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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
6/24


 
 


 
 

金子 真理
1972/6/24

日本の総合格闘家。長野県諏訪市出身。

空手道禅道会松本支部所属であり、禅道会女子部の看板選手兼指導者。1990年代から様々な大会で活躍する女子総合格闘技のパイオニアの一人。NPO法人日本武道総合格闘技連盟理事。

来歴

プロ総合格闘技「クラブファイト」「AX」「スマックガール」「DEEP」に出場。

2004/2/8に開催された「Love Impact」に出場予定だったが対戦選手の怪我でキャンセルとなった。5/7、黄金筋肉 女子総合格闘技 最強女王決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝を勝ち抜くも、決勝で渡辺久江に0-3の判定負けを喫し準優勝となった。

2005/7/8、DEEP 19th IMPACTでのしなしさとことの試合を最後に、プロ総合格闘技から引退。その後は武道家として稽古を続け、後進の育成に励む。

2009/10/4、4年ぶりに復帰し、リアルファイティング空手道選手権大会・女子52kg以下級に出場。決勝で石岡沙織に腕ひしぎ十字固めで一本負けし、準優勝となった。

2009/12/11、4年5か月ぶりのプロ復帰戦となったJEWELS 6th RINGで富田里奈と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2010/10/3、リアルファイティング空手道選手権大会・女子52kg以下級に出場。準決勝で小澤深岬に優勢勝ちを収めるも、決勝で石岡沙織に優勢負けを喫し、2年連続の準優勝となった。

主な戦績

  • 1999年 全日本アマチュア修斗選手権大会 女子フライ級 優勝
  • 2001年 リアルファイティング空手道選手権大会 女子の部 優勝
  • 2002年 リアルファイティング空手道選手権大会 女子の部 優勝
  • 2002年 スマックガール JAPAN CUP ミドル級 準優勝
  • 2003年 リアルファイティング空手道選手権大会 女子50kg以下級 優勝
  • 2004年 黄金筋肉 女子総合格闘技 最強女王決定トーナメント 準優勝

開催年月日 対戦相手 勝敗
JEWELS
2009/12/11
JEWELS 6th RING
富田里奈
DEEP 19th IMPACT
2005/7/8
しなしさとこ ×
DEEP 18th IMPACT
2005/2/12
しなしさとこ
黄金筋肉
2004/5/7
女子総合格闘技 最強女王決定トーナメント【決勝】
渡辺久江
×
黄金筋肉
2004/5/7
女子総合格闘技 最強女王決定トーナメント【準決勝】
石川美津穂
黄金筋肉
2004/5/7
女子総合格闘技 最強女王決定トーナメント【1回戦】
ASAMI
SMACKGIRL
2003/7/6
Third Season-V
ジェット・イズミ
×
ARKADIA
2003/3/29
松川敬子
SMACKGIRL
2002/12/29
"JAPAN CUP 2002 GRAND FINAL The Last Performance of 2002"
【SGSミドル級トーナメント 決勝】
辻結花"
×
SMACKGIRL
2002/11/9
"JAPAN CUP 2002 エピソードII"
【SGSミドル級トーナメント 準決勝】
WINDY智美"
SMACKGIRL
2002/10/5
"JAPAN CUP 2002 開幕戦"
【SGSミドル級トーナメント 1回戦】
亜利弥'"
SMACKGIRL
2002/8/4
Summer Gate 2002
渡辺久江
SMACKGIRL
2002/5/6
GOLDEN GATE 2002
WINDY智美
×
SMACKGIRL
2002/3/2
God Bless You!
虎島尚子
AX
2001/12/26
"We Want To Shine 輝きたいの"
ジェット・イズミ"
×
SMACKGIRL
2001/8/23
SMACK GIRL 4 "Burning Night"
張替美佳
SMACKGIRL
2001/7/26
SMACK GIRL 3 "Indeed"
星野育蒔
×
SMACKGIRL
2000/12/17
Smack Girl Episode 0
石原美和子
2000/11/12 CLUB FIGHT Round 1
高橋洋子
×

 
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高橋冬樹
1975/6/24

元プロレスラーで最終所属団体はZERO1-MAX。新潟県加茂市出身。身長184cm、公称体重108kg。

ニックネームは「越後のあすなろ」。

熱狂的な大阪近鉄バファローズのファンである(あった)。2004年の球界再編で同球団が消滅以後はオリックスバファローズのファンであるとモバイルサイトのコラムにて公言していた。

経歴

大相撲出身。IWA・JAPANに入門し、ザ・グレート・カブキの付け人を経て、1998/3/13、新岩大樹(あらいわ ひろき)の名前でデビュー。翌年、海外修行の名目で姿を消し、マスクマンフレディ・クルーガー#3として、ターザン後藤率いるヒール軍団の一員として活躍。2000年に後藤が離脱後は、覆面を脱ぐ。

2001年にIWA・JAPANを退団。プロレスリング・ノア練習生を経て2002年、ZERO-ONEで再デビュー、長く負傷療養のために試合から離れていたが2005年春に復帰、その後も試合内容等で精彩を欠き『ゼロワンの崖っぷちトリオ』などと紹介される等模索の日々が続いていた。荒削りで年齢的には決して若くも無く厳しい立場にはあるが、今さらと思う反面、日本人プロレスラーの中でもひけをとらない大型選手であり、ダイナミックな動きは多く一皮剥ければ手ごわい選手になると期待された。違う仕事に目を向けたいとの理由で2007/9/30の後楽園大会を以て現役を引退した。

ブログを開設し、ダイエットとトレーニング日記を更新していく。

2010/10/17、ZERO-ONE興行にボディビルダーで参加。(ポージングで鍛えた肉体を披露しジャーマンとドロップキックを披露する。)

車冬次郎

車冬次郎(くるま・ふゆじろう)は、一念発起してキャラクターチェンジを果たした高橋冬樹の姿であり、本人が大好きな映画男はつらいよの主人公・車寅次郎をモチーフにし、2006年秋の地方巡業から試行錯誤を繰り返し順調に成長、2006/11/24後楽園ホールにて首都圏初公開を果たし前座で活躍していた。車寅次郎の妹、諏訪さくら役には前村早紀が扮していた。

男はつらいよの主題歌を歌いながらの入場、最前列の観客に日本酒を振舞う(マイカーでの来客の場合も考慮して団子を配る場合もあり)、最後には対戦相手あるいはレフェリーと軽く口げんかになり「それを言っちゃあおしまいよ」で締める、などといったパフォーマンスが特徴的であった。

冬さんワールド

なお冬次郎の試合に際しては、

  • 浪口修は『タコ社長』
  • 前村早紀は『さくら咲』
  • 不動力也は『ひろし』

と呼ばれ、独特の世界が展開された。彼らは場合によってタッグを組んだりハンデマッチ形式で試合に絡むことがあった。






花月
1992/6/24

かげつ、本名:石野 由加莉(いしの ゆかり)は、センダイガールズプロレスリングに所属する日本の女子プロレスラー。

身長158cm、体重60kg、大阪府摂津市出身。

所属

  • センダイガールズプロレスリング(2008年~)

人物

  • 中学時代から柔道を中心に独自にレスラーになる為のトレーニングを行っていた。結果的に、1期生と同等の基礎体力を持って入団する事になる。奇しくも里村明衣子と同じ経歴を持っている。
  • 目標は、仙女代表でもある里村明衣子を倒し、業界No.1に君臨する事。
  • 趣味はドラえもんグッズ集め。ひみつ道具の本も持つなど、ドラマニア。
  • 初勝利・初メイン・シングル戦初勝利と、何かとアイスリボンに絡んでいる。
  • GAEA JAPAN時代の(里村の後輩に当たる)広田さくらのブログにて度々コメントしており、「女子プロレスラーになる」とのメッセージで締めていた。このエピソードは2010/3/21の「RINGSTARS春祭り」にて広田と対戦した際、試合後に広田がマイクでコメントしている。

経歴・戦歴

  • 2008年
    • 4月、中学卒業と同時に入団
    • 7/27Zepp Sendai大会、水波綾とのエキシビジョンマッチを行う。
    • 8/24Zepp Sendai大会、永島千佳世(OZアカデミー)を相手にデビュー。負けはしたものの、その日のベストバウトと呼ばれるほどの健闘を見せる。
    • 10/26Zepp Sendai大会、「5vs5勝ち抜きサバイバルマッチ」の先鋒を務めるが、先鋒戦で牧場みのり(アイスリボン)の腕ひしぎ十字固めでタップアウト負け。この試合が、翌年8/23アイスリボン後楽園大会に繋がった、牧場とのライバルストーリーの始まりにもなる。
    • 11/9息吹・新木場大会、vs勇気彩(NEO)戦で、他団体初参戦。
  • 2009年
    • 2/21、第二回じゃじゃ馬トーナメント1回戦、vs山田よう子(エスオベーション)戦で敗れ、1回戦敗退
    • 4/19、仙台大会、里村明衣子と組んでのvs牧場みのり(アイスリボン)・及川千尋(バトラーツ)戦で勝利。プロ初勝利を挙げる。
    • 5/4、アイスリボン板橋大会、牧場みのりと組んでのvsさくらえみ・米山香織(JWP)戦で初めてのメイン出場(勝者はさくらえみ)。
    • 9/13、息吹・新木場大会、vsしもうま和美(アイスリボン)戦でシングル初勝利。
    • 12/20Zepp Sendai大会、試合後、新崎人生社長から、リングネーム公募をアナウンス。
  • 2010年
    • 公募の結果、1/31のvsダイナマイト・関西(OZアカデミー)戦から「花月」に改名した。
      • リングネームは吉本興業の「なんばグランド花月」「うめだ花月」などに由来し、大阪出身の石野に「大阪のエンターテインメントのシンボルとなってほしい」という思いを込めて付けられた。
    • 3/21、OSAKA女子プロレス・世界館大会、地元出身の花月は旗揚げ戦のメインイベントとしてvs下野佐和子戦に出場。
    • 9/23、アイスリボン後楽園大会、アイスリボンvsセンダイガールズ・イリミネーションキャプテンフォール10人タッグマッチにて、仙女チームのキャプテンに就任。主将同士の1vs1にまで縺れ込んだ末、アイスリボン主将の(くしくも同じ関西出身の)真琴を倒し、仙女チームの勝利に貢献。
  • 2011年
    • 1/22、仙台大会、JWPジュニア二冠次期挑戦者決定トーナメントで優勝し、次期挑戦権を獲得する。
    • 3/6、JWP東京キネマ大会、悲恋からJWPジュニア二冠王座を奪取。自身初タイトルを獲得した。
    • 4/3、JWP後楽園大会、ジュニア二冠選手権試合、矢神葵を倒し初防衛。
    • 4/24、アイスリボン蕨道場大会「第1回teens興行」にてシングルで闘った都宮ちいから5/5アイスリボン後楽園でのジュニア二冠戦を要求。さくらえみを通じて交渉の結果、JWPがこれを受諾。
    • 5/5、アイスリボン後楽園大会、ジュニア二冠選手権試合、都宮ちいを倒し2度目の防衛に成功。

入場テーマ曲

  • 「Future World」(HELLOWEEN)





クリス・ベノワ
Chris Benoit
1967/5/21 - 2007/6/24

カナダ出身のプロレスラー。最終所属団体はWWE。「ザ・クリップラー(The Crippler)」「凶獣(The Rabid Wolverine)」「歯無き攻撃性(Toothless Aggression)」などの異名を持つ。

本名はクリストファー・マイケル・ベノワChristopher Michael Benoit)で "Benoit" はベンワーとも表記される。カナダ・ケベック州の生まれでアルバータ州エドモントンにて育つ。晩年はジョージア州アトランタ在住。プロレスラーの中では小柄だが、ヘビー級のレスラーにも負けないパワーと、基本に忠実なレスリング技術の持ち主であった。最終所属はWWEのECW。

来歴

デビューから新日本プロレス

ダイナマイト・キッドに憧れプロレスラーを志し、カナダのハート道場でスチュ・ハートにより鍛えられる。1985年11月にプロレスデビュー。バッドニュース・アレンの勧めで、1987年に初来日して新日本道場の練習生になった。当初はスペルをそのままローマ字読みしたクリス・ベノイの名で呼ばれたが、新日からダイナマイト・クリスというリングネームを与えられた。しかし本人は尊敬するダイナマイト・キッドに因んだ「ダイナマイト」の名を冠するには自分は未熟だとして、その後覆面を被りペガサス・キッドというリングネームにて新日本プロレスに参戦する。

後に獣神サンダー・ライガーにマスカラ・コントラ・マッチで敗れ覆面を取り、1993年TOP OF THE SUPER Jr.優勝を機にワイルド・ペガサスに改名。獣神サンダー・ライガーやエル・サムライ、金本浩二、大谷晋二郎、2代目ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)らと激闘を繰り広げた。1990年にはIWGPジュニアヘビー級王座獲得、1994年にはSUPER J-CUP 1st STAGE優勝、SUPER Jr. TAG優勝、1995年にはBEST OF SUPER Jr.優勝など、新日本ジュニアヘビー級のトップ外国人として活躍した。

ECW

1995年には本拠地をアメリカに移し、ゲレロやディーン・マレンコらとECWに参戦。サブゥーとの試合中、フラップジャックの失敗からサブゥーの首を折ってしまって以来 "ザ・クリップラー" (壊し屋・破壊者)という異名をECWプロデューサーのポール・ヘイマンに与えられる。マレンコと組んでECW世界タッグ王座も獲得し、ECW世界ヘビー級王者のシェーン・ダグラスとトリプル・スレットなるユニットも結成した。しかしヘイマンがベノワの就労ビザを一向に取ろうとせず、国外退去を避けるために1995年夏、親友のゲレロ、マレンコと共にWCWに移籍した。

WCW

WCWでは波乱の人生を送っていた。彼はさまざまなレスラーと戦っては勝っていたものの、政治的なことを嫌いnWoなどメインストリームには乗らず、ベノワは雌伏をした。この頃ケビン・サリバン夫人であった女子マネージャーのウーマンと恋仲になり、事実上略奪婚をしている。サリバンとはこの不倫騒動の最中にストーリー上でも抗争を行っていた。その後、1999年に再び本格的な表舞台に立ち、US王座、テレビジョン王座などさまざまなWCWのタイトルを獲得している。また、リック・フレアーのユニット "フォー・ホースメン" のメンバーでもあった。WCWを見限ってWWFへの移籍を決意し、2000/1/16、王者決定トーナメントを制しWCW王座を手にするも翌日に返上してWWEに移籍した。

WWF / WWE

WWFでは共にWCWから移籍したエディ・ゲレロ、ディーン・マレンコ、ペリー・サターンとラディカルズを結成、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック、カート・アングルらと抗争を繰り広げる。2001年にはかつての戦友であった、クリス・ジェリコとともにWWF世界タッグ王座を制している。しかし長年の激闘によって首へのダメージが蓄積、同年6月のPPVキング・オブ・ザ・リングにて行われたオースチン、ジェリコとの三つ巴WWF王座戦にてジェリコにトップロープからのバックドロップを放った際に首の負傷が決定的なものとなり、以降約一年間欠場。2002年7月の復帰後は早々にIC王座を獲得、当初はRAWに所属していたが、スマックダウンGMだったステファニー・マクマホンによって引き抜かれ移籍。以降数か月間カート・アングルと毎週のように名勝負を繰り広げ、ストーリー重視で迷走気味だったロウを凌ぐ人気に貢献した。10月にはWWEにおける最大のライバルでもあったカートとのコンビで初代WWEタッグ王者に付いた。

王座陥落後しばらくは便利屋のようなポジションに戻ってしまったが、2003年冬から再びアングルやブロック・レスナーらトップグループとの抗争が組まれ、2004年のRoyal Rumble 2004でのロイヤルランブル・マッチでショーン・マイケルズ(1995年)以来史上2人目となる一番手出場での優勝を達成し、レッスルマニアでの王座挑戦権を獲得。スマックダウンGMのポール・ヘイマンによってWWE王座への挑戦権は永遠に奪われていたため、世界ヘビー級王座への挑戦を選択。WrestleMania XXメインイベントにて念願の世界ヘビー級王座を獲得。しかし同年のサマースラムで、ランディ・オートンを相手にベルトを手放してしまった。

2005年に行われたWWE ECW's One Night Standに出場。また同年のドラフトによりスマックダウンへ移籍した。スマックダウンに移籍後、オーランド・ジョーダンからUS王座を獲得。その後ブッカー・Tに敗れて王座を失い、王座をかけてブッカー・Tと7番勝負で抗争した。なお、ブッカーとはWCW時代にもデイブ・フィンレーが保持していたWCW・TV王座挑戦権を賭けて7番勝負を行っている。

2006年、No Way Outで王座を取り戻すものの、WrestleMania 22でのUS王座戦でJBLに敗れて王座を明け渡した。

5/26のマーク・ヘンリー戦を最後に肩の怪我と「家族と過ごす時間が欲しい」等の理由から半年近くに渡り欠場をしていたが、10/8のPPV「NO MERCY」で突如復帰。ウィリアム・リーガルとキャッチ・レスリング戦を展開した。

10/13のSmackDown!では、ケン・ケネディを破り再びUS王座を奪回した。その後、レイ・ミステリオとの抗争を終えたチャボ・ゲレロとヴィッキー・ゲレロと抗争を開始。

2007年、チャボとの抗争が終わってからはストーリーラインに絡まない試合が続いたが、4月1日に開催されたWrestleMania 23では大型新人のMVPとUS王座を賭け対決。ダイビングヘッドバットでフォール勝ちを収めた。4/29に開催されたPPV、「BACKLASH」では再びMVPと対決。丸め込んでフォール勝ちを収めた。しかしジャッジメント・デイでは3本勝負形式の王座戦が行われ、ついにMVPにタイトルを奪われてしまう。

6/11、RAWで行われたドラフトにより、スマックダウンからECWに移籍。形は違えども、約12年ぶりにECWに戻った。

死去

2007/6/24、CMパンクとのECW王座戦に出場予定だったPPVヴェンジェンスを「家庭の事情」を理由に急遽欠場。翌25日にジョージア州の自宅で妻、息子とともに遺体で発見された。40歳であった。

6/26、地元警察が調査結果を報告。捜査の結果、ベノワが22日に妻を縛ったうえで絞殺、翌23日には息子に薬物を投与し意識を失わせた状態で窒息死させた後に、自宅地下のトレーニングルームで首吊り自殺したと判明。自宅における多重殺人事件と自殺事件であると発表した(いわゆる無理心中)。

事件の動機としては、ベノワが摂取していたステロイド剤(合法的に処方されたもの)の副作用による鬱症状が原因とする説、脆弱X症候群と呼ばれる遺伝性の難病を患っていた息子の将来を悲観したとする説などが挙げられている。9月に医療専門家らがステロイド剤ではなく慢性的な外傷性脳損傷が原因という見方を示した(専門家チームは、ベノワの脳の状態は85歳程度のアルツハイマー患者の脳に酷似していた、と述べている)。

WWEは当初追悼興行を開く計画であったが、事態を重く見たWWE首脳陣が興行の取り止めを決定した。またベノワの戦績・グッズなど彼に関するすべての情報を削除し、公式サイトにおける彼のプロフィールも閲覧不可能になった。また、リムジンを爆破して大掛かりな自身の死亡ギミックを展開していたビンス・マクマホンも番組に登場し、「今後彼の名前が番組内で語られることはない」と発言した。上記のような処置のため確実視されていた殿堂入りや、彼を特集したDVDなどの発売もほぼ確実になくなり、記録の改ざんや過去の映像でも登場部分がカットされるようになった。

その後、ビンス・マクマホンは"The Untold History of The WWE"というマガジンのインタビューにおいて、「WWEが彼をプロモーションすることは今後あり得ないが、彼が歴史上に存在したということを否定できない。」とし、今後は映像や記録から必ずしも削除しないという方針を語った。実際、WWE公式HPの各タイトル歴代王者には名前が復活している。

死後とその影響

この一件はアメリカにおいて知名度の高い人物による殺人事件であることと、(近年アメリカスポーツ界で社会的問題になっている)ステロイド剤の副作用による影響ではないかとの考えから大手の報道機関でも大きく取り上げられた。特に事件当初の情報の少なかった時点ではステロイド剤を影響とする説が特に大きく取り扱われ、所属選手のステロイド剤使用と、加えて報道されたハードな労働状況などからWWEの社会的信用にも大きな影響を与えた。以後WWEは所属選手に対するドラッグテストを義務化し、違反者を処罰するようになった。

なお、ベノワの母国であるカナダのTV局en:CBC_Televisionは、ドキュメンタリー番組のen:The Fifth Estateにて彼のデビューから死に至るまでの足跡を辿った「Chris Benoit: A Fight To The Death」という特集を製作した。この中でベノワと親しかったジェイク・ロバーツは「ベノワは決して衝動や副作用などで軽々しく殺人を犯す人物ではない」と述べている。また、ベノワの父はベノワの親友であったエディ・ゲレロの死がベノワの精神状態に深い影響を与えていた事を語っている。元WWE所属で重度の脳震盪による後遺症で引退したクリス・ハーバートはベノワの父にベノワの脳の病理解剖を行う様に提案し、その結果前述の様な脳障害の実態が明らかになった経緯も番組内で述べられている。

タイトル歴

WWF / WWE
  • 世界ヘビー級王座 : 1回
  • インターコンチネンタル王座 : 4回
  • 世界タッグ王座 : 3回(w / エッジ×2、クリス・ジェリコ×1)
  • WWEタッグ王座 : 1回(w / カート・アングル)
  • 2004年ロイヤルランブル優勝
  • US王座 : 5回
WCW
  • 世界ヘビー級王座 : 1回
  • WCW・US王座 : 2回
  • テレビジョン王座 : 3回
  • 世界タッグ王座 : 2回(w / ディーン・マレンコ×1、ペリー・サターン×1)
ECW
  • 世界タッグ王座 : 1回(w / ディーン・マレンコ)
新日本プロレス
  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回
  • TOP OF THE SUPER Jr. : 1993年優勝
  • SUPER J CUP優勝 : 1st STAGE優勝(1994年)
  • BEST OF THE SUPER Jr. : 第2回(1995年)優勝
その他
  • UWA世界ライトヘビー級王座 : 1回
  • スタンピード・ブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座 : 4回
  • スタンピード・インターナショナルタッグ王座 : 4回(w / ベン・バサラブ×1、キース・ハート×1、ランス・アイドル×1、ビーフ・ウェリントン×1)
  • CWA世界タッグ王座 : 1回(w / デイブ・テイラー)

リングネーム

今までに用いたことがあるリングネーム

  • クリス・ベノイ - 新日本在籍時に使用
  • ダイナマイト・クリス
  • ペガサス・キッド - 新日本在籍時のマスクマン時代に使用
  • ワイルド・ペガサス - 新日本在籍時、素顔に戻った時代に使用
  • クリス・ベノワ - 以降、日本遠征時も含めて終身まで使用

入場曲

  • Whatever / Our Lady Peace
  • Rabid
  • The Shooter / WWF The Music volume 5
  • JUMP(DJ.POWER MIX / THAT'S EURO BEAT vol.15

クリス・ベノワ ハード・ノックス(2枚組) 
クリス・ベノワ ハード・ノックス


  

















 
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