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プロレス/格闘技
誕生日/忌日
5/23


 
 


 
 

オスマン・ユセフ
Osman Yusuf
1920/5/23 - 1982/8/29

別名ユセフ・オスマンJohnny・ユゼフ)は、日本で活躍したオスマン帝国出身の俳優。兄弟に、元プロレスラーで同じく俳優のユセフ・トルコ(キラー・ユセフ)がいる。

 
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マービン・ハグラー
Marvin Hagler
1954/5/23

アメリカ合衆国のプロボクサー。1980年から1987年までの間に、統一世界ミドル級王者として12度もの防衛を重ねた名王者。サウスポーのオールラウンド・ファイター(右構えにスイッチすることも多かった)で、あらゆるテクニックと強打、試合運びの巧さ、強靭なメンタルを備え、「ミスター・パーフェクト」と呼ばれた。





ドリュー・キャリー
Drew Carey
1958/5/23

アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド生まれのコメディアン・司会者・プロデューサー・俳優・声優・脚本家である。

来歴

アメリカ合衆国国内にてテレビ番組の司会者として絶大な人気を誇るキャリーは、1958年にオハイオ州クリーブランドに生まれる。キャリーが8歳の頃に、父親は脳腫瘍で死去。地元の高校を卒業した後にケント州立大学へ進学。しかし3年在学した後に中退して、アメリカ海兵隊へ従軍。そこで6年間の兵役を終えた後に、デニーズのウェイターなどをしていた。

1985年あたりから、スタンダップ・コメディアンとして活動を始めて、1986年にはクリーブランドにあるコメディクラブでMCとしても活動。その後もクリーブランドやロサンゼルスなどのコメディハウスで活躍して、1991年にジョニー・カーソンが当時司会を務めていた『トゥナイト・ショー』へ出演。その後も人気に火が付き始めて、デイヴィッド・レターマン司会の番組など数々のテレビへ出演し始める。俳優としてもダン・エイクロイド主演のコメディ『コーンヘッズ』などへも出演して、才能を発揮。1997年には『Dirty Jokes and Beer: Stories of the Unrefined』というタイトルの本も執筆した。

1995年には、ABCによる『The Drew Carey Show』というタイトルの自身のレギュラー番組も持ち、ギャラも知名度も更にアップ。その後もいくつかのテレビ番組やクイズ番組で司会を務めており、多忙な日々を送っている。その人気から、アニメシリーズ『ザ・シンプソンズ』において本人役でゲスト出演も果たす。俳優として2000年に出演したテレビ映画の『ゼペッド(原題)』では、ピノキオを作り上げるゼペット爺さんを演じて、意表をついた。今後が更に期待される有名人の一人である。

2001年には、WWEのロイヤルランブルにゲスト出場した経験もある(結果はケインの登場に恐れをなして逃走)。2011年、WWE殿堂に迎えられた。

出演作品

映画

  • コーンヘッズ Coneheads (1993)
  • Sounds Dangerous (1995)
  • ゼペット Gepetto (2000)
  • House of Cards (2001)
  • ロボッツ Robots (2005) 声の出演

テレビ番組

  • The Drew Carey Show (1995-2004)
  • Whose Line Is It Anyway? (1998-2005)
  • ザ・プライス・イズ・ライト The Price Is Right (2007-現在)

テレビドラマ

  • 新スーパーマン Lois & Clark: The New Adventures of Superman (1996)
  • Home Improvement (1997)
  • ダーマ&グレッグ Dharma & Greg (1997)

テレビアニメ

  • キング・オブ・ザ・ヒル King of the Hill (1999)
  • ザ・シンプソンズ The Simpsons (2008)





MAZADA
1975/5/23

日本のプロレスラー。本名は正田 和彦(まさだ かずひこ)。福井県三国町(現坂井市)出身。身長172cm、体重87kg。東京愚連隊所属。

経歴

藤波辰爾が経営するプロレス塾「無我」入団後の1995/11/15、大宮スケートセンター興行での対グレン・マロニス戦にてプロレスデビュー。その後メキシコへ渡り、メキシコのリングで活動した。

メキシコ転戦中にNOSAWAと知り合い、東京愚連隊を結成。東京愚連隊には新日本プロレスからメキシコ遠征に出ていた元無我の竹村豪氏も加わり活動した。

NOSAWAと共にTNAにも参戦し、2004年からは全日本プロレスを主戦場としている。

2005年からは、闘龍門メキシコ道場のインストラクターに就任している。

2007年にYAMADA、TANAKAと共にサムライジャパンを結成。全日本ではみのる軍団と兼任で活動している。また無我ワールド・プロレスリングにも参戦、無我参戦時はリングネームを本名にしている。

2008年に東京愚連隊が法人化。フリーから東京愚連隊所属となる。

2010/6/14、VOODOO-MURDERSに電撃加入。同年7/4、髪切りマッチに敗れる。

タイトル歴

全日本プロレス
  • 2006ジュニア・タッグリーグ優勝
    • パートナーはNOSAWA論外。
  • UWA世界タッグ王座(&スペル・カカオ)
  • IWRGタッグ王座(&NOSAWA)
  • IWRG6人タッグ王座(&NOSAWA、竹村豪氏)
  • CAW認定セントロアメリカタッグ王座(&竹村豪氏)

  



起田 高志
1981/5/23

日本のプロレスラー、元アメリカンフットボール選手。青森県十和田市出身。健介office所属。

経歴

三沢高校時代は野球部所属。4番、一塁手として活躍。

北海道工業大学進学後、アメリカンフットボールに転向。キャプテンとして活躍。卒業後もオービックシーガルズで日本一を経験するなど活躍。

2007年、プロレスラーになる夢を捨てきれず安定した収入とアメフト日本一の栄光を捨て、25歳で健介officeに入門。

2008/2/11、元東北ジュニアヘビー級王者でもある南野武戦でデビューした。

その後、全日本プロレス、プロレスリング・ノアのシリーズにも参加。

6月5日、プロレスリング・SEM(健介オフィス大会)で元GHC王者の丸藤と対戦。13分20秒、不知火で敗れた。

6/22、全日本プロレス後楽園大会で同期の宮原健斗のデビュー戦を務め、かつて同じく同期の山口竜志を破った全日本若手有望株の真田聖也とシングルで対戦。あと一歩及ばず破れはしたが全日本の若手有望株相手にアメフト仕込みのタックルやスピアーで奮闘した。

人物

  • アメフト日本一を経験したエリートアスリートだったが、ほぼ同期で鳴り物入りで入団した元レスリング王者の山口竜志がいたためやや陰に隠れた感があった。しかし山口が怪我の悪化で引退。健介オフィスの新たな若手ヘビー級有望株として奮闘している。
  • 週刊誌でその新人離れした肉体と、荒削りながらパワフルなファイトスタイルから和製バティスタと評されたことがある。
  • 関西ローカル番組クイズ!紳助くんで若手芸人が健介オフィスに1週間練習生としてプロレス修行をするという企画があり、その時ゴツゴツした強面の風貌から想像出来ないような腰の低さを見せた。また道場マッチでベアー福田と対戦することが決定しており若手芸人達にシングル勝利への熱い思いを語った。若手芸人達の熱い応援空しく破れてしまったが非常に熱い試合展開を見せ芸人達の涙を誘った。
  • デビュー時は健介のコスチュームを模したセミロングタイツだったが、6/22の対真田戦から白いラインの入った青いセミロングのタイツに変更した。
  • 自身のブログでは、一見その風貌からは想像出来ないコミカルな一面を見せている。

ファイトスタイル

178cmと決して高くない身長だがアメフトで鍛え抜かれたゴツゴツした肉体は師匠、健介の肉体を思わせる。そのゴツゴツした肉体から繰り出されるアメフト仕込みのパワフルな戦いが売り。


起田高志





アレックス・シェリー
Alex Shelley
1983/5/23

アメリカ合衆国のプロレスラー。本名、パトリック・マーティンPatrick Martin)。ミシガン州デトロイト出身。

来歴

スコット・ディアモーレのカンナム・レスリング・スクールでトレーニングを積み、2002/3/2にミシガン州でプロレスデビュー。以後、CZW等様々な独立系団体に出場する。

2003年の6/28に開催された「レッスルレイヴ」でROHに初登場。この年にはIWAミッドサウスのキング・オブ・ザ・デスマッチに出場し、その1回戦でサンジェイ・ダットを下して勝ち進むも、2回戦目のタッグ戦で敗退した。

2004/5/22に開催された「ジェネレーション・ネクスト」ではオースチン・エイリース、ロドリック・ストロング、ジャック・エバンスらと共にジェネレーション・ネクストを結成。新世代軍団として団体を席巻したが、同年12月にユニットを脱退。その後スポット参戦を続けるものの、突如としてジミー・レイブ率いるジ・エンバシーに加入しヒールターン。新生ジェネレーション・ネクストと抗争を繰り広げるが、TNAでの活動が多忙となったため徐々にフェード・アウト。2007/5/30にクリス・セイビンと共に久々にROHへ出場。

2004年6月にTNAへの出場を果たし、2005年よりヒールとして本格的に活動。2006年からはパパラッチ(盗撮カメラマン)のギミックでメイン・ストーリーにも登場。2007年にはクリス・セイビンと共にモーター・シティ・マシンガンズとしての活動を開始した。

2004/10/24、レッスル・エイド・プロジェクトに初来日。2005年5月にはZERO1-MAXでの天下一ジュニアリーグに参戦した。同年9/19にはサンジェイ・ダットを破り、US無差別級王座を獲得。2006/8/25にはクリス・セイビンとのコンビでNWAインターナショナル・ライトタッグ王座を奪取した。

2008年10月、プロレス・エキスポの大陸別タッグトーナメントに北米代表としてエントリー。準優勝に終わるが決勝戦(田中将斗&関本大介)も含め好試合を連発し更に評価を高めた。 2009年1月4日には新日本プロレスの東京ドーム大会でクリス・セイビンとのコンビでIWGPジュニアタッグ王座を奪取した。

タイトル歴

新日本プロレス
  • IWGPジュニアタッグ王座(「モーター・シティ・マシンガンズ」で)
ZERO1-MAX
  • NWAインターナショナル・ライトタッグ王座:1回
  • US無差別級王座:1回
TNA
  • ワールドXカップ優勝:1回(2005年)
  • Xディヴィジョン王座:1回
CZW
  • CZW世界ジュニアヘビー級王座:1回
wXw
  • wXw世界ヘビー級王座:2回

その他、アメリカのインディ団体を中心として多数のベルト獲得歴有り。






ウィンダム・ロトンダ
Windham Lawrence Rotunda
1987/5/23

アメリカ合衆国のプロレスラー。現在はハスキー・ハリスHusky Harris)のリングネームでWWEのRAWにて活動している。

父はIRSマイケル・ウォールストリートなどのリングネームで知られる元WWF世界タッグ王者のマイク・ロトンド。弟は現在FCWで活動しているボー・ロトンド。バリー・ウインダムの甥であり、WWE殿堂者のブラックジャック・マリガンを祖父に持つ。

来歴

2009年、WWEとディペロップメント契約。4月に傘下団体であるFCWにてアレックス・ロトンダAlex Rotunda)のリングネームでデビュー。リングネームを度々の改名し、デューク・ロトンドDuke Rotundo)名義で落ち着く。6月に弟のボー・ロトンドとタッグチーム、ロトンド・ブラザーズThe Rotundo Brothers)を結成。7月にジャスティン・エンジェル & クリス・ローガンからFCWフロリダタッグチーム王座を奪取した。

2010年、NXTのシーズン2にルーキーとして参加。リングネームをハスキー・ハリスHusky Harris)に変更し、コーディ・ローデスをプロに迎え、第4位という結果に終わった。NXTシーズン2が終了してからはFCWに戻った。

10月にWWEのPPVであるヘル・イン・ア・セルにてジョン・シナのネクサス入りかネクサス解散が賭けられたウェイド・バレット対シナ戦で、同じNXTシーズン2の卒業生であるマイケル・マクギリカティと介入し、バレットの勝利に貢献、シナをネクサス入りさせた。以後、マクギリカティと共にネクサスのメンバーとなった。

2011年、新生ネクサスのメンバーとして活動するが1/31のRAWにてランディ・オートンにパントキックを決められ長期欠場となる。

獲得タイトル

  • FCWフロリダタッグチーム王座 : 1回(w / ボー・ロトンド)

入場曲

  • Texas Special
  • We Are One(12 Stones)





オーエン・ハート
Owen James Hart
1965/5/7 - 1999/5/23

カナダ・アルバータ州カルガリー出身のプロレスラー。プロレスの名門ハート家の出身で、父はスチュ・ハート。12人兄弟の末っ子で、兄にブレット・ハートなどがいる。
1986年5/24にプロレスラーとしてデビュー。2年後には新日本プロレスに参戦。山田恵一や馳浩らと名勝負を繰り広げ、IWGPジュニアヘビー級王座も獲得している。

1988年にWWF(現・WWE)と契約。ブルー・ブレイザーThe Blue Blazer)という鳥をモチーフとしたスーパーヒーローのギミックを与えられ、マスクマンに扮しての登場であった。同年のレッスルマニア登場以降、一旦WWFを離脱。各地のインディー団体を主戦場とした。


1991年にWWFと再契約。素顔のオーエン・ハートとしてWWFに登場するようになる。以降、1990年代全般に渡ってWWFに定着し、ココ・B・ウェアとのタッグチーム「ハイ・エナジー」、兄たちと共に「ハート4兄弟」としてのサバイバー・シリーズへの登場、ヒール転向後の兄ブレットとの抗争、また義兄のジム・ナイドハートやデイビーボーイ・スミスとのタッグなどで活躍。ハルク・ホーガンの離脱などWWFの有力レスラーが次々とWCWに引き抜かれ、WWFが倒産寸前まで追い込まれた時期は、ブレットやショーン・マイケルズらと共に団体を支えた。また、ハート・ファウンデーションの一員であったが、モントリオール事件以降もWWFに残留した。


1999年に入り、WWFデビュー時のギミックであるブルー・ブレイザーを復活させた。同年5月23日、ミズーリ州カンザスシティで開催されたPPV "オーバー・ジ・エッジ" において、天井から吊るされて入場する予定であったがワイヤが外れて転落、リングに叩きつけられた。この事故が原因で同日死去した。

事故の翌日に放映されたRAWは、オーエンを追悼する内容となり(Raw is Owenとして放送)、多くのレスラーが弔意を示した。また兄のブレットはビンス・マクマホンを責め、事故後もPPV収録を継続したことに対しての批判も集まった。

タイトル
WWF
  • インターコンチネンタル王座 : 2回
  • 欧州王座 : 1回
  • 世界タッグ王座 : 3回(w / ヨコズナ×1、ブリティッシュ・ブルドッグ×1、ジェフ・ジャレット×1)
  • キング・オブ・ザ・リング 優勝(1994年)
新日本プロレス
  • IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回
    1988/5/27宮城県スポーツセンター
    オーエン・ハートvs馳浩
    防衛
    1988/6/10 広島県立体育館
    オーエン・ハートvs山田恵一
    収録
    ジュニア・ヘビー級列伝 5
      ジュニア・ヘビー級列伝5
    Lost
    1988/6/24 大阪府立体育会館
    オーエン・ハートvs越中詩郎
USWA
  • USWAユニファイド世界ヘビー級王座 : 1回
その他
  • 英連邦ヘビー級王座 : 1回





聖菜
1994/5/23

日本の女子プロレスラー。

身長163cm、体重49kg、血液型B型。東京都品川区出身。アイスリボン所属。

実妹のりほもアイスリボンに所属している。

所属

  • 我闘姑娘(2006年 - 2007年)
  • アイスリボン(2007/3/1 - )

経歴・戦歴

2006年
  • 6/4、我闘姑娘、東京・新木場1stRING大会、対ひかり(みなみ飛香)戦でデビュー。この試合では、アイアンマンヘビーメタル級選手権試合となった。
  • 9/24、東京・新木場1stRINGにおいて、石井美紀と対戦。フェイスロックで敗れる。
2007年
  • 3/1、同日付でアイスリボンへ移籍。
2008年
  • 11/15、新木場1stRING大会並びに12/23北沢タウンホール大会でのICE×60王座初代王者決定トーナメントに出場し優勝、自身初タイトルを獲得。その席で、初防衛戦の相手に市来貴代子を指名し、承諾された。
2009年
  • 1/18、北沢タウンホール大会、12月大会での指名受諾を受けてのICE×60選手権試合で初防衛に失敗。市来貴代子に王座を奪われた。
  • 9/23、板橋グリーンホール大会、高校受験の為、この大会をもって一時休業となる。
2010年
  • 3/6、高校受験合格と共に、復帰をアナウンス。但し現在も具体的な復帰スケジュールは未定のままである。
2011年
  • 4/24、10代主催興行「Teens -開校記念日-」(代表・みなみ飛香)にレフェリーとして限定的に参戦した。

タイトル歴

  • ICE×60王座(2008/12/23獲得)





レイ・キャンディ
Ray Candy
1950/11/30 - 1994/5/23

アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州アトランタ出身のアフリカ系アメリカ人。

来歴

1973年に地元のジョージア地区(アン・ガンケル主宰のAll South Wrestling Alliance)でデビュー。大型の黒人ベビーフェイスとして売り出され、1975年7月にテキサス州アマリロ地区にてボビー・ジャガーズからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取、8月にはドリー・ファンク・ジュニアと組んで同タッグ王座も獲得している。

以降もアメリカ南部を転戦し、テネシーでは1977年にピストル・ペッツ・ワトレーとの黒人タッグで活躍。巨漢のキャンディと小柄なワトレーという凸凹コンビで人気を博す。1978年にはルイジアナでアーニー・ラッド、ジョージアでアブドーラ・ザ・ブッチャーら先輩の黒人ヒールと抗争を展開し名を売った。

ジョージア(GCW)での抗争を通しブッチャーに目をかけられ、1979年10月にブッチャーのパートナーとして全日本プロレスに初来日。10/12に旭川でジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビからインターナショナル・タッグ王座を奪取する。1週間後、郡山で馬場と鶴田に奪回されるが、それまでブッチャーが自分の子分として帯同してくる黒人選手(ビッグ・バッド・オー、ビッグ・レッド・ジョンなど)は期待外れが多かったこともあり、日本のファンにインパクトを残した。

1980年3月にはブッチャー軍団の副将となってチャンピオン・カーニバルの第8回大会に再来日。テリー・ファンク、ディック・スレーター、テッド・デビアスのファンク・ファミリーと激闘を繰り広げた。同年8月の来日ではオースチン・アイドルのパートナーを務め、PWF杯争奪タッグトーナメントに出場している。1981年2月には国際プロレスに参戦し、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦。シリーズ中、同年秋に開催予定だった『ルー・テーズ杯争奪リーグ戦』の予選も行われ決勝リーグ進出を決めたが、開催前に国際が崩壊したため出場は幻に終わった。

この頃からアメリカマットでもヒールとして活動するようになり、1982年にはテキサス州ダラス地区で覆面レスラーのマスクド・スーパーフライMasked Superfly)に変身、アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦している。1983年からはフロリダ地区でイライジャ・アキームことレロイ・ブラウンと合体。カリーム・モハメッドKareem Muhammad)と改名し、迷彩服を着用したイスラム系アフリカ兵ギミックの超巨漢黒人タッグチーム、ザンブイ・エクスプレスZambuie Express / Zambaui Express / Zimbabwe Express)を結成する。ジェリー・ローラーとジェリー・ジャレットが主宰するメンフィスのCWAやテキサスのサンアントニオ地区(テキサス・オールスター・レスリング)にも進出し、各地のタッグ王座を奪取した。

1984年3月にはザンビア・エクスプレスのチーム名で新日本プロレスに初登場。以降、ブラウンとのタッグを解散してからも新日本の常連となり、1986年10月の来日ではスーパー・マリオマンSuper Marioman)なる覆面レスラーにも変身している(当時、大ブームだったファミコン用ゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』にあやかった急造マスクマンだが、もともとは別の人物が変身する予定だったともされている)。

アメリカマットではフロリダを主戦場に迷彩服スタイルを続け、コマンド・レイCommando Ray)を名乗ることもあった。1987年にはプエルトリコのWWCに遠征し、ブルーザー・ブロディとも抗争。新日本には1988年2月にも参戦したが、後に体調を崩してリタイアし、これが最後の来日となった。

1994年5月23日、心臓発作のため死去。42歳没。晩年はレスラーの指導にも携わり、後にECWで活躍するニュー・ジャックやWWEスーパースターのケインらを育てた。

獲得タイトル

  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:1回
  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)
  • NWAミッドアメリカ・タッグ王座:2回(w / ペッツ・ワトレー)
  • NWAアーカンサス・ヘビー級王座:1回
  • NWA北米ヘビー級王座:1回
  • NWAジョージア・TV王座:2回
  • NWAインターナショナル・タッグ王座:1回(w / アブドーラ・ザ・ブッチャー)
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • NWAフロリダ・グローバル・タッグ王座:1回(w / イライジャ・アキーム)
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):2回(w / イライジャ・アキーム、ハクソー・ヒギンズ)
  • AWA南部タッグ王座:2回(w / イライジャ・アキーム)
  • TASW 6人タッグ王座:1回(w / イライジャ・アキーム&カマラ)
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回

 etc.


 
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