で佐藤瑞穂と対戦し、0-3の判定負けを喫した。


  

















 
   ↑ トップへヤフーオークション  


 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system