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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
3/17



芳賀和昭
1931/3/17-1995/3/15





ラ・フィエラ
La Fiera
1961/3/17 - 2010/9/12

メキシコ・プエブラ出身のプロレスラー。

来歴

地元プエブラでプロレスラーだった父のヘラクレス・ポブラノの教えを受け、1977年4月にデビュー、テクニシャンのルードとして活躍、1984/8/26に全日本プロレスに初来日し、二代目タイガーマスク(三沢光晴)のデビュー戦の相手を務めた。

2010年9月12日死去。

タイトル歴

  • プエブラライトヘビー級王座
  • NWA世界ウェルターヘビー級王座
  • NWA世界ミドルヘビー級王座
  • CMLL世界トリオ王座(パートナー:ドス・カラス エクトール・ガルサ)

 
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臼田 勝美
1970/3/17

日本のプロレスラー。東京都八王子市出身。

来歴

藤原組に入団後の1993/10/29に、カール・グレコ戦でデビュー。

1996年に格闘探偵団バトラーツ設立と共に同団体所属となる。

総合格闘技へも参戦。2001/6/23に行われたKing of the Cageにおいて、シャノン・ザ・キャノン・リッチにヒールホールドで一本勝ち。

2005/12/29にビッグマウス所属を発表、現在はバトラーツ、ビッグマウス・ラウドを中心に活躍。2007/5/5GPWA主催のディファカップにBML代表として原学と組んで出場するが、初戦でDDT代表(HARASHIMA&飯伏幸太組)に敗北した。

タイトル履歴

  • BJW認定ジュニアヘビー級王座
  • インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座





テスト
Test
1975/3/17 - 2009/3/19

アンドリュー・テスト・マーチンAndrew "Test" Martin)は、カナダの男性プロレスラーである。オンタリオ州トロント出身。リングネーム()としての活動で最も知られる。かつてはミドルネームは異なる名前であったが、2005年に法的手続きを取り、ミドルネームに最も知られたリングネームを持つ形に改名した。最終所属はTNA。

来歴

1997年にプロレスデビュー。デビュー後まもなくWWF(現WWE)と契約した。WWFへの初登場は、モトリー・クルーがWWFでバンド演奏を行った際のボディーガード役である。1998年に、ビンス・マクマホンのボディーガード役でレスラーとしてWWF初登場を果たす。

ビンス率いるコーポレーションの一員として活動した後、1999年にはビンスの実の娘のステファニー・マクマホンの恋人役として活動する。RAWの番組にて、ステファニーとアングル上の結婚を予定していたがトリプルHにステファニーを奪われる形でストーリーは終わっている。

2001年にはアルバート、トリッシュ・ストラタスとタッグチームT&Aを結成して活動。2001年後半にはWCW/ECW連合軍であるアライアンスに加入した(ただしマーチンは両団体に所属した経験はない)。

2002年には、クリスチャン、ランス・ストーム率いる嫌米軍に加入しヒールとして活動した。同年10月からは、当時実生活においても恋人関係にあったステイシー・キーブラーが番組上でも恋人兼マネージャーとなり、共に行動するようになった。ステイシーとは2003年のロイヤルランブルまで共に行動した。ステイシーと別れた後はスコット・スタイナーとタッグチームを組んだ。

2004年に入り、首の怪我が悪化しWWEを欠場するようになる。同年11/1にWWEを解雇された。解雇後もしばらくはリングに復帰できないでいたが、2005年の5月にリング復帰。以降インディ団体を中心に試合を行っていた。

2006年に入り、WWEへの復帰話が浮上。同年3/22に、WWEより復帰への合意が発表された。その後はWWEのECWに所属し、トップ路線として活躍していたが、スタイナーとの抗争の頃と比べてもあまりレスリング技術が発達していない上にマイクアピールもイマイチだった為、レスリング技術やハードコア重視のECWにとってはあまり合わない存在となっていた。 ステロイド使用が発覚したため、2007年2月に解雇された。

2007/8/2のTNAに登場。"ザ・パニッシャー"アンドリュー・マーチンとして、スティング、アビスのフェイス軍に合流する。

2007/12/19、プロレスからの引退を発表した。2008年3月のアイルランド遠征で最後の試合を行う予定であった。

2009年2月、引退を撤回しビッグバン・ベイダーがプロデュースする興行に参戦。

2009年3月13日、フロリダ州タンパにある自宅で死亡しているのが発見された。

タイトル履歴

WWW (Wild West Wrestling)
  • WWWヘビー級王座 : 1回
WCW
  • WCW世界タッグ王座 : 1回(&ブッカーT)
WWE
  • IC王座 : 1回
  • 欧州王座 : 1回
  • ハードコア王座 : 2回
  • 世界タッグ王座 : 1回(&ブッカーT)

入場曲

  • This Is A Test

 




サモア・ジョー
Samoa Joe
1979/3/17

サモアの男性プロレスラーである。本名はジョー・シーノアJoe Seanoa)。身長188cm、体重127kg。アメリカでの活躍で最も知られる。

経歴・人物

1999年にデビュー。その後、当時WWF傘下のファーム団体であったUPWと契約し、WWFのダーク・マッチにも参戦し、ジョン・シナ、エッセ・リオスらと対戦している。2001年にUPWを視察に訪れた当時・プロレスリングZERO-ONE社長であった橋本真也の目に止まり、ZERO-ONEマットで初来日を果たし、常連外国人として定着する。ZERO-ONEではその後、キング・ジョーを名乗り、同じサモア系レスラーであるキング・アダモ、キング・ダバダらと主に活動した。

2002年にROHに移籍。看板選手として活躍していたが、2005年からはTNAにも本格参戦。ヘビー級ながらもXディビジョン戦線に活路を見出し、Xディビジョン王座を獲得。クリストファー・ダニエルズ、AJスタイルズの2人と長らく抗争を繰り広げた後、2006年3月、アルティメットXマッチでダニエルズに王座を奪われた。これを機にXディビジョンから抜けて、ヘビー級を相手にしていくことになった。

2007年にはTNAとの独占契約を締結し、長年活動していたROHを去ることになる。同年11月にはプロレスリング・ノアへ数年ぶりの来日を果たした。いきなり三沢光晴とのGHCヘビー級王座戦を組まれる大抜擢を受けるも敗北。

2008年4月にはカート・アングルの持つTNA世界ヘビー級王座に挑戦。総合格闘技風の特殊ルールながら勝利を収め、ついにTNAのトップに立った。

タイトル歴

TNA
  • TNA世界ヘビー級王座 : 1回
  • TNA Xディヴィジョン王座 : 2回
ROH
  • ROH世界ヘビー級王座 : 1回
  • ROHピュアレスリング王座 : 1回

  



本橋 裕子
1985/3/17

日本の女子レスリング選手、プロレスラー。静岡県静岡市出身。身長155cm、体重52kg、血液型B型。中京女子大学卒業。エスオベーション所属。

所属

  • エスオベーション(2007年~)

来歴・人物

清水ドリームスでレスリングを始め、カデット世界選手権代表にも選ばれる。

中京女子大学レスリング部では伊調馨と同期。2006年クイーンズカップ51kg級で3位に入賞するなど活躍した。

卒業後、エスオベーションに入団。

2007/8/5に新木場1stRINGで行われた対吉田万里子戦でプロレスデビュー。

プロレスラーとしての活動と並行して、成国晶子の指導の下、レスリング競技も継続。2007年の全日本社会人48kg級で優勝を果たした。






ジョン・チャンソン
Jung Chan Sung
1987/3/17

韓国の総合格闘家。コリアン・トップチーム所属。

来歴

2008/8/16、日韓親善国際格闘技大会 GLADIATORで小見川道大と対戦し、判定勝ち。

2008/12/10、DEEP初参戦となったDEEP 39 IMPACTで孫煌進と対戦。グローブを合わせにいったところ奇襲攻撃を仕掛けられるも右フックでダウンを奪い、開始17秒でパウンドによるTKO勝ち。

2009/3/20、戦極初参戦となった戦極 〜第七陣〜のフェザー級グランプリ1回戦で石渡伸太郎と対戦し、序盤から打撃戦の末、最後はチョークスリーパーで一本勝ち。5月2日、戦極 〜第八陣〜のフェザー級グランプリ2回戦で金原正徳と対戦。めまぐるしい攻防を演じたが、判定負けを喫した。

2010/4/24、WEC初参戦となったWEC 48でレオナルド・ガルシアと対戦し、1-2の判定負け。9/30、WEC 51でジョージ・ループにハイキックでKO負けを喫した。

獲得タイトル

  • 第1回パンクラス・コリア ネオブラッドトーナメント ライト級 優勝













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