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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
6/11


 
 


 
 

アンソニー "トニー" チメル
Anthony "Tony" Chimel
1961/6/11

WWEのリングアナウンサー。1999年にスマックダウンに登場。同年アナウンサーのハワード・フィンケルとタクシードマッチを行い勝利した。2007年から2009年9月までECWをアナウンサーを勤めたが、後任のローレン・メイヒューの評判が悪く1ヶ月でリリースされ、2009年11月に復帰、その後12月からサバンナがアナウンスを行った。2010年8月からNXTのアナウンサーを勤める。

 
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シャドウWX
1969/6/11

本名:志賀 悟(しが さとる)は、日本の男子プロレスラー。新潟県十日町市出身。身長180cm、体重115kg。大日本プロレス所属。

経歴

1995年、IWA・JAPANにて本名の志賀悟でデビュー。翌1996年にはフリーランスとなる。この頃は、中牧昭二と行動を共にすることが多かった。

1999年から大日本プロレスに所属する。ミスター・ポーゴの子分的存在となり、ポーゴの影武者=ポーゴシャドウ→シャドウWXと改名。ポーゴ離脱後はデスマッチで徐々に独自の存在感を露にし、大日本プロレスのデスマッチの歴史において彼を外す事は出来ないと言われる程の実力派デスマッチファイターとまで評されるようになる。蛍光灯や有刺鉄線を始め、画鋲、ファイヤー、チェーンデスマッチ、そして棺桶デスマッチも経験しており、デスマッチにおけるキャリアは大日本トップクラスである。

2004年の新潟県中越地震では、自ら率先して被災者救済の為の活動を行い、みちのくプロレス主催のチャリティ興行にも同伴している。

2005年、アパッチプロレス軍所属のマンモス佐々木と「チームあんこ型」を結成。

2006年1月川崎市体育館大会にて、BJW認定タッグ王座をマッスル&ファットです。(アブドーラ小林&関本大介)から奪取。同年12/3横浜文体で、関本・佐々木義人組に敗れるまで、4回の防衛に成功。

その後は稲松三郎ら若いデスマッチ世代の台頭を恐れ、マンモスとのタッグを休止し、再びデスマッチ主戦線に絡むようになり、2008/5/4・桂スタジオ大会で、王者・伊東竜二を倒し、実に8年半ぶり4回目となるBJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得した。

この間、他団体選手の女性スタッフ強制猥褻事件で一度引責辞任した登坂栄児統括部長の職を一時的に代行していたが、デスマッチヘビー級王座獲得に伴い、選手活動に専念したいという意向で退任している。

これ以降、蛍光灯に頼り切った大日本のデスマッチの方向性を疑問視し、蛍光灯の使用本数の削減もしくは蛍光灯の使用・持ち込みそのものを禁止する、レモンやハバネロを原料とするソースなど、食品にその着眼点を置く(デスマッチの凶器として、ギネス・ワールド・レコーズ認定の世界一辛いトウガラシ「ブート・ジョロキア」を原材料とした「デスソース」を使用した)など、デスマッチの方向性を模索中。加えてデスマッチヘビー級選手権試合の開催数の増加と後楽園・横浜文体以外の地方興行でのタイトルマッチ開催を提案するなど、大日本では登坂栄児統括部長に次いだ発言力を持つ。

タイトル履歴

  • BJW認定デスマッチヘビー級王座
  • BJW認定タッグ王座

エピソード

  • 顔面にサッカーのサポーターのような逆三角形のペイントを施していたが、近年では素顔のまま試合を行うことも多くなっており、大一番でのみ見られる程度になっている。
  • Tシャツを着用してデスマッチを行うことにしばしば批判が集まる存在でもある。しかし近年では試合中に自らTシャツを脱ぎ捨てたり、Tシャツと自肌の間に蛍光灯を入れられ攻撃され、それを受け切るなどTシャツ着用をうまく利用した戦い方を見せている。
  • 上記のフェイスペイントを施し、Tシャツを脱ぎ捨てた状態はWXの本気モードと呼ばれ、ここ一番での地力や粘りを見せる試合を展開する。
  • 試合前など、素顔でインタビューを受けている際は常に敬語で非常に大人しく、デスマッチを行うプロレスラーらしからぬ一面を垣間見ることが出来る。
  • 自身が作るちゃんこ鍋には、豆腐の代わりに高野豆腐を入れている(理由は「豆腐だと後々崩れるから」)。大日本の道場イベントでもファンに振舞われている。

リングネーム

今までに用いたことのあるリングネーム

  • 志賀悟
  • ポーゴシャドウ
  • シャドウWX(現在も使用中)

テーマ曲

  • DANGEROUS TONIGHT / アリス・クーパー





佐野直
1979/6/11

さの なおしは、日本のプロレスラー。東京都中野区出身。身長170cm、体重85kg。血液型A型。

スタンリーのリングネームでも活動しており、自称「プロレス界のアイドルレスラー」。柔術黒帯を取得したと自称しているが、どこの団体が認可したかは謎である。

経歴

もともと屋台村プロレスなどで選手の写真を撮影していたことで有名なファンだったが、プロレスが真剣勝負ではないことを知って「俺もやれる」と選手を志した。デビューは1998/1/18鶴見青果市場でのvs荒井修戦にて、IWA格闘志塾でのデビューである。プロレス活き活き塾・無限ではエースを務めるなどし活躍、インディー団体を中心に参戦していた。

2005年には全日本プロレス、ZERO1-MAX、AAA系の団体にも出場し、静岡プロレスでは団体エースとして活躍した。グレートプロレスリングにも参戦するなど活動の幅を広げている。

デビュー当時、その頃は素顔だった菊タローに憧れていて、シングルマッチで初めて対戦した時は、デビュー戦よりも緊張したそうである。試合技術が「しょっぱい」ことから、試合に勝ったり、タイトルを取ったりすると必ずブーイングが巻き起こる。更には新木場1stRINGで自身の看板を設置しており、ファンから顰蹙を買っている。

2006/12/31後楽園ホールで行われるインディー・サミットで行われる社長ランブルへの出場を画策し、静岡プロレス社長に就任。しかし勝手にある選手の許可を得たと触れ回り出場を志願したことで関係者の顰蹙を買い、出場は流れた。

2008/5/18、新宿FACEにてデビュー10周年記念興行を開催した。

2008/10/18に新木場1stRINGで行われた佐野主催の合同練習内にて、練習に参加したレスラー同士でダブルインパクトの練習を行ったところ、技を受けた選手が後頭部から落下、首を強打する事故が起きた。技を受けた選手は、事故から6日後の10/24に息を引き取るといった最悪の事故となった。

2009/2/26、死亡事故の当事者である他2名とともに業務上過失致死罪として死亡した新人レスラーの遺族から刑事告訴を受けている。

2010/8/27、上記死亡事故について業務上過失致死容疑で、当事者である他2名とともに警視庁東京湾岸警察署から東京地方検察庁に書類送検された。

タイトル歴

  • アイアンマンヘビーメタル級王座(第7代、第22代、第34代、第239代、第732代)

入場テーマ曲

  • 初代:「ALL MY TRUE LOVE」(SPEED)
  • 二代目:「Rusty Nail」(X JAPAN)
  • 三代目:「ダブルドラゴンメインテーマ」





アンディ・オロゴン
Andy Ologun
1983/6/11

ナイジェリアイバダン出身のキックボクサー、総合格闘家、タレント。チームオロゴン所属。

加藤督朗の指導を受ける正統派キックボクサー。K-1ミドル級王者アンディ・サワーからダウンを奪うなどの活躍を見せる。

タレント活動も行っており、兄ボビー・オロゴンとともに『いきなり!黄金伝説。』などのバラエティ番組に出演するなどしている。兄ボビーの独特の言葉遣いや態度と違い、日本語を流暢に話し敬語や作法を重んじている。なお、本人は格闘技の試合で「ボビーの弟」として紹介されることを嫌っている。

来歴

33人兄弟の13番目として生まれる。ナイジェリア陸軍に所属し、ニジェール・デルタ解放運動の鎮圧にも参加。

2003年に来日しモデルを行っていたが、兄の格闘技デビューで格闘技に憧れを持ち、2005年に格闘技のトレーニングを開始する。

2006/1/24にK-1デビューが発表され、2/4のK-1 WORLD MAXにて飯伏幸太と対戦予定であったが、練習中に右手指間筋を断裂し、欠場となった。

2006/9/4、K-1 WORLD MAXで改めてデビュー。安廣一哉と対戦し、0-2の判定負け。

2006/12/31の「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」では金子賢とHERO'Sルールで対戦し、3-0の判定勝ち。

2007/2/5、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントへ参戦。1回戦で小比類巻貴之と対戦し、3R戦うも決着が付かず、延長戦にもつれ込む。延長戦でカウンターの右ストレートでダウンを奪い、3-0の判定勝ち。しかし、1回戦で左足腓骨を骨折し、準決勝はドクターストップがかかって棄権した。

2007/4/4、K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜でブアカーオ・ポー.プラムックと対戦。「1分立っていられたら勝ち」と言っていたが判定まで持ち込む健闘を見せるも、0-3の判定負け。

2007/6/28、K-1 WORLD MAX 2007 〜開幕戦〜でTATSUJIと対戦し、0-2の判定負け。

2007/10/28、シュートボクシング「GROUND ZERO TOKYO 2007」でアンディ・サワーと対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪ったものの、2Rにダウンを奪い返されるなどして、0-3の判定負け。

2008/2/2、「K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜」に出場。1回戦で山本優弥からダウンを奪い3-0で判定勝ちするも、準決勝で城戸康裕に0-3の判定負け。

2008/7/6、JR東日本山手線の電車内で盗撮をしていた男を取り押さえ、警察に引き渡していたことが7/16に報道された。

2008/7/21、DREAM.5で中村大介と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。オファーを受けたのが36時間以内であり、ルールもリング上で初めて聞いたというほどの緊急参戦であった。

2008/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜で坂口征夫と対戦。右アッパーでダウンを奪うとパウンドで失神させ、KO勝ちを収めた。

2009/2/23、「K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜」に出場。なお、前日計量でアンディは規定体重70kgを700gオーバーし、ペナルティとして減点1を課された。1回戦で2年ぶりの再戦となる小比類巻太信と対戦。お互い手数が少なくクリンチの多い展開となり、減点も響き0-2の判定負け。試合後、「(クリンチばかりする)小比類巻はK-1ルールに向いていない。二度と試合をしたくない」と発言した。

2010/12/31、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で古木克明と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。


  



志田 光
1988/6/11

日本の女優、プロレスラー。神奈川県出身。プロレスラーとしてはアイスリボンに所属。

経歴・戦歴

2008年
  • 映画「スリーカウント」(監督:窪田将治)のオーディションに合格。
  • 同映画出演のため、プロレスラーとしてデビューすることになり、プロレス団体アイスリボンの練習に参加し、さくらえみの指導を受ける。
  • 8/23の新木場1stRING大会、vs星ハム子戦でデビュー。
  • 柔道(9年)と剣道(7年)の経験を生かし、映画では主役の座を獲得。プロレスでは、藤本つかさとのコンビで活躍。
2009年
  • 9/13のJEWELS 5th RINGでグラップリングルールの試合に出場するも、浜崎朱加に1R38秒アームロックで一本負け。
2010年
  • 10/20、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にて藤本つかさと組み、さくらえみ・高橋奈苗の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に初挑戦。熱戦を展開するが敗退。これ以降、11/13(パートナーはりほ)・11/23(パートナーは松本都)と、パートナーを変えながら立て続けに挑戦するが全て敗退する。
  • 12/11、田村欣子と組んで4回目のタッグ王座挑戦で20分時間切れ引き分けに持ち込み、タイトル奪取は逃すも、規定により王者組からのベルト剥奪に成功する。
  • 12/23、イサミレッスル武闘館大会にて藤本つかさと組み、みなみ飛香・つくし、さくら・高橋を下してタッグ王者決定トーナメントに優勝。第14代王者となり、自身初載冠。
  • 12/26、後楽園ホール大会にて田村欣子の持つNEO統一二冠王座に挑戦。健闘するも敗退。
2011年
  • 1/4、新木場大会、りほ・みなみ飛香とのタッグ王座防衛戦に勝利し、初防衛。
  • 2/6、今池ガスホール大会「名古屋リボン」にて藤本つかさと組んでタッグトーナメント出場。決勝でりほ・真琴組のタッグ王座挑戦を受け、2度目の防衛に成功。
  • 2/11、KAIENTAI-DOJOとの合同興行「K-RIBBON」にて藤本と組みバンビ・石橋葵と対戦し勝利。
  • 3/5、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にて、後楽園ホール大会のメインイベントを懸け、空位となっていたトライアングルリボン王座を藤本・真琴と戦うも、勝敗に絡めず終わる。
  • 3/20、KAIENTAIーDOJO千葉BlueField大会にて真琴・バンビ組のタッグ王座挑戦を受け、3度目の防衛に成功。
  • 3/21、アイスリボン後楽園ホール大会「ICE RIBBON MARCH 2011」にてSMASHの朱里と対戦し、ファルコンアローで勝利。同年代で隣町出身、次世代エース同士の初遭遇を制する。このカードはファン投票によって決定したが、志田は初めから「相手は自分しかいない」と確信していたという。
  • 4/16、アイスリボン大阪ミナミムーヴオンアリーナ大会「大阪リボンIII」にて朱里とタッグを結成し、真琴・都宮ちい組と対戦。ファルコンアローで真琴から勝利。
  • 5/5、アイスリボン後楽園ホール大会「GOLDEN RIBBON 2011」にて、朱里とのタッグでさくらえみ・Rayの持つインターナショナルリボンタッグ王座に挑戦するも敗退。

人物

  • アイスリボンでは選手会長も務める。
  • 一方、「19時女子プロレス」では帯広さやか代表が欠場中に代表代行を務める。
  • 入門当初はプロレスに打ち込めず、「エースの器」と評価されながらも伸び悩んでいたが、2010年夏以降に急成長。タイトル戦線に躍り出る。
  • 持ちネタとしてアントニオ猪木の「1!2!3! ダー!」をもじった「1!2!3!4! ダー!(1・2・3・シ・ダー)」がある。実際、プロレス大賞2010の表彰式において、猪木の「1!2!3! ダー!」のタイミングを間違えてしまうエピソードがある。
  • ボウリングが得意であり、インディーのお仕事での5団体(アイスリボン・大日本・FREEDOMS・DDT・K-DOJO)対抗ボウリング大会では藤本つかさと組んで優勝した。
  • 映画「スリーカウント」で共演した経緯から田村欣子の影響を色濃く受けており、アイスリボン随一のハードヒッターとして「田村プロレス」の継承を口にする。

出演

テレビ

  • マッスルビーナス(テレビ埼玉)
  • ドラマ「マッスルガール!」(毎日放送・TBS) - 星薫 役

インターネット

  • それ行けテンポザン! (2008年6月15日-9月21日、あっ!とおどろく放送局)NNTG(3代目テンポザンガール)

映画

  • スリーカウント(2009年)(千葉まひる役)
  • ロボゲイシャ(2009年)
  • 平成トンパチ野郎〜男はツラだよ〜(2009年)(マジカル/グラッソ)
  • 戦闘少女 血の鉄仮面伝説(2010年)
  • CRAZY-ISM クレイジズム(2011年)(FAITHentertainment/ネオプラス)

タイトル歴

  • 第14代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは藤本つかさ)

スリーカウント
スリーカウント
Muscle Vens
-スリーカウント
公開記念特別版
スリーカウント公開記念
平成トンパチ野郎
平成トンパチ野郎





関根 龍一
1988/6/11

日本のプロレスラー。KAIENTAI-DOJO所属。福島県出身。

来歴

2008/1/3、千葉BlueFieldでのvs柏大五郎戦にてデビュー。

2010/12/31の「年越しプロレス」を機にアイスリボンとの橋渡し役となった。














 
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