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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
3/30



スペシャル・デリバリー・ジョーンズ/S・D・ジョーンズ
Special Delivery Jones/
1945/3/30 - 2008/10/26

コンラッド・エフレイムConrad Efraim)は、アフリカ系アメリカ人のプロレスラー。西インド諸島アンティグア島生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークシティ育ち。

「スペシャル・デリバリー」とは速達郵便の意味であり、その異名通りのスピーディーなファイトスタイルが身上。1970年代後半から1990年代初頭にかけて、地元ニューヨークのWWWF / WWFを主戦場に、MSG定期戦の前座に欠かせない名ジョバーとして活躍した。

来歴 ]

イギリス領のアンティグア島に生まれ、幼少時に家族でニューヨークに移住。ボディビルやウエイトリフティングで体を鍛え、ニューヨーク出身のプエルトリコ系黒人選手ジョニー・ロッズのトレーニングのもと、1971年にデビュー。当時は黒人レスラーの先輩ルーファス・ジョーンズの「弟」を名乗り、ルーズベルト・ジョーンズRoosevelt Jones)のリングネームでNWAミッドアトランティック地区にて活動していた。

その後、S・D・ジョーンズスペシャル・デリバリー・ジョーンズ)に改名してロサンゼルス地区に移り、1975年1月にポークチョップ・キャッシュとの黒人コンビでハリウッド・ブロンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)からNWAアメリカス・タッグ王座を奪取。1977年にも黒人のトム・ジョーンズと組んで同タイトルを2回獲得している。

この間、ニューヨークのWWWFにも出場。1976年9月にはボボ・ブラジルのパートナーに起用され、ジ・エクスキューショナーズ(1号=キラー・コワルスキー、2号=ビッグ・ジョン・スタッド)のWWWF世界タッグ王座に挑戦した。1978年頃よりWWWF / WWFに定着し、ベビーフェイスの中堅としてミッドカード戦線で活躍。1981年の下期には、当時の黒人レスラーのホープだったトニー・アトラスとのコンビでミスター・サイトー&ミスター・フジのWWFタッグ王座に再三挑戦した。

1982年1月、新日本プロレスに初来日。アブドーラ・ザ・ブッチャー&バッドニュース・アレンとトリオを組み、ブッチャー軍団の一員となってヒールを演じた。同年は4月と10月にも新日本に参戦し、4月開幕の『ビッグ・ファイト・シリーズ』ではハルク・ホーガンとも対戦。また、10/8の『闘魂シリーズ』開幕戦では長州力の「かませ犬発言」の元となったメインイベントの6人タッグマッチに出場している(猪木、藤波、長州vsブッチャー、アレン、ジョーンズ)。

この時期より、WWFではジョバーを専門に務めるようになり、ヒール選手の引き立て役に徹する。当時のWWFでは、王者ボブ・バックランドの首を狙ってニューヨークに乗り込んできたヒールは、マディソン・スクエア・ガーデンでのデビュー戦でジョーンズを完膚なきまでに叩きのめし、その強さと悪さを観衆に見せつける…という展開がルーティン化されていた。

1984年に入りビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でWWFの全米侵攻が始まってからもその仕事ぶりは変わらず、1985/3/31のレッスルマニア第1回大会でキングコング・バンディに秒殺された試合は、ジョバーを全うした彼のベストワークとして語り草となった。

WWFには1980年代末までレギュラー出場し、1991年に引退した。タイトル戦線に絡むことはもちろん、特定のアングルが用意されることもなく、ひたすらヒール勢の「やられ役」を担い続けたジョーンズだが、その存在感はファンに強く支持され、1990年代にはアクションフィギュアも発売されている。

2006/4/1には、盟友トニー・アトラスのWWE殿堂入りのプレゼンターを務めた。2008年10月26日、生誕地アンティグア島のセントジョンズにて脳卒中により死去。63歳没。WWEでは、彼を「WWEの影のヒーロー」(WWE’s Unsung Heroes)の一人として称えている。

獲得タイトル

  • NWAアメリカス・タッグ王座:3回(w / ポークチョップ・キャッシュ×1、トム・ジョーンズ×2)





ファントム船越
1960/3/30

 
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クレイジー・ボーイ
Crazy Boy
1978/3/30

メキシコの覆面レスラー。イダルゴ州トゥランシンゴ出身。従兄弟にはスペル・クレイジー、レイ・クエルボ。AAA所属。

来歴

従兄弟のクレイジー、クエルボの元で修行。1996年デビュー。

サブゥーや田中正人等に見出されアメリカ、日本のインディーマットで活躍。ファイトスタイルはハードコアやエクストリーム、デスマッチ、ルチャ等を得意とする。メキシコでは2005年よりCMLLに属していたが2006年からはAAA入りを果たした。

現在はフベントゥ・ゲレーラ率いるメキシカン・パワーズのリーダー。

2007年には来日しプロレスリング・セムのリングに上がっている。

タイトル履歴

  • XLAWジュニアヘビー級王座: 4回
  • NWGエクストリーム王座: 1回
  • ナショナルアトミコス王座: 1回
  • AAA世界タッグチーム王座: 1回





ザック・ゴーウェン
Zach Gowen
1983/3/30

アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシガン州リボニア出身。"義足のプロレスラー"や"奇跡の少年"と言われる。

来歴

8歳の時、骨肉腫にかかり左足を切断。それでもプロレスラーになる夢を抱き、トゥルース・マルティーニの元でトレーニングを行い、17歳の時にプロレスデビュー。その後インディ団体に自分を売り込みに行くがほとんど相手にされなかったという。そうこうして辿りついたのが、シカゴにある障害者、ミゼット選手が活躍するプロレス団体であった。そこで持ち前の運動神経を発揮し、その噂を聞きつけたWWE関係者にスカウトされる。

2003年5月、Mr.アメリカのファンである一観客という設定でデビュー。その後WWEとの契約を目指し、それに反対するビンス・マクマホンとのストーリーが展開される。ビンスの嫌がらせを受けながらも、WWEの契約をかけたビッグ・ショーとの試合で、カート・アングル、ブロック・レスナーの助けもあり最後はムーンサルトプレスで見事勝利する。同年行われたヴェンジェンスでは因縁のビンスとの一騎打ちで対戦するが、惜しくも敗戦。

その後、ヒールに転向したブロック・レスナーとの試合が組まれ、ザックの母親の目の前で流血に追い込こまれ、F-5で鉄柱に足を叩きつけるなどの酷い目に遭わされる。特に、車椅子に体をテープで巻きつけられ身動きとれないザックを、階段から突き落としたシーンはWWE史に残る残虐的なシーンとなった。数週間後に復帰し、マット・ハーディーとの抗争などもあったが、2004年2月にWWEを解雇される。解雇理由は素行不良とされ、友人にWWEでの今後のストーリーを漏らしたからとも言われている(本人はインタビューで否定しており、あくまでも怪我のためとの事)。

解雇後はTNAに参戦し、それ以後もアメリカのインディ団体を中心に試合をこなしている。2004年4月には大日本プロレスにも出場している。

2007年8月に、一緒にJCWに出場していた全日本プロレス社長武藤敬司に、全日への参戦を直訴。9月のシリーズに早速全日マットに出場した。

エピソード

  • 教師になる夢もあり、プロレスをやる傍ら勉強にも力を注いでいる。
  • 子供の頃から全日本プロレスのファンであり、三沢光晴や小橋建太、スタン・ハンセンらの試合に熱中していたと語っている。

入場曲

  • Out Of My Way(Seether)

  



トレント・バレッタ
Trent Barreta
1987/3/30

グレッグ・マラシウロ(Greg Marasciulo )はアメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州マウントシナイ出身。WWEに所属。

経歴

元ECWマイキー・ウィプレック主宰のレスリングスクール出身。2004年に17歳の若さでNYWC(ニューヨーク・レスリングコネクション)でデビュー。

2007年にWWEとディベロップメント契約。グレッグ・カルドナのリングネームでダークマッチや下部番組のHeatに出場しマーク・ヘンリー、DHスミスらと対戦したが、いずれも敗れている。2008年からグレッグ・ジャクソンにリングネームを改め、FCWで経験を積む。9月にはリングネームをトレント・バレッタに再改名している(この傍ら、ガール・フロム・メキシコというマスクマンとしても活動しているが短期間で取り止めとなっている)。2009年からケイレン・クロフト、カート・ホーキンスとデュード・バスターズを結成しFCWフロリダタッグチーム王座を2度獲得している。

12月にケイレン・クロフトとともにWWEへ昇格し(この時点ではデュード・バスターズを名乗らなかった)、ECWに登場。ヨシ・タツ、ゴールダストと抗争する。2010/2/9にはヨシ・タツ、ゴールダスト組とWWE・統一タッグチーム王座挑戦権をかけて戦うが敗れている。

その後ECWが番組終了となったためSmackDown!へ移籍し、WWEでもデュード・バスターズを名乗るようになる。

9月に行われたスーパースターズにケイレン・クロフトと共にベビーフェイスとして登場し、カート・ホーキンス、ヴァンス・アーチャー組に勝利した。その後ケイレン・クロフトが解雇されたためシングルプレイヤーに転向し、スーパースターズでカート・ホーキンスと抗争した。

12月末からドリュー・マッキンタイアと抗争している。

獲得タイトル

  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 2回(w / ケイレン・クロフト、カート・ホーキンス)

入場曲

  • Alien Works
  • Semisweet Symphony
  • Mashed Metal
  • The Chase
  • White Noise

その他

  • ECWでヨシ・タツがゴールダストに日本語を教えるというスキットにケイレン・クロフトと共に乱入し(もちろん台本上のことである)「次期WWEタッグ王者は日本語で何と言うんだ?」「お前らもドリーマーと一緒に引退しろ」などとからかったが、ゴールダストに「お前らが言うな!新弟子!」と日本語で一喝された。
  • ヨシ・タツの公式ブログにおいて「天才」「世界でも指折りのハイフライヤー」と紹介されている
















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