本文へスキップ
 


 
 
”重要なお知らせ”


2011/9/1よりパワーアップでページ独立!

 
 


 
 
プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/17


 
 


 
 

ミスター林
1942/5/17 - 1999/11/4

日本の元プロレスラー、元レフェリー。本名:林 幸一(はやし こういち)。一時期リングネームとして林牛之助とも名乗った。東京都江東区出身。身長176cm体重98kg。

略歴

1958年に大相撲の追手風部屋に入門。同期入門に上田馬之助がいる。のち間垣親方の独立にともない、間垣部屋に移籍。

1959年に力士を廃業して日本プロレスに入門。1973年の日本プロレス崩壊後は海外遠征を経て全日本プロレスに入団。一貫して前座暮らしであったが、コミカルなファイトで人気者であった。1979年には全日本プロレス所属としてプロレス夢のオールスター戦にも出場している(ただし全日本・新日本・国際の中堅若手15人によるバトルロイヤル)。

引退後は全日本プロレスのレフェリーとなり、ジョー樋口に次ぐ二番手のポジションに入った。1983年にはリック・フレアーVSザ・グレート・カブキのNWA世界ヘビー級王座戦も裁いているが、1986年に退団。その後はジャパン女子プロレスのレフェリーもやっていた。ヒゲ、突き出た腹、ギクシャクした動きがレフェリーとしては特徴的だった。1999年死去。

現役時代の一時期、林牛之助というリングネームを名乗っていたが、これは「上田馬之助」「大熊熊五郎」など、変わったリングネームをつけるのが趣味だった豊登道春に命名されたものである

 
広告


小松 美加
1967/5/17

日本の元女子プロレスラー。クラッシュギャルズが巻き起こした女子プロレスブームの渦中に現役生活を送った。“ニンニン”の愛称で親しまれた。

経歴

  • 1983年、女子プロレス入り。9/23に埼玉・大宮スケートセンターで柳下まさみ(現・レフェリーのTommy)をパートナーに、中野恵子(のちのブル中野)と対戦する変則マッチでデビュー。
  • 1984年、伸び悩む同期・永友香奈子とともに新人王決定トーナメントに2年連続出場。決勝戦で後輩の加藤悦子を破り、辛くも先輩の面子を保つ。
  • 1986年、6月後楽園ホール大会で永友香奈子と組んで、全日本タッグ選手権の初代王者チーム小倉由美、永堀一恵に挑戦。永友のタイムアップ寸前の押さえ込みにより、王座を獲得した。永友との「オペロン同盟」は実力よりキャラクターの魅力で人気があった。女子プロレス誌に連載企画を持ったり、全日本女子プロレス中継内のバラエティコーナーで、レポーターを務めたことも。全日本タッグ選手権は1度の防衛後、11月の大阪城ホール大会で前王者チームに奪い返された。
  • 1987年、僚友の永友が引退。シングルプレイヤーとしてのレスラー像確立を迫られる。夏にデビル雅美とカナダ・カルガリーへ初の海外遠征。新日本プロレスの馳浩らと数か月に渡ってサーキットし、伸び伸びとしたファイトを展開した。年間を通じて行われていたチーム対抗公式リーグ戦では、ライオネス飛鳥率いるアストロズに所属。年末、後楽園大会で開催された決勝戦にも参加し、優勝に貢献した。
  • 1988年、同期の小倉由美と、再びカナダ遠征。サーキット中、小倉の保持していた全日本選手権を獲得。8月に帰国後、後輩の堀田祐美子、西脇充子が保持していたWWWA世界タッグ王座に挑戦。王座を獲得した。
  • 1989年、前年より小倉と保持していたWWWA世界タッグ王座を山崎五紀、立野記代のJBエンジェルスを相手に引き分け防衛したものの、長与千種の引退ロードに花を添えるため、最後のコンビ結成を迎えたクラッシュギャルズの挑戦には歯が立たず、王座を明け渡した。同年、小倉由美を相手にエキシビション・マッチを行い、引退。
  • 1998年、全日本女子プロレス35周年記念の横浜アリーナ大会で久しぶりに公の場に登場。2児の母親として幸せな結婚生活を送っていた。

タイトル歴

  • WWWA世界タッグ王座
  • 全日本シングル王座
  • 全日本タッグ王座
  • 昭和59年度新人王





福田 雅一
1972/5/17 - 2000/4/19

栃木県大田原市(旧那須郡黒羽町)出身の日本の男子プロレスラーである。最終所属は新日本プロレス。

来歴

少年時代は野球や相撲の選手として活躍。中学3年生で関東中学生大会に出場し、後に横綱となる貴乃花(花田光司)と対戦している。足利工業大学附属高等学校進学後レスリングを本格的にスタートさせ、1994年に国民体育大会(日本大学4年生時)で準優勝の実績を持っている。

1995年、レッスル夢ファクトリーに入門。1998年には「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」という新日本プロレスの大会に参加しレスリング仕込みの高角度ジャーマン・スープレックスが注目され、1999年に新日本プロレスに移籍。次世代のエース格として注目を集める。

2000/4/7の東京ドームメインイベント・橋本真也VS小川直也戦では橋本のセコンドとして試合を見つめたが、橋本の敗戦後は涙を流す福田の姿がアップで映された。その当日、橋本と福田は2人で遅い夕食を共にし福田は「橋本さん、悔しいすね」と大泣きしたという。

そのわずか1週間後の2000/4/14/、宮城県気仙沼市での試合中に柴田勝頼のエルボーを受け意識不明の重体に陥り直ちに同市内の病院に運ばれたが、4/19に急性硬膜下血腫のため死亡した。日本のプロレスラーが試合中の事故で亡くなったケースは女子レスラーで2名(プラム麻里子、門恵美子)あったが、男子レスラーでは史上初となった。福田は1999年10月シリーズにて、硬膜下血腫のため約4か月間の欠場をしていた。それの後遺症が原因だと言われている。

この事故は当時のプロレス界に大きな衝撃を与え、特に小川戦後の去就が注目されていた橋本にも相当なショックを与えた。また2000年7月に大仁田厚戦で現役復帰した長州力は入場の際に福田の遺影を脇に抱えており、福田の死が長州の心を動かしたことが伺える。






デイビーボーイ・スミス
Davey Boy Smith
1962/11/27 - 2002/5/17

デイビッド・スミスDavid Smith)は、イギリス・マンチェスター出身のプロレスラー。正式な本名はデイビッド・ボーイ・スミス(David Boy Smith)であり、ミドルネームの「Boy」は、母親が出生届を書く際に、性別欄とミドルネーム欄を間違ったことから付いたといわれる。

従兄弟のダイナマイト・キッドとタッグチーム「ブリティッシュ・ブルドッグス」を組み、WWF(現・WWE)などで活躍した。ハート・ファミリーの総帥スチュ・ハートの四女と結婚(のちに離婚)しており、ブレット・ハート、オーエン・ハートらとは義兄弟の間柄にあった。ジョニー・スミスは親戚とされているが実際に血縁関係はない。

息子のハリー・スミスもプロレスラーとして活動しており、現在WWEでデイビッド・ハート・スミスと名乗っている。

来歴

1978年イギリスでプロレスラーとしてデビュー。その後ダイナマイト・キッドの後を追う形でカナダのカルガリーへ渡り活躍、頭角を現す。1982年に英連邦ミッド・ヘビー級王座を獲得。

1983年11月、新日本プロレスに初来日。ザ・バンピードThe Vampiedo)なる覆面レスラーとして、ザ・コブラとのNWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦に出場したが、試合直前に自らマスクを脱ぎ捨て正体を明かした。ジュニアヘビー級離れしたパワーファイターであり、以降も新日本マットでキッドと共に活躍。当時の実際の体重は103kgでジュニアヘビー級のリミットである220ポンド(99.8kg)を超えており、実況で山本小鉄も3〜4kg落とさなければいけないと解説している。しかし、スピードを兼ね備えていることもあり、パワーを売りとしてジュニアヘビー級の階級で活躍していた。

1984年11月、キッドと共に全日本プロレスへ電撃移籍。同時期、ウェイト・アップを図ってヘビー級に転向し、更にパワーに磨きをかけた。全日本マットではジョニー・スミスともタッグチームを組んでいる。

1985年にWWF入りし、「ブリティッシュ・ブルドッグスThe British Bulldogs)」のチーム名で活躍。1986年4月7日にはレッスルマニア2のロサンゼルス大会に出場し、ドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)からWWF世界タッグ王座を奪取している。1988年末にWWFを離脱し、翌年より全日本プロレスに復帰するが、スミスが突然に他団体との契約をしてしまい、キッドとのチームは空中分解。これはキッドも聞いていなかったという。キッドによれば、その後スミスは「キッドが交通事故に遭い、次期シリーズは出られない」とのデマを全日本プロレスサイドへ流し、あやうくキッドが干されるところだった。以後、スミスが死去するまで、キッドは一度も会わなかったという。

1990年、シングルプレイヤーとしてWWFと再契約。1992/8/29には地元イギリスのウェンブリー・スタジアムに8万人の観客を集めて開催されたサマースラムにおいて、ブレット・ハートを破りインターコンチネンタル王座を獲得した。1993年2月からはWCWに参戦し、ベイダーらと抗争。ロード・スティーブン・リーガルとの英国人同士の抗争も展開した。

1994年よりWWFに復帰し、レックス・ルガーとの米英コンビ「アライド・パワーズThe Allied Powers)」などで活躍。1996年からはヒールに転向して義弟のオーエン・ハートとタッグを結成、同年9/22にスモーキン・ガンズ(ビリー・ガン&バート・ガン)を破り、再びWWF世界タッグ王座を奪取した。1997年にはハート・ファウンデーションに加わっている。同年11月9日のモントリオール事件以降WCWに移籍したが、1999年にヒールとしてWWFに復帰。WWFには2000年まで所属し、ザ・ロックらと対戦した。

2002年5月17日にカルガリーの自宅で心臓発作を起こし、39歳で死去。ステロイド剤投与とドラッグの影響だといわれている。

獲得タイトル

WWF
  • WWFインターコンチネンタル王座 : 1回
  • WWF世界タッグ王座 : 2回(w / ダイナマイト・キッド、オーエン・ハート)
  • WWFヨーロピアン王座 : 2回(初代王者でもある)
  • WWFハードコア王座 : 2回
スタンピードレスリング
  • スタンピード北米ヘビー級王座 : 2回
  • スタンピード英連邦ミッドヘビー級王座 : 1回
  • スタンピード インターナショナルタッグ王座 : 4回(w / ブルース・ハート×2、ダイナマイト・キッド×2)

  



酒井正和
5/17

クォンタム・ジャンプ・ ジャパン株式会社/代表取締役

SMASH酒井代表ブログ
















 
   ↑ トップへヤフーオークション  


 Copyright(c) Mitsuishiya, Inc. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system