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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
3/27



扇山 大五郎
1938/3/27

宮城県栗原郡金成町(現在の栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士、および国際プロレス所属の元プロレスラーである。本名は高橋 民雄。リングネームは扇山 大五郎。大相撲時代は身長177cm、体重103kg。プロレスラー時代は身長178cm、体重105kg。最高位は東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。

来歴

中学校卒業後はパン屋で働いていたが、錣山親方(元関脇・若葉山鐘)にスカウトされ時津風部屋に入門し、1955年1月場所にて16歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・若鳴門や十両の四季の花らがいる。

1958年1月場所では三段目で優勝決定戦に出場し、惜しくも敗れるも、翌3月場所で幕下に昇進。1961年11月場所では幕下で優勝し、翌1962年1月場所で新十両昇進、同年9月場所で新入幕を果たした。

小兵だが、左上手出し投げや小股掬いなど軽快な動きで土俵を沸かせた。

最高位となる前頭5枚目に進出した1963年1月場所と1967年1月場所では、共に大きく負け越し、三役への昇進は成らなかった。1968年5月場所で幕下に落ちてからは関取に復帰できず、幕下10枚目で全休した同年9月場所を以って、30歳で廃業。

その後は中華料理店を経営していたが、1969年1月に国際プロレスへ入門し、「扇山大五郎」のリングネームでデビューした。将来を期待されヨーロッパ修行も計画されていたが、まもなく退団した。






オクタゴン
Octagon
1961/3/27

メキシコ・ベラクルス州ハラパ出身の覆面レスラー。AAA(トリプレア)所属。身長172cm、体重86kg。ニックネームは『ミスター・AAA』。

ベラクルス大学卒業、石油会社に勤めながら正道館で空手の修行を積む。マサクレにスカウトされプロレス入り、ラウル・レイエスの元で4年間修行しEMLL入り、1981/12/6にメキシコシティーにてラ・アメナサ・エレガンテのリングネームで、対アレナ・アステカ戦でデビュー。1989年5月からアントニオ・ペーニャのスカウトでチャック・ノリス主演のアメリカ映画『オクタゴン』に因んで、父親は日本人でメキシコで暗殺され復讐に立ち上がるヒーローと言う設定の下、オクタゴンの名で同年5/29、対ピスタ・レボルシオン戦でデビュー。1992年5月にAAAに移籍。現在はAAAの主力メンバーとして活躍。

偽者(ルード)およびミニ・エストレージャ(ミゼットレスラー)が同コスチューム色違いで数人存在する。ペンタゴンという悪役が過去に3人存在し、オクタゴンと死闘を繰り広げた。現在はオクタゴンシートというミニ・エストレージャが2人いる。

タイトル履歴

  • ナショナルミドル級王座: 4回
  • ナショナルタッグチーム王座: 1回
  • ナショナルトリオ王座: 2回
  • AAA世界タッグチーム王座: 1回

 
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小橋 建太
1967/3/27

日本のプロレスラー。本名は小橋 健太
プロレスリング・ノアに所属し、取締役副社長を務める。京都府福知山市出身。血液型B型。

人物

1990年代後半から2000年代を代表するプロレスラーの1人。鍛え上げられた肉体と、感情を前面に出したファイトスタイルで相手選手・試合順・会場を問わず、観客を沸かせる。その試合センスから、東京スポーツ主催のプロレス大賞、日刊スポーツの読者が選ぶMVPなど、多くの受賞経験を持つ。

リングネームは全日本プロレス所属まで本名の「小橋健太」だったが、2000年にノアが創設されたのを機に新しい自分を建てるという意味を込めて「小橋建太」に改名。

2006/7/18の高山善廣復帰戦に際し、小橋と高山がタッグを組むことで話題を集めたが、2006年6月29日、精密検査で腎臓癌が見つかり、手術・治療のため長期欠場。7月に腹腔鏡下手術を行い、無事成功。189日後の12/10の日本武道館大会に姿を見せ近況を報告。2007/10/27の日本武道館大会に姿を見せて、復帰戦の対戦カードを自ら発表。そして12/2の日本武道館大会で、546日ぶりとなるリングに復帰した。2008年の上半期は会場限定で出場を行い、2/26にデビュー20周年記念試合が行われた。その後、海外遠征やイベント、単発興行にも出場。8月シリーズより全戦出場を果たしたが、9/9に右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により再び欠場、手術を行った。欠場中も、サイン会、撮影会、トークショーには参加していた。2009/3/1の日本武道館大会で176日ぶりに復帰し、復帰戦では勝利を収めた。2010/1/5に肘部管症候群によりシリーズ欠場を発表した。

2010/6/21、同年秋に演歌歌手のみずき舞と結婚を発表。


1967/3/27…京都府福知山市で生まれる。
1982/4/1…京都府立福知山高等学校入学。
1985/4/1…京セラに入社。
1987/2/14…プロレスラーになるため京セラを退職。一度書類審査で落ちるも、通っていたジム会長の紹介で6/に全日本プロレスへ入団。
1987/12/16…後楽園ホール『ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー』で行なわれたバトルロイヤルで菊地毅とともにデビュー(当時コーチを兼務していたハル薗田が南アフリカ航空295便墜落事故で不慮の死を遂げ、教え子だった小橋と菊地は本デビューが近かったこともありバトルロイヤルへ加わることとなった)。
1988/2/26…滋賀・栗東町(現・栗東市)民体育館にて大熊元司戦で本デビュー。同日、菊地毅もデビュー戦を行った。
1990/4/9…二代目タイガーマスクと組んで初のベルトであるアジアタッグ王座を獲得。
1993/12/3…三沢光晴と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦初優勝、第24代世界タッグ王者に就く(初戴冠)。
1994/12/10…三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦連覇、第25代世界タッグ王者に就く。
1995/12/9…三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦史上初の3連覇。
1996/7/24…田上明を破って第16代三冠ヘビー級王者に就く(初戴冠)。
1997/9/28…FMWの川崎球場大会に出場。モスマンと組んでハヤブサ、新崎人生組に勝利。初の他団体参戦となる。
1998/6/12…川田利明を破って第19代三冠ヘビー級王者に君臨、勝利インタビューで「新時代宣言」を提唱。
1998/9/11…秋山準らと共にチーム「バーニング」を結成。
2000/2/27…ベイダーを破り第25代三冠ヘビー級王者に就く。勝利インタビューで再び「新時代宣言」を行う。
2000/4/15…チャンピオン・カーニバル(この/はトーナメントだった)で念願の初優勝。
2000/6/15…全日本プロレスを退団して三冠ヘビー級王座を返上。翌日に新団体「プロレスリング・ノア」へ移籍を発表、同時に膝の手術で入院。
2000/8/5…ノア旗揚げ戦。オレンジに紺の模様が入ったタイツ、シューズで登場。翌日、秋山にシングルで初めて敗れる。
2000/10/7…この日から現在のコスチュームの原点である黒にグレーの模様を入れたタイツ、フード付きガウンで登場するようになる。
2001/1/18…この日を最後に膝の手術とリハビリのため欠場。
2001/7/27…ノア1周/記念興行で挨拶。秋山からの依頼によりGHCヘビー級選手権試合(三沢VS秋山戦)をテレビ解説した。
2002/2/17…秋山、永田裕志組戦(パートナーは三沢)で395日ぶりにリング復帰を果たしたが、左膝前十字靱帯不完全断裂で全治4か/の負傷で再び欠場。
2002/7/5…井上雅央、金丸義信組戦(パートナーは鈴木鼓太郎)で138日ぶりの再復帰戦を第1試合で行う。
2002/7/26…浅子覚の引退試合。一夜限りの超世代軍復活でオレンジタイツを使用。
2003/3/1…選手権試合で初めて三沢に勝利。第6代GHCヘビー級王者に就く。以後、13度の防衛に成功。
2003/5/2…新日本プロレス東京ドーム大会にて蝶野正洋を挑戦者に迎えGHCヘビー級選手権試合を行い、防衛。
2003/6/6…本田多聞と組み第6代GHCタッグ王者に就く(初戴冠)。
2005/7/18…佐々木健介とシングルマッチで対戦。壮絶な「剛腕対決」を制す。
2005/9/20…初のアメリカ遠征に出発(10/4日帰国)、サモア・ジョーらと対戦する。
2006/6/4…本田と組み第12代GHCタッグ王者に就く(2度目の戴冠)。
2006/6/29…右腎臓に4 - 5cmの(腎臓癌)が見つかり、治療のためこの日から欠場。その後、GHCタッグ王座を返上した。
2006/7/6…5時間半に渡る腹腔鏡(ふくくうきょう)による右腎臓摘出手術は無事成功。
2006/7/27…退院。病院には10万羽の千羽鶴と1000通の激励メールが届く。
2007/1/20…両膝の手術を行う。
2007/10/27…日本武道館に姿を見せて、「レスラー小橋建太として戻ってきます!」と宣言し小橋自身の口から復帰戦のカードを発表。
2007/12/2…三沢、秋山組戦(パートナーは高山善廣)で546日ぶりのリング復帰を果たした。
2008/2/26…京王プラザホテル八王子5階ホール大会にて、デビュー20周/記念特別試合が行われた。
2008/9/9…右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により手術を行い、再び長期欠場。
2009/3/1…井上雅央戦で176日ぶりの復帰戦を第1試合で行う。これに勝利。
2009/6/8…橋誠に勝利して、第9代グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者になる。
2009/7/6…取締役副社長に就任する。
2009/8/30…小島聡の呼びかけにより9/ぶりに全日本に参戦。
2009/9/27…三沢追悼興行で武藤敬司とタッグで初対決を行い勝利。
2009/10/12…蝶野のデビュー25周/記念試合で、蝶野、武藤とトリオを結成して勝利を飾った。

入場テーマ曲

初代:「SNIPER」(作曲:松原正樹)
当初は原曲をそのまま使用。その後、原曲に効果音がついた入場バージョンが作られて、現在はアレンジした曲がプロレスリング・ノア中継内でのプロレスリング・セム興行の模様で使用されている。ノア旗揚げ後は、2002年7月26日に浅子覚の引退試合で一度使われた。(前奏は「GRAND SWORD」Full Size Version)
若手時代の小橋本人はこの曲を大変気に入っており、入場曲テーマ曲を変えないかと聞かれた際何度も断り続けたと言われている。
二代目:「GRAND SWORD」(作曲:鈴木修)
1998年6月12日、2度目の三冠王者になり新時代宣言をした日に原曲を使用。その後は、前奏部分がそれぞれ異なったバージョンを使用。
  • 「Big Match Version」…「GRAND SWORD」のスローバージョンを合体。全日本時代に使われた。
  • 「Version III」…「バーニング」のテーマ曲を合体。ノア旗揚げ翌日の秋山戦でも使われた。
  • 「NOAH Version」…「Big Match Version」に効果音を加えたもの。ノア旗揚げ戦から、長期欠場する2001年まで使われた。
  • 「Full Size Version」…2002年2月17日に復帰してから、2003年3月1日のGHC選手権三沢戦まで使われた。
三代目:「BLAZIN」(作曲:ジェイ・グレイドンと日本人ギタリスト「K-A-Z」の演奏・アレンジとジェイ・グレイドンのオリジナル)
GHCヘビー級王者となった直後のシリーズから2005年7月まで使用した。
四代目:「GRAND SWORD」(作曲:鈴木修)
  • 「Full Size Version」…現在、使用されている曲である。2005年7月18日の佐々木健介戦から、また一から出直すという意味を込めてテーマ曲を二代目のものに戻す。

「GRAND SWORD」は小橋が自身の原点とした曲である。GHC挑戦の区切り、けじめとして2003年の三沢戦で勝っても負けてもこれを最後とするとした。日本テレビの矢島学アナウンサーが佐々木健介戦で実況を担当した際、小橋が「BLAZIN」ではなく「GRAND SWORD」で入場したため思わず声が裏返り、解説をしていた高山善廣に「お前の声が裏返ったことに注目したよ!」と発言されている。

タイトル

プロレスリング・ノア

  • GHCヘビー級王座(1回/第6代)
    在位2年・防衛13回という圧倒的な記録を誇り「絶対王者」と呼ばれた。
  • GHCタッグ王座(2回/第6代・第12代)
    パートナーは2回とも本田多聞
  • グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王座(第9代)

全日本プロレス

  • 三冠ヘビー級王座(3回/第16代・第19代・第25代)
  • 世界タッグ王座(6回/第24代・第25代・第32代・第34代・第36代・第40代)
    パートナーは三沢光晴→ジョニー・エース→秋山準で各2回ずつ。
    第24代の時に世界最強タッグ決定リーグ戦に専念するために一度王座返上。
    同トーナメントは世界タッグのベルトがかけられることとなり、三沢・小橋組が優勝、
    再び世界タッグ王者となった(1993年までは世界最強タッグリーグシリーズ時に
    王位を返上し、その年の最強タッグの優勝チームにベルトが与えられる決まりだった)。
  • アジアタッグ王座(3回/第51代・第53代・第59代)
    パートナーはタイガーマスク→ジョニー・エース→菊地毅。
  • チャンピオン・カーニバル(優勝1回/2000年)
  • 世界最強タッグ決定リーグ戦(優勝5回/1993年・1994年・1995年・1998年・1999年)
    パートナーは1993年 - 1995年まで三沢光晴→1998年 - 1999年が秋山準。

プロレス大賞

  • 1989年 新人賞
  • 1993年 殊勲賞、最優秀タッグチーム賞(/三沢光晴)…ダブル受賞
  • 1994年 技能賞、最優秀タッグチーム賞(/三沢光晴)…ダブル受賞
  • 1995年 年間最高試合賞
    6/9日本武道館、世界タッグ選手権、三沢光晴/小橋健太VS川田利明/田上 明
  • 1996年 最優秀選手賞
  • 1997年 年間最高試合賞
    10/21日本武道館、三冠ヘビー級選手権、三沢光晴VS小橋健太
  • 1998年 最優秀選手賞、年間最高試合賞(
    10/31日本武道館、三冠ヘビー級選手権、小橋健太VS三沢光晴)…ダブル受賞
  • 1999年 最優秀タッグチーム賞(/秋山準)
  • 2003年 殊勲賞、年間最高試合賞
    3/1日本武道館、GHCヘビー級選手権、三沢光晴VS小橋建)…ダブル受賞
  • 2004年 年間最高試合賞
    7/10東京ドーム、GHCヘビー級選手権、小橋建太VS秋山 準
  • 2005年 年間最高試合賞
    7/18東京ドーム、小橋建太VS佐々木健介
  • 2007年 カムバック賞、年間最高試合賞
    12/2日本武道館、三沢光晴/秋山 準VS小橋建太/高山善廣…ダブル受賞

小橋建太おまとめ動画集





チャーリー・ハース
Charlie Haas
1972/3/27

アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ヒューストン生まれ、同州ダラス出身。レスリングの経験から、サブミッション技を得意としている。

来歴

大学ではレスリング部の主将を務め、レスリングの全米代表に選出されたこともある。一方、学業では経済学と経営学の学位を取得している。

1996年にプロレスラーとしてデビュー。双子の兄弟ラス・ハースとのタッグチーム「ハース・ブラザーズ」で活動し、CZWなど数々の団体でタッグ王座を獲得した。2000年に兄弟ともにWWEと契約し、下部組織OVWに所属。2001年にラスが心臓病で死去してからは、ラス・チャーリー・ハースのリングネームを用いた。

2002/12/26、WWEのスマックダウンにデビュー。リングネームを本名に戻し、シェルトン・ベンジャミンと共にカート・アングル率いる「チーム・アングル」の一員として登場した。チーム・アングルでの活動後、ベビーターンしたカート・アングルと袂を分かちベンジャミンとザ・ワールド・グレイテスト・タッグチーム(The (Self-Proclaimed) World's Greatest Tag Team) (頭文字を取ってWGTWGTT等と呼ばれる。時折、頭に「Self-Proclaimed(自称)」の文字が入った)を結成。WWEタッグ王座を獲得し、タッグ王座戦線の主力として活躍した。

シェルトン・ベンジャミンのRAW移籍によりWGTTは解散するが、その後はリコ、ミス・ジャッキーとチームを組むこととなった。リコとのコンビではWWEタッグ王座を再び獲得している。2004年にリコが解雇されてからは、ミス・ジャッキー、ドーン・マリーにアプローチをされるキャラクターでストーリーが展開された。

2005/6/10、ジャッキーと実生活において結婚するが、同年7/6、彼女と共にWWEを解雇された。解雇後はニュージャージー州のJAPWに参戦し、イギリスの団体へも度々登場。同年10月8日には、新日本プロレスの東京ドーム大会にマーク・ジンドラックとのタッグで出場。WWE興行での来日経験はあるが、日本のプロレス団体のリングへはこれが初登場であった。

2006年1月、WWEと再契約、RAWのダーク・マッチや下部番組のヒートに登場後、同年4月17日のRAWにおいて旧友シェルトン・ベンジャミンとの対戦で番組復帰を果たした。

2006年5月、ジョニー・ナイトロとの試合で勢いよくリングインした後、ロープワークの際にリングサイド(エプロン)上にいたリリアン・ガルシア(リングアナウンサー)をロープで押し出す形となり、リリアンは床に転落。救急班に連れられ退場した。これが本当の事故かアングル上のものなのかは不明だが、この出来事は次週のRAWにおいてストーリー化され、リリアンはハースの謝罪を受け入れたもの、アングル上彼女の元恋人であるヴィセラは激怒しハースを暴行、以降2人の抗争が続いていたが、結局尻切れとんぼに終わっている。

2006年後期、シェルトン・ベンジャミンと再びタッグを結成するも、2007年11月にベンジャミンがECWに移籍したためタッグチームを解消。その後ストーリーラインから外れ、キャラづくりに試行錯誤していたが、2008年8月から物真似キャラとなり、カリート、ジョン・シナ、JBL、ジム・ロス、グレート・カリらの変装と物真似(主に形態模写)でファンを沸かせた。JBLやジム・ロスなどに変装した時には大歓声を浴びたが、シナに扮した際には逆にブーイングを浴びた(シナはサマースラム2008における負傷で欠場中だったのでファンが復帰したのかと思ったため)。また、グレート・カリの物真似をした際には本人にボコボコにされた。これによりスラミー賞の物真似賞を獲得している。

2009年の追加ドラフトにより、スマックダウンへ移籍。移籍後はヒールターンし、かつてのパートナーのシェルトン・ベンジャミンと組み、ジョン・モリソンと抗争を開始するが、またもベンジャミンがECWに移籍し、ストーリーラインから外れる。その後はジョバーとしての役回りが多くなり、2010/2/28にWWEを解雇された。

2010年、全日本プロレスに参戦。ブゥードゥーマーダーズのメンバー入り、またWWC、ROHでも定期参戦。ROHではベンジャミンとWGTTを再結成し、活動している。

タイトル歴

CZW
  • CZW世界タッグ王座 : 1回(w / ラス・ハース)
ECWA
  • ECWAタッグ王座 : 1回(w / ラス・ハース)
HWA
  • HWAヘビー級王座 : 1回
JAPW
  • JAPWタッグ王座 : 2回(w / ラス・ハース)
MCW
  • MCW南部タッグ王座 : 3回(w / ラス・ハース)
OVW
  • OVW ラス・ハース メモリアルタッグトーナメント優勝(w / ノヴァ)
PCW
  • PCWタッグ王座
WWE
  • WWEタッグ王座 : 3回(w / シェルトン・ベンジャミン : 2回、リコ : 1回)

入場曲

  • World's Greatest Tag Team
  • Pay The Price(Eric & The Hostiles)





牧田理
1980/3/27
VMW

  



平澤 光秀
1982/3/27

日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。北海道札幌市出身。

来歴

全国少年レスリング連盟育成委員長を務める平澤光志を父親に持ちその父親が営むクラブで3歳からレスリングを始めたとされる。 高校は霞ヶ浦高等学校、大学は専修大学とレスリングの名門校を渡り歩いており、専修大学時代には馳浩の指導も受けている。 高校、大学を通じて国体、全日本学生選手権で活躍した。

その後、国語教員免許を取得し大学卒業後は医療機器販売メーカー“竹山”に就職。営業職をしながらレスリングを続け、2004年の国体ではフリースタイル96kg級で3位という成績を残した。

会社を辞め、2005年3月に新日本プロレスに入団。また、練習生時代に全日本社会人選手権に出場しフリースタイル120kg級で優勝。2006/1/28、後楽園ホールの飯塚高史戦でデビュー。4/26、裕次郎戦で初勝利を果たした。その後、ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦や、永田裕志とのタッグ“青義軍”でG1 TAG LEAGUEにエントリーするなどと様々な経験を積んでいる。

2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームの第0試合に出場。

7/19に昨年3/2に入籍を済ませている歯科助手の女性と札幌市内のホテルで結婚披露宴を行った。

8/9にはTAJIRIと初対戦。バズソーキックでピンフォールを奪われ、試合後にはグリーンミストを喰らうという屈辱を味わった。9月に 永田裕志、井上亘、スーパー・ストロング・マシンと共に青義軍を結成した。

2010年9月、プエルトリコ(WWC)へ無期限の武者修行の旅へ。現地でのリングネームは「ヒデオ・サイトー」。

タイトル歴

WWC
  • カリビアンヘビー級王座
  • プエルトリコヘビー級王座

入場テーマ曲

  • Spread.Wing-beat
  • Root and Roots / TSUTOMU TOYA (AN INFINITE STRING に収録)

その他

  • 高校総体グレコローマン76kg級で準優勝、全日本大学グレコローマン選手権76kg級3位という成績を残す平澤昌大を双子の弟を持つ。
  • 新日本に入団する前、大学時代より交流のある高橋裕二郎から「会社に辞表をだすのは入門テスト合格してからでいいんじゃない?もし不合格だったら生活できなくなるよ」と言われるも「絶対に合格します!今の会社に未練はありません!」と宣言し見事合格した。
  • 邪道からは「にょろにょろ」の異名で呼ばれるなど周囲からも愛されている。
  • 入門1日目にレッドシューズ海野に飲まされ泥酔し、中邑真輔を「真ちゃん」と馴れ馴れしく呼び、安沢明也を殴り目から流血させた。
  • 寮で同部屋の高橋裕二郎を睡眠不足に陥れるほどの大音量のいびきをかくらしい。
  • 特技はロボットダンス。





マット・ジャガース
Matt Jaggers
1985/3/27

アメリカ合衆国の総合格闘家。インディアナ州コナースビル出身。Team Wolfpack所属。元KOTC世界バンタム級王者。

来歴

2008/2/22、KOTC世界バンタム級王座決定戦でジョー・ヴォアザンと対戦し、判定勝ちで王座を獲得した。

2008/6/13、初防衛戦でラザール・ストジャディノヴィッチと対戦し、TKO負けで王座から陥落した。

2009/3/20、戦極初参戦となった戦極 〜第七陣〜のフェザー級グランプリ1回戦でマルロン・サンドロと対戦し、スタンド状態からの肩固めで一本負け。同年8/2のリザーブマッチでジョン・チャンソンと対戦し、三角絞めで一本負け。

獲得タイトル

  • KOTC世界バンタム級王座













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