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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/21


 
 


 
 

クリス・ベノワ
Chris Benoit
1967/5/21 - 2007/6/24

カナダ出身のプロレスラー。最終所属団体はWWE。「ザ・クリップラー(The Crippler)」「凶獣(The Rabid Wolverine)」「歯無き攻撃性(Toothless Aggression)」などの異名を持つ。

本名はクリストファー・マイケル・ベノワChristopher Michael Benoit)で "Benoit" はベンワーとも表記される。カナダ・ケベック州の生まれでアルバータ州エドモントンにて育つ。晩年はジョージア州アトランタ在住。プロレスラーの中では小柄だが、ヘビー級のレスラーにも負けないパワーと、基本に忠実なレスリング技術の持ち主であった。最終所属はWWEのECW。

来歴

デビューから新日本プロレス

ダイナマイト・キッドに憧れプロレスラーを志し、カナダのハート道場でスチュ・ハートにより鍛えられる。1985年11月にプロレスデビュー。バッドニュース・アレンの勧めで、1987年に初来日して新日本道場の練習生になった。当初はスペルをそのままローマ字読みしたクリス・ベノイの名で呼ばれたが、新日からダイナマイト・クリスというリングネームを与えられた。しかし本人は尊敬するダイナマイト・キッドに因んだ「ダイナマイト」の名を冠するには自分は未熟だとして、その後覆面を被りペガサス・キッドというリングネームにて新日本プロレスに参戦する。

後に獣神サンダー・ライガーにマスカラ・コントラ・マッチで敗れ覆面を取り、1993年TOP OF THE SUPER Jr.優勝を機にワイルド・ペガサスに改名。獣神サンダー・ライガーやエル・サムライ、金本浩二、大谷晋二郎、2代目ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)らと激闘を繰り広げた。1990年にはIWGPジュニアヘビー級王座獲得、1994年にはSUPER J-CUP 1st STAGE優勝、SUPER Jr. TAG優勝、1995年にはBEST OF SUPER Jr.優勝など、新日本ジュニアヘビー級のトップ外国人として活躍した。

ECW

1995年には本拠地をアメリカに移し、ゲレロやディーン・マレンコらとECWに参戦。サブゥーとの試合中、フラップジャックの失敗からサブゥーの首を折ってしまって以来 "ザ・クリップラー" (壊し屋・破壊者)という異名をECWプロデューサーのポール・ヘイマンに与えられる。マレンコと組んでECW世界タッグ王座も獲得し、ECW世界ヘビー級王者のシェーン・ダグラスとトリプル・スレットなるユニットも結成した。しかしヘイマンがベノワの就労ビザを一向に取ろうとせず、国外退去を避けるために1995年夏、親友のゲレロ、マレンコと共にWCWに移籍した。

WCW

WCWでは波乱の人生を送っていた。彼はさまざまなレスラーと戦っては勝っていたものの、政治的なことを嫌いnWoなどメインストリームには乗らず、ベノワは雌伏をした。この頃ケビン・サリバン夫人であった女子マネージャーのウーマンと恋仲になり、事実上略奪婚をしている。サリバンとはこの不倫騒動の最中にストーリー上でも抗争を行っていた。その後、1999年に再び本格的な表舞台に立ち、US王座、テレビジョン王座などさまざまなWCWのタイトルを獲得している。また、リック・フレアーのユニット "フォー・ホースメン" のメンバーでもあった。WCWを見限ってWWFへの移籍を決意し、2000/1/16、王者決定トーナメントを制しWCW王座を手にするも翌日に返上してWWEに移籍した。

WWF / WWE

WWFでは共にWCWから移籍したエディ・ゲレロ、ディーン・マレンコ、ペリー・サターンとラディカルズを結成、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック、カート・アングルらと抗争を繰り広げる。2001年にはかつての戦友であった、クリス・ジェリコとともにWWF世界タッグ王座を制している。しかし長年の激闘によって首へのダメージが蓄積、同年6月のPPVキング・オブ・ザ・リングにて行われたオースチン、ジェリコとの三つ巴WWF王座戦にてジェリコにトップロープからのバックドロップを放った際に首の負傷が決定的なものとなり、以降約一年間欠場。2002年7月の復帰後は早々にIC王座を獲得、当初はRAWに所属していたが、スマックダウンGMだったステファニー・マクマホンによって引き抜かれ移籍。以降数か月間カート・アングルと毎週のように名勝負を繰り広げ、ストーリー重視で迷走気味だったロウを凌ぐ人気に貢献した。10月にはWWEにおける最大のライバルでもあったカートとのコンビで初代WWEタッグ王者に付いた。

王座陥落後しばらくは便利屋のようなポジションに戻ってしまったが、2003年冬から再びアングルやブロック・レスナーらトップグループとの抗争が組まれ、2004年のRoyal Rumble 2004でのロイヤルランブル・マッチでショーン・マイケルズ(1995年)以来史上2人目となる一番手出場での優勝を達成し、レッスルマニアでの王座挑戦権を獲得。スマックダウンGMのポール・ヘイマンによってWWE王座への挑戦権は永遠に奪われていたため、世界ヘビー級王座への挑戦を選択。WrestleMania XXメインイベントにて念願の世界ヘビー級王座を獲得。しかし同年のサマースラムで、ランディ・オートンを相手にベルトを手放してしまった。

2005年に行われたWWE ECW's One Night Standに出場。また同年のドラフトによりスマックダウンへ移籍した。スマックダウンに移籍後、オーランド・ジョーダンからUS王座を獲得。その後ブッカー・Tに敗れて王座を失い、王座をかけてブッカー・Tと7番勝負で抗争した。なお、ブッカーとはWCW時代にもデイブ・フィンレーが保持していたWCW・TV王座挑戦権を賭けて7番勝負を行っている。

2006年、No Way Outで王座を取り戻すものの、WrestleMania 22でのUS王座戦でJBLに敗れて王座を明け渡した。

5/26のマーク・ヘンリー戦を最後に肩の怪我と「家族と過ごす時間が欲しい」等の理由から半年近くに渡り欠場をしていたが、10/8のPPV「NO MERCY」で突如復帰。ウィリアム・リーガルとキャッチ・レスリング戦を展開した。

10/13のSmackDown!では、ケン・ケネディを破り再びUS王座を奪回した。その後、レイ・ミステリオとの抗争を終えたチャボ・ゲレロとヴィッキー・ゲレロと抗争を開始。

2007年、チャボとの抗争が終わってからはストーリーラインに絡まない試合が続いたが、4月1日に開催されたWrestleMania 23では大型新人のMVPとUS王座を賭け対決。ダイビングヘッドバットでフォール勝ちを収めた。4/29に開催されたPPV、「BACKLASH」では再びMVPと対決。丸め込んでフォール勝ちを収めた。しかしジャッジメント・デイでは3本勝負形式の王座戦が行われ、ついにMVPにタイトルを奪われてしまう。

6/11、RAWで行われたドラフトにより、スマックダウンからECWに移籍。形は違えども、約12年ぶりにECWに戻った。

死去

2007/6/24、CMパンクとのECW王座戦に出場予定だったPPVヴェンジェンスを「家庭の事情」を理由に急遽欠場。翌25日にジョージア州の自宅で妻、息子とともに遺体で発見された。40歳であった。

6/26、地元警察が調査結果を報告。捜査の結果、ベノワが22日に妻を縛ったうえで絞殺、翌23日には息子に薬物を投与し意識を失わせた状態で窒息死させた後に、自宅地下のトレーニングルームで首吊り自殺したと判明。自宅における多重殺人事件と自殺事件であると発表した(いわゆる無理心中)。

事件の動機としては、ベノワが摂取していたステロイド剤(合法的に処方されたもの)の副作用による鬱症状が原因とする説、脆弱X症候群と呼ばれる遺伝性の難病を患っていた息子の将来を悲観したとする説などが挙げられている。9月に医療専門家らがステロイド剤ではなく慢性的な外傷性脳損傷が原因という見方を示した(専門家チームは、ベノワの脳の状態は85歳程度のアルツハイマー患者の脳に酷似していた、と述べている)。

WWEは当初追悼興行を開く計画であったが、事態を重く見たWWE首脳陣が興行の取り止めを決定した。またベノワの戦績・グッズなど彼に関するすべての情報を削除し、公式サイトにおける彼のプロフィールも閲覧不可能になった。また、リムジンを爆破して大掛かりな自身の死亡ギミックを展開していたビンス・マクマホンも番組に登場し、「今後彼の名前が番組内で語られることはない」と発言した。上記のような処置のため確実視されていた殿堂入りや、彼を特集したDVDなどの発売もほぼ確実になくなり、記録の改ざんや過去の映像でも登場部分がカットされるようになった。

その後、ビンス・マクマホンは"The Untold History of The WWE"というマガジンのインタビューにおいて、「WWEが彼をプロモーションすることは今後あり得ないが、彼が歴史上に存在したということを否定できない。」とし、今後は映像や記録から必ずしも削除しないという方針を語った。実際、WWE公式HPの各タイトル歴代王者には名前が復活している。

死後とその影響

この一件はアメリカにおいて知名度の高い人物による殺人事件であることと、(近年アメリカスポーツ界で社会的問題になっている)ステロイド剤の副作用による影響ではないかとの考えから大手の報道機関でも大きく取り上げられた。特に事件当初の情報の少なかった時点ではステロイド剤を影響とする説が特に大きく取り扱われ、所属選手のステロイド剤使用と、加えて報道されたハードな労働状況などからWWEの社会的信用にも大きな影響を与えた。以後WWEは所属選手に対するドラッグテストを義務化し、違反者を処罰するようになった。

なお、ベノワの母国であるカナダのTV局en:CBC_Televisionは、ドキュメンタリー番組のen:The Fifth Estateにて彼のデビューから死に至るまでの足跡を辿った「Chris Benoit: A Fight To The Death」という特集を製作した。この中でベノワと親しかったジェイク・ロバーツは「ベノワは決して衝動や副作用などで軽々しく殺人を犯す人物ではない」と述べている。また、ベノワの父はベノワの親友であったエディ・ゲレロの死がベノワの精神状態に深い影響を与えていた事を語っている。元WWE所属で重度の脳震盪による後遺症で引退したクリス・ハーバートはベノワの父にベノワの脳の病理解剖を行う様に提案し、その結果前述の様な脳障害の実態が明らかになった経緯も番組内で述べられている。

タイトル歴

WWF / WWE
  • 世界ヘビー級王座 : 1回
  • インターコンチネンタル王座 : 4回
  • 世界タッグ王座 : 3回(w / エッジ×2、クリス・ジェリコ×1)
  • WWEタッグ王座 : 1回(w / カート・アングル)
  • 2004年ロイヤルランブル優勝
  • US王座 : 5回
WCW
  • 世界ヘビー級王座 : 1回
  • WCW・US王座 : 2回
  • テレビジョン王座 : 3回
  • 世界タッグ王座 : 2回(w / ディーン・マレンコ×1、ペリー・サターン×1)
ECW
  • 世界タッグ王座 : 1回(w / ディーン・マレンコ)
新日本プロレス
  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回
  • TOP OF THE SUPER Jr. : 1993年優勝
  • SUPER J CUP優勝 : 1st STAGE優勝(1994年)
  • BEST OF THE SUPER Jr. : 第2回(1995年)優勝
その他
  • UWA世界ライトヘビー級王座 : 1回
  • スタンピード・ブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座 : 4回
  • スタンピード・インターナショナルタッグ王座 : 4回(w / ベン・バサラブ×1、キース・ハート×1、ランス・アイドル×1、ビーフ・ウェリントン×1)
  • CWA世界タッグ王座 : 1回(w / デイブ・テイラー)

リングネーム

今までに用いたことがあるリングネーム

  • クリス・ベノイ - 新日本在籍時に使用
  • ダイナマイト・クリス
  • ペガサス・キッド - 新日本在籍時のマスクマン時代に使用
  • ワイルド・ペガサス - 新日本在籍時、素顔に戻った時代に使用
  • クリス・ベノワ - 以降、日本遠征時も含めて終身まで使用

入場曲

  • Whatever / Our Lady Peace
  • Rabid
  • The Shooter / WWF The Music volume 5
  • JUMP(DJ.POWER MIX / THAT'S EURO BEAT vol.15

クリス・ベノワ ハード・ノックス(2枚組) 
クリス・ベノワ ハード・ノックス


 
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飯伏 幸太
1982/5/21

日本のプロレスラー。鹿児島県姶良市(旧・姶良郡姶良町)出身。DDTプロレスリング所属。

人物

  • ファンタスティックに華麗なスピード技、バチバチファイトもこなすまさにノンスタイルイケメンプロレスラー。また、大の「どインディー」マニアである。
  • 非常に変わった性格の持ち主でDDTの公式パンフレットで連載している日記やリング上で独特の世界観を作り出しているが、俗にいう「キレた」状態になると見境が無くなる。
  • 饒舌なタイプではなく、DDTホームリングでのマイクパフォーマンスの際はカンニングペーパーを常用している。また、相手のマイクパフォーマンスへの回答も「いいですよ。」の一言で返すことが多い。
  • 空手小公子 小日向海流に登場するプロレスラー「田伏隼」のモデルである。
  • 以前からインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座の復活を望んでいて、当初は前王者だったTAKAみちのくは復活させないと発言していたが飯伏の大量の電話とメールなどによる説得に折れて復活させた。
  • インディー団体所属ながら実力を認められ新日本プロレスやプロレスリング・ノア等メジャー団体で活躍する一方、ホームリングのDDTでは本屋やキャンプ場、居酒屋、大学構内などリング外での試合に熱意を燃やしている。
  • タッグ戦線ではケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で活躍。活動期間はオメガの来日時に限られるが、ブランクや言葉のハンデも感じさせない息の合ったコンビネーション、多彩なオリジナル連携技を誇る。2010年には新日本のIWGPジュニアタッグ王座を戴冠するなど、団体外での活動も活発。
  • 背筋力が300kg以上ある。そのためか、ヘビー級の選手相手でもパワーボムなどの投げ技を繰り出すことが可能。

来歴

小学校を卒業した翌日に西日本プロレスを観戦、全試合終了後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレスを披露して合格してしまった(結局「中学を卒業してから」と言われ、帰された)。さらに中学校卒業後に新日本プロレスの入団テストを受けようとしたが、親に止められたため断念。また、同時期の時点で既に人とは違う感性で型破りな行動をしており(後述)、その手のエピソードには枚挙に暇がない。

高校(鹿児島県立加治木工業高等学校)ではラグビー部に入部した。

プロレス入り前には新空手の大誠塾に所属し、2003/7/21の新空手道交流大会ではK-2トーナメント(中量級・15人参加)で優勝の経験もある(しかし翌日退団)。

プロレスラーとしての活動

2004/7/1、DDT後楽園ホール大会でKUDO相手にデビュー。

2005/3/22、フジテレビ「こたえてちょーだい!」に視聴者からの相談として出演。自分がプロレスラーになったことを報告していない両親を試合へ招待した。試合は負けてしまったが、リング上で父親に向かい報告。父親からは「頑張ってくれ」と激励の言葉を貰い、握手を交わした。

2005/9/23にDDTのKO-Dタッグリーグ戦に先輩の柿本大地とのタッグで優勝、わずか1か月後の10/23後楽園大会でKO-Dタッグチャンピオンに催冠。DDTのみならず、ハッスル、プロレスリング・エルドラド、フーテン・プロモーションへも参戦している。

2006/2/4のアンディ・オロゴン戦でK-1 MAXデビューが予定されていたが、アンディの負傷により試合自体が消滅。

2006年11月14日に第1回GPWA興行に参戦した他、11/22にはエルドラドでミラノコレクションA.T.とコンビを組む。

2007年5月のディファカップではDDT代表としてHARASHIMAと組んで出場し準優勝。なお、ディファカップ初戦のビッグマウス・ラウド(BML)代表との対戦で飯伏が上段回し蹴りで原学をKOした後も攻撃を続けたことからBMLとの間に遺恨が生じ、5/23新木場大会でBML臼田勝美および原の襲撃を受けた。

5/26、契約更改の場で参戦を希望していた学生プロレスにも初参戦。東京大学の学園祭(五月祭)にて、東京大学プロレスリングBAKA道場所属の童 As Infini貞(現・DT-YUTA(ユニオンプロレス))と対戦。「殺すぞ」との発言を咎められて、試合中に逮捕される一幕もあったものの、最後はジャーマン・スープレックスで3カウントを奪い、「学プロデビュー戦」を白星で飾った。

7月1日から15日にかけてプロレスリング・ノアで開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、ノアの丸藤正道とのイケメンタッグを結成して参加するも、最終戦でKENTA・石森太二組に敗れ、勝ち点6の2位に終わった。しかし試合内容は観客からその興行のベストバウトとも絶賛され、彼の実力がインディーはおろかメジャーマットでも十分通用することが証明された。

8/26、ディファ有明で行われたプロレスサミット in ARIAKEでインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を獲得。また、12/31には、プロレスサミット in KOURAKUENで高木三四郎からアイアンマンヘビーメタル級王座を奪取し、第735代王者となる。

2008年、前年に引き続き日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に中嶋勝彦と組んで参戦。リーグ最終日まで優勝の可能性のある3チームに残る好成績。しかし最終日にブリスコ兄弟に負けたため、決勝戦には出られなかった。

2009年、新日本プロレス主催のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアへ初参戦を果たした。獣神サンダー・ライガーに勝利するなど、リーグ戦を4勝2敗で終え、決勝トーナメントへ出場したがプリンス・デヴィットに敗れ、決勝進出はならなかった。この際ライガーから「グラウンドテクニックをもっと磨け」「今のままではただのサーカス」とその才能は認こそするものの、アドバイスの意味での苦言を呈されている。

7/12から25日にかけて開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビータッグリーグ戦に、ノアの青木篤志と組んで出場も、優勝決定戦で金丸義信・鈴木鼓太郎組に敗れ、またしても2位に終わった。

8/23、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」のメインイベントにてHARASHIMAを破り、KO-D無差別級王座を獲得。

11/29、DDT後楽園ホール大会にて石川修司に破れKO-D無差別級王座から陥落。

12月には新日本プロレスのスーパーJカップに参戦するも、初戦(対外道)で敗れる。

2010年、1月6日に新日本プロレス事務所を訪れスーパーJカップの雪辱を期すため社長に参戦を直訴した。(が、実は新日本プロレスはこの日から“正月休み”のため応対はたった一人だけ仕事をしていた管理部の社員が行ったが最後まで社長と思い込んでいた。)これを受け1/31にケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で邪道・外道組と対戦するが邪道の負傷によりレフェリーストップとなる。

1/20契約更改にて「身体のメンテナンス」のため2/11以降は現時点でオファーのある試合以外を欠場することを要求し、高木三四郎の「いいよ」の一言で4/4まで欠場することが決定(オファーされていたのは2/14新日本プロレス両国大会、2/16の大石真翔&旭志織自主興行、3/6・3/7のKOEI主催戦国武将祭り)。

2/11ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」でHARASHIMA・真霜拳號組と対戦。試合後のマイクパフォーマンスで復帰後にIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦したいと表明した。

5/8には新日本プロレス主催の「スーパーJタッグ」に参戦。1回戦で敗退するもバックステージではケニー・オメガとの「ゴールデン☆ラヴァーズ」でのIWGPジュニアタッグ王座挑戦を再度アピール。 5月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。予選リーグを1位で勝ち抜き、準決勝・田口隆祐戦を勝利し、決勝・プリンス・デヴィット戦にて敗退するが、見事に準優勝を飾るがこの試合で肩を脱臼し休養。

7/25のDDT「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」の丸藤正道戦で復帰予定だったが、直前に肩の怪我が悪化し欠場が決定。代役としてパートナーのケニーが丸藤と対戦した(このカードは前年も丸藤の怪我で流れている)。

9/3新日本後楽園大会でプロレスプリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアにケニーが挑戦、セコンドとして同行し試合後改めてIWGPジュニアタッグへの挑戦を表明。これを受けて10/11の新日本両国大会での挑戦が決定。

9/12に行われたキャンプ場プロレスで復帰、試合終了後のセレモニーにおいて、新団体「キャンプ場プロレスリング・オム」の旗揚げを宣言する。

10/11、新日本両国大会ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」でプリンス・デヴィット、田口隆祐の持つIWGPジュニアタッグに挑戦、王者となる。この試合はプロレス大賞「ベストバウト賞」に選ばれた。

11/14、DDT大阪大会で新日本両国大会のリマッチ。IWGPジュニアタッグを初防衛。

12/26、新日本プロレスの邪道・外道組を相手に二度目のIWGPジュニアタッグ防衛。

タイトル歴

  • CMLL認定KO-Dタッグ王座 - 第21代(パートナーは柿本大地)、第28代(パートナーはケニー・オメガ)
  • インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座 - 第7代
  • IMGP世界ヘビー級王座 - 第4代
  • アイアンマンヘビーメタル級王座 - 第735代、第737代、第826代
  • KO-D無差別級王座 - 第29代
  • IWGPジュニアタッグ王座 - 第27代(パートナーはケニー・オメガ)

エピソード

中学生時代

  • 校庭で友人たちと受身を取っていた。
  • 練習場所として丸太やタイヤのチューブなどで海岸にリングを作った。有刺鉄線なども使おうとしたが、ホームセンターで売ってくれなかったため、お母さんにお願いして買ってきてもらっていた。
  • 「デスマッチ」と称して石の上でプロレスごっこをしたり、「ギャラリーの受けがいい」という理由から高角度ジャーマンをくらったりしていたため、しょっちゅう失神していた。
  • 当時からファイヤーバードスプラシュを習得していたが、あるとき石の上に寝ている相手に放ったところ、相手が避けたため激突し、右の肋骨をすべて骨折した。
  • 校庭や柔道場などでパワーボムなどのプロレス技をかけていた。友達が嫌がることもあり、その際はお小遣いを貯め、相手にお金を払った上でかけていた。
  • あるとき、柔道場で友達にパワーボムをかけようとしたところその相手が暴れたため首を掴んで抑えたところ、苦しそうにしていたためそのままジャーマンの要領で後ろに投げた。これが前述にあるフェニックス・プレックス・ホールドの原形となっている。ちなみにその友達は頸椎を捻挫した。

入場テーマ曲

  • 「27」(ブレーキング・ポイント)(「スコーピオン・キング」サウンドトラックに収録)
  • 「エアーマンが倒せない」(Team.ねこかん[猫])
    • ゴールデンラバーズのテーマ。ムービーもTeam.ねこかん[猫]からゴールデンラバーズバージョンの提供を受けている







  

















 
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