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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/14


 
 


 
 

ロバート・フラー
Robert Fuller
1951/5/14

アメリカ合衆国の元プロレスラー。本名はロバート・ウェルチRobert Welch)、テネシー州ダイアーズバーグ出身。

悪徳マネージャーのカーネル・ロバート・パーカーCol. Robert Parker)としても活躍した。父親のバディ・フラー、実兄のロン・フラーも元プロレスラーである。

来歴

父バディ・フラーの指導のもと、1970年にロバート・フラーRobert Fuller)のリングネームでデビュー。地元テネシーのNWAミッドアメリカ地区にてベビーフェイスとして活動し、1974年10月にはジェリー・ローラーからメンフィス版のNWA南部ヘビー級王座を奪取。ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングではボブ・アームストロングとのタッグチームでNWAジョージア・タッグ王座を再三獲得した。

1976年よりアラバマのSECW(後のCCW)に定着し、モンゴリアン・ストンパーとNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を巡る抗争劇を1978年にかけて展開。同タッグ王座には従兄弟のジミー・ゴールデンらをパートナーに通算13回戴冠している。以降、1980年代全般に渡ってアラバマを主戦場に活動。1986年からはヒールに転向し、兄のロン・フラーやゴールデンらとスタッド・ステイブルThe Stud Stable)なるユニットを結成。メンバーには若手時代のカクタス・ジャックもいた。

1980年代末はメンフィスのCWAやダラスのWCCW(WCWA)にも遠征し、WCCWでは1989年2月にゴールデンと組んでケビン&ケリー・フォン・エリックからWCWA世界タッグ王座を奪取している。1990年にアラバマのCCWが活動を停止してからは、CWAとWCCWが合併して創設されたUSWAに参戦した。

1993年、カーネル・ロバート・パーカーColonel Robert Parker)を名乗り、アラバマ時代の盟友シッド・ビシャスのマネージャーとしてWCWに登場。以降もWCWにてヒールのマネージャーを務め、"スタニング" スティーブ・オースチンやテリー・ファンクらをメンバーにスタッド・ステイブルを再編し、スティングらベビーフェイス勢との抗争を指揮した。1995年には、女性マネージャーのシスター・シェリーとの恋愛アングルも組まれた。

1998年にWCWを離れ、カーネル・ロバート・パーカーとまったく同じキャラクターのテネシー・リーTennessee Lee)を名乗ってWWFに登場。USWAでのタッグパートナーでもあったジェフ・ジャレットのマネージャーを担当したが、ジャレットとの仲間割れによるマネージャー解任というアングルのもと、同年にWWFを退団した。

近年はアラバマのインディー団体にマネージャー役でゲスト参戦する一方、ジミー・ゴールデンとのコンビで試合にも時折出場しており、2005年にはバーミングハムにてボブ&スコット・アームストロングを破り、インディー版のNWAアラバマ・タッグ王座を獲得している。

2006年は、9/14に放送されたTNAの『iMPACT!』にボビー・ルードのマネージャー候補としてプロモ出演した。

獲得タイトル

NWAミッドアメリカ / CWA / USWA
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / ケビン・サリバン)
  • NWA南部ヘビー級王座(メンフィス版):1回
  • AWA南部ヘビー級王座:2回
  • AWA南部タッグ王座:2回(w / トール・タナカ、ビル・ダンディー)
  • CWAタッグ王座:2回(w / ジミー・ゴールデン、ブライアン・リー)
  • USWA世界タッグ王座:6回(w / ブライアン・リー×2、ジェフ・ジャレット×3、マイク・ミッチェル)
NWAジョージア / GCW
  • NWAジョージア・タッグ王座:4回(w / ボブ・アームストロング)
  • NWAメイコン・タッグ王座:2回(w / ジミー・ゴールデン、ドン・ムラコ)
NWAアラバマ / SECW / CCW
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:4回
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:15回(w / ロン・フラー×2、エディ・ボールダー、ジョー・ルダック×3、ボブ・アームストロング×2、ジミー・ゴールデン×7)
  • NWAサウスイースタン・コンチネンタル・ヘビー級王座:2回
  • NWAサウスイースタン・コンチネンタル・タッグ王座:2回(w / ジミー・ゴールデン)
  • NWAサウスイースタンTV王座:2回
WCCW
  • WCWA世界タッグ王座:2回(w / ジミー・ゴールデン、ブライアン・リー)

担当選手

WCW
  • シッド・ビシャス
  • ハーレム・ヒート(スティービー・レイ&ブッカー・T)
  • スーパー・アサシンズ(スーパー・アサシン1号&スーパー・アサシン2号)
  • アーン・アンダーソン
  • "スタニング" スティーブ・オースチン
  • テリー・ファンク
  • ディック・スレーター
  • バンクハウス・バック(ジミー・ゴールデン)
  • ミング
  • クロサワ
  • アメイジング・フレンチ・カナディアンズ(ジャック・ルージョー&カール・ウエレ)
WWF
  • ジェフ・ジャレット
  • サザン・ジャスティス(マーク・カンタベリー&デニス・ナイト)
NWAレッスル・バーミングハム
  • エリックス・スキッパー
  • デビッド・ヤング
  • ダフニー

 
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スコット "ザ・ホッグ" アーウィン
Scott "The Hog" Irwin
1952/5/14 - 1987/9/5

アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ダルース出身(フロリダ州セントピーターズバーグ出身ともされる)。

ランバージャック、ヴァイキング、マスクマン、モーターサイクル・ギャングなど様々なギミックを使い分け、ナチュラルな巨体を持つ大型ヒールとして活躍した。実弟のワイルド・ビル・アーウィンもプロレスラーである。

来歴

1975年にAWAのバーン・ガニアのトレーニング・キャンプに参加し、1977年3月にNWAミッドアトランティック地区にてジョニー・ウィーバーを相手にデビュー。1978年にニューヨークのWWWFに登場、ケベック州出身のカナダ人ピエール・ラフレアーのパートナーとなり、ランバージャック・ギミックのタッグチーム "ユーコン・ランバージャックス" のエリック"Yukon Lumberjack" Eric)を名乗る。同年6/26、ドミニク・デヌーチ&ディノ・ブラボーを破りWWWF世界タッグ王座を獲得した。

1979年には『マイティ・ソー』をモチーフとした新ギミック、ソー・ザ・ヴァイキングThor the Viking)としてNWAのフロリダ地区に参戦。バグジー・マグローやジョー・ルダックらヒール勢と組んで同地区のタッグ王座を奪取する。翌1980年からは覆面レスラーのスーパー・デストロイヤーSuper Destroyer)に変身し、ダスティ・ローデスやミスター・フロリダと抗争。以降もジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングやビル・ワット主宰のMSWAなど南部エリアでスーパー・デストロイヤーとして活躍、ジョージアではマスクド・スーパースターとの大型覆面コンビで猛威を振るった。また、WWWF時代から因縁のあるアンドレ・ザ・ジャイアントとのスーパーヘビー級対決も南部各地で繰り広げている。

1983年末よりフリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWで弟のビル・アーウィンと合体。ビルをスーパー・デストロイヤー2号に変身させ、覆面兄弟チームのスーパー・デストロイヤーズを組んでアイスマン・キング・パーソンズとバック・ズモフの "ロックン・ソウル" と抗争、同団体認定のNWAアメリカン・タッグ王座(後のWCWA世界タッグ王座)を再三に渡って獲得した。

1984年下期からは覆面を脱ぎ、ハーレーダビッドソンにまたがったバイカー系タッグチームのロング・ライダーズThe Long Riders)をビルと共に結成。ジョージア地区を経て1985年よりAWAに登場し、ロード・ウォリアーズやスコット・ホール&カート・ヘニングと抗争を展開した。1986年にはカナダのモントリオール地区にも遠征し、ダン・クロファット&ソロファ・ファトゥからカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を奪取している。

1987年9月5日、脳腫瘍のため35歳で死去。余命いくばくもないと診断された際、最期の別れと感謝のために、かつての仲間やライバル達の家を訪ねて周ったという。

日本での戦歴

日本には全日本プロレスに計3回、いずれも覆面レスラーとして来日している。初来日は1980年10月の『ジャイアント・シリーズ』だが、テリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ワフー・マクダニエル、ビル・ロビンソン、ディック・マードック、キラー・トーア・カマタら豪華メンバーが集結した同シリーズにおいては目立った活躍を残せなかった。このシリーズにはジ・アステロイドThe Asteroid)名義で参戦しており、同時期、アーウィンはアメリカ南部でアステロイドとスーパー・デストロイヤーの2つのリングネームを使い分けていた。

2度目は1982年11月、スーパー・デストロイヤー名義で『'82世界最強タッグ決定リーグ戦』に上田馬之助と組んで出場。即席コンビということもあり得点ゼロの最下位に終わったが、同シリーズにレフェリーとして来日していたルー・テーズは「スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディよりも腕力は上」と評価していた。なお、同時期に新日本プロレスが開催した第3回MSGタッグ・リーグ戦にも、ジョージアでタッグを組んでいたマスクド・スーパースターとの覆面コンビで参加が噂されたことがある。

最後の来日となった1984年2月の『エキサイト・シリーズ』にはビル・アーウィンとのスーパー・デストロイヤーズで参戦。大阪で阿修羅・原&石川隆士のアジア・タッグ王座にも挑戦した。素顔での来日は1度もなかったが、初来日を果たす前の1980/6/29、カナダのトロントで素顔のスコット・アーウィンとしてブルーザー・ブロディのパートナーに起用され、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。

獲得タイトル

WWWF
  • WWWF世界タッグ王座:1回(w / "ユーコン・ランバージャック" ピエール)
CWF
  • NWA南部ヘビー級王座:1回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / バグジー・マグロー)
  • NWA USタッグ王座:1回(w / ジョー・ルダック)
GCW
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回
  • NWAナショナル・タッグ王座:3回(w / ビッグ・ジョン・スタッド、マスクド・スーパースター、ビル・アーウィン)
MSWA
  • ミッドサウス・タッグ王座:1回(w / ザ・グラップラー)
WCCW
  • WCCW TV王座:2回
  • NWAアメリカン・タッグ王座:4回(w / ビル・アーウィン)
Lutte Internationale
  • カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:1回(w / ビル・アーウィン)





ビッグバン・ベイダー/ベイダー
1955/5/14

レオン・ホワイトLeon White)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。

日本で活躍した外国人選手の一人で、三冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座の両タイトルを獲得した最初のレスラーで、なおかつ唯一の外国人レスラーでもある。また世界タッグ王座、IWGPタッグ王座、GHCタッグ王座の3大タッグ王座を獲得した最初のレスラーでもある。 息子のジェシー・ホワイトもプロレスラー。

来歴

学生時代から全米オールスターのアメリカンフットボール選手として鳴らし、ジャパンボウルで来日。コロラド大学卒業後の1978年、NFLのロサンゼルズ・ラムズにドラフト3位で入団。1980年1月にはスーパーボウルにも出場した(対戦相手は当時最強のスティーラーズ)。ゆえに、本人の右手薬指には常に、その証となるスーパーボウルリングがはめられている。

膝の怪我で引退後、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンマイク・ウィーバーのスパーリングパートナーなどをしていたが、1985年にプロレス入りしベイビー・ブル(Baby Bull)のリングネームでAWAからデビュー。ブル・パワーのリングネームでヨーロッパCWAに転戦、オットー・ワンツを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得。

その後マサ斎藤にスカウトされ、1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客、ビッグバン・ベイダーとして新日本プロレスに登場。アントニオ猪木対長州力のIWGPヘビー級王座選手権が予定されていたところに TPG が割り込んだため観衆の不満が爆発し、最終的に暴動にまでなるが、ベイダー自身はその騒ぎの中、猪木から3分弱でフォールを奪う(混乱の末に猪木があっけなく負けたことが観衆の怒りに拍車をかけ、新日本はこの件で会場の両国国技館を管理する日本相撲協会から国技館の使用停止処分を受けている)。

翌1988年から新日本の常連外人として定着、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座を獲得したほか、1991年より並行して当時新日本と提携していたWCWにも登場。WCW世界ヘビー級王座を獲得している。

1993年5月、UWFインターナショナルに移籍。スーパー・ベイダーに改名し、1994年8月には高田延彦を破ってプロレスリング世界ヘビー級ベルトを奪取した。

1996年1月に新日本プロレスに参戦し、正月恒例の東京ドーム大会でアントニオ猪木と対戦するも敗北。翌2月には WWFに移籍。1997年9月には、ケン・シャムロックとの試合貸し出しの形でFMW川崎球場大会に参戦。1998年5月、全日本プロレスに初登場する(リングネームは「ベイダー」を使用)。そしてWWFとの契約解除後の同年11月より本格的に全日本プロレスに参戦。年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、準優勝(パートナーはスタン・ハンセン、公式戦は全勝)。1999年3月、ジャイアント馬場没後初の三冠戦(王座決定戦)で田上明を破り三冠ヘビー級王座を獲得、4月にはチャンピオン・カーニバル優勝。5月の東京ドーム大会(馬場の追悼興行)で三沢光晴に敗れて三冠王座を陥落したものの10月に奪還。2000年2月にはスティーブ・ウィリアムスとコンビ結成し世界タッグ王座を奪取。

全日本プロレス分裂後の2000年10月からは、外国人勢では珍しくプロレスリング・ノアに参加。2001年10月にはスコーピオと組んで初代GHCタッグ王座を獲得。ノア離脱後はWJプロレスを経て、ハッスル、全日本プロレス、MAKEHEN、WWE、「レッスルランド」に登場。なお、新日本プロレス離脱後、日本国内では「スーパー・ベイダー」「ビッグ・ベイダー」、海外では「Vader」などとリングネームを変更した上、マスクやリングコスチュームも違うデザインのものを使用していたが、2005年頃から再びビッグバン・ベイダーのリングネームを使用している。

2008年現在はコロラドでプロレスリングスクールの準備やプロレス以外のビジネスなど幅広く活動している。

2009年2月に元WWEのテストとともに来日し、ベイダータイム1, 2を開催。7月にはトレバー・マードック、ヘイリー・ヘイトレッド、ランス・ケイドらを伴い、ベイダータイム3, 4を開催した。

2010/4/29、ベイダータイム5において、自らの復帰戦を息子ジェシー・ホワイトの日本デビュー戦とともに開催し、往年のライバル藤波と18年ぶりに対戦した。

近年は、リングネームの商法登録を持つ新日本プロレスが他の複数団体との交流があるため、他団体でもビッグバン・ベイダーのリングネームを用いることが多い。

リングネーム

現在、過去に用いたことがあるリングネーム(2008年時点)。

  • ベイビー・ブル (Baby Bull)
  • ブル・パワー (Bull Power)
  • ビッグバン・ベイダー (Big Van Vader)
  • ビッグ・ベイダー (Big Vader)
  • スーパー・ベイダー (Super Vader) - 新日本プロレス離脱後、UWFインターナショナル登場時のリングネーム。元の「ビッグバン・ベイダー」が権利問題で使用できなかったための改名。
  • ベイダー (Vader)

獲得タイトル

  • 新日本プロレス
    • IWGPヘビー級王座 : 3回
    • IWGPタッグ王座 : 1回(w / クラッシャー・バンバン・ビガロ)
  • 全日本プロレス
    • 三冠ヘビー級王座 : 2回
    • 世界タッグ王座 : 1回(w / スティーブ・ウィリアムス)
    • チャンピオン・カーニバル : 1999年優勝
  • プロレスリング・ノア
    • GHCタッグ王座 : 初代王者(w / スコーピオ)
  • UWFインターナショナル
    • ルー・テーズベルト(プロレスリング世界ヘビー級)
  • WCW
    • WCW・世界ヘビー級王座 : 3回
    • WCW・ユナイテッドステイツ王座 : 1回
  • その他
    • UWA世界ヘビー級王座
    • CWA世界ヘビー級王座

入場曲

  • Eyes of the world(rainbow)
  • Mastadon
  • Vader Time

コスチューム

新日本プロレス在籍時、甲冑姿でリングインののちこれをリング中央に置き、両手を広げて、「ベイダー!」の叫びと共にスモークが吹き出すギミック。この甲冑の制作費は5万ドル(当時のレートだと日本円で700万円)だったとのこと。

一応覆面レスラーではあるが、気合いが入ってくると覆面を脱いでしまい時には試合前から脱いでしまったこともあった。

その他

  • 猪木引退における「ファイナル・カウントダウン」でシングル対決した際、試合中猪木に「ガンバッテー!ガンバッテェー!」と叫びながらベイダーハンマーで殴り続けるという異様な一幕がみられた。
  • 映画「北斗の拳」(実写版)に出演している。
  • コスチュームをあまり洗濯せず、対戦相手にとっては匂いも厄介な武器になる。三沢光晴は、「あいつのタイツは、剣道の籠手だよ」と語っている。
  • 新日本プロレス登場当初、山本小鉄には「インベーダー」と、テレビ朝日のアナウンサーには「ビッグ・バンベイダー」と間違って呼ばれたことがあった。
  • 左上腕に赤黒い傷が見えるが、猪木戦で凶器によって負った傷であり試合は猪木の反則負け。
  • 日本においてソニーのCDラジカセのCMに出演したことがあり、それを自分の子供たちが誇りに思ってくれたとのこと。
  • 自身のベストバウトに1990年2月10日のスタン・ハンセンとのIWGP戦を挙げている。
  • ファイトスタイルは、「アメリカでやるより日本の方が向いてる」と語っている。
  • 息子のジェシー・ホワイトもプロレスラー。





スティーブ・ウィリアムス
Steve Williams
1960/5/14 -2009/12/29

アメリカ合衆国の元プロレスラー。コロラド州レイクウッド出身。「殺人医師」「ドクター・デス」(Dr. Death)のニックネームで知られた。
来歴
初来日以前
オクラホマ大学時代からアメリカンフットボールとレスリングで才能を発揮し、レスリングでは大学選手権4年連覇やオールアメリカンへの抜擢を受けるほどであった。
プロレス入りしたのは1982年。当初はアメフトのオフシーズンのみリングに上がっており、1983年から本格的にプロレスラー活動を始める。大学の先輩にあたりウィリアムスをスカウトしたビル・ワットの主宰するMSWA(後のミッドサウス版UWF)で、テッド・デビアスとのコンビで活躍(この当時の抗争相手は、後にタッグを組むテリー・ゴディやマイケル・ヘイズの「ファビュラス・フリーバーズ」だった)。1985年12月にはダラスでアントニオ猪木と対戦している。

初来日後
1986年7月、新日本プロレスに初来日したが、猪木と対戦した際に失神KOしてしまう。前田日明をレスリング技術で圧倒し、子ども扱いして転がしまくったりと、その圧倒的な強さが話題になる。個別シリーズでは外人エース扱いを受けるものの、後に参戦してきたクラッシャー・バンバン・ビガロやビッグバン・ベイダーに次ぐ3番手への降格を余儀なくされた。またファイトスタイルから、UWF勢やソ連レスリング軍団の新日参戦の際に、彼らとの試合に対応できる外人選手と期待されるが、目立った活躍を残せなかった。
1987年、ジム・クロケット・ジュニアのミッドサウス版UWF買収に伴い、NWAのジム・クロケット・プロモーションズ(後のWCW)に移籍。1988年9月からはマイク・ロトンドのパートナーとしてバーシティ・クラブに加入し、翌1989/4/2にロード・ウォリアーズからNWA世界タッグ王座を奪取した。
1990年2月に全日本プロレスに参戦。以降は全日本を日本での主戦場とし、最強外国人の一角として日本人選手の前に立ちはだかった。テリー・ゴディとのタッグは殺人魚雷と呼ばれ(ゴディの日本での異名が「人間魚雷」だったため)、このタッグで1990年と1991年の2年連続で世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝するなど目覚しい活躍を見せた。
本国アメリカでもゴディとのコンビで1992/7/5にスタイナー・ブラザーズ(リック&スコット)を破りWCW世界タッグ王座を、1週間後の7/12にはトーナメント決勝でバリー・ウインダム&ダスティン・ローデスを破り復活版NWA世界タッグ王座を獲得、二冠王となり両タッグ王座の統一を果たした。テリー・ゴディのWCW退団後はスタニング・スティーブ・オースチンとタッグを組んだ時もあった(オースチンの本名はスティーブ・ウィリアムスであり、同姓同名のタッグということになる)。
ウィリアムスがシングル戦線に名乗りを上げたのは1993年夏、パートナーのゴディが内臓疾患により長期欠場し始めた頃からである。9月に三沢光晴の三冠ヘビー級王座に挑戦するはずだったゴディの欠場により、ウィリアムスと小橋の間で三冠挑戦者決定戦が行われ、ウィリアムスが勝利。この試合でウィリアムスが放った急角度のバックドロップを、全日本プロレス中継で実況の佐藤啓アナは「バックドロップドライバー」と表現した。ゴディが三冠王者となった1990年を頂点に年々陰りが見えていたのに対し、それまでタッグ屋と見られていたウィリアムスのシングルプレーヤーとしての飛躍がこの小橋との一戦から始まる。
三沢には敗れたものの、翌年の1994年、チャンピオン・カーニバル準優勝の実績を残し、7月に再び三沢に挑戦。2年間にわたり王座を保持していた三沢を破り、遂に第11代三冠ヘビー級チャンピオンとなった。この時は1回の王座防衛の後、10月に川田利明に敗れ王座からは陥落。
1995年、チャンピオン・カーニバル直前に「家庭の事情」という名目で来日キャンセル(実際は鎮痛剤の大量保持による入国禁止。当時はこの事情は伏せられていたが、1997年春にハルシオンの大量保持で書類送検された際に公表された)。1996年、チャンピオン・カーニバルで1年ぶりの復帰を果たし、準優勝に輝いたが、技のキレがなくなったことを三沢に指摘されたり、パンチを多用し始めたことが批判の対象となった。小橋健太、ジョニー・エース、パトリオットがGETを結成すると、対抗してゲーリー・オブライト、ザ・ラクロスとともにTOPを結成。
1998年6月を最後にWWFに移籍したが、彼をプッシュするために企画されたシュート大会 "WWF Brawl for All" の準々決勝でバート・ガンにKO負けして短期間で姿を消す(バート・ガンはこの後「ウィリアムスをKOした男」として全日本の常連となる。なお、WWFではMSWAから初期WCWを通しての旧知の間柄であるジム・ロスが一時マネージャー役を務めていた)。
1999年5月、東京ドームでの馬場の引退記念興行に参戦した後、2000年より本格的に全日本マットに復帰し、ベイダーと組んで当時日本陣営のトップチームだった小橋健太&秋山準を破って世界タッグ王座を奪取。全日本プロレスの選手大量離脱、プロレスリング・ノア発足時にも全日本プロレスに継続参戦する。2000年10月の新日本プロレスの東京ドーム大会での全日本プロレスと新日本プロレスとの対抗戦では、両団体の最強外国人レスラー対決としてスコット・ノートンと対決。必殺技のバックドロップでピンフォール勝ちを奪った。同年の世界最強タッグリーグ戦ではマイク・ロトンドとのバーシティ・クラブ21で9年ぶりの優勝を飾った。翌年には武藤敬司に渡った三冠王座奪還のための、全日本陣営の挑戦者の一人としても起用されている。

咽頭癌の発覚
その後2003年からはIWAジャパンをホームリングとし、2004年3月にはかねてから願望があった総合格闘技にも挑戦する。この挑戦は、咽頭癌の手術代を稼ぎ出すためのものとも言われるが、2007年3月に『週刊プロレス』に掲載されたインタビューによれば、ウィリアムスが癌の告知を受けたのは試合当日直前であったとされる。こうした事情もあり、この試合は1ラウンドでKO負けしたものの、それを非難する者はいなかった。
2004年7月にIWAジャパンに来日した際に、自身が咽頭癌に罹っていることを公表する。一時危篤状態に陥るものの声帯を全摘出する手術を行った。

手術の成功とプロレス界への復帰
ウィリアムスの手術は成功し、健康状態はいったん回復した。かねてより希望していたように、湖畔にたたずむ落ち着いた一軒家に住み、静かな生活を送っていた。体重は全盛期から20kgほど減ったものの、時折リングに上がっており、本人によればプロレスの試合に出るということが癌との戦いにも良い影響を与えているとのことであった。また手術成功後、友人であるジョニー・エースの依頼でWWEのファーム選手のコーチに就任した他、自身の闘病経験を教会で語るなど社会活動にも取り組むようになった(声帯を全摘出したために固形物の嚥下はできないが、発声用の機械を埋め込んであるので音声による会話は可能とのこと)。
2007年3月には闘病記『How Dr. Death became Dr.Life(殺人医師が生命の医師になるまで)』を出版している。2009年5月にはIWA・JAPANの15周年記念興行に来日した。
しかし、秋頃に咽頭癌が再発。2009年10月にIWAジャパンで予定されていたスティーブ・ウィリアムス引退記念試合が延期になった。その後も抗がん剤治療などに回復に専念していたが、12月29日に死去。49歳没。

その他
全日本マットで脳天から叩き落とす危険な技の応酬のスタートのきっかけを作ったのは、1993年の小橋との三冠挑戦者決定戦でウィリアムスが放った「デンジャラス・バックドロップ」である(この技は1990年にシングル戦で谷津嘉章にあばら骨を骨折させる大怪我をさせ、しばらく封印していたものである。それ以前に垂直落下式ブレーンバスターも使っていた)。それ以降、三沢が「タイガードライバー'91」を解禁、危険な角度の投げ捨て式ジャーマン・スープレックスも使用、後に「エメラルド・フロウジョン」を考案。小橋は「バーニング・ハンマー」「ハーフネルソン・スープレックス」「スリーパー・スープレックス」、川田は「三冠パワーボム」「垂直落下式ブレーンバスター」「垂直落下式バックドロップ」、田上明は急角度の「怪物ジャーマン・スープレックス」、秋山準は「リストクラッチ式エクスプロイダー」、ジョニー・エースは「コブラクラッチ・スープレックス」「ジョニー・スパイク」等、トップ選手が次々と脳天直下型の受身が取りにくい危険技を使用し始めた。
SWSの旗揚げ興行初日に突如客席に訪れた。感想を尋ねると「(この団体は)成功はないな」と断言したという。
2000年の全日本プロレス分裂で三沢ら離脱組の最後の売り興行けじめ参戦の際、馬場を尊敬していたウィリアムスは三沢を襲う素振りをしていたが、実行はせず(亡くなった馬場は場外乱闘を嫌っていたため)三沢とは握手して別れた。CS番組での仲田龍の発言によると、この素振りがきっかけで後にNOAHのマットに上がる機会を逸したとのこと。番組ではウィリアムス側からのNOAHマット参戦の要望を断ったとコメントした。
一方、ウィリアムス自身はNOAHを高く評価しており、自身の教え子がNOAH(や新日本、全日本)で修行出来れば良いという希望を述べている(前出『週刊プロレス』インタビュー)
入場テーマ曲はキッスの『勇士の叫び(I Love It Loud)』(後にタッグを組んでいたゴディも単独で使用した)。UWF所属時代や新日本プロレス参戦初期はブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』を使用した。
殺人魚雷コンビ全盛のころ、宮城県スポーツセンターで行われた最強タッグ選手権試合の際、人気絶頂の彼らの入場口には多くの観客が集まり、テープやカメラを片手に今か今かと入場を待っていた。いつもであれば、テリー・ゴディを先頭に余裕たっぷりに現れるはずが、ドアが開くと同時に椅子を持ったウィリアムスが凄まじい勢いで入場。意表をつかれた観客らは蜘蛛の子を散らすように逃げまどった。椅子はなぎ倒され転倒者が続出、周囲はさながら阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
殺人魚雷コンビ結成当初は入場曲がかかると同時にテリー・ゴディと2人そろって全速力でリングに入り交互にロープワークするのがお決まりだった。この2人は公私ともに親しく、ゴディのスタン・ハンセンとの三冠王者戦にウィリアムスが半ば加勢する様な形を取っていた(リング外でゴディを手当てするなど)。試合後、敗戦したこともあり ハンセンは「ウィリアムスの乱入は許せん! ガッデム!!」と怒り狂っていた。
レスリングの強豪だが試合ぶりにはゴツゴツした不器用な面が目立った。似たようなタイプのスタン・ハンセンとのシングル戦を全日自主制作のビデオで解説した馬場は苦笑しながら「僕はこの人たちが一体何をしたいのか全然わかりません」と語っていた。その他にも「体が硬い」「受身の勉強不足で頭から落ちてしまう」など、馬場からは辛い評価が多かった。

獲得タイトル

全日本プロレス
  • 三冠ヘビー級王座:1回
  • 世界タッグ王座:8回(w / テリー・ゴディ×5、ゲーリー・オブライト、ベイダー、ジョニー・エース)
NWA / WCW
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / マイク・ロトンド)
  • NWA USタッグ王座:1回(w / ケビン・サリバン)
  • WCW世界タッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ)
MSWA / UWF
  • ミッドサウス・タッグ王座:2回(w / テッド・デビアス)
  • UWF世界ヘビー級王座:1回
  • UWF世界タッグ王座:1回(w / テッド・デビアス)
その他
  • ACWヘビー級王座:1回
  • UWF世界ヘビー級王座(Herb Abrams派):1回
  • UWF TV王座(Herb Abrams派):1回
  • IWA世界タッグ王座:1回(w / 三宅綾)

  



ザック・ライダー
Zack Ryder
1985/5/14

マット・カルドナ(Matthew Cardona)はアメリカ合衆国のプロレスラー。現在WWEに所属し、()のリングネームで活動中。

経歴

元ECWマイキー・ウィプレック主宰のレスリングスクールでトレーニングを積み(後に行動を共にするブライアン・メジャーことカート・ホーキンスや、トレント・バレッタもこのスクールでトレーニングしていた)、2004年にプロレスデビューし、ニューヨークのインディ団体で活動する。2006年にはDSWに移る。2007年4月にはDSWがWWEとの関係を解消したためOVWへ移る。

その後すぐに昇格し5/1にECWでブレット・メジャーの名でデビューし、ブライアン・メジャーと共にメジャー・ブラザーズとして活動する。6月の追加ドラフトでパートナーのブライアン・メジャーと共にSmackDown!へ移籍する。デビューからベビーフェイスであったが12月のArmageddonでエッジの勝利をアシストしヒールターンする。これ以降リングネームをザック・ライダー(Zack Ryder)と改める。その後もエッジの手下として活動する。2008年7月にはGreat American Bashでのフェイタル4ウェイ形式のWWEタッグ王座戦に勝利し、WWEタッグ王座を獲得する。しかし9月にカリート&プリモに敗れ王座を失う。

2009年4月の追加ドラフトによりECWへ移籍する。パートナーのカート・ホーキンスはSmackDown!に残留したためタッグ解消となる。5月に髪を切り衣装を改めECWに登場する。8月ごろからはシェルトン・ベンジャミンと短い抗争を繰り広げる。その後2回ほどクリスチャンの持つECW王座に挑むが王座奪取とはならなかった。10月にはECWに移籍してきたディーヴァのローザ・メンデスと共に行動する。12月にはトミー・ドリーマーのECWでの最後の試合の対戦相手を務める。ストーリー上はライダーがドリーマーを侮辱し、そのことに怒ったドリーマーが試合に負けたらECWを去ると宣言するがライダーに敗北してECWを去ったという形。ECW終了後はローザと共にRAWへ移籍する。

2010年4月のドラフトでローザがSmackDown!に移籍したことによって、パートナー関係が終了したことを受けて「新しい恋人探し」のストーリーが進行中である(ディーヴァをだいたい2名ほどリングサイドに招いて試合をするが、結局は試合に敗れて、対戦相手にディーヴァたちを持ち帰りされてしまうというパターンが定番である)。

NXTシーズン2ではタイタス・オニールを指導するプロとして登場した。

その後は低迷しシェイマスからWWE王座第一挑戦者に指名されるも瞬殺、NXTではコーディ・ローデスから「お前に人を指導する資格はあるのか」と罵声を浴びせられるなど噛ませ犬的なキャラクターとして2010年を終えた。

2011/1/27放送のWWE・スーパースターズでプリモとのタッグ結成を表明し、ヨシ・タツ&デビッド・ハート・スミス組に勝利。後に自身のTwitterでタッグ名を『DZP』(DOWN for ZACK and PRIMO)としたことを明らかにした。

獲得タイトル

  • WWE・タッグチーム王座 : 1回(w / カート・ホーキンス)

入場曲

  • In the Middle of it Now
  • Radio

Z! True Long Island Story

  • YouTubeに『LongIslandIcedZ』というユーザー名でチャンネルを持っており、自主制作したミニコメディ番組『Z! True Long Island Story』を投稿している。自身はもちろんのこと、実父、友人、さらにはジョン・シナ、プリモ、トレント・バレッタ、スコット・スタンフォードなどWWEスーパースターも出演することがある。
  • 第11回放送で「第10回放送の再生回数が同週にWWE公式チャンネルに更新されたSmackDown!、WWE・スーパースターズ、NXT関連動画の合計再生回数を上回った」と発表している。そのため同番組内では「WWE・インターネット王者」を名乗っており、王座ベルトも自主制作している。





チェリー
5/14

日本のプロレスラー。ユニオンプロレス所属。本名、年齢は非公開だが、記載してしまっているサイトもある。

キャットファイト界からプロレスラーへ転身。DDTプロレスリングでデビュー後、ユニオンプロレス再旗揚げに伴い同団体へ移籍した。アマチュア時代にバトラーツジムに通っていたことがあり、バックボーンに男子プロレスの技術を持っている。澤宗紀とはジム生時代の同期である。

年齢を非公開としているためリング上で度々ネタにされているが、「ファンタジー」として非公開を貫き通している。

経歴

キャットファイト時代

マスク・ド・チェリーのリングネームで新日本キャットファイト連盟(NCL)に所属。実力派キャットファイターとしてMONDO21「女闘美X」やパラダイステレビへ出演。2004/5/13には自主興行も行っている。

キャットファイトと並行してCROWN、T.A.M.A.といったインディー団体にも参戦。またSGPにマスクウーマン、宇宙銀河戦士ソフィアとして参戦していた。 2004/7/19にNCLを退団。同月25日にキャットファイトを卒業。

プロレスラー転身後

2004/6/16、DDTプロレスリング北沢タウンホール大会で所属選手としてデビュー。2005/11/3のユニオンプロレス再旗揚げに伴い移籍。ユニオン移籍後は他団体へゲスト参戦する機会が増え、女子団体を中心に積極的に試合をしている。

2008/6/17、プロレスリングWAVEによる若手中心の興行「ヤング オー!オー!」の終身名誉顧問に任命された。

2010/9/27、女子プロレス界の動き・話題に絡んでいくためとして、Ustream番組「さくらんぼ狩りナイト!」を開始。

2010/10/7、DDT48総選挙の結果発表で3位となる。

2010/12/10、DDTの運営するカレー店「ニコニコカレー」(旧名・ミツボシ)の開店と共に店長に就任。

戦歴

2004年
  • 6/16、東京・北沢タウンホールにおいて、対高梨将弘、「昭和」子(現:バンビ)組戦でデビュー。デビュー戦のパートナーは藤田峰雄。
2005年
  • 6/29、東京・後楽園ホール(DDTプロレス Audience2005)において、アイアンマンバトルロイヤルに参加。
2006年
  • 4/15、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、風香と対戦。飛び付き腕ひしぎ逆十字でギブアップ負け。
  • 4/23、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、春日萌花と対戦。チェリトーン・ボムで勝利。
  • 5/4、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、栗原あゆみと対戦。敗れる。
  • 5/13、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、市井舞と対戦。スモールパッケージホールドで敗れる。
  • 6/11、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、浦井百合と対戦。ダブルクラインで勝利。
  • 6/24、「格闘美〜Future〜」において、渋谷シュウ、中川ともかと組んで、市井舞、春日萌花、浦井百合組と対戦。ダブルクラインで春日から勝利。
  • 9/10、新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、元気美佐恵と組んで、タニー・マウス、阿部幸江組と対戦。元気がタニーに丸め込まれて敗れる。
  • 9/17、新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、アップルみゆきとタッグチーム「フルーティ☆ボンバー」を組んで、闘牛・空、闘獣牙Leon組と対戦。空に丸め返され敗れる。
  • 10/7、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、風香と組んで、市井舞、佐藤綾子組と対戦。風香が市井の彗星キックで敗れる。
  • 10/28、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、カリビアン・RUMと対戦。敗れる。
  • 12/31、東京・後楽園ホール「第4回ジュニア・オールスター戦」において零(現:Ray)と対戦。シューティングスタープレスで敗れる。
2007年
  • 4/27、ユニオン 赤レンガ大会において吉田万里子と対戦。蜘蛛絡みで敗れる。
  • 7/4、ユニオン 新木場1stRING大会において、石川修司と組んでワンデイ・タッグトーナメントに出場。決勝に進み、大家健をチェリトーン・ボムで沈めて優勝。KO-Dタッグベルト挑戦権を獲得。
  • 8/11、ユニオン 闘うビアガーデンにおいて、吉田万里子をパートナーに迎え、ヌルヌルブラザーズ(中澤マイケル・松永智充)とKO-Dタッグ選手権を争う。男子相手に熱戦を繰り広げるが、中澤のマイケル・ノーモアクライ∞に敗れる。
  • 11/21、ユニオン 新木場1stRING大会において、倉垣翼と対戦。ケブラドーラ・トド・アルトで敗れる。
  • 12/31、東京・後楽園ホール「第5回ジュニア・オールスター戦」に2年連続出場。渋谷シュウ、大木アスカと組んで、華名、中川ともか、大畠美咲組と対戦。渋谷が大畠からサタニカでギブアップを奪う。
2008年
  • 3/5、ユニオン 新木場1stRING大会のメインにおいて、日向あずみと対戦。男子団体での女子選手のメインはFMWでの工藤めぐみ以来の快挙となり注目を集めるが、日向のみちのくドライバーIIで敗れる。
  • 4/29、NEO 板橋グリーンホール大会において、渋谷シュウと組んで、宮崎有妃、植松寿絵組と対戦。宮崎をウラカン・ラナで丸め込み、勝利。
  • 5/4、北沢タウンホールにて初の自主プロレス興行「ファンタジー・イリュージョン」を開催。メインで石川ジャイ子と組み、高梨マサ子、ランジェリー武藤娘組と対戦。高梨マサ子にチェリトーン・ボムで勝利。
  • 5/5、NEO 後楽園ホール大会において、渋谷シュウと組んで、NEOマシンガンズ(タニー・マウス、宮崎有妃)組とNEO認定タッグ選手権を争う。タニーのキン肉バスターで敗れる。
  • 8/9、闘うビアガーデン2008 ユニオンプロレスDAYにおいて、高梨マサ子と敗者ユニオン追放マッチを行う。ジャーマン・スープレックスからのチェリトーン・ボムで勝利。
  • 8/16、プロレスリングWAVE 新宿FACE大会にてバトラーツジム時代の同期である原学と組んで、石川雄規、及川千尋組と対戦。腕ひしぎ逆十字固めで及川からギブアップを奪い、勝利。
  • 10/9、ユニオン 新木場1stRING大会においてさくらえみと対戦。変形ラ・マヒストラルで丸め込まれ敗北するも、試合後にユニオンとアイスリボンの全面抗争を宣言する。
  • 12/21、ユニオン 北千住シアター1010大会においてさくらえみ、高梨マサ子とのハンディキャップマッチに勝利。抗争に終止符を打ち、アイスリボン側と和解した。
2009年
  • 2/15、ユニオン 北千住シアター1010大会において高梨マサ子とのタッグで松本浩代、大畠美咲組と対戦し、フルーツバスケットで勝利。マサ子とのタッグ継続を表明。
  • 3/15、プロレスリングWAVE 新木場1stRING大会において闘牛・空、アルブレッド・ネクレンブルク組とアイアンマンヘビーメタル級選手権試合を行う(パートナーはアーノルド・スケスケジャネーカー)。9分59秒、ジャーマン・スープレックスで闘牛・空をフォールし、第772代王者となった。
  • 5/5、ファンタジーイリュージョン2 板橋グリーンホール大会を開催。メインで石川ジャイ子と組み、アジャ・コング、植松寿絵組と対戦し、春夜恋で勝利。
2010年
  • 5/1、ファンタジーイリュージョン3 新木場1stRING大会を開催。メインで渋谷シュウと組み、石川ジャイ子、シゲコ・デラックス組と対戦し、ファンタジー・イリュージョンで勝利。
  • 8/8、ユニオンビアガーデンプロレス 新木場1stRING大会においてさくらと対戦するも、りほに酷似した覆面レスラー「ブラックチェリー」の襲撃を受けノーコンテスト。以降、みなみ飛香似の覆面レスラーを加えたブラックチェリー1号・2号と抗争を展開するが、一旦和解。
  • 10/12、プロレスリングWAVE 新木場1stRING大会において華名と対戦し、15分時間切れ引き分け。
  • 10/28、DDT勢が多数参戦した韓国WWA蔚山現代中央体育館大会にて桜花由美と対戦し、引き分け。
  • 11/3、ユニオン 新木場1stRING大会のメインイベントにおいて米山香織の持つJWP認定無差別級王座に挑戦するも敗退。
  • 12/23、ファンタジーイリュージョン4 新木場1stRING大会を開催。メインで宮崎有妃と女子では史上初となる60分アイアンマンマッチを戦い、2-1で勝利。
2011年
  • 1/3、ユニオン後楽園ホール大会、さくらえみ似の3号を加えたブラックチェリー軍と再び対戦。春夜恋で2号からフォールを奪い勝利。

タイトル歴

  • アイアンマンヘビーメタル級王座
    (第183代、第186代、第772代、第775代、第779代、第789代、第807代)

入場テーマ曲

  • キューティーハニー(アニパラmix)

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