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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
6/16


 
 


 
 

真樹 日佐夫
1940/6/16

日本の漫画原作者・空手家。本名は高森 真土(たかもり まつち)。東京都出身。男性。世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。兄は漫画原作者の故・梶原一騎。

大山倍達から機関誌『近代カラテ』の発行を移管され、誌名を『現代カラテマガジン』に変えて刊行していた。

来歴

東京都立小山台高等学校を経て早稲田大学英文科を中退(自称)後、梶原一騎の紹介で極真会館に入門し、大山倍達と義兄弟の契りを結ぶ。東京渋谷支部長や通信教育部門「マス大山カラテスクール」での指導を経て、弐段位にあった1977年(昭和52年)より、総本部第三代師範代になった。その後、1980年(昭和55年)には、独自の門派真樹道場を設立する。世界空手道連盟士道館の添野義二館長より、士道館名誉伍段を与えられている。

空手と同時に、劇作家、漫画原作者として『ワル』などを手がける。作家としてのペンネームは高森真士(たかもり しんじ)。この筆名で書いた「凶器」にて、1968年(昭和43年)のオール讀物新人賞受賞。また2000年(平成12年)には、『兄貴』でJLNA文学賞特別賞受賞。梶原との共同作品の際は、正木亜都(まさき あと)というペンネームを用いた。

ミネラルウォーターを愛飲しており、健康増進とダイエットに効果がある事を多方面に語っている。

また近年は、コアマガジンの『実話マッドマックス』の誌面に度々登場しており、『ブブカ』では連載も担当。

『タイガーマスク☆ザ・スター』『新☆四角いジャングル』『新空手バカ一代―格闘者』など兄の梶原のヒット作をリバイバルした作品も多々ある。

エピソード

  • 組手や稽古時以外は、片時もサングラスを外さない。また同様に、常にガムを噛んでいる。
  • 還暦を超えても空手の稽古を続けており、ヒンズースクワット300回以上をこなしている。
  • 若い頃、蒲田でバー『モンテクリスト』を営んでおり、みかじめ料の支払いを拒んだことが原因で、兄の梶原一騎と共に地元のヤクザと頻繁にケンカをしていた。20人を相手に一人で立ち向かったり、酔っぱらっている時に日本刀で腕を切られ、治療のための麻酔が効かなかった事もあったという(斉藤貴男の著書「夕焼けを見ていた男」参照。あくまで情報源は真樹本人)。
  • 主演した東映映画『カラテ大戦争』(1978年)では、別人が声を吹き替えた。本人曰く「なにせこの声だからねえ(笑)」との事。
  • 『JNN報道特集』によると、極真空手師範代の頃は当時、道場生だった麻原彰晃によく稽古をつけていた。
  • オーストラリアの日本料理店にて、店員に頭からビールをぶっ掛けられたが、本人は「1杯くらいご馳走してくれてもいいだろ」と言った]
  • 20代の頃、ステゴロ(素手の喧嘩)で東京一と言われた花形敬と対戦し引き分けた(自称。「マッキーに訊け!」参照)。
  • プロレスラーとの交流が多いが、たびたび否定的なコメントしている。しかし、「佐山と猪木は恐ろしいぐらい本当に強い」と言葉を続ける事が多い]
  • 他の門弟と違い、唯一、大山倍達と義兄弟関係にあるという事から、大山茂を始め、多くの高弟との間に確執が生じた(『極真カラテ27人の侍』参照)。

著書

  • 『世界の謎と恐怖』 1972年(昭和47年)、秋田書店
  • 『極真カラテ27人の侍』 1986年(昭和61年)、サンケイ出版
  • 『荒野に一騎咆ゆ』 1987年(昭和62年)、日本文芸社
  • 『大山倍達との日々―さらば、極真カラテ!』 1990年(平成2年)、ペップ出版
  • 『「ケンカ」の聖書(バイブル) 一般市民のための護身術実践ハンドブック』 1995年(平成7年)、翔泳社
  • 『大山倍達伝説の血闘十番勝負』 1996年(平成8年)、飯倉書房
  • 『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』 1997年(平成9年)、飯倉書房
  • 『すてごろ懺悔 - あばよ、青春』 2000年(平成12年)、フル・コム
  • 『マッキーに訊け!』 2001年(平成13年)、ぴいぷる社
  • 『無比人』 2004年(平成16年)、東邦出版
  • 『格闘家は女々しい奴が9割』 2007年(平成19年)、東邦出版
  • 『真樹日佐夫の百花繚乱交遊録』 2009年(平成21年)、東邦出版

漫画原作

  • 『ワル』(画:影丸穣也)
  • 『けものみち』(画:影丸穣也)
  • 『野獣の街』(画:影丸穣也)
  • 『のら犬の丘』(画:石井いさみ)
  • 『おんな教師』(画:上村一夫)
  • 『ゆーとぴあ』(画:上村一夫)
  • 『令嬢レスラー』(画:中野喜雄)
  • 『女子レスラー 炎の身上書』
  • 『炎のファイター』(画:佐藤まさあき)
  • 『とべない翼』(画:梅本さちお)
  • 『すてごろ専科』(画:石井いさみ)
  • 『軍用犬ヤマト』(画:桑田次郎)
  • 『拳銃王子』(画:南波健二)
  • 『風雲プロレス30年 力道山からタイガーマスクまで』(画:森村たつお)
  • 『プロレス悪役シリーズ』(画:一峰大二)
  • 『六本木ソルジャー 喪服の探偵』(画:風忍)
  • 『タイガーマスク☆ザ・スター』(画:風忍)
  • 『世紀末のメス シルバー』(画:武本サブロー)
  • 『スターダム』(画:ひであきR)を、現在『劇画マッドマックス』(コアマガジン)にて連載
  • 『新☆四角いジャングル』(画:峰岸とおる)

高森真士名義の著書

  • 『兇器』 1968年(昭和43年)
  • 『カラテ』 1978年(昭和53年)
  • 『猛き日々よ ヨコハマ懴悔』
  • 『白昼に舞う必殺拳』 1984年(昭和59年)
  • 『格闘者黎明の死闘―長編バイオレンス』 1984年(昭和59年)
  • 『新宿魔拳街』 1989年(平成元年)
  • 『黒服純情拳』
  • 『格闘者〜落日のストリートマッチ』
  • 『猛き日々よ ヨコハマ懴悔』
  • 『護衛拳』
  • 『新宿魔拳街〜吊るされた女』
  • 『命の拳(カラテ)』
  • 『血と骨』
  • 『烙印』
  • 『新空手バカ一代―格闘者』 2003年(平成15年)
  • 『渾身のシニア』 2006年(平成18年)

原作の実写映画化

  • 『ワル』シリーズ
  • 『梶原三兄弟激動昭和史 すてごろ』(原作は『兄貴-梶原一騎の夢の残骸』『すてごろ懺悔 - あばよ、青春』真樹日佐夫役は哀川翔、梶原一騎役は奥田瑛二、大山倍達役は真樹)
  • 『新空手バカ一代 格闘者』(永井大主演)
  • 『六本木ソルジャー』(佐山聡主演)
  • 『新☆四角いジャングル』(棚橋弘至主演)

 
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ポール・ジョーンズ
"Number One" Paul Jones
1943/6/16

ポール・フレデリックPaul Frederick)元プロレスラー、マネージャー。テキサス州ポート・アーサー出身。

来歴

学生時代から各種のスポーツで才能を発揮し、ボクシングでは1960年にテキサス州のゴールデン・グローブを獲得した。1960年代半ばにデビューし、太平洋岸北西部のPNWで活動。1966年3月にはスタン・ステイジャックからNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取した。1968年頃よりネルソン・ロイヤルとのカウボーイ・タッグチームで活躍。1969年2月にはロイヤルと共に日本プロレスに初来日し、アントニオ猪木と大木金太郎が保持していたアジアタッグ王座に挑戦している(ロイヤルとジョーンズのタッグは、日本では「牧童コンビ」と呼ばれた)。

その後も1970年代初頭までロイヤルと組んでNWAの主要テリトリーを転戦し、各地のタッグ王座を奪取した。日本プロレスには、1970年4月の第12回ワールドリーグ戦と1971年9月の第2回NWAタッグ・リーグ戦にも「牧童コンビ」で出場している。ロイヤルとのタッグ解消後は、1972年よりエディ・グラハムの主宰するフロリダのCWFに参戦し、ジャック・ブリスコやバディ・コルトを破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得。1973年2月には全日本プロレスに来日した。

以降は1970年代全般にわたってジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区(JCP)を主戦場に、ベビーフェイスのシングルプレイヤーとして活動。ジョニー・バレンタイン、テリー・ファンク、ブラックジャック・マリガン、リック・フレアーら強豪とタイトルを争った。タッグでもワフー・マクダニエルやリッキー・スティムボートと組み、ケン・パテラ&マスクド・スーパースターやジミー・スヌーカ&ポール・オーンドーフなどの強力チームを撃破、同地区認定のタッグ王座を再三獲得している。

並行して深南部エリアにも遠征し、1977年にジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにてディック・スレーターからNWAジョージア・ヘビー級王座を奪取。1980年には古巣のCWFで正義のマスクマン、ミスター・フロリダに変身。スーパー・デストロイヤーとの覆面レスラー同士の抗争を展開した。

1982年頃、ミッドアトランティックでヒールのマネージャーに転向。黒いテンガロンハットとタキシード、口髭をトレードマークに、悪の紳士をイメージしたキャラクターに変身、選手としてもブギウギ・ジミー・バリアントと抗争を繰り広げた。1980年代半ばからは現役を離れマネージャー業に専念。同地区のヒール勢を従えてポール・ジョーンズ・アーミーを組織し、ダスティ・ローデスやロード・ウォリアーズらフェイス陣営との抗争を指揮した。

1980年代末、テッド・ターナーの買収によるWCWの発足に伴いJCPを離脱。その後はノースカロライナ周辺のインディー団体で活動していたが、1991年にプロレスリング・ビジネスから引退した。現在はJCPの本拠地でもあったシャーロットに在住し、ボディショップを経営している。

獲得タイトル

JCP
  • NWAアトランティック・コースト・タッグ王座:1回(w / ネルソン・ロイヤル)
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:2回
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:5回(w / ボブ・ブラッガーズ、タイガー・コンウェイ・ジュニア、リッキー・スティムボート×3)
  • NWAミッドアトランティックTV王座:4回
  • NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版):2回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):6回(w / ワフー・マクダニエル、リッキー・スティムボート、バロン・フォン・ラシク×2、マスクド・スーパースター×2)
CWF
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回
  • NWAフロリダTV王座:2回
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回
  • NWAブラスナックル王座(フロリダ版):1回
その他
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:2回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / ペッパー・マーティン)
  • NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / ネルソン・ロイヤル)
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回

担当選手

  • アブドーラ・ザ・ブッチャー
  • ジェイク・ロバーツ
  • タリー・ブランチャード
  • バロン・フォン・ラシク
  • スーパースター・ビリー・グラハム
  • シャスカ・ワトレー
  • リック・ルード
  • レイジング・ブル
  • テイジョー・カーン
  • イワン・コロフ
  • ザ・バーバリアン
  • ザ・ウォーロード

 etc.






アルティメット・ウォリアー
Ultimate Warrior
1959/6/16
アルティメット・ウォリアー

ジム・ヘルウィッグBryan Barry James Hellwig)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州出身。現在は法的手続きにより本名もウォリアーである。

1980年代後半から1990年代前半におけるWWFの看板スターの1人。屈強な肉体から超合金戦士の異名を持つ。レスリング技術の評価は低いものの、わずか数分で試合を決着させる力押し一辺倒のファイトスタイルなど、その徹頭徹尾「躁状態」のキャラクター人気は高かった。

来歴

パワーチームUSAなるボディビルチームに所属後、1985年にプロレス転向。インディー団体を転戦し、ミッドサウス地区にてスティーブ・ボーデン(後のスティング)とタッグチーム「ブレード・ランナーズ」を結成、ブレード・ランナー・ロックBlade Runner Rock)として活動する。その後、テキサス州ダラスのWCCWにて、顔面ペイントを施したバーバリアンギミックのディンゴ・ウォリアーDingo Warrior)に変身。後のアルティメット・ウォリアーの前身となるキャラクターを演じた。

1987年にWWFと契約。リングネームをアルティメット・ウォリアーUltimate Warrior)と改め、1988年のサマースラムでホンキー・トンク・マンからインターコンチネンタル王座を奪取。1989年のレッスルマニア5でリック・ルードに王座を奪われるが同年のサマースラムで奪還。1990年のレッスルマニア6ではハルク・ホーガンとのWWE王座&IC王座のダブルタイトルマッチに勝利し、2冠王者となる。WCCW時代の盟友テキサス・トルネードとタッグを組むことも多かった。1991年のロイヤルランブルでサージェント・スローターに敗れ王座転落。その後、"マッチョ・キング"ランディ・サベージと抗争し、レッスルマニア7における敗者引退マッチに勝利し決着をつけた。同年8月、金銭トラブルでWWFを解雇される。1992年にWWFに復帰するが、11月に再び解雇。1996年のレッスルマニア12で再びWWFに復帰し、ハンター・ハースト・ヘルムスリーに勝利。しかし、ビンス・マクマホンと対立し再び退団した。

1998年にWCWにザ・ウォリアーThe Warrior)として参戦するが肉体的な衰えは隠せず、コスチュームをつけたまま試合を行うこともあった。1999年のWCW離脱後、一時期は公の場にまったく姿を見せなかったため、「ステロイド剤の過剰摂取の後遺症で脚を切断した」という噂や廃人説、果ては死亡説まで流れたこともあった。

近年は超保守派の政治団体に所属して講演活動を行っており、WWEのステロイド剤の使用にも苦言を呈している。2005年にはWWEからトリビュートDVDが発売されたが、現在の本人の出演は一切なく内容も彼の人格を非難するようなコメントが多く含まれていたため、WWEとの関係は冷え切っていると見られている。

2008年にはイタリアのプロレス団体NWEに参戦。6月25日、オーランド・ジョーダンを破り第5代NWE世界ヘビー級チャンピオンとなるがすぐにタイトルを返上した。試合のスタイル、コスチューム、メイク、パフォーマンスは近年も変わらず、WWF・WCW時代と比較して肉体もほとんど衰えていない。

ファイトスタイル

ウォリアーの試合はワンパターンで以下のような流れがほとんどである。

  • 入場ゲートから全力疾走
  • ロープを掴んで上下にブルブルと揺らす(後にバティスタがコピー)
  • 試合はディンゴ・ボンバー(ラリアット)、ショルダー・ブロック、パワースラムなど力押し一辺倒
  • 最後はリフトアップ・スラムからアルティメット・スプラッシュ(背中へのボディ・プレス)

背中にボディ・プレスを行なうのは従来のボディ・プレスをリック・ルードに膝を立てて返されたためである。

取得タイトル

  • WCCW
    • WCCWテキサスヘビー級王座:1回
    • WCCW世界タッグ王座:1回(w / ランス・フォン・エリック)
  • WWE / WWF
    • WWF世界ヘビー級王座:1回
    • WWFインターコンチネンタル王座:2回
  • NWE
    • NWE世界ヘビー級王座:1回
  • World Wrestling Superstars
    • WWSヘビー級王座:1回
    • WWSタッグ王座:2回





サンドマン
Sandman
1963/6/16

ジェームズ・フォリントンJames Fullington)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ユタ州サンディ出身。

シンガポール・ケインと缶ビールをトレードマークに、ハードコア・ファイターとしてECWの全盛期を支えた。

来歴

1991年、フィラデルフィアのTWAにてプロレスラーとしてデビュー。翌1992年にECWに参戦し、サーファーのギミックを演じた後、シンガポール・ケインを手にタバコをくわえ、客席から姿を現す不良キャラのサンドマンSandman)として大ブレイク。観客から缶ビールを受け取り、自らの額に打ちつけた後に一気飲みするパフォーマンスは、ECWにおける最もポピュラーな入場シーンの一つであり、ファンとレスラーが一体となった同団体のコンセプトを象徴していた。

1992年11月からECW王座を通算5回保持し、トミー・ドリーマーやレイヴェンとの抗争で大人気を博す。女性マネージャーとしてウーマン(クリス・ベノワ夫人)を従えていた時期もあった。日本へは1995年3月、第3次W★INGに初来日。1997年12月にはFMWに参戦し、テリー・ファンク&ババ・レイ・ダッドリーと3Wayマッチを行った。

1999年初頭にECWを離れ、WCWにハードコア・ハックHardcore Hak)のリングネームで登場するが、放送コードの関係からトレードマークとも言えるビールとタバコを禁止され(表向きは保護者団体から抗議を受けたエリック・ビショフが強制的に禁止したことになっているが、これはテレビ番組内のアングル)、ハードコアマッチにも様々な規制がかけられたためすぐに離脱、古巣のECWに戻った。

2001年のECW崩壊後はWWFには合流せずインディー団体を転戦。2002年にTNAが設立されると一時期は同団体を主戦場とし、ハードコア戦線で活躍。TNA離脱後はインディー団体に上がりつつ、ニュージャージー州にバーを開いた。2005/6/10には元ECWのシェーン・ダグラス主催の『ハードコア・ホームカミング』に出場。2日後の6月12日にはWWEが開催した『ECWワン・ナイト・スタンド』にも登場、メインイベントでトミー・ドリーマーと組み、ダッドリー・ボーイズと対戦した。同年は日本で行われたサブゥーのチャリティー興行にも参加。10月にはZERO1-MAXに来日し、田中将斗とハードコアマッチを行っている。

以降はWWEと契約し、傘下の新生ECWブランドに所属。ECWオリジナルズの一人として、トミー・ドリーマーとのタッグなどで活躍した。しかし権利上の問題から、代名詞の一つであるメタリカの『エンター・サンドマン』を入場曲に使用できなかった。2006年にはツアーでの来日も実現。その後RAWに移籍するも、ハードコア色の弱い同ブランドでは活躍できず2007年9月に解雇された。

WWE退団後はIWAミッドサウスなどインディー団体に参戦していたが、2008年10月、自身のMySpaceの中で引退を表明した(私生活でのトラブルで拘留中に娘の誕生に立ち会えなかったため、今後は家族と過ごす時間を増やしたいとのこと)。

また、2008年8月には息子のタイラー(1989年生)がインディー団体でデビューした。タイラーは1996年頃、ストーリーラインでECWにも登場し、レイヴェンと抗争していた父親を裏切ってレイヴェン側についたことがある。

獲得タイトル

  • ECW世界ヘビー級王座:5回
  • ECW世界タッグ王座:1回(w / 2・コールド・スコーピオ)
  • WEWタッグ王座:1回(w / 冬木弘道)
  • AEAWアメリカンヘビー級王座:2回
  • AEAWハードコアレスリング王座:1回
  • FOWハードコア王座:1回
  • IWC世界ヘビー級王座:1回
  • SSCWヘビー級王座:1回
  • USAプロUS王座:1回
  • UWFユニバーサル・ヘビー級王座:1回
  • wXwハードコア王座:1回
  • XPW世界ヘビー級王座:1回
  • XPWキング・オブ・ザ・デスマッチ王座:1回
  • TNA Hard10トーナメント優勝(決勝戦の相手は同じく元ECWのニュー・ジャック)

入場曲

  • Enter Sandman(Metallica)
    ECW在籍時に使用。
  • Nightmare
    WWE-ECW在籍時に使用。

  



中野 龍雄/中野 巽耀(たつあき)
1965/6/16

日本のプロレスラー。茨城県下妻市出身。身長174cm、体重98kg。

経歴

ラッシャー木村に憧れ、1984年に彼が在籍していた旧UWFへ入門。同年8/29、高崎市中央体育館における廣松智戦でデビュー。

新生UWFでは無骨なキャラクターと正面から立ち向かうスタイルで会場人気を集め、特に博多スターレーン大会では、客席から「俺は中野が好きだぁー」「俺もだぁー」の声がするほどの支持を得て「博多男」と呼ばれた。

1988年9月、博多での内藤恒仁戦で見せた「しゃちほこ固め」は当時のファンに強烈な印象を残している。

新生UWF解散後は高田延彦のUWFインターナショナルに参加。ベイダー初参戦の相手を勤めたが、秒殺KOされる。なおこの対戦は、中野のキャラクターにほれ込んだ、ある週刊プロレス記者の熱烈なプッシュにより実現したとされる。

1995/10/9のUWFインターと新日プロの対抗戦では、東京ドームのセミファイナルで橋本真也と激突。40kgの体重差を見せ付けられ、7分少々で、垂直落下DDTからの三角絞めでギブアップ敗北を喫してしまい、橋本からは「役不足(力不足)。蹴りだけじゃ勝てないよ」と失格の烙印を押されてしまう。ただし、9月に行われた前哨戦では、安生洋二とのコンビで長州力・永田裕志組と対戦し、永田から逆十字固めでギブアップを奪っている。

その後もUのリングで、佐々木健介、長州力と激突するが敗れる。このころ、Uの同志対決でも後輩の山本健一(現・山本喧一)や高山善廣に敗れたりと、負けが続く。

1996年に離脱後は全日本プロレス、WARなどを筆頭に、各インディー団体で活躍。

1998年にはシュートボクシングのリングでエマニュエル・ヤーブロウとバーリトゥード戦を行うが、1分足らずで敗退。何戦か総合格闘技の試合を行うが戦績は芳しくない。

負けん気の強さが持ち味で頻繁に鼻血を出す。ゴング前の握手にはまず応じない。また、試合前のインタビューの時に落ち着きがなく、体を常に痙攣させているのも特徴。

入場テーマ曲

  • 「あしたのジョー2のテーマ 〜明日への叫び〜」(ジョー山中)

使い始めた当時はCD音源がなく、映画を録画したビデオテープからダビングしたものを使用していたが、週刊プロレス誌上で音源提供を呼びかけたところ、ジョー山中本人からテープがプレゼントされた。

映画出演

  • 紀雄の部屋(監督 深川栄洋)





折原 昌夫
1969/6/16

群馬県邑楽郡出身・フリーランスのプロレスラーである。

来歴

タイガーマスクに憧れ、関東学園大学附属高等学校でアマチュアレスリングに打ち込んだ後、1989年全日本プロレスに入門。入門後に天龍源一郎よりトンパチの異名を付けられる。

1990/2/22、浜松市体育館における菊地毅戦でデビューするが、同年7月当時付き人をしていた天龍のSWS旗揚げに伴い、自身も移籍。1992年に同様の理由でメキシコ遠征帰国後にWARへ。ウルティモ・ドラゴン、外道らを相手に玉砕ファイトと呼ばれる激しいスタイルで盛り上げ、新日本との対抗戦では思い切りのいい空中殺法で評価を高めた。1993年には「トップ・オブ・ザ・スーパージュニア」参戦。ダイナマイト・キッドをも思わせるファイトで一躍注目を浴びる。中でも大谷晋二郎との感情的な戦いは話題となった。しかし、その後は精彩を欠き、1995年12月には武井社長より引退発表がなされWARを退団した。

1996年東京プロレスマットに「月光(Gekko=ヤモリ)」の名で覆面レスラーとして復帰。「月影」こと田村忍とともにヤングデストロイヤーズを結成。96年末にはFFF(旗揚げ前に解散)に移籍。1997年にメビウスを旗揚げし、トンパチマシンガンズ、ファーイーストコネクションの一員としてDDTプロレスリング、バトラーツ、みちのくプロレスを主戦場とした。1999年には再び新日本の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」に参戦している。

みちのくプロレスのシリーズ参戦中の2004年7月に突如、耳鳴り・呼吸困難・全身硬直等の症状に襲われ、職場放棄同然で失踪した。後日、週刊誌にて精神科で「ドメスティック・バイオレンス症候群」と診断されたことを告白。本当は格闘技が嫌いで、モルモットや小動物が好きな優しい性格なのに、求められていた悪役像を維持するために、全身にピアスの穴をあけ、全身に刺青をいれるなどの反動が出たという。その後、小学生相手にアマレスを教えるなどのリハビリを経て、2005年1月にインディー団体イーグルプロで復帰。現在は憧れの人物である、初代タイガーマスク・佐山聡の団体、リアルジャパンプロレスを主な戦場とし、同リングで鈴木みのるとのシングル、小野武志との「トンパチマシンガンズ」復活などを果たしている。2008年、数年ぶりにメビウス興行を復活。不祥事で活動自粛中だった金村キンタローを復帰させた。

その他

  • 大の爬虫類好きで、ショップを経営していた事もある。
  • その後も同業者との裁判(暴力団を名乗る二瓶組長にナイフで脅され刑事告訴)、結婚、離婚騒動、全身に入れられた刺青、多額の借金と話題が多い人物である。
  • 師匠・天龍には常に尊敬の念をもっており、全日本の2002/8/31・日本武道館大会「天龍軍VS武藤軍」では天龍軍として参戦し、2006/7/27後楽園ホール大会「WAR FINAL~REBORN to FUTURE~」では、WAR時代に当時抗争していた平成維震軍との対決ではWAR軍として参戦、2010年4月に行われた興行「天龍プロジェクト」にも参戦した。
  • 1996/9/11、UWFインターナショナルの神宮球場大会に参戦した際に桜庭和志と対戦。敗戦するも終始自らのスタイルを貫き、試合後控え室に戻る際には拍手と歓声を受けた。
  • 入場テーマ曲は「中継レポーター魂」(FreeDomLife)。2004年の失踪事件をモチーフにした曲である。

タイトル歴

  • レジェント・チャンピオンシップ
  • WARインタージュニア
  • WARインタージュニアタッグ
  • KO-D無差別級選手権
  • ジュニア・フラッグ





西 千明
1983/6/16

日本の元女子プロレスラー。身長 161cm、体重 63kg、血液型B型。愛知県岡崎市出身。

経歴

1999年に吉本女子プロレスJd'に入門。練習生時代から阿部幸江の唄う「貧乳」のバックダンサーとして注目を集める。2000/8/3の後楽園ホール大会で阿部幸江相手にデビュー。

「ナチュラル・ボーン・ナチュラル」とも呼ばれる天然キャラクターの持ち主で、2001年10月にはその天然ぶりが買われ吉本新喜劇に入団、プロレスラーと二足のわらじをこなす。

また、NEO女子プロレスのセミレギュラーとしても活躍、JWP女子プロレスのアキュート冴(引退)とのコンビ「反マシンガンズ同盟」でNEOマシンガンズと抗争を展開した。

2002/3/3の対MARU戦後、突如「普通の女の子に戻りたい」と引退を表明。3/31に引退式が行われた。

タイトル歴

  • 板橋タッグ(パートナーはアキュート冴)

入場テーマ

  • EVERYTHING COUNTS(SUBSONIC FORCE) - 「ダンスマニア10」に収録





ソン・オンシク/トルネード・ソン
Song Un Sik
1985/6/16

韓国出身の総合格闘家。大邱出身。大邱異種格闘技アカデミー所属。

柔術がバックボーン。キックボクサーとのキックルールの試合で勝利し、「打撃家を倒す柔術家」として頭角を現した。ムエタイも練習し、ボクシングの全国大会でも優勝している等、打撃も強い選手である。

来歴

2005/11/5、HERO'S 2005 in SEOULにて浅野倫久と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2006/4/29、MARS初参戦となったMARS WORLD FIGHTING GP in SEOULでジェイソン・ワイルドチャイルドと対戦し、三角絞めで一本勝ち。

2006/5/13、MARS WORLD FIGHTING GP in 幕張で矢野卓見と対戦し、3-0の判定勝ち。

2006/8/26、MARS 04 New Dealで熊谷真尚と対戦し、2RTKO勝ち。

2006/10/4、MARS bodogFIGHT 01でマテウス・ラーデスマキと対戦、1R3分38秒チョークスリーパーで一本勝ち。この試合からリングネームをトルネード・ソンに改名した。

2007/4/15、MARS 07 "TORNADO RETURNS"という大会名通り、メインイベントで杉内勇と対戦し、3-0の判定勝ち。

2007/7/20、MARS 08 "BURNING RED"で梶田高裕と対戦し、三角絞めで一本勝ち。デビュー以来7連勝となったが、兵役を遅らせながら格闘家生活を送ることにも限界があり、この試合後に2年間の兵役に就いた。

2010/4/10、2年8か月ぶりの復帰戦となったGRACHAN 4で上田厚志と対戦し、3-0の判定勝ち。デビュー以来8連勝となった。

2010/6/6、DEEP CAGE IMPACT 2010 in OSAKAで岸本泰昭と対戦し、0-3の判定負け。9戦目にして初黒星となった。

2010/10/3、GLADIATOR 10 "KOK"でTOSHIと対戦し、タオル投入によるTKO負けを喫した。

主な獲得タイトル

  • 全韓柔術選手権 個人優勝(2004年)
  • グラップリング大会「The Grap」 個人優勝(2005年)
  • 全韓柔術選手権 65kg以下級 優勝(2005年)







 
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