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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/2


 
 


 
 

ビッグ・ボスマン
Big Boss Man
1963/5/2 - 2004/9/22

レイ・トレイラーRaymond W. Traylor, Jr.アメリカ合衆国ジョージア州出身のプロレスラー。

現役選手時代は、、日本ではビッグ・ブーバーBig Bubba)などのリングネームで活躍した。

来歴

刑務所の看守を経て、1985年にプロレスラーとしてデビュー。1986年夏、ノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に、ビッグ・ブバ・ロジャースBig Bubba Rogers)のリングネームで登場。黒スーツにソフト帽、サングラスという出で立ちで、悪徳マネージャーのジム・コルネットのボディーガードを務める。服を着たまま試合を行うスタイルが注目を集め、1987年にはミッドサウス・エリアでワンマン・ギャングやスティーブ・ウィリアムスと抗争。1988年3月には全日本プロレスにビッグ・ブーバーの名前で初来日し、ブルーザー・ブロディのパートナーにも起用された。

帰国後、WWF(現・WWE)と契約。服を着て戦うギミックはそのままに、元刑務官というキャリアのもと、制服姿の「暴力看守 ビッグ・ボスマン」に変身する。スリックをマネージャーに、警棒と手錠を凶器に用いる巨漢ヒールとしてハルク・ホーガンやダスティ・ローデスと抗争を展開した。また、ワンマン・ギャング改めアキームとツイン・タワーズTwin Towers)なる超巨漢コンビを結成してタッグ戦線でも活躍。メガ・パワーズ(ホーガン&ランディ・サベージ)、デモリッション(アックス&スマッシュ)、ザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)などのチームと激闘を繰り広げた。

その後、大幅なウエイトダウンに成功したことを機に、1990年よりベビーフェイスに転向。権力を笠に着た悪徳看守から法と秩序を守る正義の刑務官へのキャラクター・チェンジを果たし、かつての仇敵ホーガンの相棒となってテッド・デビアスやアースクエイクらと抗争。ザ・マウンティーとの警官対決や、ネイルズとの「看守vs囚人」の遺恨試合などでも観客の声援を集めた。

1993年にWWFとの契約が終了。同年7月、全日本プロレスにビッグ・ブーバー名義で5年ぶりの再来日。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にもスティーブ・ウィリアムスとのコンビで参加した(WWF在籍中には1990年4/13、東京ドームで行われた日米レスリングサミットにも来日している。当時すでに本国ではベビーフェイスに転向していたが、日本ではヒールとしてジェイク・ロバーツと対戦した)。

1994年、WCWと契約。当初はザ・ボスThe Boss)をリングネームにWWF時代と同じギミックを使っていた。しかしWWF側のクレームを受け、法の番人というキャラクター・コンセプトはそのままに、ガーディアン・エンジェルGuardian Angel)に改名。ベイダーなどと抗争するがブレイクには至らず、ヒールターンしてNWA時代の用心棒ギミック、ビッグ・ブバ・ロジャースに戻る。1995/3/19のPPV "Uncensored" ではスティングからフォール勝ちを収め、同年9月には新日本プロレスに来日した。翌1996年にはnWoに加入。その後nWoを脱退して再びベビーフェイスに戻り、本名のレイ・トレイラーRay Traylor)を名乗ったが、WWF時代のような活躍を果たすことはできなかった。

1998/10/12、突如WWFに復帰し、"悪のオーナー" ミスター・マクマホンのボディーガードとしてRaw is Warに登場。リングネームはかつてと同じくビッグ・ボスマンだが、ブルーの看守服ではなく黒ずくめのSWATスタイルに変身し、マクマホン率いるコーポレーションの一員となりストーン・コールド・スティーブ・オースチンやD-ジェネレーションXと抗争する。同年12/14にはケン・シャムロックとのコンビでニュー・エイジ・アウトローズからWWF世界タッグ王座を奪取。その後もマンカインドやアル・スノーを破りハードコア王座を4回に渡って獲得し、1999年にはビッグ・ショーとスーパーヘビー級の抗争を展開、2000年はブル・ブキャナンとの暴力看守コンビで活動した。その後しばらく怪我で欠場を続け、2001年末にブッカー・Tの用心棒役で現場復帰。以降はWWFの下部団体OVWで若手選手のコーチなどを務めていたが、2003年にWWFを解雇された。

2004/8/31にはIWAジャパンの10周年記念興行に来日し、IWA世界王座争奪トーナメントに出場。WWE〜WCWを通しての宿敵であり盟友でもあるジム・ドゥガンと決勝を争った。帰国後の9/22、ジョージア州ポールディング郡ダラスの自宅にて心臓発作のため死去。41歳没。

獲得タイトル

  • UWF世界ヘビー級王座:1回(1980年代後半にビル・ワットが主宰していたミッドサウス地区の団体の王座)
  • WWF世界タッグ王座:1回(w / ケン・シャムロック)
  • WWFハードコア王座:4回

 
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ザ・ロック
The Rock
1972/5/2
ドゥエイン・ダグラス・ジョンソンDwayne "Douglas" Johnson、アメリカ合衆国のプロレスラー、俳優。ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並び、WWEアティテュード路線の代表的な選手である。

来歴・人物

カリフォルニア州ヘイワード出身。身長194cm、体重118kg(124.5kgとも)。俳優への本格転向後はかなり減量しているため、現在は100kg前後と思われる。ホームタウンはフロリダ州マイアミ。

青春期

母方の祖父はハワイマットのボスで伝説のサモア人レスラー、"ハイ・チーフ" ピーター・メイビア。父も絶大な人気を誇った黒人レスラー、"ソウルマン" ロッキー・ジョンソンというレスラーの家庭に生まれ育つ。どんな人種にも見える彼の独特の肌は、このサモア系と黒人のハーフという珍しい血統による。

元々はプロレス志望ではなく、ハイスクール時代からアメリカンフットボール選手として活躍し、多くの大学からのスカウト受けその中のマイアミ大学に進学。怪我に悩まされながらも選手として活躍し、全国優勝を果たした。学業では犯罪学を学ぶ。卒業後はNFLを目指すが、指名が掛からずカナダのフットボールリーグCFLでNFL入りを目指すも酷い生活の中、1年ほどで解雇されてしまいプロフットボーラーを断念する。なお、この当時からグレート・ムタのファンでもあったことを公言している。

プロレス入り

その後プロレスラー転向を目指し父とロン・スリンカーのコーチを受ける。その後パット・パターソンの紹介を得てWWF(当時)でトライアウトとしてテレビ収録のダーク・マッチで2回ほど試合を行う(この時はリングネームは無く本名だった)。その後、1995年にテネシー州メンフィスのUSWA(ジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰)でデビュー。当時のリングネームはフレックス・カバーナFlex Cavanah)だった。この当時の一晩のファイトマネーは40ドルほど。

2度目のトライアウト(相手はオーエン・ハート)でついにWWFに昇格。

1996年11月にPPV大会サバイバー・シリーズでWWFデビュー。当初は父と祖父の名前にあやかったロッキー・メイビアというリングネームで戦い、ハンター・ハースト・ヘルムスリーを下してIC王座を獲得するなどしたが、注目を浴びなかったため方向転換を余儀なくされた(この時のキャラクターが「どこにでもいる好青年キャラ」で、あまりにも平凡すぎたために注目されなかった)。しかしキャラクター後期には典型的なベビーフェイスにもかかわらず「サイテー」コールを浴び、彼を正統派フェイスとして売り出そうとしていたビンス・マクマホンは「どこで間違ったんだ」と唖然としたといわれる。 その後、本人の意向もありジム・ロスが「ロッキーではなくザ・ロックに変更してはどうか」とビンスに勧め、『ザ・ロック』が誕生するに至った。

ザ・ロック出現

1997年5月にヒールターンし、黒人至上主義のユニット、ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)に加入。その後、NODのリーダーであったファルークと険悪になり、ユニットから追放し自らリーダーとなる。リングネームを現在のものに変え、コスチュームも無駄に派手なものから黒を基調としたトランクスとブーツに変更。髪を切り、後はカリスマ性と創造性で魅せるようになった。スラングを多用した毒舌トークから人気に火がつき一気にスターダムへのし上がった。

当時のWWF王座戦線はブレット・ハートやショーン・マイケルズの独擅場だったため、IC王座を巡りストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ケン・シャムロック、オーエン・ハートらと熾烈な抗争を展開。トリプルHとはそれぞれ率いるD-XとNODとの軍団抗争でも対決した。

1998/11/18、サバイバー・シリーズで行われたWWF世界王者決定トーナメントを制し、当時最年少記録の26歳で王者となる。以降マンカインドやトリプルH、ジ・アンダーテイカーなどのライバル達とWWF王座を巡って名勝負、名インタビューを連発し時代を象徴する選手となった。特にストーンコールドとのWWF王座戦は2度に渡ってレッスルマニアのメインイベントに組まれており、これを含め4年連続で同大会のメインイベントを務めた。2001年WCWが吸収合併された際にはWCW王座を獲得している。

2002/3/1、日本の横浜アリーナで行われたWWEのHouseShow(日本公演)『SMACKDOWN! TOUR LIVE IN JAPAN』で、プロレスラーとして初来日を果たした。この時はクリス・ジェリコとWWE統一ヘビー級王座を賭けた王座戦を戦い、日本のファンを熱狂させた。

2002年のWrestleMania X8で事実上のメインとして行われたハルク・ホーガンとの「ICON vs ICON」(新旧象徴対決)は、その歴史的な試合意義も含め名勝負として名高い。

俳優へ

これに前後して『スタートレック:ヴォイジャー』『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』へのゲスト出演をきっかけに映画俳優転向を志し、『スコーピオン・キング』で初めて主演を務めた。この作品の撮影から復帰後はWWE統一ヘビー級王座も獲得したが、サマースラムでブロック・レスナーに敗れて転落。

2003年1月に再びヒールとしてWWEに戻り、ノー・ウェイ・アウトでホーガンとの再戦、WrestleMania XIXではストーンコールドの「引退試合」、バックラッシュのメインイベントではビル・ゴールドバーグのWWE初試合と、世紀の対決を連発した。

このころは映画スターとしてのキャラクター性が強く、その合間にプロレスをやっているという扱いであった。

2004年、当時エボリューションと抗争していたかつての相棒ミック・フォーリーを助けるために3/1のRAWに登場した。そして3/14のWrestleMania XXではミック・フォーリーとのタッグ「ロックン・ソック・コネクション」を復活させ、エボリューションとのハンディキャップ・マッチを行ったが、試合には敗れてしまった。

2008年現在、これが彼の最後の試合となっている。これ以降の登場はマイクパフォーマンスがメインであり試合は行っていないが、得意技を繰り出したりすることはある。

次に姿を見せたのは2004/5/17、ジョナサン・コーチマンにボロクソに言われたユージンを助けるために登場。途中ユージンに「好きなレスラーはトリプルH」と言われてしまう一幕もあったが、二人でコーチを一蹴し大歓声を受けた。

6/21に自身の地元マイアミで行われたRAWにも登場している。そこでは自身と同じ三代目スターであるランディ・オートンと口論となったため、GMのエリック・ビショフに追い出されるような形で会場を後にしたが、十分に存在感を見せつけた。

2007/3/12のRAWにビデオながら突如登場し、WrestleMania 23で行われるビンス・マクマホンの代理選手ウマガとドナルド・トランプの代理選手ボビー・ラシュリー勝負について語ると共に、久々の決めゼリフを披露した。

2008/3/29、祖父ピーター・メイビアと父ロッキー・ジョンソンのWWE殿堂入りを紹介するプレゼンターとして式典に姿を見せた。

2008年公開の映画『ゲット スマート』ではメインキャストの1人としてスパイを演じている。

2009年公開の主演映画『ウィッチマウンテン/地図から消された山』は北米での公開週の興行成績が1位となり俳優としての注目度及び評価も上がっている。

現在、そして復活

右肩にタトゥーで彫られているロックの象徴、ピープルズアイブローをした赤目の「猛牛=ブラフマ・ブル」のモデルはインド牛で、子供の頃から好きだったという。粘り強いが、同時にやさしく、感受性も豊かであるかららしい。また2003年頃から、左半身を中心にサモアの伝統的な刺青を加え続けている。

なお、日本においては「ロック様」と呼称されることが多いが、これは自らを三人称(The Rock)で語る口調をWWEの字幕放送を行っているJ SPORTSがそのように訳したためである。

プロレスラーとしての引退を宣言してはいないが、俳優としての活動が多くなっている。 俳優としても評価され、現在、俳優としての契約から試合で万が一にも怪我出来ないため、リングに上がりたくても上がれない状態になっている(事故が起きる可能性も考慮されていて、自分で車も運転出来ない)。

だがすでにプロレスラーとしてはすべてを達成していることもあり、インタビューで引退を仄めかすような言葉を口にすることもある。すでに「ロックを知らないWWEファン」や、「ロックがプロレスラーだったことを知らない映画ファン」の数も多い。筋肉もだいぶ落ちているようである。

しかし、自らを「ピープルズ・チャンピオン」と名乗る尊大な態度のプロレスラーとして人気を誇る、『ザ・ロック』のリング復帰を望む声も強い。特にアティテュード期からのファンは復帰を熱望している。

2008年、米国の雑誌『エンターテインメント・ウィークリー』のインタビューに答え、「私はそのニックネームと共に全てを築いてきたことを承知しているが、そのネームバリューなしに何かもっと多くのことが出来ないものかずっと模索してきた。(私の名前が)“ザ・ロック”からドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンへ、そしてドウェイン・ジョンソンへと変わるのは自然の成り行きなんだ」と語り、ザ・ロックというキャラクターと訣別する意思を持っていることを明らかにしていた。

2009年にはスマックダウン10周年記念放送にビデオメッセージで久々に出演。当初は自らをドゥウェイン・ジョンソンと名乗り落ち着いた口調で話していたが、次第にザ・ロックのキャラクターを思い出していき、最後は往年のロック節を聴かせ、復帰こそ明言しなかったものの、今なおスマックダウンの主役は自分であること、RAWのホストとしての出演を示唆するなどし、会場を沸かせた。

2011/2/14、アナハイムで開催されたRAWにて、ついにロックはWrestleMania XXVIIのホストとして会場に姿を現した。ロックはリング上で「Finally, THE ROCK has come back ... HOME」とアピールし復帰を明言。またジョン・シナに対して痛烈なマイクアピールを行い、暗にジョン・シナとの対決姿勢にあることを示唆した。なお、現時点においてはプロレスラーとしてこのまま継続的に登場するのか、あるいはホストとしてのみの出演なのかは明言していない。

主な語録

  • Just bring it!!
(かかってこい!)
  • If you smell what The Rock is cookin'!
(ロック様の妙技を、たっぷりと、味わうがいい!)
後にピープルズ・アイブロー(皆の眉毛)を上げるのが「お約束」である。
なお、この決めゼリフはビンス・マクマホンの提案によってできたものである(自伝「ザ・ロック」の記載より)。
  • Finally The Rock has come back to " "!
(ついに、ロック様が、○○に帰ってきたぞ!)
空白部分には興行をする地名が入る。今まで訪れたことのない土地であったとしても「お約束」としてインタビュー中にこの言葉を叫ぶ。出身地であるフロリダ州マイアミで興行が行われた際には「Finally The Rock has come back home」とアレンジしたこともある。
  • Know your role, and Shut your Mouth!
(身の程を知れ、そして黙れ!)
  • Lay the SmackDown Hotel!
(お仕置きホテルにぶち込んでやる!)
  • It doesn't matter what you " "!
(貴様の○○など関係なし!)
まず相手に質問し、相手が喋り出すと同時に叫ぶ。空白部分にはロックが質問したこと(think「考え」やwant「希望」など)が入る。

このほかにロック自身の言葉ではないが、インタビュー中に会場のファン達が「ロッキー!」とコールし、ロックはインタビューを中断してそのコールに耳を傾けるという「お約束」もある。これは控室の選手、そして視聴者を惹きつけるためである。このため、ロックのインタビューは事前収録されず、必ずその場で収録されるという。

また、ロックは台詞の中で独自のスラングを使用する。

  • パイ(Pie) - 女性器のこと。
  • シュトルーデル(Strudel) - 男性器のこと。
  • ジャブローニ(Jabroni) - 負け犬。ジョバーをイタリア語風にアレンジした造語。

獲得タイトル

(時系列)

USWA
  • USWAタッグ王座 : 2回(w / Bart Sawyer)
WWE
  • インターコンチネンタル王座 : 2回
  • WWF王座 : 7回
  • 2000年ロイヤルランブル優勝
  • WWF世界タッグ王座 : 5回(w / ミック・フォーリー×3、ジ・アンダーテイカー、クリス・ジェリコ)
WCW
  • WCW・世界ヘビー級王座 : 2回(WWFがWCWを買収した後のため、獲得した際のリングはWWF)

入場曲

  • Is Cookin
2003年に使用。
  • If You Smell...
1999年-2003年、2004年に使用。
  • Do You Smell It
1998年-1999年に使用。
上記の2曲はそれぞれ2つのバージョンがある。
  • Power
NOD時代に使用。
  • Destiny
ロッキー・メイビア時代に使用。

出演映画

  • ハムナプトラ2/黄金のピラミッド The Mummy Returns (2001)
  • スコーピオン・キング The Scorpion King (2002)
  • ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン The Rundown (2003)
  • ワイルドタウン/英雄伝説 Walking Tall (2004)
  • Be Cool/ビー・クール Be Cool (2005)
  • DOOM Doom (2005)
  • ギャングスターズ 明日へのタッチダウン Gridiron Gang (2006)
  • ポリス・バカデミー/マイアミ危機一髪! Reno 911!: Miami (2007)
  • ゲーム・プラン The Game Plan (2007)
  • サウスランド・テイルズ Southland Tales (2007)
  • ゲット スマート Get Smart (2008)
  • ウィッチマウンテン/地図から消された山 Race To Witch Mountain (2009)
  • 妖精ファイター Tooth Fairy (2010) ※(第3回したまちコメディ映画祭in台東でのみ上映)
  • Why Did I Get Married Too? (2010)
  • The Other Guys (2010)
  • Faster (2010)
  • ワイルド・スピード MEGA MAX Fast Five (2011)

妖精ファイター
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ランダウン
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ギャングスターズ
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木藤裕次
1976/5/2

SMASH

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ケイレン・クロフト
Caylen Croft
1980/5/2

クリス・パボーネKris Pavone)はアメリカ合衆国のプロレスラー。オハイオ州ヤングストーン出身。

経歴

ダニー・デイビス、ニコラス・ディンスモアにレスリングの指導を受け、2001年にプロレスデビュー。インディ団体や、OVWのトライアウトを転戦し、2003年にWWEとディベロップメント契約を結び、OVWに送られる。 OVWではクリス・ケイジのリングネームで活動し、タンク・トーランド(後にジェームズ・ディックのリングネームでWWEに昇格、2006年に退団)やマイク・ミザニン(後にザ・ミズとしてWWEに昇格し活躍中)らとタッグ戦線で活躍し、OVW南部タッグチーム王座を合計4回獲得したほか、2004年にはマット・モーガンからOVWヘビー級王座を奪取している。なお、トーランド、ミザニン、CMパンクらとそれぞれタッグを組んでWWEのダークマッチに何度か出場したことがあるが昇格には至らず、2006/3/19にWWEを解雇される。

その後はROHなどインディ団体に参戦した後、2008年に再びWWEと契約し、FCWに送られる。これに伴ってリングネームをケイレン・クロフトに改める。2009年からトレント・バレッタとデュード・バスターズを結成する。後にWWE・タッグチーム王座経験者のカート・ホーキンスも加入し、ヒールユニットとしてFCWのタッグ戦線を盛り上げる。

12月にバレッタとともにWWEに昇格し、12/1のECWでデビューする。当初はジョバー相手の試合が多かったが、ヨシ・タツにシングル戦で敗れたのをきっかけにゴールダストも巻き込んだ抗争を開始する。2010/2/9にはヨシ・タツ、ゴールダスト組とWWE統一タッグ王座の挑戦権をかけて戦うが敗れている。

その後ECWが番組終了となったためSmackDown!へ移籍し、WWEでもデュード・バスターズを名乗るようになる。 移籍後はジョバー的な役回りが多くなり連敗続きだったが、7/29放送のWWE・スーパースターズでクリス・マスターズからピンフォールを奪い、ようやく連敗を止めた。 9月に行われたスーパースターズにトレント・バレッタと共にベビーフェイスとして登場し、カート・ホーキンス、ヴァンス・アーチャー組に勝利した。

ベビーフェイス転向後はWWE・スーパースターズやバックステージでのコミカル要員として活動していたが、11/19に解雇が発表された。

獲得タイトル

  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 2回(w / トレント・バレッタ、カート・ホーキンス)
  • OVWヘビー級王座 : 1回
  • OVW南部タッグチーム王座 : 4回(w / タンク・トーラント 3回、マイク・ミザニン 1回)

入場曲

  • Semisweet Symphony
  • Anthem
  • Mashed Metal
  • The Chase - 現在使用中

その他

  • ECWでヨシ・タツがゴールダストに日本語を教えるというスキットにトレント・バレッタと共に乱入し(もちろん台本上のことである)「次期WWEタッグ王者は日本語で何と言うんだ?」「お前らもドリーマーと一緒に引退しろ」などとからかったが、ゴールダストに「お前らが言うな!新弟子!」と日本語で一喝された。
  • 途中離脱はあったものの最初の契約からWWE昇格に6年以上要した遅咲きのレスラーである。

  



石川 菊代
1984/5/2

日本の総合格闘家。沖縄県具志川市(現・うるま市)出身。リバーサルジム横浜グランドスラム所属。

沖縄県初の女子総合格闘家。

来歴

20歳でキックボクシングジムに入門。2007年9月にパンクラス提携ジムであるP'sREALに移籍し、砂辺光久を師事するようになる。

2008/2/24、沖縄・天下一スタジアムで開催された「P'sREAL GATE Fight vol.1」でCHINAとキックボクシングルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2008/11/16、プロデビュー戦となったJEWELS 旗揚げ戦で山田純琴と対戦し、三角絞めによる一本勝ちを収めた。

2009/9/13、JEWELS 5th RINGでASAKOと対戦し、スリーパーホールドによる一本勝ちを収めた。当初はROUGH STONE GP 2009 -48kg級に出場予定であったが、出場予定であったMIYOKOの欠場により石川の1回戦シード・決勝進出が決まり、-52kg契約でのワンマッチでASAKOと対戦した。この試合から所属フリーとなったが、セコンドには砂辺がついた。

2009/12/11、JEWELS 6th RINGのROUGH STONE GP 2009 -48kg級 決勝で小寺麻美と対戦し、0-3の判定負けを喫し準優勝となった。

2010/3/19、JEWELS 7th RINGでMIYOKOと対戦し、1-2の判定負けを喫した。

格闘技に集中できる環境を求めて沖縄から上京し、勝村周一朗主宰のリバーサルジム横浜グランドスラムに移籍。

2010/10/10、JEWELS 10th RINGで開幕したROUGH STONE GP 2010 -48kg級に出場。準決勝で深岬パトラに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。1217、JEWELS 11th RINGの決勝では関友紀子と対戦し、2-1の判定勝ちを収め優勝を果たした。


JEWELS紹介





大澤 茂樹
1986/5/2

日本の総合格闘家、レスリング選手。茨城県牛久市出身。SRC育成選手、SRC本部道場所属。

来歴

小学5年生からレスリングを始め、全国中学生最優秀選手、霞ヶ浦高校に進学し全国大会3冠を達成し全国最優秀選手、山梨学院大学進学後は1年生で大学選手権を制覇し、シニアの大会でも優勝するなどレスリングの名門校を渡り歩き数々のタイトルを獲得。最激戦区、レスリングフリースタイル60kg級で北京オリンピック銅メダリストである湯元健一、高校の1学年上の先輩でもある2006年世界選手権銅メダリスト高塚紀行とともに「3強」と呼ばれていた。

2008/7/15、真騎士とともに戦極育成選手(現・SRC育成選手)として契約を発表。

2009/4/5、総合格闘家デビュー。パンクラスで松井英夫と対戦し、判定勝ち。

2009年5月2日、戦極に初参戦し戦極 〜第八陣〜オープニングファイトで石橋幸太と対戦し、判定勝ち。

2009年6月、戦極G!杯のフェザー級に出場。準決勝で岸貴之に判定勝ち。8月2日、戦極 〜第九陣〜でオープニングファイトとして行われた決勝では原井徹と対戦し、右ストレートでダウンを奪うとパウンドで追撃しTKO勝ち、優勝を果たした。9月23日の戦極 〜第十陣〜ではオープニングファイトで行われた「戦極G!杯 日韓対抗戦」に登場、キム・ギヒョンに判定勝ちを収めている。

2009年11月7日、初めての本戦出場となった戦極 〜第十一陣〜でロニー・牛若と対戦し、判定負けを喫した。

2010年3月7日、SRC12でカン・ギョンホと対戦し、判定勝ち。この試合より吉田道場所属としてではなく、SRC育成選手としての出場となった。

2010年6月20日、SRC13で戸井田カツヤと対戦。3R1分35秒、戸井田のローブローで大澤が続行不可能となり反則勝ちとなったが、試合後に戸井田の提訴があり協議の結果7月28日にノーコンテストに変更された。

2010/10/3、1年半ぶりの参戦となったパンクラスで斉藤正臣と対戦し、左フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた。11月3日、パンクラスで鹿又智成に0-0の判定ドロー。

2011/2/19、初参戦となったシュートボクシングで鈴木博昭と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

レスリング

主な戦績

2003年
  • インターハイ 優勝
  • 国民体育大会(NEW!!わかふじ国体)少年の部 優勝
2004年
  • 全国高校選抜 優勝
  • インターハイ 優勝
  • 国民体育大会(彩の国まごころ国体)少年の部 優勝
2005年
  • ジュニアアジア選手権 優勝
  • 全日本大学選手権 優勝
  • 国民体育大会(晴れの国おかやま国体)成年の部 優勝
2006年
  • ジュニアオリンピック 優勝
  • 世界ジュニア選手権 3位
2007年
  • 全日本選抜選手権 優勝
  • 全日本大学選手権 優勝
2008年
  • 世界学生選手権 優勝
  • 国民体育大会(チャレンジ!おおいた国体)成年の部 優勝













 
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