シェリー・マーテル
"Sensational" Sherri Martel
1958/2/8 - 2007/6/15
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アメリカ合衆国の女子プロレスラーおよびマネージャー。ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。本名はシェリー・ラッセル(Sherri
Russell)。選手としては1980年代にAWAやWWF(現・WWE)の女子王座を獲得。マネージャーでは主にヒールのポジションに回り、WWFではランディ・サベージやショーン・マイケルズ、WCWではリック・フレアーやブッカー・Tなどのトップスターを担当した。現在のWWEで活躍するディーヴァの礎を築いた人物である。
来歴
初期 / AWA
少女時代はサーカスのピエロになろうと家出をしたこともあるが、ビル・ワットらが運営していた地元ミッドサウス・エリア(ルイジアナ、ミシシッピ、オクラホマ)のプロレスを見てプロレスラーになることを決意。ナイトクラブで働きながらプロレスラーのブッチ・ムーアのトレーニングを受け、1979年にはファビュラス・ムーラのプロレスリング・スクールに入門、翌1980年にデビューする。ジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰するメンフィスのCWAなどでキャリアを積み、1982年1月には全日本女子プロレスに初来日している。
1985/9/28よりバーン・ガニアのAWAに登場し、デビュー戦でキャンディ・ディバインを破りAWA女子王座を獲得した。1986年からは男性ヒールのマネージャーも兼任し、バディ・ローズとダグ・サマーズの金髪コンビと結託、ミッドナイト・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)を相手にAWA世界タッグ王座を巡る抗争を繰り広げた。女子王者としての活動も並行させ、1987/5/2にはメデューサ・ミセリーを相手に女子王座を防衛している。なお、同時期にスーパー・ニンジャのリングネームでAWAに遠征していた高野拳磁とは同じアパートに住んでいたという。
WWF
1987年下期より、ジェシー・ベンチュラの仲介でWWFに移籍。当初はベビーフェイスとして登場し、7/24のデビュー戦で師でもあるファビュラス・ムーラからWWF女子王座を奪取、以降1988/10/7にロッキン・ロビン(ジェイク・ロバーツの妹)に敗れるまで、1年以上に渡って同王座を保持した。
その間にヒールに転向し、1988年初頭にホンキー・トンク・マンの恋人役、ペギー・スー(Peggy
Sue)に変身。このネーミングはホンキーのギミックに合わせ1950年代のロックンロールの曲名から付けられたもので、コスチュームもフィフティーズ調だった。
以降は本格的に男性レスラーのマネージャーを務めるようになり、1989年のレッスルマニアV以降はエリザベスとの決別でヒールターンした"マッチョマン"
ランディ・サベージと合体。センセーショナル・シェリー(Sensational Sherri)の名前で毒々しいメーキャップを施し、ハルク・ホーガン&エリザベスとの熾烈な抗争を展開する。1989年にサベージがジム・ドゥガンを破りマッチョ・キングを名乗るようになってからは、自身もクイーン・シェリー(Sensational
Queen Sherri)と改名し、サベージとの "キング&クイーン" として悪名を轟かせた。
1990年4月13日には東京ドームで行われた日米レスリングサミットに来日。サベージ対天龍源一郎戦のセコンドに付き、サベージを援護射撃して試合を盛り上げた。試合中、彼女の騒々しさに業を煮やしたゲスト・アナウンサーの徳光和夫と一触即発の状態にもなっている。
1991年3月24日のレッスルマニアVIIでサベージがアルティメット・ウォリアーとの敗者引退マッチに敗れると、サベージを見限って"ミリオンダラー・マン"
テッド・デビアスと合体。100万ドルに目がくらんだ悪女となり、ロディ・パイパーやバージルとの抗争に介入した。
1992年からはAWA時代からの盟友でもあるショーン・マイケルズのヒールターンに伴い、若いツバメの姐さん的な存在となって年下のマイケルズと合体。マーティ・ジャネッティとのロッカーズを解散し、"ボーイ・トーイ"
の新キャラクターでシングル転向を果たしたマイケルズの売り出しにおいて重要な役割を担う(マイケルズのテーマ曲『Sexy Boy』の1stバージョンはシェリーがボーカルを担当していた)。同年夏には"ザ・モデル"
リック・マーテルとの浮気アングルもあったが、インターコンチネンタル王座を巡るマイケルズとブレット・ハートの初期抗争にも関わり、彼のヒール人気を醸成させた。
1993年、マイケルズが前パートナーのマーティ・ジャネッティに急襲された際にシェリーを盾に使ったことで、彼との関係に亀裂が生じベビーフェイスに転向。ジャネッティやタタンカなど、マイケルズの抗争相手のセコンド役を買って出ることもあった。同年はWWFの提携団体だったジェリー・ローラーのUSWAにも転戦し、レスラーとしてミス・テキサスと対戦している。また、USWAではローラー対ランディ・サベージの抗争にも介入し、サベージとのコンビを一時的に復活させた。その後、WWFではルナ・バションと抗争するが、ドラッグテストに引っ掛かり1993年夏にWWFを解雇される。
WCW
WWF解雇後はジム・コルネットのSMWやポール・ヘイマンのECWを経て(この間、タミー・リン・シッチやマリア・ホサカと抗争)、1994年にセンシュアス・シェリー(Sensuous
Sherri)の名前でWCWに登場。リック・フレアーのマネージャーとなり、同時期にWCWに移籍してきたハルク・ホーガンやスティングとの抗争をサポートした。
その後、シスター・シェリー(Sister Sherri)と名乗り黒人タッグチームのハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)を担当、彼らをWCW世界タッグ王者に導いた。1995年下期にはハーレム・ヒートのライバルチームだったディック・スレーター&バンクハウス・バックのマネージャー、カーネル・ロバート・パーカーとの恋愛アングルが組まれ結婚式も執り行われるが、メデューサの乱入で式はぶち壊しになり、以降はレスラーとしてメデューサとの抗争を展開した。
1996年からは再びハーレム・ヒートと合体し、nWoのジ・アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)とのタッグ抗争にも介入。1997年にはフォー・ホースメンのマネージャーだったデブラ(2000年にストーン・コールド・スティーブ・オースチンと結婚し、後に離婚したデブラ・マーシャル)とのキャットファイトも行うが、同年夏、エリック・ビショフとの軋轢がもとでWCWを離脱する。
なお、1995年初頭には貴族ギミックのブルー・ブラッズ(ロード・スティーブン・リーガル&ジャン=ポール・レベック)のマネージャーになるというストーリーも企画されたが、レベックのWWF移籍により実現しなかった。
晩年
1990年代後半からはインディー団体を中心に活動し、1999/7/17にミネソタ州のAWAスーパースターズ・オブ・レスリングで新設のAWA女子王者に認定された。2000年には短期間WCWに復帰し、メデューサと試合を行っている。
2002/7/12にはWWEの下部団体OVWに出場、ロブ・コンウェイのマネージャー役を務め、ビクトリアと争う。2005/3/24の『スマックダウン』では、レッスルマニア21に向けてのショーン・マイケルズ対カート・アングルのプロモーションにおいて久々にWWEへ登場、リング上でカートとスキットを演じた。翌2006年4月、WWE殿堂に迎えられている。同年9月にはTNAにも登場した。
2007/6/15、過失による過量投薬のためアラバマ州バーミングハムの母親の自宅で死去。49歳没。晩年は腰痛に悩まされ、オキシコドンによる薬物治療を行っていた(前年、腰痛の悪化によりROHからの出演オファーを断っている)。葬儀にはブッカー・Tとシャーメル、ショーン・マイケルズ、マーティ・ジャネッティ、メデューサ、ジェイク・ロバーツなど、かつての仲間たちが参列した。
獲得タイトル
- AWA女子王座:3回
- WWF女子王座:1回
- AWA女子王座(AWAスーパースターズ・オブ・レスリング版):1回
- WWE Hall of Fame:2006年度(プレゼンターはテッド・デビアス)
担当選手
- バディ・ローズ
- ダグ・サマーズ
- ケビン・ケリー
- ホンキー・トンク・マン
- ランディ・サベージ
- テッド・デビアス
- ショーン・マイケルズ
- タタンカ
- テリー・ファンク
- シェーン・ダグラス
- ケビン・サリバン
- ジェイク・ロバーツ
- リック・フレアー
- ハーレム・ヒート(スティービー・レイ
& ブッカー・T)
- ロブ・コンウェイ
etc.
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