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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
6/28


 
 


 
 

ボリス・マレンコ
Boris "The Great" Malenko
1933/6/28 - 1994/8/27

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はローレンス・J・サイモンLawrence J. Simon)、通称ラリー・サイモンLarry Simon)。

現役選手時代はチェーン・デスマッチの名手として活躍し、引退後はヒールのマネージャーとなって悪名を轟かせた。また、名トレーナーとしても知られ、日本人レスラーを含め多くの選手を育成した。息子のジョー・マレンコとディーン・マレンコも元プロレスラーである。

来歴

デビュー当時はテキサス地区で活動。1961年7月にはフロリダにてバディ・ロジャースのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している。その後、ナチス・ギミックのオットー・フォン・クラップOtto Von Krupp)に変身し、ボブ・ガイゲルと組んで1961年11月にAWA世界タッグ王座を獲得した。

1965年1月、グレート・マレンコGreat Malenko)のリングネームで日本プロレスに初来日。1960年代後半からはフロリダ地区を主戦場に、ロシア人ギミックのヒールとして活動。1967年5月にはワフー・マクダニエルからフロリダ・ヘビー級王座を、1968年8月にはジョニー・バレンタインとのコンビでホセ・ロザリオ&ジョー・スカルパから南部タッグ王座を奪取している。以降1972年にかけて、エディ・グラハム、ディック・マードック、ボビー・ダンカンらとブラスナックル王座を巡る流血の抗争を展開。同王座を通算8回獲得し、ラフファイターとしての名声を高めた。

1973年5月にはアブドーラ・ザ・ブッチャーらと共に全日本プロレス、1974年10月にはザ・シークやアーニー・ラッドと共に新日本プロレスに参戦。以降はセミリタイアし、1976年よりNWAミッドアトランティック地区でマネージャーに転向。タキシード、ステッキ、葉巻をトレードマークに悪の紳士をイメージしたキャラクターとなり、マスクド・スーパースターやキム・ドクらヒール勢をコントロールした。

1978年3月にはスーパースターに帯同して新日本プロレスに再来日。火のついた葉巻をアントニオ猪木の目に押し付け、激怒した猪木が制裁目的のシングルマッチを行うなどのアングルも組まれた。新日本には1979年1月にも、フロリダ地区でのタッグ・パートナーでもあったボブ・ループのマネージャーとして登場している。

1980年代後半からはホームタウンのフロリダ州タンパでプロレスリング・ジムを運営。彼のジム "Malenko School of Wrestling" は日本では「マレンコ道場」と呼ばれ、同じくフロリダ在住のカール・ゴッチの仲介により、第二次UWFに数々の門下生が来日した。

1994年8月27日、血液癌のため死去。61歳没。

獲得タイトル

American Wrestling Association (ミネソタ)
  • AWA世界タッグ王座:1回(w / ボブ・ガイゲル)
Championship Wrestling from Florida (フロリダ)
  • NWAブラスナックル王座(フロリダ版):8回
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / ボブ・ループ、ジョニー・ウォーカー)
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回(w / ジョニー・バレンタイン)
Southeastern Championship Wrestling (アラバマ)
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座(北部版):1回
  • NWAサウスイースタンTV王座:1回
NWA Big Time Wrestling (ダラス)
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
  • NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / キラー・カール・コックス)

育成選手

  • ジョー・マレンコ
  • ディーン・マレンコ
  • バディ・ランデル
  • バリー・ホロウィッツ
  • ポール・ダイヤモンド
  • ノーマン・スマイリー
  • デビッド・ヒース
  • ショーン・ウォルトマン
  • グレン・ジェイコブズ
  • ヴァン・ハマー
  • ジョニー“ジャンボ”バレット
  • マック・ローシュ
  • ウェリントン・ウィルキンスJr.
  • デビー・マレンコ
  • 石川雄規
  • 島田裕二
  • 内藤恒仁
  • 竜司ウォルター

 etc.


 
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ビジャノ1号
Villano I
1950/6/28 - 2001/1/4

メキシコシティ出身の覆面レスラー。ビジャノとは日本語で『極悪』の意味を持つ。本名:ホセ・デ・ヘスス・ディアス・メンドーサ。父はレイ・メンドーサ、兄弟は2号、3号、4号、5号、義理の姉妹はラ・インフェルナル(3号の妻)。因みに兄弟のユニット名は「ロス・ビジャノス」と呼ぶ。

1961年後頃からメキシコの鉄人と言われた父のレイ・メンドーサやボビー・ボナレスの元で学校に通いながらルチャやレスリングの修行する。その後アマレスでメキシコオリンピックの代表を目指していたが断念し1969年にメキシコシティ・サン・ファン・パンティトランで弟のビジャノ2号と組んでカバジェロ・ティグレ2号、メモ・ルビオ組を相手にデビュー。

1976年2号と組んでメキシコ州タッグを奪取しベルトを3年間保持し続けた。

2001年に心臓発作で死去。

タイトル履歴

  • メキシコ州タッグチーム王座: 1回
  • アレナ・コロセオタッグチーム男王座 : 1回
  • UWA世界ライトオヘビー級王座: 1回
  • UWA世界トリオ王座: 4回






ジョン・ハイデンライク
Jon Heidenreich
1969/6/28

アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。

来歴

プロレス入りする以前はアメリカンフットボールで活動し、1994年から1995年にかけて、オフェンスラインマンとしてカナディアン・フットボール・リーグのシュリーブポート・パイレーツでプレイした後、1996年にはアリーナ・フットボール・リーグのテキサス・テラー、1997年にはNFLヨーロッパのフランクフルト・ギャラクシーに在籍。また、NFLの数チーム(ニューオーリンズ・セインツ、アトランタ・ファルコンズ、ワシントン・レッドスキンズ)のトレーニングキャンプにも参加したが、開幕ロースターに残ることはできなかった。

その後プロレスラーに転向し、UPWでのトレーニングを経て2001年にWWEと契約しているが、その際はWWEに登場しなかった。以降は日本に活動拠点を移し、ZERO-ONEに参戦。その際のリングネームの片仮名表記はジョン・ヘンデンリッチである。ZERO-ONEではネイサン・ジョーンズとのタッグチームで活動していた。

WWE

2003年にWWEと契約し、本名のジョン・ハイデンライク名義で同年9月のRAWでデビュー。当初はベビーフェイスとしての登場であった。

OVWに一旦送られてギミックの練り直しを行った後、2004年よりポール・ヘイマンをマネージャーに従え、ハイデンライクのリングネームでスマックダウンにて再デビュー。狂人ヒールとして、自作の詩を読み上げる詩人のギミックで活動する。

ポール・ヘイマンと離れた後も狂人ヒールギミックを継続させ、2004年に行われたJBLとジ・アンダーテイカーのWWE王座戦の最中にアンダーテイカーを襲撃するなどした。

これが発端となり、2005/1/30、ロイヤルランブルでのテイカーとのキャスケットマッチ(棺桶デスマッチ)へと発展。その際、ジーン・スニツキーと結託してテイカーを棺桶に入れようとしたが、棺桶に隠れていたケインに阻まれ、敗北。 その後、ブッカー・Tとの抗争をきっかけとして友達を求める孤独なキャラクターにギミックを変更すると共にベビーフェイスに転向。また、入退場時に子供たちと共に「ハイデンライク行進」を始めた。以後、MNMに襲撃されているところに救出にきたロード・ウォリアー・アニマルと新生リージョン・オブ・ドゥーム(LOD)を結成。同年7月24日のグレート・アメリカン・バッシュにおいて、MNMからWWEタッグ王座を奪取した。

2005年末から病気欠場することになり、2006/1/17にWWE側からの復帰日程提案が物別れに終わり解雇された。

WWC

WWEを離れた後、カルロス・コロン(カリート&プリモの父親)が主宰するプエルトリコのWWCに参戦。2006/10/28にはアバッドから同団体の最高王座であるWWCユニバーサル・ヘビー級王座を獲得するが2か月後の12月16日にカリートに奪われている。しかしながらカリートはWWEと契約しているために同日にタイトルを返還。結果2度目の戴冠を果たしたものの、翌月の2007/1/6にカリートの弟であるエディ・コロン(プリモ)に敗退し同王座を明け渡した。その後しばらくして退団。

インディー団体

WWCを退団後、5月からAAWなど、ルイジアナを拠点とするインディー団体を中心に参戦。短期間で多くのタイトルを獲得。2009年にはハルク・ホーガンが立ち上げた新団体であるハルカマニアに参戦している。

獲得タイトル

WWE
  • WWEタッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
WWC
  • WWCユニバーサル・ヘビー級王座 : 2回
NWA
  • NWAインターコンチネンタル・タッグ王座 : 1回(w / ネイサン・ジョーンズ)
  • NWA中部フロリダ王座 : 1回
AAW
  • AAWヘビー級王座 : 1回
  • AAWタッグ王座 : 1回(w / ロドニー・マック)

他、米インディ団体を中心に多数のタイトルを獲得。






ジャスティン・エイラーズ
Justin Eilers
1978/6/28 - 2008/12/26

アメリカ合衆国の総合格闘家。アイダホ州ボイシ出身。ミレティッチ・マーシャルアーツ・センター所属。

少年時代からアメリカンフットボールをしていたほか、中高時代はレスリングも学んでいた。アイオワ州立大学でプレーしていたが肩の怪我をし、ジェンス・パルヴァーの勧めで本格的に総合格闘技の練習を始めた。

2002/11/23、ダン・スバーン戦でプロ総合格闘技デビュー。判定負けに終わる。

2003/6/13、SuperBrawlでウェスリィ・"キャベージ"・コレイラと対戦、1-2の判定負けを喫した。

2004/8/21のUFC 49でUFC初出場。フットボール時代の後輩マイク・カイルと対戦し、左フックでKO勝利を収める。

2005/2/5、UFC 51でポール・ブエンテロと対戦し、KO負けを喫した。6/4にはアンドレイ・アルロフスキーの持つヘビー級暫定王座に挑戦するも、1ラウンドTKO負けに終わり、王座獲得を逃した。

2006/2/4、UFC 57でブランドン・ヴェラにKO負けを喫し、UFC3連敗となった。

2008/7/26、EliteXCで初代EliteXCヘビー級王座を賭けてアントニオ・シウバと対戦するも、2ラウンドTKO負けに終わる。

2008/12/26、アイダホ州の知人宅での口論がきっかけとなって、母の知人である男性に銃で撃たれ死亡した。

戦績
27戦19勝7負1引き分け

  

















 
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