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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/20


 
 


 
 

玄田 哲章
1948/5/20

日本の男性俳優、声優、ナレーター。血液型はAB型。岡山県出身。81プロデュース所属。デビュー当時は本名の横居 光雄(よこい みつお)で活動していた。
ワールドプロレスリングのナレーター

 
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ブライアン・ジェイムス
Brian Gerard James
1969/5/20

アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州マリエッタ出身。WWF(現WWE)時代のリングネームであるロード・ドッグ・ジェシー・ジェームス"Road Dogg" Jesse James)、および所属していたTNAでのBGジェイムスとしての活躍で知られる。

天性の美声から繰り出されるマイクパフォーマンスの名手。父親は1970年代に活躍したプロレスラーのボブ・アームストロング。兄のスコット、ブラッド、スティーブも元レスラーである。

来歴

アメリカ海兵隊出身で、湾岸戦争への従軍経験もある。1993年にデビューし、ジム・コルネットが主宰するSMWなどでキャリアを積む。

1994年の末からWWFに所属し、ザ・ローディーのリングネームでジェフ・ジャレットと行動を共にした。1995年に一度WWFを離脱するも翌1996年にジェシー・ジェイムスと改名して復帰。1997年からビリー・ガンとのタッグチーム、ニュー・エイジ・アウトローズを結成。同時にロード・ドッグ・ジェシー・ジェイムスを名乗るようになった。1998年にはニュー・エイジ・アウトローズごとD-ジェネレーションXに加入。WWFでのキャリアのピークを迎えた。

1999年にD-ジェネレーションXとしての活動を終了した後の2000年に薬物所持のためWWFを解雇された。

WWF解雇後はインディー団体を渡り歩いた後、2002/8/18にTNAへ初登場、同時にリングネームBGジェイムスを名乗りだした。ロン・キリングス、コナンと3LK3 LIVE KRU)というユニットを結成して活躍する。

2005年末にはキップ・ジェイムス(ビリー・ガン)も加入し4LKとして再始動するがまもなく仲間割れし、4LKは解散となり改めてキップ・ジェイムスとのタッグを結成。ただし、登録商標の兼ね合いでニュー・エイジ・アウトローズの名前は使えず、ジェイムス・ギャングのチーム名を用いた。

2009年9月にTNAに契約を解除された。

獲得タイトル

ACCW
  • ACCWヘビー級王座 : 1回
CWF
  • CWFヘビー級王座 : 1回
TNA
  • NWA世界タッグ王座(TNA版) : 2回(w / コナン、ロン・キリングス)
USWA
  • USWA南部ヘビー級王座 : 1回
  • USWA TV王座 : 2回
  • USWA タッグ王座 : 2回(w / トレイシー・スマザーズ)
WWA
  • WWA世界ヘビー級王座 : 1回
WWF
  • インターコンチネンタル王座 : 1回
  • ハードコア王座 : 1回
  • WWF世界タッグ王座 : 5回(w / ビリー・ガン)





KAI
1983/5/20

日本のプロレスラー。神奈川県横浜市出身。横浜市立桜丘高等学校卒業。全日本プロレス所属。

経歴

中学時代は野球部に所属。練習はかなりキツく毎朝6時から10km走ったり、台風の中でスライディングの練習をしたこともあるというが、この時培われた基礎体力が後に役立ったと語っている。

元々プロレスに対してさほど興味は無かったが、高校1年生の時に新聞の懸賞で新日本プロレスの東京ドーム大会のチケットが当たって観戦したことからプロレスにどっぷりハマることとなった。またこの時のメインは後の全日本プロレス社長の武藤敬司が務めていた。

それからというもの学校に行けば朝から週刊プロレス、週刊ゴング、週刊ファイト、内外タイムスを読みあさり、バイト代は全て週末のプロレス観戦費用につぎ込むようになる。 この時からプロレスラーになることを夢見るようになり高校2年で柔道部に入部(同部の先輩には石塚英彦がいる)。入部初日に「プロレスラーになるために来ました。宜しくお願いします」と挨拶し、高校3年になって他の部員が引退して受験勉強に励む中、一人トレーニング場で筋トレに励んだ。

当時は日本のプロレスよりもWWEなど海外のプロレスに興味を持っておりWWE入団を夢見ていた。しかし、知り合いの誘いで海外インディー団体を観戦するため渡米するがその団体のレベルの低さに愕然とし、やはり日本のプロレスの方がレベルが高いということで日本の団体でプロレスラーになることを志す。

高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受けるが若過ぎたことと身長が低かったことで失格。ちなみにその時彼を落としたのは永田裕志。そして同じく試験を受けていたのは中邑真輔と後藤洋央紀だったという。

知り合いの勧めで入門したアニマル浜口ジムに約3年半通い体を鍛え、2006年に行われた『武藤塾』の新人オーディションに合格し入門する。同期にはT28がいる。

練習生時代は武藤敬司に師事し付き人を務めていた。

メキシコでの活躍〜凱旋帰国

2007年2月に、同期入門の三原弘嗣(YAMATO、現在の大和ヒロシ)と共にメキシコ修行に出る。2月22日、IWRGにてKAIのリングネームでアレナ・ナウカルパンにてロス・トラウマス1号2号相手に3本勝負形式でプロレスデビューし見事勝利を飾る。

6月3日、YAMATO、元SUPER CREWのSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。

2008/2/17の後楽園大会で日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーは大和ヒロシ)。

その後、大和とのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。若手ながらも奮闘し、土方隆司、中嶋勝彦組、NOSAWA論外、MAZADA組から大金星をあげる。

4/20、同期であり同門でもあるT28とのシングルマッチが実現。試合ではKAIがスプラッシュブランチャで勝利した。意外にも、シングルマッチはこの試合がレスラー人生初で、デビューから1年以上経っている選手にしては珍しいことである。

5/5、韓国・ソウルでの新韓国プロレスNKPWA世界チャンピオン決定戦に、真田聖也とのタッグでの出場が決定した。

若手から全日ジュニアのホープへ

6/10、武藤祭にて土方隆司、カズ・ハヤシを相手に3WAYマッチが決定。そして試合当日、なんと世界ジュニア王者の土方から必殺のスプラッシュ・プランチャでフォール勝ちを奪うという大金星を納め会場から大歓声を受ける。対戦相手の1人であるカズに「スゲー化け物が出てきたなって感じですね。」と言わしめた。

6/28、シリーズ最終戦では開幕戦でタッグマッチながら敗れていたT28からスプラッシュプランチャでリベンジ。そして土方隆司、エル・サムライの世界ジュニア王座戦終了後にジュニアの面々がリングに集合。カズのマイクを横取りして挑発し次期シリーズのジュニア・ヘビー級リーグ戦に向けてアピールした。

ジュニアリーグ最終戦でMAZADAを撃破。決勝に上がってきた元世界ジュニア王者のシルバー・キングも変型みちのくドライバーIIで下し、1日2戦の激闘を潜り抜け優勝を果たした。デビューから1年5か月での快挙であり、若手ジュニアの中でも頭一つ飛び抜けた。

そして更に8/31、両国国技館で世界ジュニア王者の土方隆司への挑戦が決定。デビューして1年6か月での世界ジュニア王座挑戦は世界ジュニア史上最速での挑戦である。

8/22、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、大和と共に救出。小島、大和と新ユニット「F4」を結成し活動して行くことを宣言した。

8/31の国技館大会で、土方隆司との世界ジュニア王座戦に挑んだ。期待は高かったが初挑戦・初戴冠はならなかった。

10/13、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと激突したが、惜しくも敗れる。11/3、両国でF4のメンバーと組んで新日本プロレスの天山、そしてIWGP・ジュニアタッグ王者の内藤哲也・裕次郎と対戦。

2008年末のプロレス大賞新人賞部門にノミネートされ、最終選考まで残るが惜しくも受賞を逃した。

2009年新春シャイニングシリーズで小島と組んで復活したアジアタッグトーナメントに出場。1回戦は通過したものの準決勝で破れ、自身初となるベルト獲得はならなかった。

2/6、鈴木みのる、MAZADA組との対戦後、また小島と組んでアジアタッグに挑戦することが決定。試合はみのるの逆落としからのスリーパーという必殺フルコースで敗北。鈴木から「良いオモチャを見つけた」と賞賛(?)を浴びた。

5/15に行われた腐男塾とのコラボ大会「腐ァイティングライブ 2009 勝つんだ!」では第1試合で「阿修羅像」をモチーフにしたコスチュームでブードゥーマスクと対戦し勝利。試合後は四方に向かって4人で阿修羅像のポーズを決めた。

2009年度のジュニア・ヘビー級リーグ戦では開幕戦で世界ジュニア王者のカズに勝利し前大会優勝者としての意地を見せる。そのまま勢いに乗ってAブロック1位に躍り出るも、優勝決定トーナメント1回戦でBブロック2位の近藤修司に破れ優勝を逃した。

8/30、両国大会ではF4の一員としてプロレスリング・ノアの小橋建太、菊地毅、伊藤旭彦と6人タッグで激突。

12/13、ファン感謝デーにて大和と組んで小島と女子プロレスラーの下田美馬と対戦するが、大和が下田のラ・マヒストラルでフォール負け。試合後「恐れ入りました。」と頭を下げた。

2010年、ブードゥーマーダーズとの抗争が激化し、2月7日の後楽園大会で敗者チーム解散キャプテンフォール・イリミネーションマッチを決行するがこれに敗北。F4の解散が決定してしまう。

その後は世界ジュニアに標準を絞り、3月の両国大会でジュニア絶対王者のカズに挑戦。王座奪取はならなかったがカズから「ありがとう」との言葉を受け取った。

その後も全日若手のホープとしてジュニア戦線を盛り上げている。

獲得タイトル歴

  • ジュニア・ヘビー級リーグ戦
    優勝・・・2008年
    準優勝・・・2010年
  • ジュニア・タッグリーグ戦
    優勝・・・2011年

入場曲

  • BANG BANG SHOOT / 松本晃彦

人物

  • 自称プロレスマニア。単に勝ち負けだけの総合格闘技やK-1には全く興味が無いらしく「生涯一プロレスラー」と宣言している。
  • 他団体のレスラーからの評価も高く、DDT社長の高木三四郎は「KAI選手はすごく良い」と絶賛している。
  • アニマル浜口ジム出身だけあってリングを降りると非常に礼儀正しい好青年であると伝えられている。同門にはT28がいるが先輩には新日本プロレスの内藤哲也やDRAGON GATEの鷹木信悟がおり、特に鷹木とは仲が良かったという。
  • 元々は黒い髪に黒いコスチュームが彼のトレードマークであったが、F4に所属してから大幅なイメチェンを施している。2008年10月後楽園では、鮮やかなオレンジ色に髪の毛を染毛。染毛したのは有名なカリスマ美容師で、このことは週刊プロレスでカラーの2ページで取り上げられた。
  • T28がメキシコ修行に行った後の全日本道場の寮長を務めている。





"マッチョマン" ランディ・サベージ
"Macho Man" Randy Savage
1952/11/15 - 2011/5/20

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名はランドル・マリオ・ポッフォRandall Mario Poffo)。

オハイオ州コロンバス出身のイタリア系アメリカ人。WWFやWCWで活躍した。父のアンジェロ・ポッフォ、弟の"ザ・ジニアス" ラニー・ポッフォもプロレスラーである。

来歴

プロレスラーになる以前は野球選手で、1970年代前半までセントルイス・カージナルス、シンシナティ・レッズ、シカゴ・ホワイトソックスのマイナーリーグでキャッチャーとしてプレイしていた。1973年11月、野球のオフシーズンにプロレスラーとしてデビューを果たす。その後、肩の故障で野球を引退してプロレスに専念。全米各地を転戦し、デトロイト地区ではザ・シークとUSヘビー級王座を争う。

1978年からは父アンジェロが設立したケンタッキー州レキシントンのインディー団体ICW(International Championship Wrestling)に弟のラニーと共に参画。ボブ・ループ、ボブ・オートン・ジュニア、クラッシャー・ブルームフィールドらとタイトルを争った。

しかし経営の悪化によりICWは解散、1983年からは同じくケンタッキーをサーキット・エリアとしていた、ジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)が主宰するテネシー州メンフィスのCWA(後のUSWA)に転出した。CWAではジェリー・ローラーとAWA南部ヘビー級王座を巡って対戦を繰り返し、オースチン・アイドルともインターナショナル・ヘビー級王座を賭けた抗争を展開。タッグ戦線でもラニーと組んでリッキー・モートンとロバート・ギブソンのロックンロール・エクスプレスとの抗争で活躍した。

1984/12/30には、後にマネージャーとなるミス・エリザベスことエリザベス・ヒューレットと結婚した。

WWF時代

1985/6/8、ジェリー・ローラーとの敗者追放マッチに敗れてCWAを去り、妻のエリザベスをマネージャーにWWFに登場。" Oooh Yeah!!" を決め台詞にトップ・ヒールとして頭角を現し、翌1986/2/8にはティト・サンタナからインターコンチネンタル王座(以下IC王座)を奪取した。

1987/3/29にミシガン州で開催されたレッスルマニアIIIでは、リッキー・スティムボートと歴史に残るIC王座戦を展開。この試合でIC王座から転落するとベビーフェイスに転向し、エリザベスとの二人三脚で人気をさらに高める。

1988/3/27にニュージャージー州アトランティックシティで開催されたレッスルマニアIVのWWF世界王者決定トーナメントでは、俳優活動も始めたハルク・ホーガンを抑えメインイベントに抜擢された。ホーガンとエリザベスのサポートもあり、決勝でテッド・デビアスを破りWWF世界王座を獲得、名実共にWWFのトップスターまで登りつめた。

1988年にハルク・ホーガンとのタッグチーム「メガ・パワーズThe Mega-Powers)」を結成。8/29のサマースラム第1回大会のメインイベントではアンドレ・ザ・ジャイアント&デビアスの「メガ・バックス」と対戦した。しかしながら、エリザベスを巡る三角関係のアングルでコンビは解散し、ホーガンとの抗争に発展していく。

1989年4月2日のレッスルマニアVでホーガンに敗れ、WWE世界王座とエリザベスを同時に失う。その後はエリザベスに代わる新しい女性マネージャーとしてセンセーショナル・シェリーを帯同し、再びヒールに戻ってホーガンとの抗争を継続させる。キングを名乗っていたジム・ドゥガンを破ったことでリングネームもマッチョマンから「マッチョ・キング」に変更し、1990年代からはダスティ・ローデスやアルティメット・ウォリアーとの抗争に入った。

1991年3月24日のレッスルマニアVIIでは、アルティメット・ウォリアーとの敗者引退マッチにて30分以上の死闘を繰り広げるも敗退。試合後、敗北をマネージャーのシェリーに責められ攻撃される。そのとき客席からエリザベスが救出に駆けつけ、2人は復縁することになる。その後は再びベビーフェイスとなり、リングネームをマッチョマンに戻すと、同年8/26にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサマースラム1991にてエリザベスと結婚式を挙げた(注:実際には2人は1984年に結婚しているが、ストーリー上では恋人同士の関係ということになっていた)。

以降は2人への祝儀にヘビを送りつけたジェイク・ロバーツとの抗争を経て、1992年4月5日にインディアナポリスで開催されたレッスルマニアVIIIではリック・フレアーを破り再びWWF世界王座を奪取、9/1にフレアーに奪回されるまで約半年間保持した。しかし、私生活において同年9/18にエリザベスと離婚すると、彼女はテレビから姿を消し、サベージも1993年からはカラー・コメンテーターが主体となり試合数は減少する。1994年にホーガンがWCWに移籍すると、同年10月に後を追うようにWCWに転出した。

WCW時代

1994年に契約金600万ドル(約7億5千万円)でWCWに移籍すると、1995年と1996年にそれぞれリック・フレアーを破りWCW世界ヘビー級王座を獲得、フレアーとホーガンに次ぐWWEとWCWの両メジャーにて世界王者になったレスラーの1人となった。

1996年にホーガンがケビン・ナッシュ、スコット・ホールと共にnWoを結成すると、後にサベージもメンバーとなり、nWo内でエリザベスと復縁(注:実生活の復縁ではない)し、ダイヤモンド・ダラス・ペイジと抗争を繰り広げた。

1998年には当時のWCWのトップスター、スティングからWCW世界ヘビー級王座を奪取するが、翌日にホーガンに敗れ1日で王座から転落した。nWoとホーガンに不満を持ったサベージはナッシュと共にnWoウルフパックを結成し、ウルフパックは人気爆発となるがサベージは怪我のためほとんど試合に出場することはなくテレビから姿を消した。

1999年にニュールックで復帰すると、新しいガールフレンドのゴージャス・ジョージをマネージャーに迎えると7月にはケビン・ナッシュを破り、4度目のWCW世界ヘビー級王座に就き、8月にはNBAの問題児デニス・ロッドマンとの一騎打ちを制すなど、健在振りをアピールした。2000年に入るとホーガンや他の大御所レスラー達と共にミリオネアーズ・クラブなるチームを結成するも、nWoほどのブレイクにはならずに、契約が切れると共にWCWを離脱した。

WCW以降

しばらくフェードアウトした後の2004/12/5、TNAのターニングポイントに登場。ジェフ・ハーディー&AJスタイルズとトリオを結成し、ザ・キングス・オブ・レスリング(ジェフ・ジャレット、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール)と対戦したが、交渉の決裂によりサベージのTNA出場はこの1試合のみにとどまった。

2009年6月にはDVD『Macho Madness:The Randy Savage Ultimate Collection』がWWEからリリースされている。

死去

2011年5月20日朝、フロリダ州で心臓発作を起こして車のコントロールを失い、木に衝突し、ラルゴ・メディカル・センターに運ばれたものの負傷が悪化し死亡が確認された。。58歳没

日本でのファイト

  • WWF入りする以前は日本マットと提携関係のない独立団体を主戦場としていたため、WWF時代のライバル、ホーガンやロディ・パイパーと比べ来日は遅い。1990年のWWF・全日本・新日本の3団体合同で開催された東京ドームにおける「日米レスリングサミット」で初来日。サベージは天龍源一郎と対戦。典型的なアメリカンプロレスのショーマンレスラー(と思われていた)のサベージと、無骨なタイプの天龍の試合はミスマッチかと思われたが、互いの持ち味が存分に引き出された好勝負となり、サベージの日本での評価を大きく高めた試合であった。
  • 天龍とは、彼がのちに移籍したSWSとWWFが提携していたため、SWSマットでも対戦している。また、同マット上でタッグも結成した。
  • WCWに移籍後は、WCWと提携関係にあった新日本の大会に数回、来日している。

獲得タイトル

WWF
  • WWF世界ヘビー級王座 : 2回
  • WWFインターコンチネンタル王座: 1回
  • キング・オブ・ザ・リング優勝:1987年
WCW
  • WCW世界ヘビー級王座 : 4回
CWA / USWA
  • NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回
  • AWA南部ヘビー級王座:2回
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回
  • USWAユニファイド世界ヘビー級王座 : 1回
WWC
  • WWC北米ヘビー級王座 : 1回
NWAアラバマ
  • NWAガルフ・コースト・タッグ王座:1回(w / ラニー・ポッフォ)
ICW
  • ICW世界ヘビー級王座:3回

エピソード

  • ハルク・ホーガンとは私生活においても親友関係であったが、1992年にサベージの妻であったエリザベスと寝たという疑惑から関係は悪化。レッスルマニアIXでホーガンの目にあった青たんは、そのエリザベスの件で怒ったサベージがホーガンにパンチをしたという噂がある(実際はホーガンはこの前日、交通事故にあったと言われている)。その後ホーガンとの関係は修復し、WCWへ行ってからもうまくいっていたが、サベージの彼女であったゴージャス・ジョージとの関係がホーガンのせいで悪化し別離となったとして、今ではホーガンとは犬猿関係である。現に2004年にサベージがTNAと契約したときも、バックステージにホーガンがいたため契約を破棄した。この際、ホーガンは「よく戻ってきたブラザー! 俺はずっと待っていたぞ」と声をかけ、握手を求めたらしいが、サベージはこれを拒否し帰ってしまった]
  • エリザベスはサベージと別れた後、レックス・ルガーと交際していたが、2003年にルガーの自宅で死んでいるところを発見された。死因は急性ドラッグ中毒。
  • ホーガンとは何度となく試合をしてきたが、カウントアウトや反則裁定以外では勝利したことがない。
  • 映画『スパイダーマン』にBone Saw McGrawとして出演し、スパイダーマンことトビー・マグワイアと試合をした。そのスパイダーマンとの試合の前にはシコシスと試合をしダイビング・エルボー・ドロップを放った。ちなみに、サベージはルーキー時代ザ・スパイダーという覆面レスラーとして闘っていた時期がある。
  • 最近はプロレスはほぼセミリタイア状態で、ラップミュージシャンとしても活動している。
  • ハイスクール卒業後の1971年、セントルイス・カージナルス傘下のルーキー級のチームで、のちに日本のロッテ・オリオンズなどでプレーすることになるレオン・リーとチームメートだった。

WWF(レッスルマニア)ビデオ紹介
nWoビデオ紹介
96 Battle Formation
Part.1 
グレート ムタ vs 白使

ランディ・サベージ vs 天山広吉
闘強導夢2000
Part.1
闘強導夢 2000

ランディ・サベージvsリック・スタイナー

1990/4/13
天龍源一郎vsランディ・サベージ/2/2
WWE All Stars: Macho Man Randy Savage Lives
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Wrestlemania 8 - Ric Flair vs Randy Savage/2/2
WrestleMania IV - Ted DiBiase v. Macho Man Randy Savage /2/3/3/3
Wrestlemania III - Randy Savage VS Ricky Steamboat/2/2
WrestleMania V - Hulk Hogan Vs. Macho Man Randy Savage
Macho Man promo
Macho Man Tribute
The Miss Elizabeth Tribute

  

















 
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