内藤 哲也
1982/6/22
日本のプロレスラー。東京都足立区出身。新日本プロレス所属。
来歴
小・中学生時代は軟式野球とサッカーに明け暮れる毎日を過ごし、都立高校へ進学。
2000年、高校3年で部活動引退後の9月、アニマル浜口トレーニングジムに入会。10月より同道場に入門を許され、基礎トレーニングとサブミッションレスリングを学ぶ。途中大きな怪我に見舞われ、プロレスラーを諦めようとしたこともあったが不屈の精神で復活。
2004年2月に開催された高田道場サブミッションレスリング大会にて、最優秀選手賞を獲得(ちなみにその大会には同じく道場生で現在プロレスラーの鷹木信悟が本名で出場していた)。
2005/11/3、後楽園ホール大会にて行われた新日本プロレス公開入門テストでは、群を抜くスピードと正確さでメニューをこなして行き、たった1人の合格者となった。同年12/1に入門。2006/5/27、リキプロの宇和野貴史を相手にデビュー。
そして9月のシリーズで「内藤哲也 試練の5番勝負」として、第1戦:獣神サンダー・ライガー、第2戦:邪道、第3戦:稔、第4戦:外道、第5戦:金本浩二とのシングルマッチが組まれた。いずれも敗北に終わったが、どの試合も高評価であった。
そして、2006/10/29に行われた神戸大会の第一試合で、先輩の平澤光秀に勝利。これがプロレス入門後の初勝利となった。その試合がテレビ朝日「ワールドプロレスリング」の「2006ヤングライオンベストバウト」に選ばれ、2007年1月4日の東京ドーム大会内で平澤とともに表彰された。
2007年6月に開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアXIVに出場。本来は出場選手から外れていたが、前シリーズの広島大会で邪道が負傷し、繰上げ出場。Bブロック第一戦(後楽園大会)では、「白星配給係」と馬鹿にされていた外道から大金星。予選最終戦(徳島大会)ではエル・サムライからも大金星をあげ、初出場ながらベテラン勢から2勝を挙げた。
2008年3月、裕次郎とタッグチーム「NO LIMIT」」を結成。同年4月には初めてタイトル(IWGPジュニアタッグ王座)に挑戦するも、敗れる。同年8月にはプロレスリング・ノアの金丸義信、鈴木鼓太郎組の持つGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦したが敗北。
同年10月の新日本両国大会で稔・プリンス・デヴィット組からタイトル奪取。第22代IWGPジュニアタッグ王者になる。しかし、翌年の東京ドーム大会でTNAのアレックス・シェリー、クリス・セイビンのモーターシティ・マシンガンズに負け、タイトル流出。その後、新日本両国大会での挑戦権を賭けた4wayタッグマッチで勝利し、裕次郎と共に渡米。TNAに参戦し、タイトル奪還のため奮闘し、一時は彼らに勝利した日もあったが、2009/3/30TNAオーランド大会でのタイトルマッチで再戦するも、勝利ならず。
5月からメキシコへと遠征し5/29日に裕次郎、ドス・カラス・ジュニアと組みCMLLに初登場。以降継続参戦し人気を博したが、12月4日に行われた髪切りマッチに敗れ、髪を刈られ丸坊主の姿へとなってしまった。また、階級をジュニアヘビー級からヘビー級へと転向。
2010年1月4日、裕次郎と共に新日本へ一時帰国しブラザー・レイ、ブラザー・ディーボンの持つIWGPタッグ王座で凱旋試合を行う(この試合は3wayマッチとして行われもう1組の挑戦者はジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組だった)。この試合に勝利し第55代IWGPタッグ王者となった。
2/14にはCMLLのテリブレ、テハノJr.組相手に防衛を成功。さらに3月に行われたNEW JAPAN CUPに初出場。1回戦でカール・アンダーソン、2回戦では棚橋弘至に勝利を上げ、ベスト4に残った。
5/3の「レスリングどんたく2010」でIWGPタッグベルトを賭けてNOLIMIT(パートナーは高橋裕二郎)として青義軍(永田裕志、井上亘組)、バッドインテンションズ(ジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組)による3WAYマッチに出場し、井上がアンダーソンからフォール勝ちしたことで、IWGPタッグ王座から陥落。しかし、「自分たちは負けていない」という理由で裕二郎と共に再戦を直訴。
6月19日、イリミネーションマッチとして同じ3組で対戦するも、他の2組から執拗に攻撃されたのが原因で敗退(この試合結果はアンダーソンが井上からフォールを奪ったことで、バッドインテンションズが新しいIWGPタッグ王者となった)。しかし、「双方から攻撃を受けることがおかしすぎる」と言い、巴戦ルールで再戦をまたも直訴。
7/19、巴戦ルールで3度同じ3組で対戦するも、先にバッドインテンションズが2連勝した為、ベルト奪還に失敗。
同年のG1クライマックスにも出場し、G1終了後は親日エースの座を巡ってG1で引き分けに終わった棚橋弘至と対戦しハイフライフローで敗れる。 また、G1タッグリーグにも裕二郎と組んでNOLIMITとして出場、トーナメント準決勝で日墨マッスルオーケストラ(中西学、ストロングマン組)に勝利するも、決勝戦で青義軍(永田裕志、井上亘組)に敗れ準優勝となる。
2011年1月4日、東京ドームのレッスルキングダムにてTNA世界ヘビー級チャンピオンベルトを賭けて、第11代王者のジェフ・ハーディーと対戦。敗北するも、その高いポテンシャルを生かしてのファイトスタイルで、次期エースの期待を得ることに成功する。 また、新日プロレス四天王の一人と呼ばれていながら、一度もIWGPのベルトを巻いたことがない後藤洋央紀に下剋上を宣言。2/20の仙台大会で後藤と対戦し、後藤の四天王としての強さを認める。
その後、NOLIMITとしての戦績が低迷し、シングルでの活躍が際立ってしまった事もあり、タッグパートナーの高橋裕二郎との確執が発生。一時は関係は修復し、5/3の博多大会でIWGPタッグでバットインテンションと対決するも、未だに消えていなかった不協和音が原因で裕二郎のラリアットの誤爆に遭い、そのままマジックキラーとバーナードライバーのコンボで惨敗。リングで倒れている中、裕二郎に叱責された後リングに一人取り残されてしまい、5月中旬のアメリカツアーでのNOLIMITとしての対戦カードも組まれなくなってしまった。そして同月の5/26、田中将斗を加えたCHAOSチームとして天山広吉・井上亘・キング・ファレの青義軍チームと対戦。終始裕二郎にタッチを求めても拒否される、仲間なのに背後から攻撃を受けるなどされた後、井上のスピア・オブ・ジャスティスに敗北。直後に裕二郎の東京ピンプスを食らい、田中とリング外から現れた邪道・外道の4人に袋叩きにされ、裕二郎から「NOLIMITはもう終わり」と言われNOLIMITを解散、同時にCHAOSを追放されてしまい、袋叩きされた事で担架に運ばれて退場する事になってしまった。
人物
- 新日本プロレス野球部ではショート・2番打者として、守備と俊足でチームに一役買っている。
- 本人は、熱心な新日ファンであり「闘魂戦士」時代からのファンクラブ会員でもある。選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという、異色の選手。その熱い気持ちに新日社員も笑ってしまったというほどであり、噂によれば、現在は新ファンクラブ名簿の一番上に名前があるという。
- 広島東洋カープの熱狂的なファンであり、ファンクラブに入会している他、シリーズの合間をぬって球場での観戦にも行っている。広島市民球場の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもわざわざ観戦しにいく熱狂ぶり。
- 3度の飯より寝るのが好きで、日本各地の興行で移動の際はほとんど爆睡。渡米してもその生活スタイルは変わらず、ついには控え室でも寝ていることからついたあだ名が「GOOD
NAITO(good nightをかけたもの)」。
- 忘れ物が多く、数々のエピソードを裕次郎他いろんな選手に暴露されている。
- 元々武藤敬司の大ファンで、同じく武藤から影響を受けている棚橋がトレーナーであるとメディアに紹介されたこともあり、オレンジタイツ時代の武藤のリングコスチュームやファイトスタイルにその影響が見て取れると言われているが、実際は棚橋がトレーナーというのはメディアが作った話であり、取材の際の1回のみ。また、武藤が新日を去ったことから「大好きだったけど、今は大嫌いな選手」という位置づけ。あくまで内藤は「新日愛」にこだわる。ただし試合中に見せる仕草はオレンジタイツ時代の武藤そのものであることもしばしば。
- 本当はものすごい人見知りで、中々打ち解けられない。リングに上がると性格が一変する。
- 最近はなぜかTシャツを着たまま試合をすることが多い。←追記:(本人に確認したことによる)…これはTシャツを着ていることが良くも悪くも目立ち、初めて来たお客さんに名前は覚えられなくとも「Tシャツを着てたレスラー」となんとなくでも印象に残るという算段、そして現在ヒールであるということから凶器の一つとして使うという意味合い、そして、そもそもこの疑問をファンが持つこと=ファンが内藤の動向を気にしている証拠であり、本人は「してやったりだ」という気分を楽しむ意味合いがあるのだという。すべては内藤のプロレスファン脳を熟知した上でのパフォーマンスともいえる。
タイトル歴
新日本プロレス
- IWGPジュニアタッグ王座(第22代、パートナーは裕次郎)
- IWGPタッグ王座(第55代、パートナーは同上)
入場テーマ曲
- Du Hast / Rammstein
- Nolimit
裕次郎(現:高橋裕二郎)とのタッグチーム“NO LIMIT
”結成時のテーマ曲。現在は勝利テーマ曲として使用。
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